■ 海路の日和U - (5)
(5)
桂樹は山上常務と待ち合わせをして、向陽不動産の大貫会長のところに行った。山上には澤木部長が同行していた。
驚いたことに、大貫会長はいつもの辛辣な言葉もなしに、おだやかな態度で訪問客に接した。
「ヤマトさんは最近、業績好調ですな。五反田のビルも、竣工前に全テナントが決まったそうじゃないですか」
大貫の言葉に、山上がへりくだった態度で答えた。
「好調と言っても、向陽さんの足元にも及びません。わたくしどものビル事業は、御社の半分の規模にも達していませんから」
「しかし、先が楽しみですな。あなたも、活気を取り戻したビル事業をまとめられて、大忙しでしょう?」
山上はちらりと澤木を見て言った。
「そんなでもないですよ。この澤木たちが、頑張ってくれていますから」
「優秀な部下の方たちを持たれて、おうらやましい」
大貫はお愛想を言って、ズバリ核心に入った。「ところで御社は、横浜でビル開発を検討されているそうですね?」
山上が、度肝を抜かれたように大貫を見た。
「会長は、もうご存知でしたか?」
「ああ、この若い人が言ってましたよ」
大貫は、桂樹のほうをちらりと見て言った。「なんでも、うちの所有地の隣接らしいじゃないですか」
桂樹は、あっけにとられて大貫の顔を見た。そんなことは全く知らなかった。彼が黙っていると、大貫はつづけた。
「この前、この若い人に勧められました。御社と一緒にビルを計画したらどうか、とね」
山上は、感心したように桂樹を見た。彼はこれまでの態度を改めて、桂樹に向かって丁寧に聞いた。
「高山さん、横浜の物件をよくご存知でしたね」
桂樹が口を開く前に、大貫が言った。
「この男はボーッとしているようで、けっこう情報通ですよ」
(いつもの嫌味だな)桂樹は思ったが、神妙な顔をしていた。
「それに、ゴルフもおじょうずだ」
澤木があいづちを打った。
桂樹はなんとも言いようがなく、今度は小さくなった。
山上がきっかけを得て、ここぞとばかりに言った。
「ところで大貫会長。さきほどの横浜の件ですが、どうでしょう、弊社と共同で計画されませんか?」
「考えときましょう――この若い人の勧めもあることだし。あとで、うちのビル担当者に言っておきますよ」
「ありがとうございます」
山上が大貫にむかって頭を下げた。それから桂樹のほうを向いて言った。「あなたのお陰だ、ありがとう。それに聞いていたことと違って、大貫会長が心の広いおかただったので助かりました」
大貫が、山上の言葉尻をとらえた。
「わしはいつだって心の広いつもりですが、この若いのが何か言っていましたかな?」
山上は返答に詰まった。
「いえ、特には――」
「山上さん、隠さなくてもいい。この若い人が言うことは、およそ察しがつくけど。わしのことを、何と言っていたんですかな?正直に、おっしゃいなさい」
「はあ、あのう――」
山上は、急にしつこくなった大貫にとまどった。彼は小声で言った。「そのう――偏屈とか、タヌキだとか」
大貫は、桂樹の顔をじろりとにらんだ。
「面白い。やはりそんなことを言ってたか」
その顔は、言葉とは裏腹に、ちっとも面白くなさそうだった。「ところで高山くん、この前のホールインワンの祝賀会は、いつやるんだね?まだきみからお誘いがないけど」
「はあ、あのう――すぐに計画します」
桂樹は、ますます小さくなって返事をした。
大貫はずけずけと言った。
「早いうちに頼むぞ。わしは、いつあの世からお迎えが来るか知れんからな。それから、記念品はドライバーにしてくれ。いまのは当たりが悪いんだ」
「――」
「これまできみのために、ずいぶん尽くしてきたからな」
「――」
「ドライバーぐらいは、安いもんだろ」
「――」
「返事は?」
桂樹は、ぼそぼそっと小声で返答した。
「わかりました。でもドライバーと言っても、色々ありますけど」
「心配するな、わしが選ぶ。10万もあれば足りるだろう」
「――!」
大貫会長と別れたあと、桂樹はビルのロビーで、ヤマト不動産のふたりに別れを告げた。
山上は桂樹を慰めた。
「わたしが口を滑らせたのが悪かったな。本当に申し訳ない」
桂樹は少しやけ気味に言った。
「いいんです。あの方はいつもあんな調子ですから。わたしはいつも、いじめられるだけでして」
「申し訳ない――ドライバーの代金はわたしが出すよ」
「いいんです。そんなことを大貫さんが知ったら、わたしがひどい目にあうだけです」
「大丈夫だ。分からないようにやればいい」
「でも――」
言いかけて、桂樹はホッとしたように肩をすくめた。「じゃあ、遠慮なく、お言葉に甘えさせていただきます」
「ごくろうさん。きみのお陰で、ヤマト不動産から横浜ビルの設計依頼があった。おそらく、工事のほうも受注できるだろう。さすが高山だ、山上常務はすっかりきみになついたようだな」
桂樹は社長室にいた。横には営業部長の白取が、かしこまって座っていた。
社長の機嫌のよさに触発されて、白取が軽口をたたいた。
「社長、高山くんは若いのに、まったくたいした男ですよ。おっしゃる通り、あの山上常務を手なずけてしまうんですから」
「手なずけるなんて、部長も人聞きの悪いことを言われますね。なんとか小倉建設に対する信頼を回復しようとする、わたしの真心が先方に通じただけです」
桂樹は慎重に言った。
「ほーう、そうか――」
三田村社長が、ちっとも信じていない表情で、桂樹を見た。「しかしゴルフでは、山上常務を徹底的に負かしたらしいな」
桂樹は白取の顔をチラリと見て、社長に言った。
「あの時は、たまたま調子がよくて――」
そこで白取が余計なことを言った。
「それにホールインワンもやったしな」
「あんなのはまぐれですよ。狙ってできるものじゃないです」と桂樹。
「もちろん、そうだ。わたしなんか35年間もゴルフをやっているのに、今もって1回もない」
三田村社長が、不機嫌そうに言った。それから桂樹の顔を鋭く見た。
「わたしはきみから、ホールインワンをやった、と報告を受けていないが――。そういえばこの前、大貫会長にお会いしたときおっしゃっていた。きみは、ホールインワンの記念パーティーを開いたらしいな」
「ええ――」
不機嫌になった社長の態度に、桂樹は不審に思いながらも、うなずいた。「大貫会長に強要されまして――ずいぶん散財させられました」
「しかし、ゴルフ保険の金は出たんだろう?」
「ええ、社長のお勧めには感謝しております。お蔭様で、おおいに助かりました」
「それできみは、そんな恩人のわたしを、祝賀パーティーに呼ばなかったわけだ」
桂樹はハッとして、社長の顔を見た。(それで社長は不機嫌になったのか)
彼はあわてて言った。
「あんな私的でささやかなパーティーに、社長をお呼びするなんて、そんな恐れ多い事はできませんよ」
「しかし、大貫会長や山上常務は招待したんだろう?ここにいる白取も呼んだらしいじゃないか」
「だって、ホールインワンを達成したときに、ご一緒した方々ですから」
桂樹の言葉をさえぎるように、三田村はつづけた。
「ほう、そうか。しかし、設計の和泉も参加したそうだな。それに協力業者の社長も何人かいたらしいな。私的でささやかなパーティーにしては、えらく豪勢な顔ぶれだ」
「――」
桂樹はうつむいた。まさか社長が、そんな情報まで仕入れているとは思わなかったのだ。当の情報を入れた白取は、雲行きがあやしくなってきて、わきで縮こまっている。
桂樹はうなだれたまま、小声で言った。
「すみません。けっして社長を、ないがしろにする積もりはなかったのですが。社長をご招待するのは、恐れ多くて」
「いや、気にするな。もう下がっていいぞ」
三田村はそっけなく言った。
桂樹は後味が悪い思いで、社長室を引き下がった。部屋を出る彼の背中に、社長が声をかけた。
「高山、気にしているのなら、こんど晩飯でも食べに行こう。もちろん、勘定はきみ持ちだぞ」
(海路の日和Vにつづく)