目 次
あけぼの町物語(前編) - 第6章 偏屈のりべー(1)
(1)

槌谷則平(つちやのりへい)は、女運のない男だとみられている。
30歳の時、8つ年下の女と結婚したが、ひとり娘を産んだあとすぐに病死した。
2番目の妻には1年と経たずに逃げられた。3番目の妻はすこし長続きしたが、それでも5年と持たなかった。
則平を知る人間は、運の悪さより、彼の風貌から想像することのせいにした。
丸く剥げ上がったおでこに赤ら顔。大きなナスビ鼻と分厚い唇。眼は細くて、眠っているのか起きているのか分からない。背は低く、どちらかといえば筋肉質の体型である。
そんな風采をしているので、人からもっともらしいことを言われる。
「槌谷は相当の好き者だよ。だから逆に、女と縁が無いのさ」
つまり――最初の女房は、夜毎の房事が過ぎてハメ殺した。2番目と3番目の女房は、求めが激しすぎて、嫌になって逃げだした――と言うのだ。
しかし、事実は違っていた。
則平には、ひそかに隠していることがあった。彼が精力絶倫であるのは確かだが、興味があるのは年配の男性だった。
最初の妻が死んだあと、2番目3番目の妻を迎えたのは、幼い一人娘の乳母替わりが目的だった。結局その役割は、老いた母親が引き受けたのだが。

則平の性癖は生い立ちからきている。
両親は早くに離婚して、則平は父親の温もりを知らずに育った。そのことが、彼の性格を微妙に歪めた。同じ年頃のいじめっ子に対する反発と、父親の年代の男性に対する憧憬の念である。
大きな体をした力持ちの男にあこがれだしたのは、7歳の時、祖父に連れられて、スーパーマンの映画を見たときからだ。以来、自分自身がそうなるのを夢見てきた。祖父の勧めで小学生の時から、合気道の道場にも通った。
しかし、彼の体はいつまでたっても、小さい部類だった。
それでも、学校のクラス仲間に一目置かれていた。体は小さいが、合気道をやっているお蔭で体育は何でもこなした。しかも頭は抜群に良く、いつもトップの成績だった。
思春期をむかえた頃、人並みに体のあちこちに毛が生えたが、相変わらず小柄だった。
彼は負けん気が強かったので、ときどき体の大きな男子生徒と衝突した。しかし、中途半端な合気道ではとうてい通用せず、いつもボッコボコにやられて泣きを見た。
そんなことの繰り返しで、彼の性格はねじ曲がってきた。人が右と言えば、左と言う。自分が間違っていると分かっていてもだ。
彼が「偏屈のりべー」と言われだしたのは、この頃からである。

則平が年配の男性に対して明確な恋情を抱いたのは、大学入試のため、高校3年の1年間だけ学習塾に通ったときだった。
その塾に、畑(はた)という名前の国語教師がいた。年の頃70歳くらい、血色の好い穏やかな顔と、物事に拘泥しないおおらかな性格をしていた。彼のでっぷりと太った体と大きな尻は、見ていて微笑みを誘う愛嬌があった。
則平はこの先生の授業が楽しみだった。授業の内容よりも、先生のふくよかな姿に見とれた。肉付きの良い幅広の顔にくらべ、目鼻立ちは小作りで、ピンク色の艶やかな唇が可愛らしかった。先生が黒板に筆記するとき、ふっくらとした指の付け根にできる淡い窪み、ズボンの布地を張り詰めた豊満な臀部のふくらみ――それらひとつひとつが、学習机から食い入るように見る、則平の生殖細胞を刺激した。

塾の夏季合宿のときだった。
塾生と数人の教師たちが参加して、那須塩原の温泉地に行った。その中に、則平と畑先生も加わっていた。
勉強の合間にハイキングやバーベキューを楽しんだ。すべてが解放感に溢れていた。偏屈な則平でさえ、無邪気に大自然の生活を満喫していた。
渓流沿いの露天風呂は野趣あふれるところだった。白日のもと、湯は透明感に溢れ、すべてが明確過ぎるほどくっきりとしていた。
塾生たちと一緒に露天風呂に入ろうとする、畑先生の裸体を目にしたとき、則平は息も止まるほどの衝撃を受けた。
まろやかな柔らか味をおびた乳白色の肉体――先生が小腰を屈めたとき、豊満な尻があらわに見えた。染みひとつない白い双丘、淡いピンクに色づいた谷間、軟らかく口を閉ざした菊座――。
それらは強烈な印象として、則平の脳裏に刻み込まれた。



社会人になって、地元市役所で働きだしてからの則平は、あまり恵まれた境遇とは言えなかった。
その原因の大半は彼自身にあった。頭脳は優れているのに偏屈な性格が災いした。役所では、知識の深さより世渡りのうまさが重宝されるのだ。
そんなわけで、彼はひとところの部署に落ち着くこともなく、あちこちの部署をたらい回しされた。
しかし偏屈は偏屈なりに、その能力を買う人間もいた。則平が最後に配属された総務部の部長、中野和善はそんな人間の一人だった。
中野は則平より5つ年上だが、歳の差以上に貫禄があった。でっぷりと肥っており、非常に温厚な男だった。
その部長のもとで、気難しい則平が従順に働きだした。これには、則平を知るほかの職員たちも驚いた。中野はざっくばらんな男で、誰に対しても気軽に口をきいた。それでも彼なりに、部下の操縦法は掴んでいるようだ。
則平が、課長から仕事を命じられてごねているときなど、中野は則平でなく課長のほうを呼んだ。それから、あの仕事はどうなってるかね、と訊く。
課長が、屁理屈ばかり言って仕事をやろうとしない則平のことを報告しだすと、それを遮ってきっぱりと言う。
「あの仕事は、槌谷くんしかこなせない難しい仕事だ。とにかく彼にお願いして、やってもらいなさい」
そこで、耳をそばだてて聞いている則平に初めて気づいたように、「あ、槌谷くん、よろしく頼むね」と言って、にっこりと笑いかける。
結局、則平はその仕事をやらざるを得なくなるが、けっこう機嫌よく、いつにも増して熱心に取り組んでいる。

仕事場に比べ、則平の私生活は充実していた。一人娘、千佳子の成長を見ているだけで幸せだった。
千佳子は小柄なところだけ父親に似たが、色が白くて均整のとれた身体つきは、母親似だった。頑固者を絵に描いたような不愛想な則平にくらべ、千佳子は愛嬌があって、器量も良かった。
二人が並んだところを他人が見たら、まず親子と思う者はいないだろう。
その千佳子が成人式を迎えたとき、則平は52歳になっていた。そしてこの年、男色初体験をした。そのお相手は、彼の思い描く理想像――遠い昔、密かに思いを寄せた畑先生のようなふくよかな年配者――とは、ほど遠かった。
酒好きの則平は、ときどきひとりで居酒屋に行った。この日は気分が良かったので、裏町に入り込んでハシゴした。「雅」という初めての店に入ったが、そこがホモバーだというのはあとで知った。
60前後の丸っこい男がひとり、カウンターの中にいた。
マスターは愛想よく則平に笑いかけ、空いたカウンター席を勧めた。客は4,5人ほどいて、落ち着いた雰囲気の店だった。
その中で、ひとりだけ店の雰囲気にそぐわない男がいた。年齢不詳、性別不明といった風貌の男で、博多弁や関西弁をちゃんぽんにして賑やかにしゃべっていた。

その男が則平にちょっかいを出した。
「あんしゃん、うちのタイプよ。ねえ、今晩、うちんとこきんしゃい。ねぶったるけ」少し置いて「それか、もーもーしちゃろか」と言って、きゃーと奇声をあげる。
「なんだ、もーもーって?」
則平がぶすっとして聞くと、男は「もーもー牛さんは四つん這い」と言ったあと、「きゃー、恥ずかしか!」と再び奇声をあげる。
(あほか、こいつ)
則平は思ったが、その男が気前よく自分のボトルからウィスキーを注いでくれるので、遠慮なくいただくことにした。タダ酒ほどうまいものは無い。
男は、「うち、司郎やからシローちゃんて呼んでね」と言って、今度は則平の名前をしつこく聞いてくる。
うるさいので、則平と名乗ると、「じゃあ、ノンちゃんね」などと馴れ馴れしく呼ぶ。
タイプでもない男に絡まれて、無視しても良かったが、男が調子よくウィスキーを注いでくれるものだから、つい長居しすぎた。
則平は酒が強いほうだったが、そのうち世界がまわりだした。

翌朝、則平は見知らぬ部屋で寝覚めた。布団の中で、自分が裸なのに気づく。
そのときティーバック姿のシローがあらわれた。
「もう、ノンちゃんたら、激しいんやから。お尻が壊れるか思うた」
そこでニッと白い歯を見せて、「それにノンちゃんのお尻って、かわいい。丸うお肉ばついて切込みが鋭いのよ。ウケとしても上品(じょうぼん)やわあ」
則平はあわてて自分の尻に手をやった。どうやら無事だったようだ。

シローを抱いた翌週のことである。役所で事務仕事をしていると、突然聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「ノンシャンおると?」
顔を上げると、カウンターのところにシローがいて、大部屋の中を見回している。それも目立つ女の服装をして――。
(やばい!)
則平は即座に机の陰にしゃがみ込んだ。
それを中野部長が不審そうに見た。
「槌谷くん、どうかしたのかね?」
「いえ、急に差し込みがきまして――」
則平は腹を押えて、前かがみに部屋の端に向かった。廊下に出て横目で見ると、シローがにんまりしてこちらに向かっている。
トイレ脇の自販機コーナーでペットボトルを買って、ようやく振り返った。シローが満面の笑みを浮かべて立っている。
「役所で大声出すな。女の格好で――みんな見てるんだぞ」
「うちゃーアッパラパーやけん、そげなことちーとも気にならん」
「バカ!標準語を話せ。俺が気にしてるんだよ。こんなところに来るな」
「そげなこと言うたち」シローは口をとんがらせて、今度は関西なまりを入れてきた。「税金納めにきたんや。うちかて立派な市民やし」
本人としては、標準語のつもりだろう。
「ああ、お前は立派な納税者だし、立派な大人だよ。下の毛も立派に生えてるんだろ」
「いやだ、ノンちゃんたら」
シローは則平の胸をどんと突いた。「うちが剃ってんの知っとるくせに」
そのとき後ろから声がした。
「槌谷くん、お友達?」
振り返ると中野部長の姿がアップで目に入った。則平は飲みかけのウーロン茶を、ブッと噴き出した。
「あっ、ごめんなさい。いや、友達なんて仲じゃあ――」
しどろもどろに言い訳する則平に、部長はウーロン茶のかかった袖をハンカチで拭きながら、意味ありげに微笑んだ。
「きみも交際範囲が広いねえ。まあ、ゆっくりしてなさい」
部長は自販機で缶コーヒーを買うと、ゆったりと歩み去った。その豊満な尻をねっとりとした目つきで見ながら、シローが言った。
「ねえ、あの人、ノンちゃんのいい人?」
[17/02/13 07:37 神亀]
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