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海路の日和V -  (2)
(2)

千秋親子と会って以来、桂樹は大場や伊丹のやり方に、疑問を抱くようになった。いくら営業のためとはいえ、贈賄までする必要があるのか。
彼は思いあまって、前の上司の白取部長を酒席に誘った。
しばらく当たり障りのない話題のあと、桂樹はずばりと訊いた。
「部長は、うちの社内で賄賂を使っているのをご存知ですか?」
白取はビクッとしたように顔を上げ、周りを見まわした。彼は声をひそめて言った。
「きみ、滅多なことで、そんなことを言うもんじゃないよ」
桂樹は声を落として、追求した。
「で、どうなんですか?」
「ありうるな。どこの会社でもやっていることだ。お中元やお歳暮だって、ある意味では賄賂だ」
「でも千万単位の金を裏で渡すというのは、犯罪行為ですよ。現に伊丹部長は千秋鉄工を通じて、国会議員に大金を渡している」
「きみは、知らないほうがいい」
白取は早口で言った。「その話題は口にすべきじゃないんだ」
「口を閉じていろ、とおっしゃるんですか?」
「ああ、その通りだ」
白取は断定した。それから口調を変えて、諭すように言った。「きみは純粋だし正義感も強い。きみがいつも正々堂々と仕事をしているのは、わたしが一番よく知っている。でも生活のためには、やむを得ないダーティーな部分もあるんだ。どうもうまく表現できないけど――ときには消極的な正義も必要だということだ」
「消極的な正義ですか?」
「見て見ぬふりをする――こんなことを言えば、きみは卑怯だと思うかもしれないけど」
白取は自嘲気味に笑った。「自分からは進んで違法に手を染めない。そんなことだな」
桂樹は、白取の考えに同意できなかったが、あえて聞いた。
「部長は、賄賂を使ったことがないんですか?」
白取は返事をするまでに、少し考えた。
「ないと言える。賄賂が現金という意味ではね。わたしには、そんな度胸がないから」
「じゃあ、会社命令で賄賂を使えと言われたら、どうされますか?」
「おいおい、高山くん、そんなにわたしを追いつめないでくれよ」
白取は冗談めかして笑った。「そのときになってみないと分からないな」

――◇――

秋になって、品川にある国有土地の再開発で、公開コンペが行われた。
近年まれに見るビッグプロジェクトで、公共施設のほかに、民間活力を導入してオフィスやホテル、商業施設などを建設しようというものだった。
小倉建設でも他の民間企業に呼びかけて、ひとつのグループをまとめ、事業コンペに応募する準備が進められていた。
桂樹の手元にも、その計画案の資料が回ってきた。設計技術者の桂樹から見れば、なんの面白味もない駄作だった。
「あんな計画案じゃ、とてもコンペに勝つことはできませんよ」
桂樹はそのことを伊丹に話した。ところが伊丹は、訳知り顔でにやついた。
「きみ、大丈夫だ。あのコンペには勝てるさ」
「あんな平凡な案でどうしてですか?わたしだって、もっとまともな案を考えることができますよ」
「大丈夫、コンペには絶対に勝てるさ」
伊丹はにやついたが、その理由は話さなかった。

コンペの結果発表が出て、小倉建設グループは1位で当選した。そのころには、桂樹もおおよその見当がついた。国会議員の窪田が、陰で官公庁の担当者に圧力をかけていたのだ。
しかし、桂樹の思いとは裏腹に、コンペに当選した品川プロジェクトは事業化に向けて、着々と準備が進みだした。
そのころ、大場副社長と伊丹部長の様子がいつもと違ってきた。彼らは人目を避けて、こそこそと打ち合わせをすることが多くなっていた。
ある日、桂樹が大場副社長のところに、書類を持っていったときのことだった。ドアをノックしようとすると、部屋の中から、大場の興奮した声が聞こえてきた。
「証拠なんか何も無いんだ。――なに!役所の課長が自白したかも知れないだと。――大丈夫だ、警察はハッタリをかませているだけだ」
桂樹は部屋の外で、大場の電話が終わるのを待った。しばらくして別れを告げる声。それから大場がだれかに話しかける声が、かすかに聞こえた。
「――千秋のやつ、臆病風に吹かされおって」

ドアをノックして部屋に入ると、大場と伊丹がピタリと会話をやめて、桂樹の方を見た。
「10月の業務報告書を持ってまいりました」
桂樹は書類を大場に手渡しながら、二人の様子をうかがった。大場は、顔を真っ赤に上気させていた。伊丹のほうは対照的に、血の気の失せた顔色をして、不安そうな表情をしている。

桂樹は営業部に戻ると、千秋恭平に電話をした。電話に出たのは娘の文恵だった。途端に、心臓の鼓動が高鳴った。
「あ、小倉建設の高山です。いつぞやは失礼しました」
「いいえ、こちらのほうこそ、ご迷惑をおかけしました」
「とんでもないです。お父さんはいらっしゃいますか?」
「ええ――あの、高山さん――」
「なんですか?」
「いえ――父を呼んでまいります」
文恵はなにか話したそうだった。

しばらくして千秋が電話に出た。
桂樹は、単刀直入に聞いた。
「大場副社長と何かあったのですか?」
千秋の口振りは慎重だった。彼は逆に聞き返した。
「――副社長に聞かれたのですか?」
「いえ――副社長の様子が変だったものですから――何かあったのかと思って、電話をしました」
千秋は慎重な口振りで言った。
「べつに変わったことはありません」
「そうですか――」
桂樹はそれ以上話すこともなく、電話を切った。しかし彼は気がかりだった。大場が電話で話していた相手は、あきらかに千秋だった。役所の課長とか警察という言葉が、桂樹の憶測を駆り立てた。
彼は思い切って、千秋文恵に電話をした。

翌日、桂樹は文恵の休憩時間を利用して、千秋鉄工の近くの食堂で文恵と会っていた。
「千秋さんは何もおっしゃいませんでしたが、どうも様子が変だと思うんです。文恵さんは何かご存知ですか?」
文恵は返事をする前に、すこし考え込んだ。それから彼女は顔を上げ、思い切ったように話しはじめた。
「警察の方が父のところに来られました。わたしはその場に立ち会っていませんけど――」
彼女は目を伏せた。「でも、およそは、察しがついています」
「――」
桂樹は黙って聞いていた。
「父が、窪田議員や役所の方に、賄賂を渡した嫌疑です」
予想していたこととはいえ、文恵の口から直に聞いて、ドキッとした。
「父は否定しているようですが、これまで二度も警察の方が来られたことを考えると、父は言い逃れができなくなると思います」
「警察は――なにか証拠を握っているんですか?」
文恵の顔は少し青ざめていたが、その態度はしっかりとしていた。
「分かりません。でも証拠なんてわたしにとって問題ではありません。問題なのは、父が不正を働いたということです」
「千秋さんが不正を働いた、と思われているんですか」
「そう思いたくはありませんけど――これまで目にしてきたことが、その事実を物語っています」
「――」
「わたしは、どうしたらいいか――父がそのうち、警察に捕まるんじゃないかと思うと」
「文恵さん、駄目だよ、弱気になっちゃあ。まだ千秋さんが有罪だと、決まったわけじゃない」
「でも――父はこの頃よく眠れていないようです。ときどき夜中に起きだしたりして」
彼女は哀願するように、桂樹を見た。「わたし――どうしたらいいんでしょう?」

「元気を出してください。お父さんだって、不安な気持ちでしょう」
桂樹は思わず、両手で文恵の手を包んだ。「あなたの辛い立場はよく分かります。でも、あなたまで不安がっていたら、ますますお父さんを暗い気持ちにさせてしまいますよ」
そこで桂樹は、彼女の手を握っていることに気づき、あわてて手を離した。文恵がほほを染めた。
桂樹は、バツが悪そうに言った。
「難しいことでしょうが――とにかくあなたは、普通に振る舞うことです」
文恵はふっと微笑んだ。
「ありがとうございます。わたし、高山さんとお話していて、なんだか気持ちが晴れた気がします」
「わたしは楽天家ですからね」
桂樹は微笑んだ。「気持ちが沈んできたら、いつでもわたしにお電話ください。何のお役にも立てませんが、すくなくとも、文恵さんのお話相手にはなれますよ」
それを聞いて、文恵はそっと頭を下げた。

しかし、事態は最悪の方向にすすんだ。
千秋恭平が贈賄罪で逮捕されたのだ。警察は密かに調査を進めていて、動かしようのない証拠をつかんだらしい。
その新聞ニュースを見て、桂樹は、文恵の話を聞いて覚悟はしていたが、現実のこととなると愕然とした。
記事によれば、千秋のほかに官公庁の幹部職員も収賄罪で逮捕されていた。また窪田議員の秘書も疑惑の対象にあがっていた。品川のコンペとの関連は、憶測程度ではっきりとは書かれていなかったが、いずれは小倉建設に追及の手が伸びてくるのは、時間の問題と思われた。
会社に行くと、大場副社長と伊丹部長があわただしそうに、伊藤会長の部屋に出向いていた。第一営業部の社員たちも、どことなく落ちつきがなかった。彼らのひそひそ話を聞いていると、単に千秋鉄工が小倉建設の下請け企業だというだけではなく、今回の贈収賄事件に小倉建設が絡んでいることに、うすうす気づいているようだ。

その日の夜、桂樹は千秋文恵の自宅に電話をかけた。
電話に出た彼女の声は、大変な事態にもかかわらず、落ちついていた。
「文恵さん、気を落とさないで――」
「有り難うございます――わざわざお電話をいただいて」
「あの――文恵さん」
桂樹は、何と言っていいか分からず焦った。「わたしにできることがあれば、何なりとおっしゃってください」
「ええ、高山さんのお声を聞いて、わたしも元気が出てきましたわ」
「明日――お伺いしましょうか?」
「いえ、今は結構です。ごめんなさい。世間の耳目を集めているときですから、あなたにもお会いしないほうがいいと思うんです」
「そうですか――わかりました」
桂樹は電話を切った後、文恵に対して言いようのない哀切を覚えた。
[20/04/08 08:37 神亀]
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