(1)
桂樹は、アンリと貴史を連れて、鎌倉大仏から長谷寺にかけてピクニックをした。桜の花はすでに散っていたが、廻りは新緑に包まれて、さわやかな風が気持ち良かった。
途中、公園の芝生で、アンリ手作りの弁当を広げ、のどかな陽光の下で昼食をとった。
2歳半になる貴史は、両親が一緒にいて、すこぶる機嫌がよかった。芝生の上を駆け回り、桂樹やアンリにしがみつき、片言まじりではしゃいでいる。
アンリがため息をついた。
「あの子、あんなに興奮して――今夜は寝つきが悪いわ」
「大丈夫だよ。疲れてぐっすり眠るさ」
桂樹は芝生に寝そべって、アンリのすんなりと伸びた脚を眺めていた。
「ところでどうだい――もう一人、子造りにはげむってのは」
「今はとても、そんな気になれないわ。だって貴史だけでも大変なのに、他に大きな子供がふたりもいるでしょう」
「それって、ぼくとG・Gのことを言ってるのか?」
「他にだれがいるの。とにかく貴史ひとりで充分よ。あの子が幼稚園に行きだしたら、わたしもまた大学で働きたいし」
「――ぼくもそろそろ、就職先を見つけないとな」
「あなた、どんな仕事をやりたいの?」
「ぼくは建築の技術者だから、建築に関係する仕事がいいな。ただし、大きな会社はもう敬遠したいな」
そのとき小さな貴史が勢いをつけて、桂樹の腹の上に飛び乗った。不意を突かれて、桂樹は息がつまった。
アンリが息子を叱った。
「ターくん、駄目よ。パパをいじめたら」
「パパ、おうまさんごっこ」
貴史は、桂樹の腹の上に馬乗りになって、小さな体を上下に弾ませた。
「いたた、ターくん、勘弁してくれ」
桂樹は上体を起こして、子供の体を抱き上げた。
「ほんとにこの子は、G・Gに似て、いたずらっ子だな」
「あらっ、口と顎のあたりは、あなたにそっくりよ――頑固そうで」
「目許と鼻は、きみそっくりだよ――気が強そうで」
ふたりは顔を見合わせて、笑った。
桂樹は長男を抱いて、立ち上がりながら言った。
「それはそうだな、ふたりの合作だからな。なあ、ターくん」
家に戻ると、堀田内装の社長が来ていた。リビングで堀田の相手をしていたゲイルが、桂樹の姿を見て、椅子から立ち上がった。
「じゃあ、わたしはこのへんで――」
彼はそそくさと、部屋を出ていこうとした。そのゲイルに、貴史がまとわりついた。
「ジージー、抱っこ」
「おお、ター坊、また親が構ってくれないのか。よしよし、いい子だ」
ゲイルが相好をくずして、貴史を抱き上げた。
堀田がそれを見て、桂樹に言った。
「可愛らしいお子さんだ。あなたによく似てる」
「わたしに似たんだよ。この子は親に似ず、素直な性格をしている」
ゲイルが横から言った。「それに、頭もいいし運動神経もいい。そのへんにいる並みの子供と違うんだ」
「分かった、分かった。さあ、G・G、向こうに行ってくれ」
桂樹はうるさそうに言うと、堀田に向き直った。「義父が、ご迷惑をおかけしたのではないですか?」
「いえいえ、とんでもない。あなたの結婚式のときは、お父さんとお話する機会もありませんでしたが、さっきゆっくりとお話できました。とっても明るいお父さんですね」
「義父は、明るさだけが取り柄ですから」
「――」
「でも、堀田さんが鎌倉まで来られるなんて――何のご用です?」

堀田はどう切り出そうか、と迷っているようすだった。彼はおずおずと桂樹に訊いた。
「お勤め先は決まりましたか?」
「いえ、まだ――そろそろ探さなければ、と思っていますが」
堀田がぽつりと言った。
「わたしの会社に来ませんか?」
桂樹は驚いて、堀田の顔を見た。相手は目も口元も和ませて、返事を待っている。桂樹は考えながら、慎重に言った。
「わたしは、小倉建設を辞めた男です。そのわたしが、協力業者会の会長であるあなたの会社に行けば、きっとご迷惑がかかります」
「じつは、あなたのところにお伺いする前に、三田村社長にお会いしました」
「――」
「あなたをお誘いするにしても、一応筋を通しておこうと思いまして」
「――三田村社長は、なんとおっしゃっていました?」
「複雑なご心境のようすでした。あの方は、まだあなたに、未練がおありのようです」
「――」
「詳しくはおっしゃいませんでしたが、近いうちに小倉建設は大きな試練を受ける。そんなとき、あなたのように筋の通った、優秀な社員が必要になると言われました」
「大きな試練――」
「ええ、三田村社長はそうおっしゃっていました」
「――」
「でも、こうもおっしゃっていました。もしもあなたが、わたしの会社で働くのなら、自分としても陰ながら応援する――と」
「――」
「わたしの会社は、小倉建設にくらべると、吹けば飛ぶようなちっぽけな会社です。でも、技術力と信用力はあります」
堀田は微笑んだ。「それに背伸びはしていませんから、借金無しの健全経営です」彼は身を乗り出した。「どうです、わたしの会社に来ていただけませんか?」
桂樹は、すぐには返事をしなかった。堀田も桂樹の気持ちを察して、それ以上は強く誘わなかった。
「それから千秋鉄工のことですが――」
堀田が思い出したように言った。「千秋社長に代わって、弟さんの千秋専務が責任者で頑張っています」
「――」
桂樹の頭の中で、千秋文恵への思いが渦巻いた。再び虚ろな喪失感が押し寄せてくる。
堀田の声が聞こえてきた。
「先だって協力業者の会合がありまして、千秋専務が挨拶されました。いろいろ世間をお騒がせしてすみません、社員一同、死ぬ気で頑張ります、これからもよろしくお願いします、と」
「小倉建設からは、どなたか出席していましたか?」
「わざわざ三田村社長が出席されて、千秋専務に激励の言葉をかけておられました」
「大場副社長は――出席されていなかったのですか?」
「ええ――」
堀田は眉を曇らせた。「わたしが聞いた情報によれば、大場副社長は最近、会社に出ていないそうです」
「――」
桂樹は何も言わなかったが、およその見当はついた。いよいよ警察やマスコミの追及が、始まったのだろう。
そこで堀田が、ふたたび勧誘の話を出した。
「ところで高山さん、先ほどの話ですが――もしご迷惑でなかったら、わたしの会社に来ることを検討していただけませんか?」
「迷惑だなんて、とんでもない」
桂樹はあわてて否定した。「再来週、家族を連れてハワイに旅行します。その旅行から戻ってきたら――ご返事します」
そのとき堀田は、どことなくきまり悪そうな表情をした。