■ 海路の日和�W - (3)
(3)
千秋文恵の葬儀の日は、1日中、小雨が降りつづいていた。文恵の親戚と千秋鉄工の社員たちが葬儀を執り行っていた。彼女の父親の千秋恭平は拘置所にいて、娘の葬儀にも出席できなかった。代わって千秋の実弟が、喪主の役を務めていた。
妻に先立たれ、今また一人娘を亡くした千秋のことを思うと、桂樹はますます暗然とした気持ちになってくる。
葬儀には、小倉建設の人間は、桂樹以外だれひとり来ていなかった。かわって下請け会社の堀田社長ほか、数人の知人が集まっていた。
祭壇に飾られた文恵の遺影は、桂樹の心をかき乱した。ひっそりと微笑んで、どことなく憂いを帯びて――。桂樹は、虚ろな喪失感を覚えた。
葬儀のあと、堀田が桂樹を誘って、近くの喫茶店に入った。いつだったか、文恵と初めて会話をした店だった。
「文恵さんのことは、本当にむごすぎる。あれじゃ千秋さんが、あまりにも可哀相だ」
堀田社長はわが事のように、目許に涙をにじませていた。
桂樹は言葉もなく、黙っていた。文恵の死はあまりにもショックで、彼はだれとも口を利きたくない心境だった。
「それに、千秋さんは、娘さんの葬式にも出られないなんて。警察も非情すぎる!」
温厚な堀田にしては、めずらしく感情をむきだしにして言った。
桂樹は黙って堀田の顔を見た。しばらく見ぬまに、少し太ったようだ。血色はよかったが、目尻の小皺が増えて、頭髪もだいぶ白いものが目立ってきた。
堀田を見ながら、千秋の事情をどこまで知っているのだろうかといぶかった。しかし、あえてその質問はしなかった。
桂樹はポツリと言った。
「会社のほうはどうですか?」
堀田の沈んだ顔が、すこし明るくなった。
「おかげさまで好調です。仕事の量もだいぶ増えました」
「そうですか。それはよかった。ところで、堀田さんの会社は、売り上げの何割を、小倉建設の仕事にあてているんですか?」
「割合ですか――」
堀田は小首をかしげて、すこし考えた。「そうですね、官庁の仕事もやっていますから。だいたい、6割くらいだと思います」
「6割ですか――もうちょっと、減らさないといけませんね」
堀田が驚いた表情をした。
「小倉建設さんの仕事は減らせませんよ」
「いや、わたしの言ったのは、仕事を減らすのではなく、もっと他からの仕事を増やすべきだと言ったのです」
堀田が微笑んだ。
「とても難しいことです。うちは営業が得意じゃないですからね」
そこで彼は、桂樹の顔をまっすぐに見た。「もっとも、うちに高山さんみたいな優秀な方がいれば、なんでもできるのですが」
桂樹は肩をすくめた。
「買いかぶりですよ。わたしはたいして優秀じゃない。ところで小室さんは元気ですか?」
堀田の顔が、人懐っこい表情になった。
「ええ、いたって元気ですよ。先月、68歳になりましたが、相変わらずあちこち飛び回っています」
「なんだか彼の姿が、目に浮かぶようですね」
桂樹はなつかしそうに、顔を和ませた。「あの人とやりあった、現場時代がなつかしい」
「小室も今もって、高山さんのことを話題に出しますよ。あれはあなたの熱烈なファンですからね」
「小室さんにとっては、ファンと言うより、わたしを絶好の退屈しのぎだと思っているんじゃないですか」
二人は顔を見合わせて、はじめて笑った。
堀田と会話したひとときは、つかの間の明るい気分になったが、彼と別れてひとりきりになると、再び千秋のことが重苦しくのしかかってきた。
娘を失い、家で彼を待つ身内はだれもいなくなった。しかも、贈賄の罪で拘留されているのだ。千秋は今、どんな心境なのだろうか?
桂樹はふと、設計部長の和泉が、千秋と親しかったのを思い出した。
彼は会社に戻ると、設計部に出向いた。
「今日、千秋文恵さんの葬式に行ってきました」
桂樹がそう告げると、和泉はちょっと驚いた表情をしたが、小声で言った。
「今夜、時間があるかね?」
桂樹がうなずくと、彼は言った。
「じゃあ6時半に『はなれ』で――」
その店は、桂樹が設計部にいた頃、和泉に誘われて、ときどき利用していた小料理屋だった。奥のこぢんまりとした座敷に落ちつくと、桂樹は待ちかねたように言った。
「文恵さんの葬式には、来られませんでしたね?」
「ああ――」
和泉は目を伏せた。「昨晩、お通夜には行ってきた」
「葬式には、下請けの堀田さんたちは来ていましたが、うちの会社からはだれも来ていませんでした」
「今日は遠慮しろと通達が出されたんだ、大場副社長から」
桂樹はうなずいた。
「そうですか。知りませんでした」
和泉が聞いた。
「お葬式の様子はどうだった?」
「参列者が少なくて、寂しい式でした」
桂樹はそこで、ふいにこみ上げてきた。「なんだか――文恵さんのはかなさを象徴しているようで――」
彼は下を向いたまま黙り込んだ。静寂の中で、和泉は、桂樹の気持ちが落ち着くのを、辛抱強く待っていた。
「失礼しました。ちょっと感情的になって――」
桂樹は顔を上げると、和泉に言った。「娘さんが亡くなられて、千秋さんは、どんな思いをされているんでしょうね」
和泉は腕組みをして、目を閉じた。しばらくして、彼は口を開いた。
「千秋は、まさかこんなことになろうとは、思いもしなかっただろう」
和泉は淡々とした口調で話しはじめた。「これまで社内のだれにも言った事はないが、千秋はわたしの従兄弟なんだ。わたしの母方の縁続きでね」
桂樹は内心驚いたが、黙っていた。
「千秋が窪田議員と付き合いがあり、また表に出せないことをやっていることは、わたしもうすうす感づいていた」
和泉は反応を見るように、桂樹の顔を見た。
「そのことでは、ずいぶん千秋と議論もした。しかし彼とわたしは実業家とサラリーマンという違い以上の、考え方の開きがあった。わたしたちの話はいつも平行線をたどり、決して交わることがなかった」
和泉はちょっと口を閉じ、そして言った。
「冷たい言い方に聞こえるだろうが――警察に逮捕されたことは、千秋も覚悟の上だったと思う。しかし文恵さんが自殺しようとは、彼には想像すらできなかったことだろう」
「でも――」
桂樹は、感情を押し殺して言った。「しょせんは、千秋さんも利用されただけじゃないですか。直接利益を享受しているのは、うちの会社と国会議員ですよ。下請けの千秋さんのところには、二次的な還元しかない」
「それは、司法の考えることだよ」
和泉は断定するように言った。「それはわたしも千秋と近い人間だし、鬱積したものを感じている」
そこで彼は、自分を卑下するようにうつむいた。「しかし、わたしには何もできないんだ」
桂樹は何か言おうとしたが、あとの言葉が出なかった。