■ 海路の日和U - (2)
(2)
パーティー会場では、日本人の客は年配者ばかりだった。
桂樹はむかし通い慣れた室内を、なつかしそうに歩き回った。顔見知りの大使館員も多かった。義父のゲイルも目にしたが、あえて近寄らなかった。
パーティーの終わり間際に、大貫会長が桂樹のところにやってきた。
「きみはここじゃ、有名人だな」
「そうですか?おそらく前に仕事で、ここに何度か来たことがあるからでしょう」
「宿舎の設計をやったんだろう」
「よくご存知ですね。だれに聞きましたか?」
大貫はそれに答えず、謎めいた笑みを浮かべた。
「意外にきみは癇癪持ちらしいな?」
「わたしが癇癪持ち?だれがそんなことを言いましたか?」
「だれだったかな。きみが、国宝級の頑固者だとも聞いたな」
「国宝級ですって?」
「相手がきみより年長者であるにもかかわらず、平気で怒鳴りつけたり、感情を踏みにじったりしたそうじゃないか」
「――?」
「それに奥さんがおめでたらしいが、計算が合わないそうだな」
「何のことですか?」
「結婚した日から計算すると、どうみても出産予定日が2ヶ月早いとか」
「――発育がいいんですよ――妻は健康体ですから」
桂樹は、冷や汗をかきながら言った。心の底では、そんなことをだれが大貫に言ったのか検討がついていた。
そのとき、まさにその容疑者がやってきた。
「やあ、桂樹。きみはこのパーティーに来ていたのか?」
義父のゲイル・ギャザウェーが、無邪気な笑みを浮かべて、ふたりに近づいてきた。
「ああ、G・G」
桂樹は無愛想にうなずいた。「大貫会長はすでにご存知だろ」
ゲイルは驚いたように薄い眉毛を吊り上げたが、肯定も否定もせずに、大貫に向かって頭を下げた。
「G・G、随分ぼくの楽しい噂をばらまいたようだな」
「わたしが?覚えがないな」
ゲイルはとぼけて言った。
桂樹は脅すように、義父の首に片腕をまわした。
「いまこの場で、思い出させてやってもいいんだぞ」
ゲイルは同情を誘うように、哀れっぽい顔で大貫のほうを見た。
「お見苦しいところをお見せしました。これは時々暴力をふるいますけど、身内に対してだけです。どうか暖かい目で見てやってください」
大貫は鷹揚にうなずいた。
「大変ですな、元気のいい息子さんを持たれて。そういえば思い出した。わしも高山くんに、ひどいことを言われたことがある」
「ほう、どんなことですか?」
ゲイルはにわかに興味をもって、大貫にたずねた。
「いやなに、たしか初対面のときでしたな。わしの腹が出っ張ってるとか、態度がでかいとか、その割には肝っ玉が小さいとか、言われました。大切なお得意先である、わしに向かって」
「やはりそんな男でしたか」
ゲイルが活気づいて言った。「わたしなんか、毎晩うなされるほどひどい目に会っていますよ。たとえばこの前も――」
「ちょっと待て、G・G」
ふたりの会話を、ハラハラして聞いていた桂樹が割り込んだ。「よくもそんな根も葉もない作り話を――」
大貫が桂樹の言葉をさえぎって、ゲイルに言った。
「じゃあ、わしはそろそろ失礼するが、来月の件、お忘れなく」
ゲイルが愛想よく答えた。
「第一土曜日でしたね。必ずお伺いします」
桂樹は、ふたりがなんの話をしているのか分からなかったが、大貫にガードマンとの約束を思い出させた。
「あ、会長、ジャイアンツ戦のチケットをお忘れなく」
「なんのことだ?」
大貫が、けげんそうに振り返った。
桂樹は信じられないという思いで、性急に言った。
「だって、会長は約束されたじゃないですか。門を通り抜けるときに、ジャイアンツ戦のチケットをケリーに渡すって」
「わしが約束?」
大貫は訳が分からんというように、うそぶいた。「ガードマンと約束したのはきみだろう?わしはなにも約束しとらんよ」
「ひどい!会長はあのとき、うなずいたじゃないですか」
「きみはなにかい、わしが頭を下げて礼を言ったら、それで約束したとでも言うのか?」
大貫は冷然と言うと、さっさと歩き去った。
気を取り直した桂樹は、ゲイルに訊いた。
「ところでG・G、さっき大貫さんに、来月の土曜日にうかがうって言ってたけど、なにがあるんだ?」
「ああ、大貫さんの自宅の建て替え工事が完成したんだ。それで新しい家を見せてもらうことになった。わたしも将来、建て替えるときの参考にしようと思ってね」
「ふーん、ま、大貫会長とG・Gとでは資力に違いがありすぎるけど。夢を持つのは、いいことだな」
「なんとでも言うがよい。じゃあ頼んだぞ」
「頼んだぞって、なんだ?」
「きみとアンリも招待されているんだ」
「なにっ!」
桂樹はゲイルを睨みつけた。「そんなこと聞いてないぞ!」
「あれっ、言ってなかったか。しかし大貫さんと約束したんだから、仕方がないな」
「仕方がないって――G・G、アンリはお腹が大きくなってるんだぞ。そんな姿で彼女が、人前に出ると思ってるのか」
「大丈夫だ。わたしからよく言い聞かせるから」
「あの――G・G。約束する前に、あんたの息子の都合も聞いてみるってことに、気が回らなかったのか?」
「どうしてだ?」
ゲイルは威張って言った。「きみは、わたしの息子じゃないか。自分の子供に対して、どうしてそんな必要があるんだ?」
家に帰ると、桂樹が言い出す前に、アンリのほうから話しかけてきた。
「桂樹、大丈夫よ。来月の土曜日は、わたしも付き合うから」
「――?」
「G・Gに聞いたわ。大事なお客さまに、ご招待されているんでしょう?わたしのことを心配することはないわ」
「――G・Gは、きみになんて言ったんだ?」
「だから、お客さまの新築祝いに家族を招待されて、あなたが悩んでいるってことよ。桂樹のためなら、G・Gはどこへだってついて行くけど、問題はお腹の大きくなったわたしのことだって」
「G・Gがそんなことを言ったのか?」
「そうよ。桂樹はわたしの体を、すごく心配してるって言ってたわ。でも大丈夫よ。当の本人がそう言ってるのだから」
桂樹はアンリと話した後、ゲイルの部屋に行った。ノックをして部屋に入ると、ゲイルは書斎机に向かって、忙しそうに書き物をしていた。その姿は、どことなく作為的に見えた。
「G・G、今のぼくの心境は、あんたを素っ裸に引ん剥いて、逆さ吊りにしたい気分なんだ」
「どうして?」
ゲイルは振り向くと、無邪気な顔を作った。「なにかあったのか?」
「とぼけるんじゃないよ。分からないんなら、思い出させてやる」
桂樹はゲイルのほうに詰め寄った。
ゲイルは椅子から跳ね起きた。
「ま、待ってくれ!わたしが悪かった」
「自分が悪かったと認めるんだな?」
「ああ、認めるよ。しかし、わたしの気配りも認めてくれ」
「なんだ、気配りって?」
「アンリはきみの愛情を再認識することができたんだよ」
「――?」
「だから――きみが彼女の体を心配してる、とわたしが言ったお陰で、アンリはすごく喜んでるんだ」
「――」桂樹は怒りを通りこして、いけしゃあしゃあとした義父の顔を見つめていた。
「昨日はご苦労さん。パーティーの様子はどうだった?」
「はい、なかなかの盛況でした」
桂樹は社長室に呼ばれていた。
「そうか。先ほど向陽の大貫会長から電話があったぞ。きみは大使館で会長に会ったそうだね」
「はい、偶然お会いしました」
大貫の名前を聞いていやな予感がしたが、桂樹はおくびにも出さなかった。三田村社長はおもむろに言った。
「ところできみは、大貫さんのご自宅にお呼ばれしてるんだってな?」
「義父が招待されていまして――わたしは、義父について行くだけです」
「同じようなもんだ。行く前にわたしのところに寄ってくれ。新築祝いを持っていってもらいたいんだ」
「わかりました」
桂樹は内心、ニヤリとした。これで彼自身が、新築祝いを買わなくてすむ。
「あ、それから――」
部屋を出ていこうとする桂樹にむかって、社長が言った。「わかってると思うが、きみもなにかお祝いを持っていくんだぞ。ご招待されたら、それが礼儀というもんだ」