■ カンパニー(最終章 対 決) - (11)
(11)
一平と早紀は海辺の木陰に立って、サンセットの壮大な光景を眺めていた。金色の光が海の水平線に沈むにつれ、明るく輝いていた空がオレンジ色に染まり、じょじょに色濃く、明度を落としていった。
「すごい。こんな壮麗な光景は、何度見ても飽きないな」
一平は感動して言った。
「きのうよりも奇麗だわ。雲がないせいでしょう」
早紀が相槌を打って、一平に寄り添った。それから幸せそうに言った。
「こうして一平さんとハワイにいるなんて、なんだか夢みたい。このまま、この島で暮らしたい気分だわ」
「おいおい、前にも同じせりふを聞いた覚えがあるよ。たしか福岡のレストランだったな」
「いじわる」
早紀が一平の腕を締めつけた。
一平はすかさず早紀の体を抱きしめた。早紀が顔を仰向けて、彼の顔を見上げた。
「愛してる――」
一平がささやいた。
「私も大好き」
早紀がこたえた。
二人はそっと口づけした。
彼らはマウイ島にやってきた夜、初めて愛し合った。目くるめく興奮の一夜だった。苦痛の喘ぎと甘美な吐息。二人は本能のおもむくままに、お互いの体を求め合った。終わったとき、彼女は涙を滲ませて一平にしがみついてきた。
「好きだった。ずっと好きだったの」
「ぼくも好きだった。でもきみは社長令嬢だから、遠慮していたんだ」
「いつからそう思ってたの」
「きみに初めて会ったとき。ほら公園で。まてよ、その前に、会社できみを見かけたときだ。総務部で」
その夜、二人はこれまでの会話を合計した以上の、思いつく限りの話をした。家族のこと、自分のこと、小さいときの思い出。話が尽きると、ふたたび愛し合った。彼らが眠りについたのは、空が白み始めた頃だった。
「そろそろ帰ろうか。ケイトがしびれを切らして待ってるよ」
一平は、口付けの興奮に息を弾ませて言った。
ケイトは中年の白人女性で、ロッジの主がいるときだけ、食事やらなにやら世話をしてくれるメイドだった。
二人は手をつないで、ロッジに向かって歩き始めた。そのロッジは、早紀の父親が建てた別荘だった。3ベッドルームの瀟洒な建物で、テラスにつづく広いリビングが、亡き今井良尚の自慢だった。
「ただいま、ケイト」
建物に入ると、早紀が明るい声で呼びかけた。しかし、メイドの返事はなかった。
「ケイト、どこにいるの?――帰っちゃたのかしら」
メイドの姿は、ダイニングルームにもキッチンにも見当たらなかった。ダイニングテーブルには、彼女の用意した料理が乗っていた。
「ぼくたちの帰りが遅いんで、帰っちゃったんだよ」
一平はテーブルの料理を見ながら言った。
「そうらしいわね。私は手を洗ってくる。待ってて、まだ食べ物に手をつけちゃ駄目よ」
早紀はバスルームに入りながら言った。
「キャーッ!」
彼女の悲鳴が聞こえてきた。
「どうしたっ?」
駆けつけた一平は、バスルームの中を見て、立ちすくんだ。メイドが床に倒れていた。その顔が、ありえない方向に捻じ曲がっていた。彼女がすでに息をしていないのは、一目瞭然だった。
早紀が一平にしがみついた。その体が、おこりにかかったように震えている。
「誰がこんなことをやったんだ?ひどいことを――。早紀さん、しっかりして。警察に電話するんだ」
二人は抱き合ったまま、リビングの電話機のところに向かった。
一平が受話器を取った。
「切れてる――」
彼は呆然として、コードの切れた受話器を見つめた。
そこでハッと気づいて、早口で言った。
「この家は危険だ。早く外に出よう。外に出たら、近くの家まで走るんだよ」
彼は早紀の手をひいて、リビングを横切った。
リビングを出たところで、一平は首筋に激痛を覚えて、床に沈み込んだ。もうろうとした意識の中で、早紀の悲鳴が聞こえた。首がもげたように痛かった。彼は我慢して顔を上げた。背の高い男が、早紀を部屋の隅に追いつめていた。
「彼女に手を出すな!」
一平はよろよろと立ち上がると、男のほうに向かった。
男が振り返った。東洋人の顔だった。その目つきが鋭かった。Tシャツを着て、筋骨逞しい体をしている。
男は日本語で言った。
「おや、けっこうタフじゃないか。じゃあ、もうちょっと可愛がってやるか」
男がすっと近づいてきた。一平が反応する間もなかった。男の回し蹴りが、一平の脇腹に炸裂した。すさまじい衝撃に、一平の体が吹っ飛んだ。男は悠然と一平に近寄ると、髪の毛をつかんで引き起こした。
「ぼうや、すぐ楽にしてやるぜ」
男は一平の頭をヘッドロックで締めつけると、顎に手をかけた。
鋼鉄のような手に、力が込められた。
一平は首に力を込めて、必死に抵抗しながら、男の脇腹に拳を突き出した。
男が息を詰め、腕の力がわずかに弛んだ。
一平はその隙を逃さなかった。首をすくめてヘッドロックから逃れると、背後から男の腰に抱きついて力いっぱい前に押した。
男の体が壁に激突して、その衝撃に部屋が揺れた。
一平は休まず、男の頭を壁めがけて打ちつけた。一度、二度、三度――。
男を攻撃しながら、彼は早紀に向かって叫んだ。
「早紀、逃げるんだ!早く家を出て!」
ふいに男が、一平の腹に肘打ちをくわせた。
一平は息を詰まらせた。男が振り返るのを気配で感じ、彼は素早く横に移動した。
男の膝蹴りが空を切った。
一平はすかさず男に突進した。
二人の体はもつれ合い、床に倒れこんだ。二人は上になり下になり、くんずほぐれつの取っ組み合いをつづけた。
ふいに顎を殴られ、一平の意識がいっしゅん遠のきかけた。
男が馬乗りになり、両手ががっちりと喉を掴んだ。一平は男の手を外そうとしてもがいたが、その手は鉄で出来ているように強靭だった。
「てこずらせやがって。お礼におまえのスケをやる前に、たっぷりと可愛がってやるぜ」
男が胸を喘がせながら、しゃがれ声で言った。鋭い目が細められ、指に力が込められた。
激しい怒りが、一平の体中を駆け巡った。
(クソッ、こいつの好きにさせるかっ!)
一平は男の手をつかむと、渾身の力を振りしぼって捻じった。
男の顔に一瞬、信じられないといった表情が浮かんだ。
男の手を喉から外すと、素早く右の拳を脇腹に叩きこんだ。男がうめいて横に転んだ。
その隙に、一平は起き上がろうとした。そのとき、男の足蹴りが股間を襲った。激しい苦痛に膝を折ると、こんどは男の靴が顔面を襲った。彼は声もなく床に倒れた。今度は背中を蹴られて、のけぞった。
「ぼうや、お遊びは終わりだ。あの世に行きな」
もうろうとして見上げると、男の手に暖炉の火掻き棒が握られていた。男は鉄の棒を両手で握って、大きく振り上げた。
一平は死を覚悟した。
「フリーズ!」
突然、声が聞こえた。駆け付けた警官が、両手で銃を構えている。
男はあきらめたように火掻き棒を下ろしかけて、不意に警官に襲いかかった。
銃声が鳴り響いて、男がのけぞった。
その胸から血が噴き出していた。
「一平さん、大丈夫!?」
拳銃を構えた警官の脇をすりぬけて、早紀が一平のもとに駆け寄った。