■ カンパニー(最終章 対 決) - (エピローグ)
(エピローグ)
神山一郎と今井京子は、初夏の陽光に包まれた庭園に出て、ガーデンチェアに腰掛けていた。下の孫の誕生日に、京子が早紀を連れて一郎の屋敷を訪れたのだ。
「早紀さんは子供ができたそうですね。予定日はいつですか?」
一郎がおだやかに話しかけ、京子はしっとりとほほ笑んだ。
「来年1月の予定ですわ」
「それはお楽しみだ。子供は多いほうがいい――」
京子は、かつて自分が密かな思いを抱いていた男を、まぶしそうに見た。その男は今、髪に白いものが目立ち、年相応にすっかり温厚な顔つきになっている。それでも、彼女が若い頃に胸をときめかした、涼やかな瞳は昔のままだった。
「尚子も予定は10月でしょう。一郎さんも先々お楽しみですわね?」
「ああ――剛のやつ、結婚前にけしからんことをして」
「いいじゃないですか。若い人たちは、あまり慣習にこだわりませんから」
「ほう、京子さんはお若い考え方をされるのですね」
一郎の言葉に、京子はめずらしくはにかんだ表情をした。
「あら、いやですわ。こんなお婆ちゃんをからかったりして」
「お婆ちゃんだなんて――。いや、あなたはお若い。それに、とてもお奇麗だ」
「そんなお世辞を言われると、私も本気にしますわよ」
「いや、私は心底そう思っているんです。あなたは本当に魅力的な方だ」
一郎は熱っぽい口調で言った。
そこで二人は顔を見合わせて、恥ずかしそうに微笑んだ。
「あら、二人とも初な恋人同士のよう――愛の語らいでもしていらっしゃるの?」
いつのまにか尚子が来ていた。その後ろには飲み物を載せたトレイを押す早紀がいた。
「尚子、親をからかうものじゃありません」
京子がうろたえて、娘をにらみつけた。
「あら、お母さま、お顔が赤いわ」
「お姉さま――」
背後から、早紀が姉をたしなめた。
「まあ、二人とも、ここに掛けなさい」
一郎が若い二人に椅子を勧めた。二人が腰掛けると、尚子に向かって聞いた。
「子供たちはどうしているんだね?」
「近くの公園に行ってますわ。宮内が一緒です」
「子供たちはどうなの――剛さんと」京子が聞いた。
「新しいお父さんに、けっこう馴染んでるみたいよ」
「そう――それはよかったわ。で、剛さんは今、どこに行ってるの?」
「あら、お母さまはご存じなかったの?義彦さまとお客さまのお宅に出かけてますわ」
京子は甥に社長の座をゆずって、自分は会長職に退いていた。
「そう。お休みの日だというのにご苦労さまね。でも、足のほうは大丈夫なの?」
母の言葉に、尚子があっけらかんと笑った。
「あら、お母さま。剛は少々のことで、家にじっとしている男じゃないわ。それに、お仕事とは限らないわ。案外どこかで浮気でもしてるんじゃないの?」
京子は娘の言葉にあわてた。
「あなた、自分の主人のことを、何てこと言うの」
「いいのよ。私と剛は結婚するとき約束したの。子供たちを不幸にすることだけは、絶対にしない。それ以外はお互いに干渉しないって」
「でも、あなた、そんなことって――」
京子は唖然として、二の句が告げなかった。
尚子は明るく笑った。
「剛が真面目人間になるなんて、はなから期待していないわ。あの人の浮気性は、治りようがないもの」
「私もそう思う」
横から一郎が言った。「だいたい剛は、一人よがりで、わがままな男だ。その点、尚子さんには感謝しているよ。あんな男を、拾ってくれたんだから」
尚子と早紀が、顔を見合わせた。
京子が、その場をとりなすように言った。
「あら、一郎さん。剛さんは行動力のある立派な男性ですわ。今回の事件だって、彼のお陰で解決したのですから」
一郎は鼻を鳴らした。
「私は剛に対して、あなたとは別の考えを持っていますが――まあ、いいでしょう」
そこで物静かに聞いている早紀のほうを見た。「それにしても、早紀さんの旦那さまはよく出来た男だ。性格がまっすぐで、好感が持てる。あんな男を、真に実力のある男と言うんでしょうな」
「あら、伯父さま――誉め過ぎですわ」
早紀が恥ずかしそうに微笑んだ。
「一平くんはどこに行ってるの?休みに二人が一緒でないなんて珍しいな」
「一平さんも仕事なんです。東都美術館の篠山館長のところに行っています」
早紀はそう言うと、夫の帰りを待ちわびるように、遠くを眺めた。
剛は今井社長といっしょに、アルファ商事の白取会長の自宅を訪れていた。今井が白取会長と面識があったので、取り引きのお願いで一緒に来たのだ。
「ほう、きみが神山剛くんか。惚れ惚れするようないい男だな」
白取会長はソファーに腰掛けると、泰然として剛を見た。「きみのお父さんも大きい方だけど、きみも背が高いな」
剛はつい先日、神山家に入籍したばかりだった。白取会長と父のつきあいが深そうなようすに、彼は内心いやな予感がしていた。
「ところできみは、お父さんをどう思っているの?」
剛はすかさず答えた。
「もちろん父を尊敬しています」
「ほう、わしが聞いた話とは違う」
白取は、独り言のようにつぶやいた。
「どう違うんですか?」
「いや、何となくきみたちが反目しあっているように感じたんだ。実は、きみのお父さんとは、ときどき会っているんだ」
剛はますます嫌な予感がしたが、気を取り直して言った。
「父はずいぶん、私のことを話したんでしょうね?」
「いろいろとね。きみが腹黒い策士だとか、おつむが軽くて、底の浅い男だとか――」
白取はずけずけと言いかけて、あわてて手を振った。「誤解しないでくれよ、わしが言ってるんじゃない。きみのお父さんの言葉だからね」
「分かっています。しかし、父も面白いことを言いますね。だいたい身内の悪口を他人に言うなんて、人格を疑いますよ」
「――」
「息子の私が言うのも何ですが、父はちょっと狭量なところがありまして」
「――」
「いや、お恥ずかしい限りです」
剛がため息をつくと、白取は思いついたように言った。
「こんどきみのお父さんと一緒に、ゴルフをやらないか?」
剛は、えっと言うように白取の顔を見た。
白取は今井に向かって言った。
「どうです、今井さん。あなたもご一緒に?」
「わかりました。でもぼくは、ゴルフがへたくそでして」
今井が慎重な口ぶりで答えた。
「いいじゃないですか。ゴルフはスコアじゃない。楽しむものですよ」
白取が泰然とほほえんで、剛に訊いた。「ゴルフの腕前はお父さんとどちらが上かな?」
「さあ、しばらく一緒に回っていないんで――。それに、父がいる前では、ゴルフの話題を出さないことにしています」
「どうしてゴルフの話をしないんだね」
「一緒にプレーしていて、途中でやめちゃったことがあります。それ以来です」
「どうして、途中でやめたんだね?」
「父がうるさく指導するからです。やれ腰が回ってない、グリップがきつすぎる、足が動きすぎだ、とうるさいったらありゃしない。それで、クラブを抛っぽり出して、帰っちゃいました」
「ふーん――しかし、これで納得がいったな」
白取がうなずきながら言った。
「なにがです?」
「きみのお父さんが言ってたことを思い出したんだ。息子がゴルフで追いつくのは、百年早いって」
「へーえ、また父も大きく出たもんですね。もともと誇大妄想気味でしたが」
剛はわざとらしく笑って、きっぱりと言った。「いいでしょう、今度勝負しましょう」
「これは面白くなってきたな。じゃあ、ゴルフを楽しみにしているよ」
白取に一杯食わされたと思ったが、剛は黙って頭を下げた。今日はこの後、病院に行く予定があった。
「あのう、パンツも脱ぐんですか?」
「当たり前だよ、きみ。全裸じゃないと芸術作品にならん。さあ、その邪魔なものを早く取って」
一平は、東都美術館の館長、篠山のアトリエに来ていた。課長の命令で、写真のモデルになれと言われたのだ。
最初、彼は命令に渋った。京都に行ったとき、篠山の人と成りはじゅうぶん知っていたからだ。しかし彼のささやかな抵抗も、すぐ腰砕けになった。神山剛は、腹の底まで冷えびえとしてくる目つきで一平をにらみつけ、押し殺した声で言ったのだ。
「おや、きみは篠山さんの頼みを断るっていうのか。せっかく彼が、わが社を東都写真展の協賛会社にしてやると言ってるのに。それがフイになったら、さぞかし大石部長が、がっかりするだろうな。――それでも断るんだな?」
一平は命令に従わざるをえなかった。そして今、篠山館長は、期待を込めた目つきで彼を見つめていた。
一平はおずおずと、身につけた最後の一枚を脱いだ。
「ほう、思った通りだ。きみはかわいらしいお尻をしてるね。くりっと引き締まって、それに形がいい」
篠山は、彼の体をじっくりと観察しながら言った。「男のお道具も立派だ。なかなか力感的な形をしている。さすが剛くんが推薦しただけあるな」
一平は、人身売買された奴隷になったような気がしていた。それに、年取った天使のような篠山は、可愛らしいだけに不気味だった。
「さ、さ、まずはその長椅子に横たわって。――違う。右手はこちらに置いて――」
篠山のやわらかい手が体を弄り回して、一平は生きた心地がしなかった。彼はあられもないポーズを取りながら、自分がなさけなかった。
(こんな格好を早紀が見たら、なんと思うだろうな)
彼はふと新妻の顔を思い浮かべた。彼の子を宿した彼女は、近頃ますます美しくなっている。それに、ほんのりとした色気も出てきた。
(いけない!)一平はあわてた。早紀のことを考えていると、体の一部が、都合の悪い変化を起こしたからだ。
それに篠山が、目ざとく気づいた。
「おや、すばらしい。――ひらめいたぞ。恋人の白昼夢をみる青年の姿だ」
彼は嬉しそうに言った。「きみ、もうちょっと局部に力を漲らせてくれんか。怒髪天を突くって感じでね」
「そんなこと――できませんよ」
「そうかい。じゃあ、私が元気にしてあげよう」
篠山が目を輝かせながら近づいてきた。
一平は悲鳴を上げて、寝椅子から跳ね起きた。
病棟は見舞い客でにぎわっていた。受付で聞いた病室のドアを開けると、藤沢がベッドに横たわっていた。首にギプスがはめられている。
藤沢の脈を計っていた看護婦が、剛の姿を見て立ちあがり、部屋を出て行った。
剛は、藤沢が見やすいように上体を乗り出して、藤沢の正面に自分の顔をもっていった。
「やあ、だいぶよくなったようですね。顔色がすごくいいですよ」
藤沢がうなずくかわりに微笑んだ。
「ああ、この窮屈さをのぞけば、体の調子はすごくいいよ」
「それはよかった――ギプスはいつ取れるんですか?」
「あと3週間くらいかな。首の回復次第だ」
顔を固定された藤沢は、しゃべり辛そうだった。それでも、看護婦が髭を剃ってやってるのか、頬も顎も艶やかで血色がよかった。
「先だって刑事さんが来たけど、榎本は捕まったそうだね?」
「ええ。それに彼が雇った殺し屋もね」
「きみのお兄さんは――彼らに殺されたのかい?」
「ええ。榎本が白状しました」
藤沢はしばし沈黙した。それから言った。
「宮内くんに聞いたけど、きみはお兄さんの奥さんと再婚したそうだね」
「ええ――宮内がここに来ましたか?親子三代、にぎやかに暮らしていますよ」
「そう――」
藤沢は物思いにふけるように目を閉じた。
面会時間は限られていた。剛は藤沢の体調を考えて早々に別れを告げた。
「じゃあ、私は失礼します。藤沢さんには、お話したいことがたくさんありますが、またの機会にしましょう」
藤沢が目を開けた。その顔に、名残惜しそうな表情が浮かんだ。
剛は思いを込めて、藤沢の手を握った。それから身を乗り出すと、年配者の唇にそっと口づけした。
驚く藤沢に向かって彼は言った。
「これは兄に代わってやりました。兄はあなたをモノにしたかったそうです。でもこんなチャンスは、あなたが動けない今しかないですからね」
彼はウインクして、ベッドから離れた。
「社長――」
藤沢のつぶやき声が聞こえた。
剛は立ち止まると、いぶかしげにベッドのほうを振り返った。
「何か言いましたか?」
「いや――ふと、きみが薫社長のように思えて――」
剛はニヤリとした。
「月並みな言い方かも知れませんが、兄は私の心の中に生きています。じゃあ、また」
彼は敬礼するように片手をあげ、それから病室を出ていった。
完