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海路の日和W -  (4)
(4)

品川プロジェクトの開発は、着々と進行していた。ひとときは落ちつきがなかった大場副社長と伊丹取締役も、警察の追求のない今は、小康状態を取り戻しているようだ。
そして桂樹は、彼らから仕事を干されていた。
そんなある日、桂樹は思い切って千秋の弁護士に連絡をとった。千秋恭平に面会するためだった。

グレーのスチール壁で囲まれた接見室は、無機質で殺風景だった。硬質プラスチックのパネルを挟んで、桂樹は千秋恭平と向かい合っていた。
千秋の上品な顔はすっかりやつれて、見ていて痛ましかった。それでも彼は目配せで、話す内容には気をつけろ、と桂樹に伝える気配りを忘れなかった。
「高山さん、こんなところに来ていいんですか?」
「ご心配いりません。お会いするために、弁護士さんには、いろいろとお骨折りいただきました」
「そう――皆さん、お元気ですか?」
「ええ――」
桂樹は、ちょっとためらった。「あのう――お嬢さまのことは残念です」
千秋の顔が一瞬ゆがんだ。彼は感情を押さえ込むように、低い声で言った。
「ありがとうございます。あなたにもご心配をかけて――」
桂樹は胸が熱くなった。この育ちの良い年配者は、不幸のどん底に落ちても、なお他人のことに気をつかっているのだ。
「千秋さん――」(すべて話してしまいなさい)桂樹はそう言いたかった。しかし、口に出して言えなかった。
千秋は、桂樹を安心させるように微笑んだ。
「O氏に伝えてください。わたしは――大丈夫だと」
千秋の言わんとすることは分かっていた。桂樹はそっとうなずいた。大場や伊丹の顔が、目に浮かんだ。彼らは戦々恐々として、千秋の裁判のなりゆきを心配していながらも、千秋本人のことは心配していないのだ。
桂樹は、彼らに怒りを覚えた。
「千秋さん、文恵さんは亡くなられました。なのに、なぜあなたは、そんなに頑張るんですか?何のために――」
千秋は黙って桂樹を見ていた。しばらくして彼はささやくように言った。
「お世話になった方々のために――そして、うちの従業員のために」
会見の時間は短かった。千秋は桂樹と会って、つかの間の慰めを得たようだが、桂樹のほうは空しさだけが残っていた。

桂樹は会社に戻ると、同期生の坂井のところに行った。彼は資材部のパソコンの前で仕事をしていた。
桂樹の顔を見るそうそう、坂井は言った。
「おい、桂樹、どうしたんだ。白い顔をして。まるで幽霊に出会ったみたいだぞ」
「なんでもない。ちょっとウツなだけだ」
「ウツ?お前らしくないな。エリート課長でも悩みがあるのか?」
「からかうのはよせ。それよりどうだ、今夜一杯?」
「オーケイと言いたいところだが、今夜は駄目だ。品川の発注リストを、まとめなくちゃならない」
「品川プロジェクトか?」
「ああ、コンペでとった工事だ」

桂樹はなにげなく、坂井のデスクの上にあるパソコン画面をのぞき込んだ。そこには業種ごとの発注先が、表になってまとめられていた。
坂井がぼやいた。
「まだ半分しか進んでいない。今日は何時までかかるか分からんよ」
しかし桂樹は、坂井の言葉も耳に入らなかった。彼は画面の一点を食い入るように見つめていた。鉄骨工事の発注先に、千秋鉄工の名前が見当たらなかったのだ。
「鉄骨工事は――」
桂樹は抑えた声で聞いた。「千秋鉄工はないのか?」
「千秋鉄工?」
坂井は振り返った。「ああ、今回は無しだ。贈収賄事件で騒がれているからな。大場副社長直々のご指示だ」
それを聞いて、桂樹はカアッとなった。彼は別れも告げずに、部屋を飛び出した。

「副社長、なぜ発注リストから千秋鉄工を外したのですか?」
部屋には大場副社長と伊丹部長がいた。桂樹は二人を前に、怒りに震えて立っていた。
大場が冷然と言い放った。
「世間で騒がれているこの時期に、千秋を外すのは当然のことだろうが」
「でも、千秋さんには、品川の事業を取った恩義があるじゃないですか」
「恩義?バカな。そんなことは知らん!」
「千秋さんのことなら大丈夫ですよ。しゃべらないと副社長に伝えてくれ、と言っていました」
大場はギョッとしたように桂樹を見た。
「なんでそんなことを、お前が知ってるんだ」
桂樹が千秋に会ったのは、会社に内緒だった。彼は正直に言った。
「今日、千秋さんに面会しました」
とたんに大場が怒鳴った。
「ばか野郎、余計なことをするな!ただでさえ窪田先生との関係を、疑惑の目で見られているんだ。それを小倉の社員が千秋に会いに行ったと知れたら、ますますやばくなるじゃないか!」
桂樹はムッとしたが、努めて冷静に言った。
「そのことは謝ります」
「謝って済むことかっ!」
「でも、千秋さんのお嬢さんは亡くなられたのですよ。葬儀にも出れなかった千秋さんの心情を思うと、居ても立ってもおれませんでした」
大場は軽蔑したように、桂樹を見た。
「高山、お前を見損なったぞ。お前のような優秀な男が、情に流されて行動するとは思わなかった。それに、この前の日亜電気のこともあるしな」
桂樹が口を開きかけたとき、部屋の電話が鳴った。伊丹が機敏に受話器を取り、それから大場に声をかけた。
「副社長、三田村社長がお呼びです」
大場は舌打ちすると、桂樹のほうに振り返って何か言おうとしたが、思いとどまったように黙って部屋を出ていった。

職場に戻ってからも、桂樹は腹の虫が治まらなかった。またそれに油を注ぐように、伊丹が近づいてきて、ねちっこく嫌味を言った。
「高山、副社長に対して、きみのあの態度は何だ。立場をわきまえろ」
桂樹は、まっすぐに伊丹の顔を見ながら言った。
「部長、社員が上司にものを言ったら悪いのですか?」
「へ理屈を言うな!きみの言い方は、生意気だって言ってるんだ」
「過ちを指摘することが、生意気だと言うのですか。だいたいあの品川プロジェクトだって――」
「場所をわきまえろ!」
伊丹があわててさえぎった。それから彼は小声で言った。「あれは、うちの計画案が優秀だったんだ」
桂樹は、あざ笑うように大声で言った。
「部長は本気でそう思っているんですか?あんなお粗末な計画で、当選したって言うんですか?」

部屋にいたほかの社員たちが、驚いたようにふたりのほうを見ていた。
それに気づいて、伊丹はあわてた。
「大きな声を出すな。高山、言い過ぎだぞ。きみはうちの設計部の仕事を、バカにするのか」
「バカにはしていませんよ。わたしのもといた部署ですからね。ただ、あの計画は手を抜きすぎている」
伊丹は作戦を変えて、懐柔策に出た。彼はねっとりとした口調で言った。
「高山、副社長もおっしゃったように、きみは優秀な男だ。それにきみが異例の早さで課長になったのは、副社長のおかげだぞ。それを仇で返すようなことはするな」
「大場副社長が、わたしを課長に推してくださったのですか?」
桂樹は開き直って言った。
伊丹はちょっとたじろいだが、胸を張って答えた。
「そうだよ」
「そうですか――」
桂樹は、見透かすように伊丹の顔を見つめた。伊丹の小心者らしい色白の顔が、少し赤らんだ。伊丹は虚勢を張った。
「なんだ、その馬鹿にした顔は」
桂樹は真っ直ぐに伊丹を見た。
「わたしが課長になったときは、直接、副社長の下にいなかったものですから。わたしがいつ副社長にゴマをすったのだろうかと考えました」
伊丹は露骨にいやな顔をした。
「なんだ、その言いぐさは」
桂樹はきっぱりと言った。
「わたしは、副社長に取り入った覚えがないと言ってるんです」
伊丹の顔がますます赤くなった。小振りの丸っこい顎が、震えだした。
「何が言いたい!だいたい、きみは千秋のなんなのだ。恋女房のように、千秋のことばかり心配しおって。きみたちは愛し合っているのか?」

桂樹はこぶしを握りしめて、伊丹に詰め寄った。
伊丹は自分が言い過ぎたのに気づいた。彼は身の危険を感じて、逃げようとした。
しかし遅かった。
鈍い音を立てて、桂樹の右のこぶしが伊丹の顎に炸裂した。
[20/04/14 08:36 神亀]
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