■ 海路の日和T - (3)
(3)
赤坂ビルの竣工式の翌日、桂樹とアンリは、アメリカ大使館わきの教会で結婚式を挙げた。そのあと、ホテルで行われた披露宴は、ささやかだが、心のあたたまるものだった。
仲人は、設計部長の和泉夫妻にお願いした。桂樹の昔馴染の友人たちや会社の人たち、下請け企業の堀田社長や千秋社長も招いた。アンリ側からは、学校関係者のほかに、アメリカ大使館の職員たちも来ていて、桂樹の見知った顔ぶれも何人かいた。
披露宴は、新郎新婦の人柄を反映して、終始なごやかで明るい雰囲気に包まれていた。
最後に唯一の親族代表として、ゲイル・ギャザウェーがスピーチをした。
本来はしんみりとする場面だが、いかにも陽気なゲイルらしいスピーチだった。彼は新郎に一人娘を取られたことを、恨みがましく、かつユーモラスに話し、出席者の笑いを誘った。
「わたしは初めて桂樹に会ったときから、嫌な予感がしていたんだ。この男はわたしから何か大切なものを奪うんじゃないかってね。で、その予感は見事に的中したってわけだ。
アンリは、親のわたしが言うのもなんだが、子供のころから何をやっても優秀な娘でね。いま皆さんがご覧になって分かるように、容姿端麗、それにハートもいいんだ。娘は、明るくて気立てがよくて、申し分のない女性に成長した。死んだワイフも、さぞかし鼻が高いと思うよ。
そんな娘だから、正直言って、新郎新婦はあまり釣り合いがとれていない。それは皆さんも、密かに感じていることだと思う。
最初、二人が結婚すると言い出したとき、わたしは娘のセンスを疑いました。よりによってこんな無骨な男を選ぶなんて、ひょっとしたら娘も、オツムが弱いんじゃないかってね。
しかし、皆さん、日本には、蓼食う虫も好き好きってことわざがある。それに無骨な男なら、丈夫で長持ちするし、他の女にもてなければ浮気もできない。わたしは、そんな前向き思考で考えることにしたんだ。
だから皆さんも、美女と野獣だなんて思わずに、どうかこの若いカップルを祝福してやってください」
新婚旅行は、東京ディズニーランドの近くにあるホテルに一泊するだけの、質素なものだった。桂樹が働いていたビルの現場は終わったが、竣功図の手直しその他の残務で、まだまだ仕事は残っていたからだ。
二人は結婚式に集った人々から開放されて、ホテルで二人っきりになると、待ち兼ねたように愛を交わしあった。それから身繕いを整えると、ホテルのレストランで遅い夕食をとった。
「ごめん、満足なハネムーンもとれなくて」
「いいのよ。二人にとって充実していれば、一夜だけのハネムーンだって、いい思い出になるわ」
「ああ。落ちついたら、改めてハネムーン旅行をしようよ」と桂樹。
アンリが微笑んだ。
「いいわね――G・Gがついて来るって言い出したら困るけど」
披露宴会場で別れるとき、ゲイルの寂しそうな表情は、ふたりのハネムーンについて行きたいのを、ぐっと我慢しているようすだった。
桂樹は思い出し笑いをした。
「G・Gは寂しがり屋だからね。彼は前からああなのかい?」
「わたしが子どものときは、そうでもなかったわ。両親はわたしの自主性を尊重してくれたから。ひどくなったのは、母が死んでからよ」
「それだけ深く、奥さんを愛していたんだな。再婚する気持ちはないのかなあ」
「いまのところは全くなしよ。彼は母の面影が忘れられないの」
「それにしても、今日のスピーチは、ひどいことを言われたな」
「あれはG・Gの本心じゃないわ。G・Gは嬉しいとき、かえって逆のことを言う癖があるの」
「素直じゃないな。ところでアンリ、そろそろ部屋に戻ろうよ。時間がもったいない。話はベッドの中でもできるよ」
その夜、二人は愛し合い、話をし、そしてまた愛し合った。ふたりがようやく眠りについたのは、外が白々と明けかかる頃だった。
――◇――
現場の残務仕事を終えた桂樹は、やっと1週間の休暇を取った。しかしアンリは大学に戻っていたので、桂樹はひとり新居に残って、壁紙の貼り替えや庭の手入れなどをして、日中を過ごした。そして気が向くと、スケッチブックを片手に、鎌倉周辺を歩きまわった。
ある日、桂樹は、鶴岡八幡宮の境内をぶらついていた。昨夜降った雨はすっかりあがって、昨日より暖かく感じた。こうやって、ひと雨ごとに寒さがやわらぎ、春へと向かっているのだろう。
梅の花は終わりを告げていたが、まだ香りだけは残っている。源氏池のあたりでいいアングルを見つけ、縁石に腰掛けると、さっそくスケッチにとりかかった。
「絵がうまいんだね」
背後から声が聞こえてきて、桂樹は振り返った。
好々爺然とした老人が、こちらを見ていた。桂樹はその老人の顔に見覚えがあった。昨年会長を退き相談役になった長尾重役だった。長尾は、いわば小倉建設のご意見番のような存在で、小柄で飄々とした風貌をしているが、現役のときは厳格な人物として、重役たちに恐れられていたらしい。
桂樹があわてて立ち上がろうとすると、老人が手で制した。
「いいんだ、スケッチを続けなさい」
長尾はそう言うと、自ら桂樹の横に腰掛けた。
「えーっと、きみは高山くんだったな?」
桂樹は驚いた。まさか雲上人のような長尾相談役が、一介の平社員である自分を知っていようとは――。
桂樹の表情を読んで、長尾が微笑んだ。
「実は、先ほど見かけたとき、きみだとは自信がなかったんだ」
老人は桂樹の頭を見あげた。それで納得がいった。桂樹は小倉建設のネームの入った、野球帽をかぶっていた。それでも疑問は残った。
「でも相談役は、わたしの名前をよくご存じでしたね」
「きみは、うちの野球部のエースピッチャーじゃないか。以前、社友誌にも載っていたし、うちの会社できみを知らないなんて、もぐりだよ」
桂樹が面映そうにすると、長尾が明るく笑いながら言った。
「会社は休みか?」
「ええ、現場明けの休暇です」
「そうか――ところでずっと前の話になるが、きみは鎌倉駅の階段で転んだわたしを、助けたことがあったかい?」
「ああ――あのときは長尾重役とも知らずに、失礼しました」
「やっぱりきみだったのか。謝るのはこちらのほうだ。もっと早くに礼を言うべきだった」
そのとき驚いたことに、この60代後半の老人は、恥ずかしそうな表情をした。それを見て、桂樹は新鮮な感動を覚えた。
「しかしあの時、衆人環視の中できみに抱っこされて、電車に乗ったときは照れくさかったぞ」
「失礼しました。あのときは初出勤の日で、気持ちが急いていたものですから。相談役の足の状態も確認しないで」
長尾は、いいんだというようにうなずいて、話題を変えた。
「どうだ、会社の仕事は?」
「とても充実しています。わたしの設計したビルの現場も、経験させていただきました」
「きみは最近、結婚したのだろう?」
「えっ、相談役はご存知なのですか?」
「さっきも言ったように、きみは有名人だからね。きみの噂はよく耳に入る」
「――」
桂樹は考え込んだ。そんなに自分は、社内で目立ったことをしているのだろうか?彼は身に覚えがなかった。
「心配するな、いい評判だよ。設計部の和泉も、現場の脇田も、きみをおおいに買っている」
相談役が自分の上司たちと話したと聞いて、桂樹はにわかに警戒しだした。何か魂胆があるのだろうか。
そんな桂樹の気持ちに関わらず、長尾がのんびりと聞いた。
「きみはうちの会社が好きか?」
桂樹は、いよいよ用心深くなって老重役の顔を見た。
「それは――勿論、好きですよ」
「どんなところが気に入っているんだね?」
「――実力主義で、近代的なところです」
「近代的?どういったところが、近代的なんだね?」
桂樹は少し考えて、慎重に話し出した。
「建設会社は他業種にくらべて、技術的には最先端をいっていても、組織とか人事的な体質は、創業者一族の影が色濃く残っているところがあります。その点、小倉建設は世襲制度もありません。能力があれば、誰でも社長になれる可能性が開けています。そんな人物本位のところが、近代的だと思っています」
長尾はちょっと小首をかしげた。
「しかし、うちにも小倉一族の方たちはおられるんだよ」
「ええ、存じています。でも今の社長は、一族以外の方がなられています。相談役だって、一族の方じゃないでしょう?」
「ああ。きみは世襲制に反対かね?」
桂樹は、会話をそらすように微笑んだ。
「相談役は、先ほどから質問ばかりされていますけど――なんだかわたしは、面接試験を受けている気分です」
「これは失敬」
長尾も微笑んだ。「きみのことを知りたくてね」
ちょっと言葉を途切らせて、そして言った。「でもついでだから、さっきの質問に答えてくれないか。きみは世襲制度について、どう考えているんだね。遠慮しなくていい。思っていることを、ざっくばらんに聞かせてもらいたい」
桂樹は考えをまとめるために、しばらく口をつぐんだ。
「――世襲制度は、会社という公の場に、私的な情念が入り込みやすいと思っています。会社経営は、理念でやるべきです。血縁の情が入り込めば、理で割り切れなくなります。時代劇で、よくお家騒動が取り上げられますが、あれは世襲制度の弊害の典型例です。密室の陰謀、跋扈する策謀家。会社組織でも同じだと思います」
長尾が微笑みながら言った。
「きみは、なかなかの理論家だね」
桂樹は、しゃべりすぎたのに気づいた。
「失礼しました。つい、生意気なことを言いました」
長尾は鷹揚に手を振った。
「そんなつもりで言ったのじゃないよ。しかしきみのように、しっかりとした自分の考えを持っている若い人が、うちの会社にいると知って、わたしは心強いよ」
桂樹は、からかっているのかと思って長尾の顔を見たが、そこには飄々とした温顔があって、なんの裏もなさそうだった。
(海路の日和Uにつづく)