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悠久の彼方へ - (3)イザナミの死と黄泉の国
(3)イザナミの死と黄泉の国

7月も半ばを過ぎた未明、ホンジとアレは馬の手綱を引いて家を出た。旅のことは官邸にしか届けていないので、見送る者は誰もいなかった。
いよいよ出雲の国への旅立ちである。

中大兄皇子による大化の改新のあと、大化2年(646年)に改新の詔が宣布されて、四箇条による政治の基本方針が示された。そのひとつに交通制度を整える項目があり、道路や地方の機関が整備されてきた。
ホンジとアレは公用旅行者の証を政庁から発行して貰っていたので、郡家(グウケ)の在るところは宿泊や食料を提供して貰えることになっていた。また必要であれば伝馬も借りれたが、今は帝から借り受けた馬がいるので、当面は必要ない。
道路種別は、駅路と伝路に分けて整備されていたが、重複する区間もある。また道路等級は3段階に分かれていた。畿内主要道路は大路として整備されていたが、用途や地方によって、中路、小路というように、道幅も整備状況も変わってくる。
それに道の標識がすべて整えられているわけではないので、道が分岐しているところでは迷うこともあった。人がいれば道を聞くことも出来たが、殆どは太陽の位置から推測して、勘で方向を決めた。アレは地図を持っていたが、童が描いたような稚拙なものだった。それでも、ないよりはましであった。

最初の夜は大きな木の下で野宿した。季節はすでに夏に入っていたので、寒くはなかったが、外で寝ることに慣れていない二人は、熟睡できていなかった。
山城を抜け、近江の瀬田に入ったところで琵琶湖が見えてきた。都を出て3日目のことだった。
二人は湖岸まで行って、裸になると水に入った。ひんやりとした水温が、気持ち良かった。二人が身体を洗う間、馬たちはのんびりと水を飲んでいた。
アレの白い肢体が湖面に映えて、女体のように艶めかしい。それを眩そうに見るホンジの思いは、下腹部に表れていた。肉太いヘノコが頭をもたげて、カリの発達した禍々しい形状になっている。
それに気づかないふりをして、アレが声をかけた。
「ホンジさま、今日は寄り道をして、大津宮の跡まで行って一泊しませんか。運が良ければ、家の中で夜露を凌ぐことができるかも知れません」

琵琶湖西側の道を歩いているときだった。
「ホンジさま、待って!」
アレが先を行くホンジを引き止めた。彼はその場にしゃがみ込むと、道の上に革袋から水を注いだ。それを指でかき混ぜて、できた泥を顔や腕、足首に塗りつけた。
(せっかく身体を洗ったのに)
不審に思うホンジに向かって、アレは馬の陰に隠れるようにして言った。
「向こうに破落戸どもらしき男たちがいます。私は身体が小さくて女のように色白ですから、前に危険な目にあったことがあります。だから用心のためです」
ホンジがうかがい見ると、4、5人の男たちが道の端にたむろしていた。ボロを纏い、見るからに荒んだ顔つきをしている。
「アレ、馬に乗れ」
ホンジは即座に言った。
「だって私はまだ、馬を乗りこなせません」
アレが逡巡すると、ホンジが急かせた。
「手綱はわしが持ってやる。いいから早く乗れ」

ホンジは腰の剣を確認し、自分の馬とアレの乗る馬の手綱を持って、歩きはじめた。
「いいか、背筋を伸ばして堂々としておれ」
アレに指示しながら、ホンジは悠然とした足取りで前に進んだ。
男たちは胡散臭い目つきで、近づく二人連れを見ていた。
男たちの所まで来ると、ホンジは、中でも気の弱そうな顔をした男をじろりと睨んで、堂々とした声で言った。
「ちとものを訪ねるが、大津の宮跡に行くのは、この道でいいのか」
「へえ、この道をまっすぐ行けば、ほどなく着きます」
睨まれた男は、ホンジの貫録に負けたのか、素直に答えた。
「世話をかけた」
ホンジは言うとそのまま通り抜けた。神経だけは研ぎ澄ませていた。

男たちは襲ってこなかった。しばらく歩いて、二人はホッとして緊張を解いた。
「さすがホンジさまです。どちらが破落戸か分からないほどの迫力がありました」
茶化すアレをじろりと見上げて、ホンジは言った。
「遠くから見てよく気づいたな。しかし阿奴ら、破落戸どころか山賊だ。剣を隠し持っている男もいた。油断してたら殺されて、身ぐるみ剥がされていたやも知れん」
「ひっ!」
馬上でアレが、縮み上がった。
それを横目に、ホンジは天を振り仰いだ。
「今度は、空の雲行きが怪しくなってきた。先を急ごう、雨が降りそうだ」

都跡に着く直前から、雨が降り出した。
近江大津宮は中大兄皇子(天智天皇)により造営され、わずか5年にして飛鳥浄御原宮に遷都された。
前に住んでいた懐かしい都だったが、宮殿内は見る影もなく寂れている。しかし、民家は生活をつづけていた。その内のひとつに住まう老婆が、雨に濡れた二人を見て、隣の家が空いているからそこで雨宿りをすればいい、と教えてくれた。
結局二人は、その家で一夜を明かすことにした。先ほどの老婆が親切にも、蓮の葉に包んだ炊き玄米と、茄子と瓜の漬物を持ってきてくれた。
思いがけないご馳走だった。お返しに、貴重な薬草を老婆に分けてやった。

【イザナキとイザナミは国生みを終えてからも、子づくりに励みました。
今度は神生みです。まずオホコトオシヲ(大事忍男神)を始め、門戸の神、家の神など住居に関する神々を生んでいきました。次に海の神、山の神、風の神など、自然現象を司る神々を生み、続いて水の神、食物の神など生産に関わる神々を生んでいきました。さらに、生まれた神同士で、神生みが始まりました。
ところが、イザナミが火の神ヤギハヤオ(火之夜芸速男神)を生んだ際、陰部に大火傷を負ってしまいました。病床で苦しみながらも、嘔吐物や糞尿から六柱の神々が生まれますが、とうとう力尽きてしまいました。そのときイザナキが流した涙から、泉の神ナキサハメ(泣沢女神)が生まれました。
イザナミの亡骸を比婆山に葬りますが、怒りを抑えきれないイザナキは、ヤギハヤオの首を切り落としてしまいます。そこでも剣先や鍔、柄から落ちた血から、八柱の神々が生まれました】

ホンジとアレは、空き家に泊まった夜、合体転移の術を使って、イザナキとイザナミによる神生みの情景を見た。現れた情景は、だいぶくっきりと見えるようになっていた。それだけ二人の相手に対する思いも、深まってきたという証だった。
しかしホンジにとって、具合の悪いことがあった。
幻視が終わって現実世界に戻ってきたとき、交合しておきながら最後まで到達していない欲求不満が残った。精の放出欲望は、今や気が狂わんばかりに強まっていた。
彼の気持ちを汲み取って、アレが言った。
「私を心から愛してくれるのなら、最後までやらせてあげます」

男を抱くことに抵抗を覚える気持ちなど、完全に失せていた。ホンジはアレを抱き寄せると、唇を吸い、乳首に舌を這わせ、なめらかな肌を愛撫した。気持ちが高まると、逆さ絵の要領で、お互いの陰部を口で慰め合った。
そして――仰向けになり身体を開いたアレに覆いかぶさって、甘美な菊の蕾を押し開いていった。
今度は心置きなく腰をうねらせた。膨れ上がったヘノコが、肉の襞をこすりながら行き来する。うっすらと目を閉じたアレの顔が、悩ましげに左右に揺れている。
うねりは高く、高く――息の止まるような絶頂が襲ってきた。



二人は大津宮跡からいったん南に戻り、それから丹波へ行く駅路を歩きだした。山陰道を通って、但馬から稲羽(因幡)へ抜け、出雲に行こうとしたのだ。
しかし、駅路と言っても幅の狭い小路である。ときどき慣れるために乗馬したが、いつ馬が道を逸れないかと緊張しっぱなしだった。
群家の存在は、旅を続ける二人にとって、大変ありがたいものだった。公用の旅行者に宿と食べ物を提供してくれ、不足物資の補充も出来るからだ。
しかし、まだ群家の配置は充分ではなかった。暗くなってきても、民家すらない山道もあった。その時はやむを得ず、野宿するしかなかった。
そんな状況の時、アレが意外な才能をみせた。
布の袋から炭を出して地面に置き、鉄と石英を打ち合わせて火花を出す。炭に落ちた火花が火を点けたところで、息を吹きかけながら枯れ枝に火を移す。そして最後は拾ってきた薪が炎を上げて燃え出す。
料理の方も手際が良かった。鉄なべに米と水を入れ、熾した火の回りに積んだ石の上に置く。米がやわらかくなったところで、塩と味噌を溶かし入れる。それに来る途中で採取した、野菜類やキノコを一緒に入れて煮る。
即席の粥料理だが、これがまたうまい。

ホンジは飯を食べながら、前から不思議に思っていたことを聞いた。
「アレは、ずいぶんいろんなことを知ってるな。どうしてそのような知識があるのか、不思議だ」
「私が子供の頃、父に教わりました」
アレは問わず語りに話しだした。「父は若い頃、百済に行ったり、遣唐使として唐に渡ったりして、色んなことを学びました。中大兄皇子さまのもとで国博士をやったこともあります。ですから父は、幅広い知識を身につけていました」
アレは微笑んだ。「というわけで、私が物知りなのは、父のお陰です」

【死んだイザナミがどうしても忘れられず、イザナキは死者の国である黄泉国に行きました。しかし、黄泉国の食べ物を口にしたイザナミは、もとの世界へ戻れない身となっていました。
それでもイザナミは、「黄泉国の神に、あなたのもとに戻れるよう掛け合ってみます。その間、私の姿を見ないでください」と言って立ち去ります。
ところがイザナキは、イザナミの姿を覗き見てしまいました。目に映ったのは、体中にウジ虫がたかり、八柱の雷神が湧き出す醜い姿でした。
イザナキが恐れをなして逃げ出すと、怒ったイザナミは、黄泉国の兵らを差し向けました。逃げながらイザナキが髪飾りを捨てると、山ブドウの実が生り、櫛の歯を捨てるとタケノコが生えました。それを追っ手が食べている間に難を逃れました。
次に雷神が軍を率いて現れ、黄泉国と現生の境にある、黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)まで押し寄せてきたとき、イザナキはそこに生っていた桃をぶつけて撃退しました。
最後はイザナミ自らが追って来ましたが、黄泉比良坂を大岩で塞ぎました。
大岩を挟んでイザナミは言いました。「こんなひどい仕打ちをなさるのなら、一日に千人を絞め殺します」と。
イザナキは、「それなら私は一日に千五百人の子供を産ませよう」と応えました。
これを最後に、二柱の神は永遠の決別を迎えたのでした】

二人は稲羽国から伯岐(伯耆)国を通り、都を出て20日目に出雲国に入った。
しかし、イザナミの亡骸を葬ったとされる、伯岐と出雲の国境にある比婆山や、黄泉国への入口とする伝説が残る黄泉比良坂を訪れたが、心に響いてくるものは見いだせなかった。しかし土地の者に聞いた話では、確かに神話と符合する言い伝えは残っているようだ。
出雲の立派な群家に泊まった夜、二人は合体転移の術を使って、黄泉国で起こった一連の情景を見た。
ホンジは、幻視でみる鮮やかな情景と、実際に訪れた土地の平穏な景色との違いに、少し落胆した。
[19/05/13 08:00 神亀]
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