■ カンパニー(最終章 対 決) - (5)
(5)
徳永一平と今井早紀は、一平の故郷に来ていた。一平は多少無愛想に、会社の友達だと言って、早紀を家族に紹介した。
いっぽう早紀のほうは、初めて会った一平の家族を一目で気に入っていた。母親は日本女性のいいところを、具現化したような女性だった。明るくて、しっとりと落ち着いていて、優しかった。彼女は、息子がなんの連絡もなく若い女性を連れてきたことに、戸惑いと多少の好奇心をもって早紀を見ていた。それでも、おだやかに早紀を家庭内に迎え入れた。
一平の妹、恵子は、ちょっぴりお茶目で、好奇心のかたまりだった。彼女は二人きりのとき、早紀に訊ねた。
「ねえ、早紀さんは、お兄ちゃんの恋人?」
「まだ、そんな仲ではないわ」
早紀が頬を赤らめて言うと、恵子が目を輝かせて言った。
「あら、まだと言うことは、もっか進行中ってことね。うー、熱い、熱い――」
夕方になって、一平の父親が家に帰ってきた。
徳永慶明は50代前半、髪に白いものが目立って、多少太り気味だが、すこぶる健康そうだった。早紀は一平の父親に会って、年齢と魅力がみごとに融合した中年男の顔に、思わず見とれていた。適度に日焼けして、目尻の小皺までもが重厚さに花を添えて見える。どうやら彼は、理想的な年の取り方をしてきたようだ。彼女の大好きな一平に似た瞳が、好奇心をにじませて、彼女を優しく見ていた。
「へーえ、一平も見る目があるな。こんな素敵なお嬢さんとお付き合いしてるなんて」
「父さん、ぼくたちはそんなんじゃないんだ」
一平が言うと、慶明は面白そうに息子を見た。
「おや、そうかい。それで――よく一週間も休みがとれたな」
「――ああ、大きな取り引きをまとめたんで、課長が褒美に休暇をくれたんだよ」
「そんなことで休暇をくれるのか?いい会社だな」
慶明はいたずらっぽく一平の顔を見た。
「なんだよ父さん。ぼくを疑ってるのか?」
「とんでもない。私はいつだっておまえを信じているさ」
慶明は、大きな笑顔で一平にウインクした。
そんな親子の会話を聞きながら早紀は、暖かい雰囲気に、すっかり心が和むのを感じていた。
「あのう、徳永一平ですか?」
「そうです。第五営業部の徳永さんです。彼は休暇中だそうで――そのう、彼の実家に贈り物をしたくて――人事部に聞けば分かると言われましてね」
「ちょっとお待ちください。いま調べますから」
まもなく女子社員が電話に出て、徳永一平の実家の住所を読み上げだした。老人は、メモ用紙に住所を書きとめると、福岡空港ビル内の電話ボックスを出た。身長150センチほど、痩せて、年齢の分かりにくい老人だった。髪は真っ白で、特徴のない顔は日によく焼けていた。
次に老人が訪れたのは、電話で聞いたばかりの徳永慶明の家だった。たまたま家にいた娘の恵子が応対した。
「徳永一平さんがこちらに帰られてるはずですが」
「あら、兄なら外出しています」
「どちらに行かれたのですかな?」
「さあ、車で出かけたから――。あ、そうだ、シーサイドホテルで夕食をとるって言ってたから、海のほうに行ってるんじゃないかしら。兄に何かご用ですか?」
「いやなに、私は徳永さんと、仕事上のおつきあいがありましてな。たまたま福岡に立ち寄ったものですから、東京に帰る前に、ちょっと徳永さんに会ってみようと思いまして。でもどうやら、今回は無理なようですな。じゃあ、明日にでも電話を入れてみましょう」
そう言うと、老人は立ち去った。
あとになって恵子は、老人の名前を聞いていなかったことに気づいた。
一平は最高に幸せだった。
彼の運転する車で、二人は大宰府まで行き、境内で半日を過ごした。遠く福岡まで来ていることで、早紀はすっかりくつろいでいるようだ。彼女の明るい笑顔は最高だった。
二人は開放感から、何のわだかまりもなく手をつないでいた。梅が枝餅の店でお茶を飲んでいるとき、中年の店員が、早紀のことを若奥さまと呼んだ。二人は恥ずかしそうに顔を見合わせたが、あえて否定しなかった。
そのあと福岡市街まで戻って、デパートで買い物をした。お揃いのTシャツと実家へのみやげもの。夕方になって、海の埋立て地に出来た新しい町に行った。そこは名物のドーム球場や、最新のハイテクビルが立ち並んでいる。二人はホテルに入って、予約している最上階のレストランで食事をとった。
窓ガラス越しの景色を見ながら、早紀が嬉しそうに言った。
「素敵。暗い海に浮かぶ船の明かりが、ロマンチックね。ずっとこの街にいたい気分だわ」
「そうだね――仕事がなければ」
一平は、早紀の顔を見ながらつぶやいた。キャンドルの明かりに浮かびあがった彼女の顔は、改めて彼の心を躍らせるほど美しかった。
しばしの沈黙のあと、一平はそっと声をかけた。
「疲れたのかい?」
「ううん」彼女は首を振った。「一平さんは?」
「ちっとも。だってぼくは、榊原さんがよく言ってるように、タフなだけが取り柄だからね」
二人は顔を見合わせて微笑んだ。
「私の考えは、榊原課長と違うけど――。それにしても、あの方、何をやろうとしてるのかしら」
彼女の思案顔をみて、一平はふと榊原のことを思った。彼に聞いた信じられない陰謀の話が、ふたたび心の底に重く沈んできた。
(うちの会社はどうなるんだろう?)
一平は、そんな思いを振り切るように、明るい笑顔で早紀に言った。
「ぼくはこれまであの人と、ずっと一緒に仕事をやってきたけど――大丈夫だよ、榊原さんに任せておけば。あの人ならきっと問題を解決してくれるよ」
早紀がうなずいた。
「ところで今井社長――きみのお母さんは、家ではどんな方なの?優しいのかい?」
「うーん、20パーセントくらいかな」
「なんだい、20パーセントって?」
「あとの80パーセントは厳しいの」
早紀はいたずらっぽく言って、肩をすくめた。「母は家庭の主婦というより、経営者の役割のほうが多かったから。メディア21の社長になるまでは、ずっと銀座の宝飾店を経営していたのよ」
「知ってるよ。以前テレビに出ていた。成功した女性経営者の紹介で」
「あら、一平さん、ご覧になったの?」
「ああ、たまたまね。そんなお母さんを持って、きみがうらやましいよ」
「あら、私は一平さんのほうがうらやましいわ。一平さんのお母さまって、優しくて、穏やかで――。私も結婚したら、一平さんのお母さまのような奥さんになりたいな」
早紀はそう言って、熱心に自分を見つめる一平と視線が合い、恥ずかしそうにうつむいた。
そのあと二人は、言葉すくなに食事をした。
夜の9時になって、二人はレストランを出た。ホテルの駐車場で車に乗ろうとしているとき、暗がりから男の声がした。
「あのう、突然ぶしつけで申し訳ないが、わしを途中まで乗せてくださらんか」
一平が振り向くと、小柄な老人が立っていた。老人は途方にくれた表情をしていた。
「連れとはぐれてしまって――そのう、ホテルの名前は覚えているんですが――」
「いいですよ。どうぞお乗りください」
一平は、老人のために後ろのドアを開けてやった。老人が座席に落ち着くと彼は聞いた。
「ホテルまでお送りしましょう。どちらですか?」
「天神のグランドホテルですが――あっ、これはうっかりした。忘れ物をしました。すみませんが、ちょっと待っててくださらんか」
老人があわててドアを開けた。「すぐ戻ってきますから」
老人が車から出て姿を消すと、一平は早紀に向かって肩をすくめた。そのとき彼らは気づかなかった、老人がドアを閉めるとき、床に小さな缶を置いていったことを。缶から無臭の煙がたなびき、車内に充満した。まもなく、前にいる二人は、座席にもたれかかって意識を失った。
離れたところから車内の様子を観察していた老人は、二人が意識をなくすと、車に戻った。それから慎重にまわりを見回し、助手席側のドアを開けた。素早く車内灯のスイッチを切り、老人とは思えない力強さで早紀の体を後部座席に移した。次いで一平の体をうしろに移すのは、少し時間がかかった。老人は、ときどきまわりに目を配りながら、作業をつづけた。
二人を後ろの座席に移すと、老人は慎重に車を運転して、ホテルの敷地から出た。彼は暗い通りを選んで車を走らせながら、目的の場所を物色した。20分ほどして、彼は波止場で車を停めた。あたりはまばらな街燈に照らされて、薄暗かった。
老人はふたたび二人の体を、もとの座席に移しだした。骨の折れる仕事だったが、先を急がず、辛抱強く作業をつづけた。
二人を前の座席に戻し終わると、慎重に車内をチェックした。それから運転席の横のドアを開け、まわりを見回した。人の気配はまったくなかった。
老人は車内に体を乗り入れて、ぐったりとした一平の右足をかかえあげ、アクセルペダルの上に置いた。エンジンが回転しだした。彼はいったん車外に出て、手を伸ばしてシフトノブを掴んだ。それから一呼吸おいて、ノブをぐいと引いた。
ニュートラルからドライブに切り替わり、車が走りだした。
反動でドアが閉まった。老人はあやうくドアに挟まれそうになったが、かろうじて難を逃れた。
コンクリート床に倒れた老人は、ゆっくりと起き上がりながら、車の行方を見守った。
車は意識を失った二人を乗せ、スピードを増しながら海に向かってまっすぐに進んだ。
20メートルほど走って、コンクリートの床がなくなった。車はスローモーションのように空中へジャンプし、水しぶきをあげて暗い海に飛び込んだ。それからゆっくりと海中に沈みだした。
端まで歩み寄った老人は、車が海の中に呑み込まれるまで見届けた。車の姿が見えなくなると、彼はつぶやいた。
「かわいそうなことだ。まだ若いのに――」