目 次
あけぼの町物語(後編) - 第7章 葛竚マ(3)
(3)

大島一成は新宿の超高層街区に来ていた。
最前から彼は、呆然として、一本の超高層ビルを見上げている。なんとも巨大な建物だった。その下にいると、何だか自分がちっぽけな蟻のように思えてくる。
ふと、白取にからかわれたのではないかと思った。このビルに入っている企業が、シニア向けの新商品の紹介イベントで、仕事をくれると言うのだ。
一成は気を取り直して、ビルの中に入った。
広々としたロビー、ずらりと並ぶエレベーター群。案内板でテナント表示の文字を追うと、確かに教えられた会社名が載っていた。31階にある。
エレベーターに乗り、目的の会社に辿り着いた。受付嬢に要件を言うと、事前に知らされていたのか、すぐ応接室に通された。
一成はソファーの片隅にちょこんと腰をおろして、白取からの電話を反芻した。
――木田会長に話したら、快く引き受けてくれた。だから、イッちゃんは挨拶するだけでいいよ。あとは私が詳細を詰めてあげるから。えっ、どんな人物だって?なあに心配ない。気性のさっぱりした、ざっくばらんな爺さんだ――。

待つこと15分ほど、木田会長がひとりで現れた。でっぷりと太った体にノーネクタイのシャツとカーディガン。立派なオフィスにしては、ラフな格好だ。
「やあ、お待たせしましたな」
会長は片手をあげて一成が立ち上がるのを制し、向かいに座った。
(確かにざっくばらんな人のようだ)
一成は内心、ホッとした。
「大島と申します。御社とは初めてで、まだ何も分かりませんが、よろしくお願い致します」
かしこまって頭を下げた途端、木田会長の声が飛んだ。
「ちょい待ち!何も分かりませんがよろしく、とはどういうことや」
「はあ――」
「はあ、やない。何も分からんで、どうしてうちにサービスを提供できるんや」
「――」
一成は、出会い頭の会長の言葉にとまどった。それでもなんとか、白取の紹介で仕事をもらった礼をボソボソと言った。
「なんだ、そんなことですか」
会長は、膝をポンと叩いた。そして泰然と微笑んだ。
「白取さんの電話の件やったな。それならそうと、早くおっしゃればよろしいのに」
(やっと理解し合えたな)
一成はホッとした。その彼の耳に、会長の声が聞こえてきた。
「でも、なんや勘違いしてませんか。わしは仕事をやるとはひとことも言ってない」
「えっ――」
会長の言葉に、一成は愕然とした。
「あの礼儀知らずの男は、わしの天敵やからな。その天敵に、なんでわしが協力せなあかんのや」
「――」
「この前、銀座に行ったときも、えらい恥をかかされたわ」
「――」
「わしを色ボケじじいとか、ぬかしおって――」
「――」
「てめえは両手に花で、いい目をしおって」
「――」
「店の勘定は、わしに持たせおって――」
そこで会長は身を乗り出して、一成の顔を睨めつけた。
「で、あんたは、白取さんとどんな関係なんや」
「どんな関係って――白取さんとは――」
一成は、最後まで言わせてもらえなかった。会長は一成の言葉を遮って、ちからこぶを作るように右の拳を突き出した。小指を立てている。
「あんた、あいつのコレか」
「違いますよ!」
一成は気色ばんで叫んだ。それを全く気にもかけず、会長はあっけらかんと笑った。
「ハハハ、冗談だ。白取さんは好き者やから、ちょっと言ってみたまでや」

そこで会長は立ち上がった。
「じゃあ、あとの予定があるんで、このへんで失礼させてもらいますわ」
一成は、木田会長のスピードに付いていけなかった。しょんぼりとして、ドアに向かっていると、会長が声をかけた。
「ちょい待ち。これを白取さんに渡して貰えますか」
会長は、大きな紙封筒を一成に手渡した。
「プライベートなものや。本人親展でお願いしますわ」
それから無遠慮に、一成の尻をパシンと叩いて、揉み揉みした。
「あんた、可愛らしい尻をしてるな。けど白取さんには気いつけなはれ。穴があったら、何でも突っ込みたがる男やからね」
このとき一成は、会長と初めて意見が一致したと思った。

一成は憤懣やるかたない思いで、事務所に戻った。
頭の中では、白取の大きな体を二つ折り、四つ折りにして、圧縮器にかけ、それから小包便で無人島に送り出していた。
白取に連絡しようにも、電話番号を聞いていない。ここで金が入らなければ、借金の取り立て屋にひどい目にあわされる。できることなら夜逃げしたかった。でも、家に残された年寄り達が、代わりにひどい目に合わされる。
結局、白取が来るまで待つしかなかった。

――**――

土曜日の朝、待ちかねていた英彦が、銀狐にやって来た。
「デコちゃん、話が違うじゃないか!」
開口一番、一成は英彦に抗議した。
「何のこと?」
「何のこと、じゃないよ。木田会長は、仕事をやると言った覚えはない、とおっしゃっているぞ」
「ああ――」
英彦は、泰然と微笑んだ。「イッちゃんは、会長にからかわれたんだよ。帰るとき封筒を渡されただろう。一週間分の仕事のスケジュールが入ってるよ」
封筒の中身を確認すると、確かにイベント関係の書類が入っている。
「ひどいなあ、木田会長は。プライベートなものだから、デコちゃんに親展で渡せと言ったんだよ」
そう言う一成の顔は、泣き笑いの表情だ。さんざん心配したあとの朗報。その落差は、気絶してしまいそうなほど大きかった。
「あの会長は、いたずらが好きなんだ。よっぽど暇だったんだろうな」
英彦はのんびりと言った。「私はただ、銀狐の社長は、いじられたら強くなるタイプだから、適当に遊んでやってください、と伝えただけなのに」
言った途端、背の低い一成の体が伸びあがって、英彦の頬にビンタが飛んだ。
――パチンッ!
なんとも響きのいい音がした。
その音に、部屋にいた年寄り連中が、一斉にふたりを見た。
「なっ、何をするんだ!」
英彦が、頬を押さえて後退った。
「あっ、ごめん」
しれっとして、一成が詫びた。「ホッとした途端、なぜか手が勝手に動いちゃった」
英彦は慎重に、相手の手が届かない距離に身を置いた。そして、言い聞かせるように、ゆっくりと言った。
「暴力は駄目だよ――どんなに嬉しくても」

さっそく部屋にいるメンバーが、テーブルに集まって、仕事の段取り会議が開かれた。
一成が会議の進行役を務めた。ところが会議が進むにつれ、メンバーでもないのに、白取英彦が場を仕切りだした。
白取は大きな体つきから、そこにいるだけで安心させる雰囲気を醸し出しているが、仕事の話となると、温厚な中にも厳しい一面を見せた。
「セイちゃん、ざっと見積もって、どのくらいになる」
英彦の問いに、経理担当の清司が考えながら言った。
「そうねえ、10人動員したとして一週間だから、多く見て、250万円くらいかな」
「じゃあ500万円にして。もっともらしく内訳を考えてよ」
英彦がこともなげに言った。その表情は、粘り強い大阪商人の顔に、すっかり成りきっていた。
「――この、ワル」
一成がつぶやいた。それを英彦は、聞こえないふりをしている。
しかたなく一成は、声に出して言った。
「いいかい、倍の見積だよ。そんなことで、あの木田会長が納得すると思う?」
英彦はこともなげに返した。
「大丈夫、あの爺さんの扱いは慣れてるから。私が行って、説明するよ」

その時、何の前触れもなく、玄関のドアがバタンと開いた。ダークスーツを着た3人の男たちが入ってきた。
奇妙な組み合せだった。恰幅の良い初老男を中心に、貧相な顔の中年男と背の高い若い男。とくに若い男は、まともな商売をやっているとは到底思えない、いきがった態度だ。
「ああ、先生。こんなむさ苦しい所に、よく来られましたね」
一成がへりくだった態度で、恰幅の良い男を出迎えた。
先生と呼ばれた男は、鼻梁の太い獅子鼻とがっしりした二重あごをして、いかにも権力に慣れきった顔つきをしている。彼は横柄な態度で老人たちをジロリと見て、一成に向かって野太い声で言った。
「落ち着いて話せる部屋はあるのか」
「それは勿論。3階の応接室に参りましょう」
一成はもみ手をしながら、愛想良く答えた。その額に、うっすらと汗が滲み出ていた。

一成と男たちの姿が消えたあと、英彦は老人たちに訊いた。
「何者だい、あの男たちは?」
残されたメンバーは、落ち着かなさそうな表情をしていた。
皆を代表して、千秋が答えた。
「偉そうなのは、県会議員で不動産屋の野本。しょぼくれたフケは、会計士の矢野。若いチンピラの名前は知らない」
「ふーん。何だか不穏な空気だったけど、何しに来たんだろう?」
千秋は肩をすくめた。
「借金返済の催促じゃないかな。イッちゃんは、野本に大金を借りているようだから」
「借金の取立て?誰か行ったほうがいいんじゃない?」
千秋はもう一度、肩をすくめた。
「助けてやりたいけど――無い袖は振れないよ」

3階の部屋に入った途端、若い男がいきなり一成の頬を張り倒した。その衝撃で、一成の丸っこい体が吹っ飛んだ。
野本がのんびりと言った。
「タカ、もう少し優しくしてやれ。ほれ、そこの椅子に腰掛けさせろ」
「へい」
ひとこと言うと、タカと呼ばれた男は、一成の襟首を乱暴につかんで、椅子のところに引き立てた。一成の滑らかな頬に、赤い手跡が付いていた。
男は床に落ちた眼鏡を拾うと、一成の顔にぞんざいに掛けた。
「いいか、今年中に1億円、耳を揃えて返すんだ。それが出来なければ、この家は貰う」
「ええっ、1億円だなんて。私が借りたのは5千万円ですよ。それにこれまで、1千万円、お返ししています」
野本が、ふてぶてしい笑みを浮かべた。
「バカ、タダで借りれると思ったのか。資本主義社会では利子ってもんがつくんだよ。それに1千万円っていうのは、大島先生から借りたんだろうが。おい――」
野本は、初老男のほうに振り返った。会計士の矢野は、手にしたカバンから書類を取り出すと、一成におずおずと手渡した。

一成はざっと目を通した。書類には、10月1日時点で借金が1億円であること、12月31日までに1億円を返せなければ、この建物を代物返済にあてる旨のことが書かれていた。
(そんな無茶苦茶なこと――)
一成は、呆然とした。
「ほれ、そこにサインしろ」
若い男がボールペンを一成に押し付けた。
絶体絶命のピンチだった。文句を言えば、どんな目に合わされるか、考えただけでも恐ろしい。それかといって、とても大晦日までに、1億円もの大金を返すことなど不可能だ。それに建物を取られたら、銀狐の仲間が路頭に迷う。
「早くせんか!」
若い男が一成の顔を両手で挟んで、万力のようにギリギリと締め付けた。
取りあえず急場しのぎで、サインするほか無かった。一成は立ち上がると、テーブルの上に書類を置いて、サインを始めた。

野本が、小腰を屈めた一成の丸っこい後姿を見ながら、若い男に訊いた。
「タカ、お前、この男のカマを掘ったのか?」
「へい、2回ほど。返済の遅れについて、先生の不快感を具体的な形で教えてやりました」
「そうか――」
野本は、何やら企んだ顔つきだった。一成がサインし終わると、ひとこと言った。
「尻を見せてみろ」
「えっ?」
「だから、ズボンを下ろして、尻を見せろ」
訳も分からず、一成が逡巡していると、タカが鋭く言った。
「早うせんか!」
ついで往復ビンタを食らった。その衝撃で、鼻血が出た。
一成は仕方なく、ベルトを緩め、ズボンとパンツを下ろした。それから言われるとおり、後ろ向きに小腰を屈めた。男たちの視線を痛いほど感じた。
「ほう、結構そそられる尻やないか」
野本はほくそ笑むと、ふたりの手下に言った。
「お前たちは、テレビでも見ていろ。わしはちょっと、この男と話がある」



「イッちゃんたち、遅いな」
英彦は上階に目をやって、つぶやいた。
他の老人達は、新しい仕事の段取りで、臨時スタッフの確認をしたり、協力業者に電話を入れたり、大忙しだった。
作業があらかた終わった頃、ようやく野本ら3人が姿を現した。彼らは、その場にいた老人たちを無視して、さっさと帰っていった。
しばらくして、一成が現れた。
彼が痛めつけられたのは、一目瞭然だった。頬が赤く腫れ、新たに鼻血が出ている。
一成は、壁伝いに足を引き摺りながら歩いて、へなへなと床に座り込んだ。
「イッちゃん!」
慌てて英彦たちが駆け寄った。
[17/02/18 07:42 神亀]
前のページへ
次のページへ