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海路の日和V -  (2)
(2)

桂樹は得意先回りを続けながら、焦りを感じていた。営業部に来てすでに3ヶ月あまりが経つが、すぐにでも仕事が転がり込んでくるものと思っていた。
ところが、あれだけ頼んだ向陽不動産の大貫会長からは、なんの連絡もなかった。彼は大場専務に遠慮して、その後、大貫会長のところには行っていなかった。
その頃、小倉建設はバブル崩壊の後遺症で、たくさんの不動産不良債権を抱えていた。大半が建設工事の肩代わりに押しつけられた土地だったが、価値としては取得時の半値以下に落ち込んでいた。
それを時価で売却すると、損金が一挙に表面化して、会社の事業収支にも甚大な影響を及ぼすのは明らかだった。かと言って、手をこまねいて保有していると、費用は利子を含めてどんどん膨らんでくる。
会社としては明確な方針も定まらないまま、営業部でもお荷物的な存在となっていた。

桂樹は行く先々で、なにかいい知恵はないかと、それとなくうかがっていた。いずれもこれと言った妙案は返ってこなかったが、最後に行った東都銀行の阿部常務は、いとも簡単に答えた。
「それはきみ、不動産特定共同事業をやればいいんだよ」
「不動産特定共同事業――そんな法律ができたとは、新聞で読んだことがありますが――どんな事業です?」
「方式は色々と考えられる。要するに投資家を集めて共同事業をやることだよ。いま土地を売れば、赤字が表面化するんだろう。ならば、土地を貸せばいいんだ。借地借家法も改正されたから、期間を限定することも可能だ。
その土地の上に賃貸ビルを建て、建設資金は証券化して投資家から募る。そうすれば、きみの会社は建設工事の受注と、建物が完成したあとの賃貸運営のおこぼれを頂戴できる。ざっと言えば、そんな構図だよ」

桂樹は阿部の言うことを理解しようと、必死になって考えた。
「面白そうですね。ちょっと突っ込んで、検討してみる価値はありそうですね」
阿部がニンマリと笑った。
「きみ、突っ込むのが好きそうだね」
阿部の意味ありげな顔つきを見て、桂樹は頬を赤らめた。
「常務、からかわないでくださいよ。それで――その新事業方式を、もうちょっと詳しく教えてください」
「ああ、いいよ」
阿部は粘っこい目つきで桂樹を見た。「ただし交換条件と言ってはなんだが、今夜わたしに付き合ってくれ」
桂樹はいやな予感がした。彼は念を押すように聞いた。
「あの、常務、お付き合いってお食事のことですよね?」
「当たり前だ。他になにか、違う付き合いかたがあるのかね?」
言ったあと阿部は、期待を込めた目つきで桂樹を見た。

しかし、その夜の付き合いは食事だけでは済まなかった。食事が済むと阿部は、当然のことのように桂樹を車に押し込んで、銀座に向かった。
「常務、食事だけだとおっしゃっていましたが――」
ますます不安になってきて、桂樹は横に座る阿部に言った。
阿部がむくれて言った。
「なんだ、きみは、わたしと付き合うのがいやだと言うのか?」
「いえ、そんなつもりでは――」
「じゃあ、黙ってついてきなさい。後悔はさせない。きっときみの気に入るところだよ」

阿部が言った店は、とても桂樹の気に入るどころではなかった。
高級クラブらしく、薄暗いフロアにソファーがゆったりと配されていた。何人かの先客がいる。彼らは一様に、美食と好色に慣れきった甘ったるい顔をして、ぽってりと太っていた。中には外国人の客も数人、見かけた。
問題は店の従業員だった。どの客にも店の女性がついていたが、よく見ると、様子が違っていた。桂樹は悟った。ここは特殊な趣味を持つ、裕福な年配者たちが集まる店だった。
「常務、失礼します」
桂樹は回れ右をして、ドアのほうに戻ろうとした。
阿部があわてて桂樹を引きとめた。
「なんだ、どうしたんだ、高山くん」
「いえ、ちょっと気分がすぐれなくて――」
桂樹は本当に、気分が悪くなっていた。
「気分がすぐれない?それは、いかん。じゃあ椅子に座って、休んでいなさい」
そう言うと、阿部は桂樹の体を抱きかかえるようにして、強引に店の奥のほうに押し込んで行った。

「あら、いらっしゃい。アーさん、お久しぶり」
席につく早々、嬌声をあげながら、店のママがやってきた。彼女のあごは、髭剃り後も青々としていた。
「あら、アーさんのお友達?ハンサムな方ね。妬けちゃう」
桂樹は、阿部の後ろに隠れるようにして、体を縮めていた。
ママは阿部の横に、寄り添って座った。
「ママも相変わらずきれいだな。髭剃り跡が青々として――」
阿部が冗談を言い、ついでおおげさな声をあげた。
「痛っ!」
どうやらママが阿部の尻をつねったらしい。もう一人の女がやってきて、桂樹の横に座った。髭剃り跡はなかったが、怒り肩で、やせっぽちの体つきをしていた。
桂樹は気持ち悪さに、阿部のほうに体をずらせた。
「おや、高山くん。きみは若い子よりフケ好みだったのか」
阿部が嬉しそうに言って、彼の腰に腕を回した。
桂樹は生きた心地がしなかった。左からは喉仏が突き出た女性に擦り寄られ、右からは阿部の柔らかい体が押しつけられてくる。ふたりのサンドイッチになって、彼は体を固くし、ムズムズするような気持ち悪さに耐えていた。
阿部の手が、何気なく桂樹の太腿の上に置かれた。桂樹は気がつかない振りをしたが、意識はどうしてもそこに戻ってしまう。阿部はそれ以上何かをする気配はなかったが、桂樹はいつでも逃げられる態勢でいた。

そのうち室内の照明が薄暗くなって、一条のスポットライトが、部屋の一画に当てられた。小さなステージの上に大きな太鼓が設置され、若いふたりの男が立っていた。ハッピ姿に六尺フンドシを締め込んで、頭にはねじりハチマキをしている。
男たちは太鼓の両端に立つと、「ハッ!」と気合を入れて、太鼓を叩きだした。
見事なバチさばきだった。なにか力がグングン湧いてくるようなリズムに乗って、二人の体が躍動した。
いよいよ興が乗ってくると、男たちはハッピを脱ぎ捨てた。引き締まった肉体、筋肉の浮き出た胸や太い二の腕に、汗が流れ落ちた。フンドシのねじった布がクリッとした尻に食い込み、前のほうはモッコリと膨らんでいる。
桂樹は見ていて恥ずかしくなってきた。ふと横を見ると、阿部は身を前に乗り出して、食い入るように見つめている。そのさまは、まるで発情したブタのようだ。しかも無意識なのか、桂樹の太ももに置かれた阿部の手が微妙な動きを見せて、じんわりと付け根に移動してくる。
若い男たちの演技が終わったとき、桂樹はホッとした。
しばらくして、阿部が重い腰をあげた。店の外には阿部の社用車が待っている。
(これで、ようやく解放される)桂樹はホッとした。その彼の耳に、阿部の声が聞こえてきた。
「きみの家は鎌倉だったな。じゃあ今夜は、横浜のわたしの家に寄って、そのあとこの車で、きみの自宅に帰ったらいい。なあに、遠慮は要らん。車の中で、きみとじっくり話をしたいんだ」

夜の11時ごろ帰宅すると、居間のいつもの場所にゲイルがいた。
ソファーに腰掛け、テーブルの上に足を乗せて、半球形の腹のうえに週刊誌をたてかけている。いかにも満ち足りた表情をして、黙って見ていれば、そのうち猫のように舌なめずりして、ゴロニャアと鳴きだすかも知れない。

「G・G、ぼくのこと、どう思う?」
桂樹は義父に聞いた。
「どう思うって、なんのことだ」
「だから、G・Gのような年寄りから見て、ぼくはそのう――どんな感じなんだ」
「わたしが年寄りと言うのはよけいだが、きみの質問の背景を聞かせてくれ。意味がよく分からんのだ」
桂樹は名前を伏せて、東都銀行の阿部のことを話した。特殊な店に行ったこと。帰りの車の中で、危うく貞操の危機に瀕したこと。実は――ズボンの布地越しとはいえ、男のシンボルを執拗に触られたのだが、さすがにそんなことは義父に言えなかった。

ゲイルは話を聞きおわると、真面目くさった顔をして、義理の息子の顔をまじまじと見つめた。あまり見つめられるので、桂樹は焦れてきた。
「それで――どうなんだよ?」
ゲイルはおもむろに言った。
「はっきり言って、きみは馬面だ。整った顔とはお世辞にも言えないが、確かにきみには、年配者の心を惹きつける何かがあるな」
ゲイルは片手で顎を撫でながら、まるで品定めでもするような目つきで桂樹の体を見た。
「それに、体のほうも悪くない――多少、贅肉がついてきたが」
「ちょっと待て、G・G。ぼくは贅肉なんて、ついてないぞ」
「客観的に見ればついてるよ」
ゲイルはさらりと言うと、桂樹の腰のあたりをねちっこく見た。「しかし、何と言ってもきみの魅力は、腰周りからお尻にかけてのラインだ」
「――」
桂樹は落ちつかなげに、椅子の上で尻をずらした。
「腰周りががっちりして、お尻もクリッと締まっているだろ。だからきみのズボン姿は、すごくセクシーなんだ」
ゲイルは、女を口説いているように低い声でささやいた。
桂樹はたじたじとして、呪縛状態から抜けだそうとした。
「G・G、なにが言いたいんだ!」
ゲイルは、様子をうかがうように、そっと部屋の中を見回した。それから、体を前に乗り出して、桂樹の膝に手を置いた。そして、熱っぽく桂樹の目をのぞき込んでささやいた。
「きみの腰周りは、年配の男たちにとって、すごく魅力に感じるんだよ」
ゲイルはちょっと間を置いた。
桂樹は義父の顔をみつめながら、ごくりとつばを呑み込んだ。
「じつは――わたしも初めてきみに会ったときから、ずっと惹かれていたんだ。いつかはきみのその――クリッと締まった可愛らしいお尻を、試してみたいって」

桂樹はバネ仕掛けの人形のように、立ち上がった。
「バカなことを言うなっ!G・G」
彼の声は悲鳴に近かった。そこで、義父の顔に浮かんだ満足そうな表情を見て、からかわれているのに気づいた。
これはもう、まともに相談相手になるような人間の態度じゃない。
「G・G、そうやって、あんたの大事な息子をからかってろ。ろくな余生は送れないぞ」
桂樹は捨て台詞を残して、自室に引きあげていった。
[20/03/28 05:58 神亀]
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