目 次
海路の日和W - 第13章 緊褌一番
(1)

会議室に入ると、三田村社長を中心に、伊藤会長と四人の副社長が、ずらりと並んでいた。彼らは一様に厳しい顔つきをしている。
横の席から人事担当重役が、桂樹に向かって席につくようにうながした。
桂樹は会社トップたちに向かい合って座った。まるで裁判の被告席に立たされた気分だった。彼は席につくと、腹をすえて重役たちの顔を見渡した。
大場副社長が桂樹を睨み返した。その顔は上気して、苦虫をかみつぶしたような顔つきだ。
(──結論が出たのだな)彼らを見て、桂樹は思った。

三田村社長が、ゆったりとした口調で話し出した。
「今回の暴力事件は非常に残念だ。とくにその当事者が、当社始まって以来の、最年少で課長になったきみだけに」
社長は少し間を置いて、話をつづけた。
「きみが伊丹取締役を殴った事情は、大場副社長や人事部長から詳しく聞いた。しかし、事情はどうであれきみは社員たちの目の前で上司を殴ったのだ。それは部下に範を垂れる管理職のやるべき行為ではない。
先ほど、きみの処分について、ここにいる経営陣と協議したが、正直言って意見が分かれた。きみを懲戒免職にすべきだという意見も出た」
そこで三田村は、次の言葉に重みを持たせるように、しばし口を閉じた。「しかしきみは、将来有望な若手幹部社員だ。そこで今回の処罰は、戒告にとどめおく」

桂樹は何の反応も見せずに、硬い表情で社長の言葉を聞いていた。
最後に社長は、思いがけない優しい声で言った。
「きみにも言いたいことはあるだろう。この機会だ、きみの考えを言ってくれ」
伊藤会長が、驚いたように三田村社長のほうを見た。それに気づかぬ振りなのか、社長はまっすぐに桂樹を見ていた。
桂樹は気持ちを落ちつけようと、しばらく沈黙した。話し出したときは、淡々とした口調だった。
「わたしは、小倉建設にあこがれて入社しました。それは企業案内にも書かれていますように、民主的で風通しのよい社風が気に入ったからです。そして、入社して10年が経過しました。その間、設計、現場、秘書、営業と幅広い仕事をやらせていただきました。そのことには、深く感謝しております」
重役たちは静かに聞いていた。桂樹は咳払いすると、続けた。
「おかげさまで、仕事だけでなく、人間性でも多少なりと幅ができたような気がします。また入社当初とくらべて、多少のことには妥協することも覚えました。しかし、いくら経験を積んでも、自分の信念の根幹となることでは、妥協できません」
「きみは何が言いたいんだ!」
大場副社長がこぶしでテーブルを叩いて、いらいらしたように言った。それを手で制して、社長が言った。
「待ちたまえ。高山くんの話を、最後まで聞こうじゃないか」
「わたしはシュンぺーターの言うcool head but warm heartという言葉が好きです」
「おいおい、この場は、きみの座右の銘を聞く場ではないのだよ」
伊藤会長がバカにしたように言った。
それを無視して、桂樹は話をつづけた。
「シュンぺーターの言葉をわたしなりに解釈して、ふたつのことをわたしの信念としております。ひとつは、人間性の暖か味を大切にすること。もうひとつは、社会人として冷静に自分を見つめ、社会ルールに外れたことをしないことです」

「なにを生意気なこと、言ってる!」
大場が、威嚇するように桂樹をにらみつけた。「お前は正義漢ぶって、粋がってるだけじゃないか!」
大場に怒鳴りつけられて、桂樹はかえって肝がすわった。自分でも不思議に思えるほど、冷静になってくるのに驚いた。
彼は心地よい怒りを覚えながら、重役の顔を平然と見返した。
「粋がっているのは、大場副社長のほうですよ。それに、他人を利用するだけ利用しておいて、その相手が困っているときに見向きもしない。そんな輩に憤りを感じるのは、なにも正義漢じゃなくても出来ることです」
「なにおっ!」
大場が立ち上がって、怒鳴った。「このばか野郎!」
彼は今にも、桂樹に掴みかからんばかりの形相をしていた。

「座りたまえっ!」
三田村社長が鋭く言った。「大場くん、きみはしばらく黙っていたまえ。それができないのなら、この部屋から出て行ってくれ!」
三田村社長は、めったに見せない強い口調で言った。ほかの重役たちは、驚いたように社長のほうを見ていた。
桂樹のほうに向き直った三田村の顔は、穏やかだった。
「前に長尾相談役が、きみのことをえらく感心されていた。きみは相談役と話しているとき、会社経営は、情ではなく理念ですべきだと言ったそうだね。ところで今回の暴行事件は、品川プロジェクトの事業獲得が発端となっているようだが、きみの取った行動は、理念というより情に傾いていると思うが、どうなんだね?」
桂樹は静かに答えた。
「確かにわたしが暴力をふるったのは、感情的な行為でした。でも、社長が理念という言葉を、どのように解釈されているかは存じませんが、わたしの考える理念の経営とは、独断専行、隠密行動、ゴマスリの横行するような職場環境をなくして、実力本位のオープンな職場をつくると言うことです」
桂樹は大場のほうを見た。大場が赤鬼のように顔を真っ赤にして、桂樹をにらみつけた。その横で、伊藤会長が、眠っているかのように目を細めて、こちらをじっとうかがっていた。
「それから、本来は育てていくべき下請け企業を、利用するだけ利用しておいて、火の粉が降りかかりそうになると、ポイ捨てするようなことは、決して理性ある行動とは思っていません」
大場はこめかみをぴくつかせて、今にも爆発しそうだった。握り締めたこぶしが、テーブルの上でぶるぶると震えていた。
それを横目で見ながら、桂樹はつづけた。
「千秋鉄工の社長は拘置所に拘留され、彼の娘さんは思い悩んで自殺しました。それでも千秋社長は、小倉建設のために、苦しみに耐え、沈黙を守っています。皆さんはこのことに、何も感じないのですか?」
室内がシーンと静まり返った。
「生意気なことを言うようですが、日本経済の一翼を担う小倉建設には、贈賄などという非合法なことをせず、国際社会の中で正々堂々と競争していただきたいと思っています。夫婦間の小さな嘘はともかく、国民を敵にまわすような大きな嘘はいけません。嘘はいずれバレるものです」

三田村社長が、苦悶の表情を見せた。彼は小声で言った。
「きみは――警察に話すつもりなのか?」
社長の質問に、重役たちが息を呑んだ。とくに大場は、それまでの態度と打って変わって、心配そうに桂樹のほうを見ていた。赤かった顔が、今や血の気を失って、白っぽくなっている。
「現在の日本社会は、ルールと責任が求められています。わたしが話さなくても、そのことはいずれ明るみに出るでしょう」
そこで桂樹は一呼吸おくと、はっきりと言った。「わたしの口からは、一切言いません。お世話になった小倉建設を裏切るようなことは、絶対にしません」
「お世話になった――」
過去形の表現に、三田村社長がけげんそうな表情をした。

桂樹は立ち上がると、重役たちの見ている前で、スーツの内ポケットから白い封筒を取り出した。
「わたしは小倉建設が好きです。でも、それ以上に、自分の信念を大切にしたいと思います。これは妻と話し合った結論です」
桂樹はそう言うと、黙って社長のところに歩み寄り、その前に封筒を置いた。その表面には黒々とした墨筆で、『辞表』と書かれていた。
あっけにとられた経営陣に一礼すると、桂樹は部屋を出ていった。
[20/04/16 08:42 神亀]
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