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海路の日和U -  (4)
(4)

試着調整が終わると、桂樹たちは同じ銀座にある、広告代理店のスタジオに連れて行かれた。その頃には、さすがに桂樹も様子がおかしいと気づいて、塚本老人に詰め寄った。
「塚本さん、こんなところに来て、どういうことですか。はっきり理由を言っていただかないと、わたしはこれ以上、一歩も動きませんからね」
塚本は、やれやれというように説明した。
「秋にマタニティードレスのキャンペーンをやるんだ。それを大貫さんに話したら、それならちょうどぴったりのモデルがいる、と言ったんだ。それがきみたちだ」
とたんに桂樹は、素っ頓狂な声を上げた。
「モデルだって!」
「わたしはいやよ」
アンリが横から言った。「お腹の出たこんなみっともない格好を人の目に晒すなんて、わたしは絶対にいや!」
塚本は平然として、さわやかに言った。
「きみたちは、大貫さんに聞いていないのかい?」
桂樹はきっぱりと答えた。
「一言も聞いていません」
「だったら彼に電話をしなさい。とにかくこっちは、きみたちの服を作るのに百万円以上の投資をしているんだ。ここできみたちにモデルをおりられたら、その損害はきっちりと払ってもらうよ」
「どうして!」
ふたりは愕然として、同時に叫んだ。
「塚本さん、あなたはわたしたちを脅迫するんですか?」
桂樹は憤然として言って、そのあと恐る恐るつけくわえた。「あのう、原価は100万円もしていないんでしょう?」
「桂樹!」
アンリが声を張り上げた。「そんなことはどうでもいいの。お店のほうで勝手に服を作ったんだから」
「それはどうかな?」
塚本が、冷静な口調で言った。「きみたちは服を作るときに、なにも反対しなかった。状況的に判断すれば、きみたちにも非があると思うんだが」
老人の言葉に、桂樹は愕然とした。額に汗が浮かんできた。
「とにかく、大貫会長に電話をしてみます」
彼は大貫の自宅に電話をかけた。本人は不在だった。電話に出た夫人の話によれば、ゴルフに行ってると言う。桂樹はゴルフ場まで電話をかけ、休憩時に電話をいただくように、とクラブハウスに伝言を頼んだ。

3人は応接室で、大貫の電話を待った。
塚本老人が、ぶつくさ文句を言い始めた。
「これじゃ予定時間が狂ってしまう。高山くん、電話を待っている間に、撮影のほうを始めていないか?」
桂樹はきっぱりと断った。
「駄目です」
アンリがのんびりと言った。
「ねえ、桂樹。なんだったら電話を待たずに、わたしたち、家に帰らない?」
塚本が不満たらしく言った。
「お嬢ちゃん、あんた、可愛らしい顔をして、言うことは結構きついんだね」
「わたしはお嬢ちゃんじゃありません。これでも家庭の主婦ですからね」
塚本は肩をすくめると、今度は懐柔策にでた。
「ねえ、頼むよ。きみたちのようなキャラクターは、うちで考えている高級イメージにぴったりなんだ」
すかさず桂樹が、にぎやかに言った。
「あれっ、わたしの顔を並だと言ってたのは、どこの誰でしたっけ」
「そんな事を言ったかな」老人はとぼけた。
「言いましたよ」と桂樹。
「きみの聞き間違いだろ」
塚本はさらりと言うと、アンリの女心をくすぐりにかかった。「奥さんのように上品で明るくて、人間性の暖か味を感じさせる女性は、めったにいないんだ。この哀れな老人を助けると思って、協力してくださいよ」
「誉めていただいて、ありがとう。でも、わたしは嫌です」
アンリは、にべもなく断った。
塚本は困り切った顔をして、次の作戦を考えていた。そこで思いついたように言った。
「じゃあ、こうしよう。作った服はすべてきみたちに進呈しよう。どうだい、この交換条件は?」
「タダでくれるんですか?」
桂樹が色気を示した。
「ああ、タダだ」
塚本は、餌に引っかかった獲物を見るような目つきで、桂樹の方を見た。
アンリがふてくされて言った。
「わたしは嫌よ。マタニティードレスなんて、一生に一度しか着ないんだから」
「だったら、子供を何人もつくればいいじゃないか」
老人が小声で言い、アンリににらまれて、そっぽを向いた。

やっと大貫から電話がかかってきた。桂樹が状況を説明すると、大貫は不機嫌そうな口調を隠そうともしないで言った。
――きみはそんな些細な問題のために、わざわざゴルフ場までわしを追っかけてきたのか?――
桂樹は唖然としたが、気を取り直して言った。
「会長にとって些細な問題でも、わたしたちにとっては大問題ですよ」
――それで――わしになにが言いたいんだ?――
「何をって。モデルの件は、何もおっしゃってなかったじゃないですか?」
――きみに言ってなかったかなあ――
「聞いていません!」桂樹はきっぱりと言った。
――だったら、今、言う。塚本さんに協力しろ――
「簡単に言わないでくださいよ。妻は腹の出たみっともない格好で、モデルになりたくないと言ってるし、わたしだって宣伝に使われるのは嫌ですよ」
――神経の細かいことを言うな。とにかく、わしは忙しいんだ。そんな細かいことをネチネチ言わずに、モデルになれよ――
「会長――忙しいって、今日はゴルフをやってるんでしょう?」
――だったらどうした!――
「そんなに開き直らなくても結構ですよ。とにかく、わたしと妻はモデル業をやっているわけじゃないんですからね。モデルなんてお断りします」

電話の向こうがしばし沈黙した。それから大貫は、低い声で、妙にゆっくりと言った。
――つまりきみは、わしがこうして平身低頭して頼んでいるのに、むげもなく断ると言うんだな――
すかさず桂樹は言った。
「電話ですから、会長が平身低頭してるかどうかは分かりませんよ」
ふたたび先方が沈黙した。受話器のむこうから、不気味な含み笑いが聞こえてきた。
――フ、フ、フ、面白い――きみはボケッとしてるだけかと思ったが、面白いことも言えるんだな。こんど三田村さんに会ったら、きみのことをよーく伝えておこう――
「――」
桂樹は一瞬沈黙したあと、気を取り直して言った。「わたしが宣伝のモデルにでもなったら、三田村社長はわたしを首にしますよ。小倉建設の社員は、無断でよその仕事をしてはいけないことになっていますからね」
――だったら大丈夫だ。三田村さんの了解は取ってある――
「ほんとですか?」
――わしを疑うのか?正直者で通っているこのわしを――
大貫は憤慨したように言った。
――いいか、よく聞け。三田村さんは言ってたぞ。塚本堂さんはうちの得意先でもある。お役に立てることなら、なんなりと高山にお申しつけください、とな――
大貫はそう言うと、一方的に電話を切った。

桂樹はなさけない顔をして、アンリのほうに振り返った。桂樹が何も言わない先に、アンリは即座に反応した。
「わたしは嫌よ」
桂樹は困り切って言った。
「だって――仕方がないじゃないか」
「それは、あなたはいいわよ。今持ってる服が何着も作れるような高級服を、2着も貰えるんだもん」
「アンリ――そんな問題じゃないだろ?」
「だったら、どんな問題なのよ?」
「だから――うちの社長命令も同然なんだよ」
「わたしは、あなたの会社に雇われてるわけじゃないわ。したがって、わたしはあなたの社長の命令に、従う義務もありません」

塚本はあっけにとられて、ふたりのやり取りを聞いていた。彼は同行した店の女性の手荷物をゴソゴソといじって、中から小さなケースを取り出した。
「奥さん。これをプラスするということで、どうかな?」
彼はケースの蓋を開け、アンリに中身をたっぷりと見せつけた。
アンリが息を呑んだ。試着のとき、身につけた中で一番彼女が気に入っていた、ルビーの指輪だった。
彼女は声を弾ませた。
「ほんとに、これをいただいていいの?」
塚本がもったいぶって肯いた。
「駄目だよ!」
桂樹がさえぎった。「そんな高価なものは、いただけないよ」
アンリが夫をにらんだ。
「いいじゃないの。せっかく塚本さんがくださるとおっしゃってるのだから」それから彼女は人が変わったように、にこやかな笑顔で、老人のほうに振り返った。
「わかりました。わたしたち、モデルをやりますわ」

写真撮影とビデオ撮りは、3時間以上もかかった。ふたりはプロの美容師によるメーキャップを施され、服を着替え、装飾品を身につけて、カメラマンの指示に従ってポーズをとった。
途中で休憩が入ったが、桂樹は慣れぬ仕事に、緊張し、四苦八苦した。それにくらべて、アンリのほうはげんきんなもので、すっかり機嫌を直して、ファッションモデルになりきっていた。
実際、彼女にはモデルの素質があるのか、カメラマンの指示が不必要なほど、ごく自然体でその場に合わせて表情を作っていた。
それに対して桂樹のほうは、嫌と言うほど注文がついた。
「表情が硬いよ。もうちょっと微笑んで」
「ダメ。それじゃあ、スリラー映画の宣伝にしか使えない」
「そんなにしゃちこばったらダメだって。そっと奥さんの肩に手を置いて、自然に語りかける感じで」
「あの――高山さん、あなた本当に奥さんを愛してるの?そんなひきつった顔をして」

撮影が終わると、桂樹はげっそりしてソファーに倒れ込んだ。
「もういやだ。もうモデルなんて金輪際やらないぞ」
アンリが明るい声で言った。
「あら、そんなに大変なことでもなかったわ」
そこに塚本が、やれやれという表情でやってきた。
「きみたちご苦労さん。おかげで素晴らしいCMができそうだ。来月のキャンペーンが楽しみだな」
桂樹はほっとして言った。
「じゃあ帰ってもいいんですね」
「いいけど、どうだい、一緒に食事でも」
「お誘いは有り難いんですけど、またの機会にしてください。もうヘトヘトで、食欲もありません」
桂樹は、ほんとうに疲労困ぱいしていた。
「じゃあ、またにしよう。帰るときに、みやげものを忘れないようにしなさい」
塚本堂の女性スタッフが、大きな紙袋を持ってきた。その中には、撮影で使ったシャツや靴も入っていた。桂樹が怪訝そうな顔をすると、塚本が愛想よく言った。
「それも持って帰りなさい。きみたちが使った後じゃ、売り物にならないからね」
「ありがとう」
アンリが塚本に歩み寄って、彼の頬にキスをした。「塚本さんて、気持ちの大きなお優しい方」
老人はめずらしくうろたえて、頬を赤らめた。
[20/03/21 08:19 神亀]
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