■ 海路の日和V - 第11章 百鬼夜行
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大場副社長は、政界有力者たちと親交があったが、とくに国会議員の窪田大輔とは深いつながりを持っていた。窪田はでっぷりと太っていて、60歳を過ぎてなお脂ぎった精力に満ち溢れていた。大臣もやったことがある人物だが、とかく金銭がらみの黒い噂がつきまとっていた。
大場副社長はこの国会議員と秘密裏に会合をもっていた。桂樹がそのことを知ったのは、彼らの密会場所の手配をしだしてからだ。
ふたりの会合の場には、いつも千秋鉄工の社長が同席していた。上品で清廉な千秋恭平が、ダーティーなイメージのある窪田と関係があるというのは、桂樹には不思議に思えてならなかった。
夏に入ったある日、桂樹は大場副社長に呼ばれた。部屋にはいつものことながら、伊丹部長がいた。
「高山、これを千秋さんの自宅に届けてくれ」
大場副社長は、部屋の隅に置かれているゴルフバックを顎で示した。
「それからこれもだ」
彼はテーブルの上の分厚い封筒を取り上げて、桂樹に渡した。「ハワイ行きの重要書類だ。失くすんじゃないぞ」
桂樹の怪訝そうな表情を見て、伊丹がニヤリとした。
「千秋さんがお客さまに同行する。わたしも別便でハワイに飛んで、むこうで落ち合う。マスコミに変な噂を立てられないようにな。誰にも言うんじゃないぞ」
副社長室を出ると、封筒の中身を確認した。航空券やホテル予約の書類が入っていた。それに5千ドル分の新札もあった。
ゴルフバックには、窪田大輔とネームの入ったプレートがつけられている。中身のゴルフセットは真新しく、百万円近くする高価なものだった。
桂樹はタクシーを使って、千秋の家に品物を届けた。
応接室で千秋と話していると、紬の和服を着た女性がお茶を出した。歳の頃30前後、ハッとするほどの美人で、どことなく千秋に似ていた。
桂樹の視線に気づいて、千秋が笑いながら言った。
「娘の文恵です。実は前に、高山さんが結婚されていなかったら、お嫁さんに貰っていただこうと思っていたのです」
文恵が恥ずかしそうに微笑んだ。千秋と同じ、歯並びのよい白い歯がチラリと見えた。
「お父さんったら――高山さんに失礼ですよ」
桂樹は頭をかいた。
「いや、わたしもあせって結婚したことを後悔しています。もっと早く、娘さんを紹介していただきたかった」
千秋が笑った。
「そんなこと言っていいんですか、高山さん。美人の奥さんを貰って」
彼は桂樹の結婚式に出て、アンリを知っていた。
「文恵さんとくらべると色褪せて見えますよ。文恵さん、お父さんの会社で働かれてるんですか?」
「ええ、経理の仕事をしております」
文恵は控えめに言った。話し振りからすると、物静かだが、しっかりとした性格の持ち主のようだ。
「じゃあ、お父さんも安心だ。いつも見ておれるから――」
桂樹の言葉に、千秋が笑いながら言った。
「監視されているのは、わたしのほうですよ」
「お父さん!」
文恵がいたずらっぽく父をにらんだ。それから彼女は、二人に遠慮して部屋を出ていった。桂樹は、文恵のほっそりとした後ろ姿を見て、胸のときめきを覚えた。
二人きりになると、桂樹は千秋に話しかけた。
「ぶしつけな質問ですが、千秋さんは窪田先生と、どういったご関係なんですか?」
「ああ、先生は大学の先輩です。それにわたしは、先生の後援会会長をやっています」
「そうですか。でも窪田先生は、なにかと金にからむ噂のある方ですね。そのへん、千秋さんはどう思われているのですか?」
千秋は上品に眉をひそめた。
「先生は世間で言われているほど、悪い人じゃありません」
そこで彼は言葉を濁した。「それは政治家ですから、多少のグレーの部分はありますけど」
桂樹は思い切って言った。
「政治家なら、逆にクリーンであるべきじゃないですか?」
千秋の端正な顔が困ったように曇り、少し赤くなった。
「わたしが言ってるのは、政治家は金がかかるということです。しかし先生は、決して私利私欲のために、金を使っているんじゃありません」
「そうですか。でも、あのゴルフセットだって、贈り物にしては高価なものでしょう。それにハワイの接待旅行も、隠密裏にやるなんて」
「生きるためには、多少のグレーの部分は仕方ありません」
千秋は言いながら、桂樹の顔を真っ直ぐに見た。「高山さん、わたしはあなたが好きです。あなたのような真っ直ぐな性格がうらやましい。でも年配者として、あなたにご忠告しておきます。さっきのようなことは、わたし以外の席では、決して口にしないことです」
桂樹は反論したかったが、黙っていた。千秋とは根本的に考えが違う。これ以上言っても無駄だった。彼はおいとまを告げて退出した。
外に出ると、千秋文恵が追いかけてきた。
「高山さん、ちょっとお話したいことがあります」
彼女は早口で言った。桂樹は驚いたが、黙ってうなずいた。
二人は近くの喫茶店に入った。
店員が席を離れると、桂樹は切り出した。
「それで、お話って何ですか?」
文恵は話し出す前に、考えをまとめようとしばし沈黙した。桂樹は、文恵の憂いを含んだ顔を見ながら、ふたたび胸の鼓動が高まるのを覚えた。しっとりした黒髪に映えて、肌は抜けるように白く、長い襟足に楚々とした魅力があった。
「先ほど高山さんが父と話をされているのを、隣の部屋で聞いていました。ごめんなさい――盗み聞きをするつもりではなかったのですが」
彼女はうつむいた。それから意を決めたように顔を上げた。
「あの――これまで気になっていたんですが、父は間違った道に入り込んでいるのではないでしょうか」
「――」
桂樹は黙っていた。
「そのう――父が、法に触れたことをしているのではないか、と心配しているのです」
「文恵さんは――なぜそう思われるのです?」
「会社の経理帳簿を見て。あのう、実際のお金の動きと違うのです」
「どう違うのですか?」
「いつだったか、あなたの会社の伊丹さんが来られたあと、金庫の中に大金が入っていました。数えてみませんでしたけど、1千万円以上はあったと思います。ところがその夜、父が出かけたあと、その現金は金庫の中から消えていました」
「お父さんはその夜、どこに行かれたんですか?」
「父は何も言いませんでした。でも見当はついています。父が会ったのは、国会議員の窪田さんだと思います」
桂樹は状況がのみこめてきた。おそらく小倉建設から窪田議員への裏献金を、千秋がかわりに届けに行ったのだろう。
桂樹は聞いた。
「そのお金のことを、お父さんに聞きましたか?」
「ええ。でも父は適当にごまかしていました。そんな金は知らない。わたしが夢でも見たのだろうって」
「――」
「でもあとで、決定的な証拠を見つけたのです」
彼女は、恥ずかしそうに頬を染めた。
「わたし――父をスパイしようとするつもりではなかったのですけど。父の服をクリーニングに出そうとしたとき、ポケットに入っていたんです」
「何がですか?」
「窪田議員の名刺が。その裏に、1500万円を受け取ったというサインがありました」
桂樹は裏で行われている贈収賄を確信したが、黙っていた。
「わたし、恐いんです。父が犯罪に荷担して、いつか警察に捕まるのではないかと――」
文恵は終わりのほうを小声で言った。
桂樹は何と答えていいのか、返事に窮した。彼は話題を変えた。
「文恵さん、千秋鉄工の経営状態はどうなんですか?」
文恵はちょっと怪訝そうな表情をしたが、よどみなく答えた。
「正直申しまして、あまりいい状態ではありません。一昨年、工場の設備投資をして、銀行から多額の借金をしています。でも売り上げ収支のほうは予定通りいかなくて、この2年間、赤字決算が続いています」
「そう――」
桂樹は、なんと言ってよいのか言葉が出なかった。
文恵はそっと頭を下げた。
「すみません。高山さんに、余計なことをお話しました。かえってご迷惑をおかけしてしまいました」
「そんなことないですよ」
桂樹はぼそっと言って、頭を下げた。