目 次
■ 海路の日和�U -  (3)
(3)

大貫会長の住まいは、目黒の閑静な住宅街にあった。
新築の建物は鉄筋コンクリート造りの3階建てで、敷地の外周部を取り囲むコンクリート塀と一体になっていた。なんとなく和風の建物を想像していた桂樹は、その近代的な外観に意表を突かれた。
道路に面した部分は、2台の大型車が収納できるシャッター組み込みのガレージ。それに、コンクリート打ち放しのしゃれた柱廊が、玄関のアプローチになっていた。
建物の内部も近代的な内装でまとめられていた。インテリアデザインに造詣の深い桂樹にとって、おおいに参考になる空間構成だった。しかし、大貫の性格から予想していたものとの、ギャップは大きかった。

ラフな服装をした大貫が、3人を出迎えた。桂樹がアンリを紹介すると、大貫はおおげさに驚いた表情をした。
「奥さんがこれほどの美人だとは思わなかった」
大貫がお世辞を言うのは、どことなく違和感があった。案の定、嫌味がつづいた。
「高山くんには、もったいない奥さんだな」
桂樹は軽口をきいた。
「だったら会長とこの家の関係と同じですね。なかなか近代的で、素敵な建物じゃないですか」
大貫は桂樹の顔をジロリと見た。
「つまり、わしが古くさくて、この家はわしにもったいない、と言っているんだな」
ゲイルが横から、立て板に水としゃべりだした。
「大貫さん、せがれのご無礼はお許しください。わたしは毎日言われ慣れているんで、気にもしていませんが。それにしても、ご立派なお屋敷ですね。なにしろ――」
桂樹とアンリは顔を見合わせ、肩をすくめた。

大貫は、長男家族と同居していたが、今日は子供と孫たちは外出していた。しかし、夫人は家に居た。ほっそりとした上品な女性だった。
ほかに先客が一人いた。大貫と同年輩と思われる小柄な老人で、その年代にしてはハイカラな服装をしていた。チェック柄のグレーのジャケットにオフホワイトのスラックス、ライトブルーのネクタイが粋だった。胸にはネクタイと同色のシルクのポケットチーフが、さりげなく差し込まれている。
大貫がお互いを紹介する間、その老人は桂樹たちをぶしつけな目つきで見つめていた。
老人の名は塚本靖彦、全国展開している高級服飾店『銀座塚本堂』の経営者だった。桂樹はテレビのCMで、その店の名前を聞いたことがあった。桂樹には縁の無い、目の玉が飛び出るほど高額な商品を扱う店だ。
紹介が終わると、塚本老人は大貫に向かって言った。
「旦那のほうは並だけど、奥さんのほうは顔もスタイルも申し分ない。百点満点だ」
「そうか。しかし、旦那のほうも体格はいいし、顔だってそんなにまずくはないぞ」
大貫がニヤニヤして言った。
塚本老人はふたたび、桂樹の頭のてっぺんから爪先まで、じっくりと眺めた。
「たしかに骨格はしっかりしている。ま、服でごまかせば使えるかも知れん。いずれにしろ、主役はご婦人のほうだからな」
桂樹は、老人たちが何を言っているのか理解できなかったが、あえて口は挟まなかった。

その後、家の中を見てまわっているときに、桂樹は大貫に聞いた。
「さっきは塚本さんと、何の話をされていたんですか?」
「なに、たいしたことじゃない。ところでどうだ、この家は?」
「素晴らしいお住まいですね。とくに外光の取り入れかたが素晴らしいです」
大貫は満足そうにうなずいた。アンリとゲイルは、いつのまにか姿を消していた。家の中を一通り見てまわって、リビングに戻ると、アンリはソファーに座って、塚本老人の相手をしていた。彼女は微笑みを浮かべて、洒脱な老人の話に、しきりにあいづちをうっていた。ゲイルはというと、彼は大貫夫人と何やら楽しげに談笑している。

桂樹と大貫の姿を見て、塚本が立ち上がった。
「もう見学はおわったのか。じゃあ、わたしは彼らを連れて店に戻る」
「気の早いやつだな。父親のほうは、わしが面倒を見よう」
大貫は、ゲイルに向かって言った。「ゲイル、高山くんたちは塚本さんと出かける。あんたはここでゆっくりとしてくれ」
ゲイルは顔を上げてちょっとうなずき、ふたたび夫人と話を続けた。いっぽう桂樹とアンリはポケッとした顔をして、老人たち二人のほうを交互に見ていた。
桂樹は、恐る恐る聞いた。
「あのう――出かけるって、どこに行くんですか?」
「決まってるだろうが」
大貫は、桂樹がさも鈍感だと言わんばかりに、首を振った。「銀座にある、塚本さんの店に行くんだよ」
桂樹とアンリは、ちっとも理解できていなかった。二人は理由も分からず、塚本の車の中に押し込められた。
車中、桂樹は塚本から事情を聞き出そうとしたが、老人は急に耳が遠くなったのか、およそ会話が噛み合わなかった。
「塚本さん、お店に行くって、何があるんですか?」
「ああ、大貫さんはうちの店のお得意さまだよ」
「いえ、大貫会長のことじゃなくって、お店のことですよ」
「だから、彼はよくうちの店に来る。もっともあの体型だ、仕立てにはいつも苦労させられる」

塚本の店は予想通り、桂樹とアンリが足を踏み入れたことがないような高級店舗だった。室内はシックなパステルカラーを基調に、ところどころ真鍮を配し、それがクラシックな調度類とあいまって、見るからに豪華な雰囲気をかもしだしていた。
店に入ると、中年女性と若い女性が二人して彼らを待っていた。
そのあとのひとときは、茫然自失のなかで過ぎた。
桂樹とアンリはなすすべもなく、自分たちの回りで忙しく立ち働く女性たちを見ているだけだった。
二人の女性はきびきびとして、能率的に動き回った。次々に色とりどりの布地を持ってきて、アンリの体に巻きつけ、それを塚本がじっくりと観察する。老人が何やら意見を言い、彼女らはうなずき、また次の布地に取り替える。布地が決まったと思うと、今度は桂樹の番だった。最後に体のあちこちを弄り回され、二人の体のサイズが記録された。

作業が終わると、塚本はそっけなく言った。
「これで終わりだ。ご苦労さん。じゃあ来週、また来ておくれ」
「ちょっと待ってくださいよ」
桂樹は、呪縛が解けたように聞いた。
「いったい、何をやろうとしているんですか?」
塚本は、そんなことも分からんのかと言うように、桂樹に言った。
「きみたちの服を作ろうとしているんだよ」
「待ってください。ぼくたちは服なんて注文してません」
「心配するな。じゃあ来週な」
塚本老人は、それで話が済んだというように、二人の前から立ち去った。

「桂樹、いったいどういうことなの?」
店を出たあと、アンリは質問した。
「ぼくだって、訳が分からないよ」
桂樹は憮然として答えた。
「訳が分からないって――あなた、何も聞いていないの?」
「ああ――どうやら大貫会長の陰謀らしいということは分かっているけど」
しばらくして、アンリが言った。
「ひょっとしたら、わたしたちに新しい服をプレゼントしてくださるのかしら?」
「大貫会長が?まさか。あの人はそんなお人好しじゃないよ」
「そうかしら。案外優しい人だと思うんだけど」
「きみは人を見る目がないんだよ。あのタヌキじじいが、タダで服をくれるはずがない。きっと何かたくらみがあるんだ」
桂樹はにべもなくそう言ったが、心の片隅では、ひょっとしたらアンリの言ってる可能性もあるな、と思いだした。(でもまさか、あの会長が)彼は胸に生じた淡い期待を、むりやり奥底に閉じ込めた。

次の週に、桂樹たちは塚本の店に行って仮縫いの調整をし、そしてまた1週間後に行くと、新しい服ができ上がっていた。
桂樹には、濃紺のフォーマルなビジネススーツとチェック柄の入った渋い茶色のカジュアルジャケット、それに上着に合わせたデザインシャツが数着、揃えられていた。
さすがに高級仕立てだけあって、体にしっくりとフィットした。それでいて服を身につけていないような軽さだ。彼が一生かかっても作ることのできない、高価なものだった。
問題はアンリの衣服だ。彼女のためには、淡いピンクとコバルトブルーのマタニティードレスが、2着作られていた。これもその肌触りや布地から見て、いかにも高価そうだった。

「なに、これ?マタニティードレスじゃない。どうして?」
アンリは新調のドレスを身につけて、不満そうに言った。彼女のドレス姿をプロの目で見ながら、塚本は満足そうに言った。
「奥さん、マタニティードレスは妊娠女性にとって、必要不可欠なドレスだよ。それにしても、よく似合っている」
試着のときには服だけでなく、靴やネクタイ、時計、カフスボタン、ネックレスなどの高価な装飾品も、数サンプル用意されていた。
ふたりは自らの意思で動くことも出来ず、ただ着せ替え人形のように突っ立っているだけだった。
[20/03/20 18:42 神亀]
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