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海路の日和V -  (2)
(2)

桂樹は部室に戻ると、さっそく日亜電気に電話をかけた。電話に出た女性秘書はしばらく桂樹を待たせた後、神山会長は会議中ですと伝えた。会議は何時に終わるのかと聞くと、先方はちょっとうろたえたようすだったが、夕方の4時だと言った。
その4時に連絡を入れると、今度は来客中だと言う。じゃあ5時に電話をしますと言って、桂樹は引き下がった。どうやら神山会長は居留守を使っているらしい。
夕方5時に電話をかけると、ようやく神山会長本人が電話に出た。
――お前は何だ!何度もしつこく電話をかけてきおって――
「高山と申します。先だって、部長の伊丹に同行しておうかがいしました」
――そんな奴は知らん!――
「でも、わたしは会長を存じてます」
――なにい!失敬な奴だ。伊丹を出せ!――
「失礼なことは、お詫びいたします。一度おうかがいして、千葉工場のご報告を――」
――伊丹に代われ、と言ってるんだ!――
桂樹にかわって、伊丹が受話器を取った。
「伊丹でございます」
部長はおずおずと言った。途端に受話器の向こうから、怒鳴り声が響いた。
――いいか、今後一切、若造に電話をかけてこさせるな!――
ついで、ガシャンと電話を切る音がした。

伊丹はしばらくの間、通話の切れた受話器を呆然として見つめていた。それから気を取り直して受話器を戻すと、桂樹のほうをキッとにらんだ。
「きみは何てことをしたんだ!神山会長は、今後一切、電話をかけてくるなと言われたぞ」
「お時間をいただこうと連絡しただけです。べつに悪いことをした覚えはありません」
「きみはしつこすぎるんだよ。とにかくこれからは、神山会長に構うんじゃない」
桂樹は反論しようとしたが、これ以上、伊丹部長に何を言おうと無駄だと気づいた。彼は黙って自分の席に戻った。
しばらく気を静めたあと、引き出しから神山会長に関する資料を取り出して、じっくりと読み返した。途中で気づいた。神山会長は、三田村社長の自宅近くに住んでいた。
(会社じゃなくて、プライベートな部分から入り込めば、なにかきっかけが掴めるかも知れない――)

桂樹は秘書室に出向いた。
「あら、高山さん、珍しいわね。何かあったの?」
安藤孝子が、いち早く桂樹の姿に気づいて声をかけてきた。
「いや、なに、ちょっと安藤さんにお聞きしたいことがありまして」
「あら、わたしでお役に立てることなら、何でも聞いて」
桂樹は、すぐには切り出せなかった。秘書室長の高堂が、ねちっこい目つきで聞き耳を立てていたのだ。
それに気づいて、孝子が椅子から立ち上がった。
「じゃあ、隣の部屋でお聞きするわ。こちらにいらっしゃい」
高堂が不服そうにこちらを見たが、孝子は素知らぬ顔をして、先に立って秘書室を出た。

「それで何を聞きたいの?」
応接室に入ると、孝子がソファーに座りながら聞いた。
「実は、日亜電気の神山会長に面会を求めているのですが、まったく取りつく島がなくって――」
「タイミングが悪いんじゃない?日亜電気と言えば、この前、千葉の建設現場で事故が起こったばかりでしょう?」
「さすがおタカさんですね、お耳が早い。じつはその件で、神山会長にぜひとも会って話がしたいんです」
桂樹は、簡潔にいきさつを説明した。

話を聞きおわると、孝子はふっとため息をついた。
「ちょっと相手が大物すぎるわね。神山会長といえば、たたき上げの経営者で、経済界では神様のような存在よ。そんな人に、出入り禁止だなんて言われたのなら、会うのは至難の業ね。それで、わたしに何を聞きたいの?」
「さっき調べていたら、神山会長はうちの社長のすぐ近くに住んでおられます。だったら隣近所の付き合いとかプライベートなところから、三田村社長を通じて、神山会長に接近できないかと思いまして」
「お二人の屋敷が、近くにあるということは知っているわ。でも無理ね。うちの社長は隣近所の付き合いに無頓着な方だし、第一、神山会長を大の苦手としているのよ」
「そうですか。――会社で会うのが難しいんなら、プライベートなところからと思っていたんだけどなあ」
「そう言えば、前に三田村社長がおっしゃってたわ。日曜日の朝、神山会長が鶴岡八幡宮を散歩しているのを、見かけたことがあるんですって。うちの社長は毎朝散歩をしているけど、ひょっとしたら神山さんも、日曜日の散歩を習慣にしているんじゃないかしら」
桂樹は目を輝かせた。
「それですよ、おタカさん。神山会長の自宅の電話番号が分かりますか?」
「調べれば分かるわ。でも、何をやるつもり?」
桂樹はニンマリとしたが、彼女の質問には黙っていた。

――◇――

日亜電気の会長、神山昌は、ステッキを片手に鶴岡八幡宮の境内を歩いていた。お付きの運転手は、主人の邪魔をしないように、少し離れたところにいる。
神山は古希を過ぎてなお多忙の身だったが、日曜日だけは完全休養に当てていた。
こうやって四季の変化を五感であじわいながら、ゆったりと散策するのが、彼の楽しみになっていた。
梅雨時期にしては珍しく晴れ渡った青空を背景に、濃緑の木の葉が目に眩しかった。参道沿いに咲いたアジサイの薄紫が、心をなごませてくれる。
散歩のスタートは、いつもより1時間ほど遅かったが、その日は機嫌がよかった。というのも、アメリカで生活している次男坊一家が、この夏、日本に戻ってくるというニュースを聞いたばかりだった。

近代美術館のそばを歩いているとき、背の高い若い男が、彼に向って頭を下げるのに気づいた。白の半袖シャツにジーパン姿、片手にはスケッチブックらしきものを抱えている。どこかで見たような顔だったが、どこで会ったのか思い出せなかった。その若い男は彼のほうに歩み寄ってきて、再び頭を下げた。
つられてお辞儀を返すと、その男は明るい声で言った。
「こんなところで神山会長にお会いするとは、思いもしませんでした」
いぶかしそうに相手の顔を見ていると、若い男は自分から名乗った。
「小倉建設の高山と申します。お世話になっております」
それを聞いて、神山の顔が曇った。その男を思い出した。いつだったか、小倉建設の伊丹部長と同行してきて、その後しつこく電話をかけてきた男だ。
神山は男を無視して、歩きはじめた。

桂樹は、神山会長の後を追った。彼は老人の後ろについて歩きながら、さりげなく話しかけた。
「長梅雨のあとで、久しぶりにいい天気ですね。こんな日に散歩するのは、本当にすがすがしい気分です」
神山は振り返りもせずに言った。
「わたしは、あまりすがすがしい気分じゃない。余計なのに出会ったからな」
桂樹は動じなかった。
「失礼しました。自宅がこちらにあるものですから、ときどき、ここに来るんです。会長もよく来られるのですか?」
「これまではな。しかしこれからは、散歩道を変えなくちゃならん」
桂樹は驚いた。
「また、どうしてですか。お引越しでもされるのですか?」

神山は急に立ち止まった。彼は振り返って、桂樹の顔をにらみつけた。
「それで、きみは、ここでわたしの来るのを、どれほどの時間待っていたんだ?」
桂樹は驚いた表情をつくった。しかし、老人の何事も見透かすような目で見つめられて、とぼけるのをやめた。
「1時間ほど――でも会長は、わたしが待っていた、とどうしてご存知なんですか?」
「だてに長生きしてるんじゃない。きみの顔を見れば分かる。わたしがここに来ることをどうして知った?」
「あのう――執事の方にお聞きしました。すみません。どうしても会長にお会いしたいと言って」
「と言うことは、うちの執事をだましたということだな」
「すみません。会社からだとほのめかしました」
神山はつぶやいた。
「悪知恵だけはあるようだな。考えようによっては、犯罪行為ともとれる」

桂樹はあらためて、老人の顔を観察した。
太い鼻と一文字に引き結んだやや小さめの口。二重瞼の瞳が、この上なく優しそうな光りを宿している。
桂樹は、和やかに微笑んで言った。
「恐れ入ります。わたしの話を聞いていただけますね?」
「お前だな、しつこく電話をかけてきおったのは。わたしの考えは伊丹に伝えてある」
「でもわたしは、会長のお言葉を直に聞いていません」
「だったら、お前に直接聞かせてやる。いますぐ、わたしの前から消え失せろ!」
神山はそう言うと、老人とは思えない早足で、さっさと歩き去った。
[20/04/04 08:09 神亀]
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