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海路の日和V - 第9章 運否天賦
(1)

向陽不動産との請負契約をまとめた桂樹のもとに、東都銀行の阿部常務から電話があった。「こんど、うちの大阪支店のビルを新築することになった。不動産子会社との共同出資だが、きみの会社も候補に挙げておいた。関係者に紹介するから、白取部長を連れて挨拶に来なさい」と言う。
桂樹はこれまで何度か、阿部に同様の話を聞いて、その都度、結果はぬか喜びに終わっていたので、「一応うかがいましょう」とだけ冷たい口調で伝えた。
阿部が不満そうに言った。
「おい、高山くん。えらくそっけない言い方だな」
「そう聞こえましたか?常務の誤解ですよ。いつも貴重な情報をいただいて、とても感謝しています」
「きみの口ぶりはなんか引っかかるなあ。これまで、話がまとまらなかったことを恨んでいるのかい?」
桂樹は、なかばやけ気味に言った。
「とんでもございません。商談がまとまらなかったのは、こちらの力不足ですから」
「おいおい、なんだか開き直って聞こえるな。こんどは期待してくれ。競争相手はたいしたことないからね」
「いつも期待していますよ。これまでもずっと、そうしてきましたから」
電話の向こうが、しばし沈黙した。
「――小さな仕事なら、すぐにでもまとまる話はあるんだが。やはりきみなら、大きい仕事でないと、似合わないだろうからね」
「あのう――常務、小さな仕事でもけっこうです。とにかく実績がほしいんです。実績を積んでいれば、そのうち大きな仕事も入ってくるようになりますから」
「そうか。じつは大学の後輩が、こんど社屋を新築したいと話していた。芸能プロダクションの社長だ。建設資金の融資はうちでやるから、ゼネコンはこちらの裁量で決まるだろう。こんど紹介してあげよう。建国記念日に、彼と伊豆の温泉で一泊する予定だ。きみもおいで」
温泉に一泊というのが引っかかったが、桂樹は思い切って承諾した。

アイ・プロダクション社長、三原宜宏は、阿部常務より2つ年下だが、それ以上に若く見える服装をしていた。ピンクのストライプのシャツにベージュのジャケット、着古したチノパンツを履いて、頭にはヤクルトスワローズのキャップを被っている。広い額とこぢんまりした顎、小作りの目鼻立ちに、茶色がかった鼻髭を生やしていた。おむすびを逆さにしたような顔は、すべすべとしてきわめて血色が良い。
3人は伊豆のホテルに着くと、まず温泉に入った。海を一望できる露天風呂は爽快だったが、桂樹は自分のほうをちらちらと見る年配者たちの視線が気になった。
風呂から上がると、宿自慢の山海の珍味に舌鼓を打った。
そのあと三原社長の部屋に行き、よもやま話に花を咲かせた。
三原は芸能プロダクションを経営するかたわら、自らポルノ映画の監督をやっていた。
話題はまず、そのあたりから始まった。

「撮影で苦労するのは、女はエブリタイム・オーケイなのに、男のほうは、なかなかソノ状態にならない、ということです」
三原の言葉に、阿部がにやついて質問する。
「若い男でも駄目なのか?」
「若くても駄目ですね。なにしろ、色んな体位でやらせるんで、どうしても撮影時間が長くなってしまう。最初ビンビンでも、そのうち疲れて立たなくなるんです」
桂樹は年配者二人の生々しい会話を聞きながら、早く自分の部屋に引き上げたくて、うじうじしていた。でもここで失礼すればせっかく三原とお近づきになった意味がなくなる。それで我慢して、三原の部屋にとどまっていた。

三原の話は、ポルノの撮影から男女の体の構造に移ろい、そして男色の世界に入り込む。彼は、男の尻を試したことがある、という。
「映画監督をやってると、どうしても興味が湧いてきましてね。それでゲイバーの若い男の子で試してみたのです」
ぎょっとする桂樹の横で、阿部が好奇心いっぱいに訊く。
「で、どうだった?」
「それはもう――」
三原は恥ずかしそうに、小太りの体をくねらせた。「きゅうっと締め付ける感触が、最高でした」
「ふーん。でも、きみのは、ちっこいから楽だろうけど、この若い人のお道具じゃ、大きすぎて裂けちゃいそうだな」

先輩の露骨な事実の指摘に、三原はちっとも怒りを見せず、むしろ憧れるような目で桂樹を見た。
「お風呂で拝見しましたけど、確かに高山さんのお道具は立派ですね。あれが臨戦態勢になった状態を想像すると、どきどきしてきます。うちのポルノ男優にしたいくらいだ」
それから、阿部のほうに頭を巡らせて、「でも、高山さんのような大きなお道具でも、事前準備をすれば大丈夫です。入れる前に、穴を指でじゅうぶんほぐしてやるんです。それに歳を取ると、括約筋が緩んでくるから、先輩だって充分受けられますよ」
阿部が期待を込めた目つきで、桂樹のほうを見た。
「ふーん、だったら試してみるか。なあ、高山くん」
言ったあと、阿部は桂樹の股間に手を伸ばした。すかさず桂樹は、遠ざかった。
この先輩にして、この後輩ありだ。桂樹はタジタジとなりつつ、二人を宇宙人かなにかのように見ていた。
そして唯一の男色経験者は、つづけて言った。
「あ、それから、挿入するときは、オイルを塗ったらいいですよ。滑りが良くなるから」
その夜、桂樹は部屋に戻って寝る前に、何度もドアの錠を確かめた。

――◇――

向陽不動産の日本橋ビル、アイ・プロダクションの本社ビル、東都銀行の大阪支店ビルの新築工事を受けることができた。――桂樹の苦労は、一挙に報いられたようだった。
相次いで受注工事をまとめた桂樹に、経営陣は不思議に思っているようすだった。どうして一介の平社員が、短期間に、大きな商談をまとめることができたのか――。
重役たちのそんな様子を、桂樹は白取部長から聞いた。白取は大場本部長や社長に呼ばれ、桂樹の仕事ぶりを聞かれたのだ。
「それで、部長はなんと答えられたのですか?」
「ああ、あれこれ言っても仕方がないから、きみの地道な努力の成果です、とだけ言っておいた」
白取は、酒でほんのりと赤くなった顔で、桂樹を見た。「でも本音を言えば、相手を惹きつける素直な性格と、逆境にめげない逞しさが、きみの強みだと思うな」

二人はよく仕事後のひとときを、新橋の一杯飲み屋で過ごした。そんなときは、会社の上司と部下というより、親子のような家族的な雰囲気があった。
「そんなに誉められると、尻のあたりがむず痒くなってきますよ」
「なんなら、わたしが掻いてやろうか?」
実直な白取にしては、珍しく冗談を言った。
「よしてくださいよ。そうでなくても、東都の阿部常務から、下半身を守るのに大変なんですから」
白取が笑った。
「だいぶ苦労をしているようだな。いっそのこと、阿部常務の願いをかなえてやったらどうだい」
「部長、バカなことを言わないでくださいよ」
驚いて桂樹は、白取の顔をにらんだ。
「すまん、冗談だ」
白取はすなおに謝った。そこで真面目な表情に戻った。「今日、きみの提案していた凍結不動産の事業化が、取締役会で正式に承認された」
「不動産特定共同事業?」
「ああ、その長ったらしい名前の事業だ。事業企画部からあらためて、提案されたんだ」
「東都銀行と向陽不動産は?」
「事業は彼らと一緒にやる。今日、取締役会の資料を専務から渡されて、内容を読んだばかりだ」
「大場専務は、なにか言われていましたか?」
「べつに。何も言われなかった」
「わたしが資料を提出したときは、そんなことはやらずに、仕事を取ってこいと言われましたよ」
「もう忘れているさ。物事がうまく進めば、だれだって都合のいいように考えるものさ。それに、きみは立派に仕事を取ってきたじゃないか」
「たまたまラッキーだっただけです」
「そうじゃないさ。きみだから出来たんだ。きみは秘書室にいたときも、大きな仕事をまとめてくれたじゃないか」
桂樹が怪訝そうに白取を見ると、部長はおだやかに笑った。
「忘れたのか。向陽不動産とヤマト不動産に仕事をいただいた、横浜ビルの工事だよ」
「あれはわたしがまとめたんじゃない。部長がまとめられた仕事です」
「たしかにあのときの営業はわたしが担当したが、きみがいなかったらまとまらなかった話だ」
そこで白取は、桂樹の顔を見た。「きみは今年、何歳になる?」
「32歳ですけど、それがなにか?」
「ひょっとしたら、この春、いいことがあるかも知れんよ」
「なんですか、部長。はっきりとおっしゃってください」
それに答えず、白取はあいまいにほほ笑んだ。
[20/03/31 07:04 神亀]
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