目 次
風の新之輔第一部 - 第一部豊の国(五)
(五)

「では、これを持って行ってくれ」
小壺芳美は、品薄になった漢方薬の一覧を記すと、惣吉に手渡した。惣吉は七年ほど前に雇った、六十過ぎの老人である。少々お節介者だが、几帳面なところがあって、芳美は大いに重宝していた。
芳美はお城医師だが、夜勤明けの日は町の人たちの診察もする。今日は昼からの往診予定が無いので、海滑の町で薬事問屋をやっている山田屋に、惣吉を使いに出すところだった。
惣吉が出かけたあと、はて、どうしたものか、と考えた。
(海を見ながら浜でも歩いてみるか)
寝食と身過ぎに使っている家は、城下町と漁師の集落の中間地点にあり、海にも近かった。
家の裏手から葦の生い茂る草地を抜けると、砂のある浜辺に出る。そこは豊富な量のアサリが取れる。季節になると多くの潮干狩りの人たちで賑わうが、今はまだ春先の肌寒い季節で、人の姿は見当たらない。

芳美は浜辺に行くと、草履を脱いで手に持ち、裸足で砂の上を歩いた。
足裏に、冷たい砂の感触が心地よかった。
波打ち際に行くと、うちあげられた海藻に混じって、小さな貝殻が無数に散らばっている。
海に目を転じて気付いた。なんと肌寒いこの季節に、ひとりの男が海に入っていた。それも見覚えのある顔だった。
(風間新之輔さま――)
次に思ったのは、閉門の身でこんな所に来て大丈夫か、だった。
芳美が見ていると、新之輔は見事な抜き手で泳いだ。よほど小さい頃より、海に親しんでいたのであろう。途中でこちらに気付いたのか、新之輔は泳ぎを止めて、浜のほうにあがってきた。

男の腰が水から上に出た途端、芳美はぎょっとした。
新之輔は素裸で泳いでいたのだ。
「やあ、芳美どの」
新之輔はくったくのない笑顔で、芳美のほうに近づいてきた。全裸であることを、少しも気にしていない素振りだった。
筋肉質の引き締まった胸や腹、がっちりした太もも、濡れた陰毛の先から、雁高のへのこが垂れ下がっている。
剥きだしの裸体を前にして、芳美は目のやり場に困った。
「またお会いしましたね。住まいはこの近くですか?」
動揺する芳美にむけて、新之輔はのんびりと尋ねた。
「ええ――新之輔さまはこんなところに来て、大丈夫なのですか」
「ああ、閉門は解けました。またお城勤めです」
それを聞いて、お上と家老の会話が思い出された。(――あやつにも、使い道がございまする――)
「自由になったところで、無性に海で泳ぎたくなりました」
芳美の思いを遮るように、新之輔が明るい声で言った。「どうです、芳美どのも泳ぎませんか」
「でも、こんな肌寒い季節に――」
芳美は口ごもった。
「大丈夫です。水に慣れればむしろ気持ちよくなります」
言うと、新之輔はふたたび海に向かった。
肩幅が広く筋肉がよく発達した上半身に比べ、腰はほっそりとしていた。歩くにつれ、もくもくと動く締まった臀を見ていると、芳美は身体の芯から熱いものが湧きあがるのを覚えた。
「芳美どの、早くこちらに――気持ちいいですよ」
新之輔が海の中から呼びかけた。

あとから考えても、どうして自分がそんな気になったのか分からない。
新之輔の声を聞いた途端、芳美は着ている服を脱ぎ出した。
裸になると、やはり肌寒かった。
芳美は両腕を擦りながら、海に入って行った。
いっぽう新之輔は、老医師の裸体を見たとたん、身内で何かが蠢き出すのを覚えた。医師は、子犬のようにほっこりとして小さかった。思わず庇護したくなる可愛らしさだ。年配者の日に当たったことが無いような、白い肌がまぶしかった。
芳美は水が胸の位置までくると、立ちどまった。
「わたしは泳げません」
「大丈夫。さあ、拙者に掴まって」
新之輔は芳美の身体を抱くと、水に浮いた。
「あっ、あっ」
芳美は、あわてて新之輔にしがみついた。そして逞しい肉体の感触に、どぎまぎした。
新之輔は医師の身体を抱いて、横泳ぎした。
「そう、力を抜いて――気持ち良いでしょう」
泳ぎながら声をかけた。年配者の身体から力が抜け、多少不安そうな小さな目が、新之輔を見る。

しばらく水中を泳いで、足のつくところまで戻った。
二人は身体を合わせたまま、水中遊泳の余韻にひたっていた。
肌と肌が密着して、泡立つような興奮が募った。ふたりは目を合わせた。お互いの鼓動が伝わってくる。
新之輔は、医師の小さな唇にそっと自分の唇を重ねた。
そのまま柔らかい唇を吸いながら、相手の小さな手を掴み、いまや天狗の面と化した自分の下腹部に導いた。
「さ、芳美どの」
柔らかい指が、おずおずと絡みつく。
泡立つ激情が湧きあがった。二人は身悶えするように抱き合い、愛撫し、求め合った。
しばらくして抱擁を解くと、芳美が頬を赤らめながらささやいた。
「海水はべとつきます。わたしの家に井戸があります。真水で身体を清めてください」

ふたりは芳美の家に行き、井戸の水で海水を洗い落とした。そのあと家に上がって、奥の部屋に行くと、ごく自然に愛の行為を始めた。
新之輔は老体の扱いに慣れていた。一方的に快楽を得るのではなく、相手の身体をいたわりながらことを進めた。
これも長年、昌造と契ってきた慣れだった。
恥ずかしがる芳美の身体に、指をやさしく差し入れて、時間をかけて解きほぐした。
「爺は教えてくれました。女陰に指を入れると滑る液が出てくるが、男も同じだと。ほれ、こうやって指を動かしていると、滑りがよくなってきます」
「ああ――新之輔さま」
密やかな行為が熱を帯びてきた。熱い吐息としめやかな喘ぎ声――。
肌を合わせたふたりの肉体に、海滑の海が騒ぎだす。

細波が、押しては引く波に変わり、徐々に力を蓄えて、泡立つ波頭を抱く高波となる。
ついには怒り狂った轟音を立てて、岩にぶち当たって砕け散る――。

すべてが終わったとき、芳美はぐったりとして床に伏せていた。
こんなことは初めてだった。
とても無理だと思えた大きな摩羅を受け入れただけでなく、痛みもさほど感じなかった。行為が熱を帯び、大渦に巻き込まれたときは恐怖を覚えたが、終わってみるとなぜか悦びで満たされていた。なにか大きなものに包み込まれた安らぎだった。
新之輔は、うつ伏せになる芳美の首筋に、そっと唇を押し付けた。そしてささやいた。
「おかげでいい思いをすることが出来ました」
彼は手早く身づくろいを整えると、部屋を出て行った。

新之輔が出て行ったあとも、芳美は床に伏せていた。
尻に疼痛が残っていたが、それさえも心地よい名残に思えた。それと同時に、悔悟の気持ちがあった。
(とうとう新之輔さまに、あのことを伝えられなかった)
お上と長尾将左衛門の会話だった。羽室のご前は忘れろとおっしゃったが、これでよかったのだろうか。
新之輔の顔が浮かんだ。人を疑うことを知らないような、涼やかな瞳が輝いていた。あの瞳は見たことがあるような――。
唐突に重なった顔に、芳美は戸惑った。――お上の長子、松太郎の顔だった。

――**――

風間新之輔は、城下町の武家屋敷に移り住んだ。屋敷と言っても、下級武士の使う、小さな家だった。
それでも新之輔に不服は無かった。昌造と小者の老夫婦を加え、四人が住まうに充分の広さだった。
初登城の日、新之輔は家老の長尾将左衛門に呼ばれ、近習頭取を命じられた。近習たちの頭である。これは重罪に服していた者にとって、破格の役職だった。
「そなたの父は、わしと同じ国家老だった。その血筋を継ぐそなたには、大いに期待している。万事遺漏なく励んでくれ」
驚く新之輔に、長尾は父親のような慈顔で言った。
家老の長尾は五十を過ぎた歳で、身体は小さく、新之輔の亡父と似通った雰囲気がある。しかし父と決定的に違うのは、長尾には世慣れたしたたかさがあることだった。
いっぽう、藩主の頼宗の気持ちは、治まっていないようだった。
新之輔を見る目は冷たく、直接声もかけてこなかった。その内、顔を見るのも嫌になったか、新之輔は近習頭取でありながら、お上から遠ざけられていた。
[16/12/27 07:54 神亀]
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