■ カンパニー(最終章 対 決) - (8)
(8)
榊原剛が会社に出勤すると、今井社長から呼び出しがあった。
部屋には今井社長のほかに、藤田会長と総務部長の堀がいた。中でも藤田会長の憔悴ぶりは、はたで見ていて驚くほどだった。
「新聞を見ました。重要参考人とは、あなたのことでしょう?」
開口一番、今井社長が言った。
「そうです。とんだ災難でした」
「何があったのです?」
剛は山中湖の山荘で起きた事件を、簡潔に話した。ただし、円堂の死について、彼が推理したことは省いた。
剛の話が終わると、社長が訊ねた。
「あなたたちを襲った男たちは、何者なんです?」
「プロの殺し屋ですよ。おそらく榎本、あるいは貝山が雇ったのでしょう」
貝山の名前を出したとき、社長が動揺したように息を止めた。
剛はそれを見逃さなかった。
「社長、どうかされましたか?貝山がなにか?」
「なんでもありません。それで、警察の事情聴取では、すべて話したのですね?」
社長の言いたいことは分かっていた。会社に累の及ぶことを計算しているのだ。藤田たちも心配そうな顔をして、こちらを見ていた。
「私はただ、私の兄の自殺に、疑問を持っていると話しました。それを調べていて、兄がメディア21の株を売れと脅迫されていたこと、その先に総会屋の榎本と国会議員の貝山がいる、というようなことを話しました」
彼は藤田会長と堀部長のほうを見た。
「会社が彼らに不正な利益供与をしているなんて、一言も話していません」
二人が剛から目を逸らして、うつむいた。
そこで剛は、突き放すように言った。
「でも、いずれは警察も突き止めるんじゃないですか。そのへんは覚悟しないと」
今井社長はきっぱりと言った。
「私は覚悟しています。いずれは明るみに出ることでしょうから」
藤田は恐れを抱いた表情で、剛を見た。それでも彼は、口元を震わせて言った。
「私も覚悟を決めています。それに――榎本たちへの利益供与の件は、今井社長のご存じないことです。私と堀くんの二人だけでやりました」
社長と堀が、驚いたように藤田会長の顔を見た。
「藤田さん、私をかばわなくてもいいんですよ」
今井社長が言った。
藤田会長は、決意を込めたように返した。
「べつに、かばっているわけじゃございません。もともと社長は反対されていましたからね。とにかく利益供与は、社長の来られる前から続いていたことです。堀くんだって、担当になってからのことです。ずっと関わってきたのは、私ひとりです」
「それで、堀部長は?」
剛の質問に、堀は少しつかえながら言った。
「私も、会長のお考えに賛成です。――私は恥ずかしいことをして――榎本に脅迫されました」
剛はおだやかに言った。
「堀部長、脅迫の件はだれにも言ってませんよ。あなたも必要以外のことは、話さないことです」
堀は目に見えてほっとしたようすだった。
今井社長は、話を打ち切るように立ち上がった。
「脅迫があったとは知りませんでしたが、私も深くは聞かないことにしましょう。とにかくこれを機会に、不正な利益供与は、きっちりと整理します」
そこで剛のほうを見た。「榊原くん、あなたはちょっと残って」
藤田と堀が部屋を出たあと、今井京子は窓際に立って、しばらく外の景色を眺めた。
さまざまな思いが彼女の脳裏をよぎっていた。夫の遺言状の書き換え――あのときは、少なくとも神山薫より自分のほうが、メディア21を切り盛りできると思っていた。
しかし現実は違った。自分には社員に対する影響力がないのを痛感した。彼らは、彼女に対してうやうやしく接してはいたが、それは単に社長という肩書に対してだけだった。
彼女は自信を無くしつつあった。そして彼女のまわりは、予想もできない展開になってきた。あまりにも動きが激しくて、ついて行けそうになかった。それに比べて、いま部屋にいる男は、憎たらしいほどタフに見えた。
彼女は迷いを振り払うと、振り返って、平静に話し出した。
「尚子が大変なことをしました。――貝山先生を死ぬような目にあわせたのです」
剛はすこし動揺した。
「貝山を死ぬような目に――どういうことですか?」
「尚子は、貝山先生のマンションに行って――彼に毒を飲ませたんです」
「――」
「さいわい、先生は一命を取りとめました。もっとも娘の話によれば、最初から殺すつもりはなかったそうです。ただ彼女は、先生の恥ずかしい写真を撮って――」
彼女は話を中断して、机の引出しから一枚の写真を取り出した。それを剛に渡した。
ベッドに横たわる貝山の、醜怪な裸写真だった。太鼓腹に黒々と「女たらしのブタ」と書かれている。そして股間には、黒いレース模様の女性用パンティ――。
剛は声に出して笑った。
「これは傑作だ。これを尚子さんがやったのですか?」
「笑い事じゃありません」
社長がピシリと言った。「尚子があんな恐ろしいことをするなんて――」
「尚子さんは、どうしてそんなことをしたのです?」
「薫さんの敵討ちだと言っていました。あなた、薫さんのことについて、彼女と話をしたの?」
社長の質問に、剛は黙ってうなずいた。
「余計なことをしてくれたわね。あなたのおかげで娘は、貝山先生が薫さんを殺したと、すっかり思い込んでいるのよ」
剛は後ろめたさを覚えたが、あえて反論した。
「では社長は、どう思われているんです?貝山は無関係だと言われるんですか?」
「私は刑事ではありません。それに、自分の憶測を、むやみに他の人に話したくもありません」
「そうですか――それで尚子さんは、今どうしていますか?」
「家にいます。魂が抜けたようにぼんやりとして、部屋に閉じこもっています」
「警察のほうは――?」
「警察からは、なんの連絡もありません。それに――こちらからは報告していません」
剛は考え込んだ。
(ということは貝山も身の回りがやばくなったので、尚子にやられたことを伏せてるな。それにしても、あんなことをやるなんて――)
尚子の行動力に、彼は内心で喝采を送った。
今井社長の話は、それで終わりではなかった。
「それから、早紀と営業部の徳永くんは、しばらく日本を離れます」
剛はエッと思った。どうも社長の話は、驚くことばかりだ。
「でも二人は、福岡に行ってるんじゃなかったのですか?」
社長は考え込むような目つきで、剛を見た。それからソファーに腰を落として、おもむろに話しだした。
「二人は罠にかかって、九死に一生を得ました。それでしばらく、遠くにやることにしたのです」
剛は、二人に何があったのか、よく理解できなかった。
社長が説明しだした。
「小柄な老人が車に近づいてきて、途中まで乗っけてくれと言ったそうです。老人は、忘れ物をした、といったん車から出て、その間に二人は意識を失った。そして気がついたときには、二人とも車に閉じ込められたまま、海の底にいたのです」
「――」
剛は、社長の言葉を反芻して、そのときの状況を考えた。
「徳永くんは、睡眠剤かなにかを老人に仕掛けられたんじゃないか、と言ってます。なんだかミステリー小説のようなお話ですけど、二人が殺されかけたのは事実です」
「――どうやって助かったのですか?」
「自力で車から脱出したそうです。徳永くんは早紀の命の恩人ね」
「あの徳永が――ま、彼はたいした男ですからね。それで、警察には届けましたか?」
社長はあいまいに肩をすくめた。
「届けていません。このことは、徳永くんのお父さんと私以外、だれも知りません」
何かが引っかかった。剛は社長に聞いた。
「でも、どうしてふたりは狙われたんでしょう。だってふたりが福岡に行ってるなんて、私以外は知りませんでしたよ」
今井社長は考えながら言った。
「それは分かりません。とにかく事件のことを外に出したくないというのは、徳永くんの考えです。彼が言うには、二人が生きてることは、そのう――敵方に知られたくないんですって――」
剛は内心、ニヤリとした。
(一平のやつ、スパイごっこが面白くなったか)
「それで、二人はどこに行くつもりです?」
それに対して、今井社長はきっぱりと言った。
「今は言えません。たとえあなたでもね。私とあの二人だけの秘密です」
その夜、剛は藤田会長を誘って、赤坂の料亭に行った。先だって、藤沢常務と来た店だった。
奥まった部屋でふたりきりになると、剛は藤田の杯に酒を注いでやった。それから世間話のような口調で言った。
「ところで会長は、まだ私に隠していることがあるでしょう?」
藤田は怪訝そうに剛の顔を見た。
「隠してること?」
「今井早紀のことですよ」
「ああ――」
藤田はうつむいた。「でもあのことは、きみにすべて話した。きみになんと言われようと、弁解の余地がないけど」
剛は静かに言った。
「私が言ってるのは、そのあとの事です」
藤田が一瞬ためらって、何のことだと言うように剛のほうを見た。
剛は藤田を平然と見返した。
「今日、今井社長に聞きました。今井早紀と徳永一平が、福岡であやうく殺されかけたことをね」
藤田はぎょっとしたようだ。老人の表情を見て、剛は皮肉な笑みを浮かべた。
「どうもあなたは、役者になれませんね。あなたはそのことを予想できたはずだ」
藤田は、複雑な表情で剛を見たが、黙っていた。
「早紀が誘拐された事情を知っているのは、私と徳永、それにあなたしかいない」
会長を見る剛の目つきが、鋭さを帯びてきた。「次の日から早紀と徳永は休みをとった。前日なにがあったのか事情を知っている者なら、ふたりの行動は推理できるんじゃないですか?」
そこで剛は鋭く言った。「これ以上、私に説明させる積りですか!」
藤田の顔がゆがんだ。彼はうなだれたまま、つぶやくように言った。
「――たしかに私は弱い人間だ」
「何があったのです?」
藤田は顔をあげると目をしばたいた。まるで今にも泣き出しそうな顔つきだった。彼は気持ちを落ち着けるように沈黙したが、しばらくして話し出した。
「誘拐事件の次の日、若い男がふたりやってきて、私はむりやり榎本の事務所に連れて行かれた。そこで彼らに詰問されたんだ――なぜ失敗したのか、と。私は甥のことでは屈しなかった。しかし彼らは――」
藤田は嗚咽をかみ殺した。「私は裸にされて、男たちにむりやり犯された。そのとき写真を撮られた――甥と同じような写真を――それで、どうしようもなく私は――」
「ふたりの行き先を話したんですね」
「ふたりがどこに行ったのか、知らなかった。ただ考えつく先を言ってしまった。徳永くんの実家のことも」
藤田はうなだれた。剛は老人を冷たい目で見ながら考えた。確かに藤田の置かれた状況は同情できたが、敵に協力した罪は許せなかった。早紀を二度までも危険な目に落とし入れたのだ。
(でもこの老人に何を期待できただろう?)
藤田は正座をして、顔もあげられずにうつむいていた。膝をにぎりしめた手が小刻みに震えている。
剛はこれ以上老人を追及しても、何の意味もないと悟った。彼は静かに言った。
「会長、もうこの話は忘れましょう。さあ、顔をあげてください」
会長が顔をあげると、剛はつけ加えた。
「ただし、これから先、何かあったら、包み隠さず私に報告してください。それから――できるだけ早く、引退することです」
すっかり無力な老人と化した藤田は、沈黙したまま深々と頭を下げた。