(2)
2ヶ月ほど付き合って、シローは関西に行った。どうやら則平より良い男を見つけたようだ。もともとタイプの男でなかったので、未練は無かった。
しかし、いったん覚えた男色の味は、則平の欲望をかきたてた。
それでも行動を控えていたのは、嫁入り前の娘がいたからである。変な噂をたてられて、娘の結婚に支障をきたしたら困る。このへんは、いかに偏屈者であろうと、彼も人並みの父親である。
その千佳子が27歳で結婚した。則平は59歳、役所も定年間際である。
この頃から、彼はちょくちょく雅に行くようになり、何人かの客と顔なじみになった。
そしてじんわりと触手を伸ばしていった。
まずのターゲットは、岡本千秋と河合清司――店ではチーちゃん、セイちゃんと呼ばれている二人組だ。ともに則平より6つ年上、ブチとハゲの違いはあるが、背の低いぽっちゃり体型やとっちゃん坊やのような顔、温和な性格などが兄弟のようによく似ている。
ふたりはたいがい一緒だったが、ときにひとりで来ることもある。
則平はそのときを狙った。
岡本千秋がトイレに行くのを見て、則平もトイレに入った。
先に済ませた千秋が手を洗っていると、則平はこれ見よがしにズボンの合わせ目から取り出す。そして用を足しながら、のんびりと声をかける。
「今日はセイちゃんと一緒じゃないね」
「ああ――」
千秋は言葉少なだった。どうやら則平の手元が気になるようだ。
「欲しい?」則平は、ぼそりと言った。
「えっ?」と千秋。
「またまた、とぼけちゃって――」
則平はゆうゆうと打ち振って滴を切ると、ズボンに収めた。そのあと千秋に近づいて、丸っこい体をぐいと抱きしめた。
「しゃぶりたいんだろ?」
「いえ、そんなことは――」
「ふふふ、嘘をつけ」
やわらかい尻にまわされた手を通して、暖かい体温が伝わってくる。
(こんなに肉付きのよい尻だったか)
則平は千秋の顔をじっくりと見た。怯えたような眼と初心な口元――どことなく、ハツカネズミを思わせる。
そこで再びズボンの前を開いて、千秋の白髪頭をぐっと押し下げた。
別の日――。
則平は横の席にいる河合清司に、何気ない口ぶりで話しかける。
「今日はお店も静かだね。ちょっと楽しいことする?」
「なに?楽しいことって」
「口で説明するより、実践のほうが分かり易い」
則平はズボンの前を開いて、清司の手を導いた。
「あっ!そんなこと――」
「ふふふ、ちょっと握ってみろ」
「ああっ、いやっ――わっ、大きい!」
「ふふふ、欲しいか。じゃあ後は、おれの家でじっくりとやるか」

こうして則平は先輩格の二人をモノにした。案外、手の早い男である。
しかしある晩は、肝を冷やした。
カウンターの端っこで、ねちねちとマスターをなぶりながら酒を飲んでいると、信じられないことに、元上司の中野が店に入ってきた。彼は現在、市の外郭団体の老人介護支援センターの責任者である。
なんでこんな店に?という疑問より先に、どうやって見つからずに退散しようかと、頭の中はフル回転した。
そんな則平の思惑にかかわらず、中野は目ざとく見つけて「ようっ」と片手を挙げ、現役時代と変わらない無邪気な笑顔で近づいてきた。
「きみ、私のように太ったフケがお好みなんだって?」
「えっ、何のことです?」
「また、とぼけちゃって。この爺殺し!」
中野は昔と違って、ずいぶん軽い口のきき方をする。目の端に、マスターのにやにや笑いが見えた。則平は瞬時に悟った。中野がマスターと親しいこと、そして中野もこの世界の人間である――のかも。
一緒に酒を飲んでいると、じょじょに分かってきた。中野は総務部長の時代から、則平がお仲間であることに気付いていたようだ。
「同じ職場では、リスクが大きすぎるから我慢していたんだ。何度きみを誘おうとして、思いとどまったことか――でも、今ならオーケイだよ」
そしてごく当然のことのように、その夜、則平は中野と同衾した。
意外にも、中野はベッドでおとなしかった。ふくよかな体を開いて、恥じらう風情で則平のイチモツを受け入れる。
なにか大きな柔らかいものに包み込まれている気分だった。
しかし、身体のつながりが出来たあとも、則平は中野に頭が上がらなかった。
普通なら、ウケはタチに対して一歩引いた関係になるのだが、中野は違った。ベッドの上では「ああ、いや、許して」なんて、息も絶え絶えに太った体をよじらせながら、昼間会ったときは、堂々たる貫禄でもって則平を圧倒する。
――**――
娘の千佳子が出戻ってきた。夫と折り合いが悪く、わずか3年で離婚だ。子供が出来なかったのも、一因らしい。
このとき、則平は62歳。すでに市役所を定年退職し、元上司の中野に引っ張られて、市の老人介護支援センターで働いていた。
千佳子はパートタイマーとして、近くのスーパーで働き出した。空いた時間は、家事をやっている。則平の母親はすでに他界していたので、千佳子の存在は、独り身の則平にとってありがたかった。
朝から晴れていたが、春先の空気はまだ肌寒い。
今日はあけぼの町にある、特別養護老人ホームを視察する日だ。
家を出るとき、千佳子が隣の垣根越しに、幼馴染の木原覚と立ち話をしていた。覚は千佳子と同じ30歳、体格の良い独身男で、本庁に勤める警察官だ。
二人の親しそうな様子に、則平は眉をしかめた。
(出戻ったばかりだと言うのに、ちっとは世間の目も気にしろよ)
偏屈者の彼にしては、至極まっとうな考えである。
「あ、小父さん、行ってらっしゃい!」
則平に気付いて、覚が挨拶した。則平は口の中で、ああ、と言って通りに出た。そこで、これから行く老人ホームに頭を切り替えた。
その日は、あけぼの老人ホームで、ちょっとした騒動が持ち上がった。
則平は、若い介護職員の案内で、ホーム内を視察していた。そのヘルパーは、二十歳そこそこの若い女性で、顔は十人並だが、抜群のスタイルをしていた。女好きなら涎を垂らしそうだが、あいにく則平はまったく興味が湧かない。
2階に行き、空いた居室に案内された。ベッドがあるだけの質素な部屋である。廊下から賑やかな話し声が近づいてきた。静かな雰囲気に辟易していた則平は、むしろそのしゃべり声にホッとする思いだった。
そのとき女が、ベッドのそばで腹を押えて苦しそうな声をだした。
「きみ!どうした?」
近寄った則平の両腕にしがみついて、女が何か言った。
「うん、何だって?」
則平は顔を寄せて、耳を近づけた。
とたん、女は則平の体をぐっと引き寄せて、そのまま背後のベッドに倒れ込んだ。そして悲鳴を上げながら、もがいた。
「きゃーっ!いやっ、やめてー!」
その日の夕方、則平は難しい顔をして、雅で酒を飲んでいた。そんなときは、マスターも知らん顔をしている。へたにかまったら噛みつかれる。
顔なじみの客が入ってきて、則平の横の席に尻を落ち着けた。早い時刻だと言うのに、すでに酒が入っているようだ。
「ようっ、ノンちゃん。相変わらずしけた顔してるな」それからマスターに向かって賑やかに言う。「腹ペコだ。マスター、何か食べるものない?」
則平はにこりともせずに言った。
「うるさい!マスターのちっこいソーセージでも咥えてろ」
「ほら、始まった」
マスターはつぶやいたが、則平はうわの空で昼間の出来事を反芻していた。
あれが女の罠だということは、則平だけが知っていた。しかし状況から見て、そんなことは誰も信じない。いきなりスケベ爺に襲われて、怯えきった女の表情――本物の涙まで流していた。
則平は皮肉な笑みを浮かべた。
(けっ、まったく、演技賞ものだ)
あのあと、老人介護支援センターに通報されて、厳しい事情聴取を受けた。警察沙汰にはならなかったが、女の考え次第でどちらに転ぶか分からない。管轄の市福祉部には、中野センター長が説明に行くと言っていた。
(ちくしょう、あの女、なんであんなことをしたんだ?)
いくら考えても、女の狙いは見えてこない。
店に客が増えてきたので、早々に帰ることにした。とても、ほかの客と話す気分にはならなかった。
自宅に戻ると、娘の明るい声、それに木原覚の声が聞こえてきた。茶の間に行くと、千佳子がにらみつけた。
「お父さん、遅い!ちゃんと約束したじゃない」
「なにっ!なんだって」
則平は訳が分からなかった。覚は食卓でビールを飲みながら、おどけたように肩をすくめた。その横で、千佳子がやれやれと説明した。
「もう忘れたの。今日は覚さんが非番なので、おでん鍋を一緒に食べましょうって、約束したじゃない」
則平は急に空腹を覚えた。
(そういえば、雅では何も食べていなかったな)
千佳子はふたりのために、大なべから皿におでんを装った。覚のほうがひと品多いのに気付いたが、則平は黙っていた。
腹が落ち着くと、焼酎を湯割にして飲んだ。珍しいことに、覚が気を利かせて焼酎を持参していたのだ。
その時どうして話したのか、後になって考えても分からない。とにかく則平は、昼の出来事を二人に話していた。
すっかり話し終えると、気分が軽くなった。
「でもその女の人、なんでそんな狂言をやったのかしら?」
千佳子が訊いたが、則平は肩をすくめるばかり。実際、理由はまったく思い浮かばない。彼が黙っていると、千佳子がなお訊いてきた。
「お父さん、以前、その女の人に、何か恨まれるようなことをしたんじゃないの?お父さんは忘れているだけで――」
「バカ!おれがそんなことをするか!」
それまで黙って聞いていた覚が、初めて口をきいた。
「たしか、あけぼのホームは、一昨年も不祥事がありましたね」
言われなくても、則平はよく覚えていた。
一昨年の夏、ある熟年夫婦から、あけぼのホームに入所している認知症の母親が虐待されている、とクレームがついた。
さっそくセンターの係員がホームに出向いて、調査をした。年は食ってもまだ新人だった則平も、その係員の助手として同行した。
確かに、虐待を受けていると言われた老人の体には、不自然な痣が数か所あった。
調べが進むにつれ、他の老人たちにも同様の痣があった。いずれも認知症の老人ばかりだった。そのうち内部告発者が出てきて、若い男の介護職員が、老人に暴力をふるっていたことが判明した。結局、その介護員は刑事告訴され、実刑判決を受けた。
則平は木原覚に訊いた。
「お前は、あけぼのホーム自体に、何か問題があると言うのか」
覚はあいまいに肩をすくめただけだった。