■ カンパニー(最終章 対 決) - (2)
(2)
駐車場係の吉田にとって、その日は災難つづきだった。
まずは夕方のローテーションに入っていた係員のひとりが、風邪を引いたと言って休んだことだ。また例によってのずる休みだと分かっていた。それでも彼にはどうしょうもなかった。これでまた、責任者である彼の帰りが遅くなるのは確実だった。
次は昼間の騒動だ。どこかの馬鹿野郎が、こともあろうに今井社長の車のタイヤを、パンクさせやがった。それもご丁寧に4本ともだ。
彼は管理部長にこっぴどく嫌味をいわれた。
「吉田さん、管理人室でボケッとしてるだけが能じゃないぞ。ちゃんとモニターを見てるんだ。それから、見回りもしろよ。ますます足がなまっちまうぞ――」
おかげで彼は、昼からずっと立ちっぱなしだった。
駐車場を見回ったあと、車寄せで立哨をする。そんな半日を思い出して、彼はふたたびむかついてきた。
おまけに今は、地下一階のエレベーターホールに胡散臭い若造どもがいる。彼は先ほどから、若者たちを横目で観察していた。着ている服はまっとうなサラリーマンだが、顔つきが気に食わなかった。あれはどう見ても、チンピラヤクザの顔だ。やつら、あそこで何をしてるんだ?
彼は若者たちのほうに近づこうとして、彼らとの体格差に気がついた。
(ま、いいか。警備はわしの仕事じゃない)
吉田は回れ右をした。
そこでちょうど車寄せに停まったタクシーから、ひとりの男が出てくる姿を見た。
吉田は毒づいた。
(クソッ、今日はついてない。また嫌な野郎だ)
「よう、じっちゃん。相変わらずしょぼくれてるな」
営業課長の榊原が、能天気に声をかけてきた。
吉田は彼を無視して、あらぬ方向を見た。
「どうした、もう耳も遠くなったか。老化現象を起こしてるのは、ムスコだけかと思っていたが」
「ぬかせ!まだおまえよりもピンピンしてらあ」
思わず言ってしまって、吉田は後悔した。これでまた、営業部の若造に暇つぶしを与えてしまった。案の定、榊原が立ち止まって、彼を陳列品かなにかのように見下ろした。
「これで安心したぜ。まだまだじっちゃんも、色気を失っていないってことか」
とたんに吉田の小柄な体は、ぎゅっと抱きしめられ、尻を無遠慮に撫でられた。
「失せやがれ、このドスケベ!」
短い足で相手の尻を蹴飛ばそうとして、タイミングを逸した吉田は、エレベーターのほうに向かう榊原に毒づいた。
今井早紀は藤田会長といっしょに、エレベーターに向かっていた。夕方、会長から電話があって、帰りは彼の車に乗せてあげようと言われたのだ。彼女はいつも母の車に同乗して通勤していたが、今日は母が大阪に出張で、おまけに車が故障していたからだ。
ふだんはあまり口を利いたことのない藤田会長と一緒で、彼女はすこし緊張していた。それに、会長のほうも、どことなくぎこちなかった。
(あら、会長さんも、私のように緊張しているのかしら?)
そのとき、昇りエレベーターのドアが開き、榊原剛が現れた。彼は二人の姿を認め、さっそく話しかけてきた。
「会長、若い女性とデートですか?うらやましい」
藤田会長が無愛想に答えた。
「私の車で、彼女を自宅まで送ってあげるんだ」
「今井社長の車はどうされたのですか?」
早紀が横から説明した。
「あのう――車のタイヤがパンクして――それで、会長のお車に同乗させてもらうことにしました」
「パンク?でもスペアタイヤがあるでしょう?」
「誰かがいたずらして、4つともパンクさせたんです」
「ご丁寧に4つとも?社長の車をかい?」
榊原が不審そうに言った。
早紀は黙ってうなずいた。
そのとき下りエレベーターがやってきた。早紀と藤田会長はエレベーターに乗りこんだ。扉が閉まる前に廊下を見ると、榊原が立ち止まって、じっとこちらを見ていた。
エレベーターが地下一階に着いたときだった。会長は部屋に忘れ物をしたと言いだした。「ちょっと、ここで待っててくれるかい。すぐ戻ってくるから」
彼はそう言うと、エレベーターに戻った。
ドアが閉まり、早紀は車寄せの方に振り返った。いつのまにか、彼女を取り囲むようにして、若い男たちが立ち塞がっていた。
剛は廊下を歩きながら、なにか心の片隅に引っかかるものを感じていた。
社長車のパンク――会長の妙にぎこちない素振り――。エレベーターの扉が閉まる直前、こちらを見る会長の顔は、まるで仮面を被っているようだった。
ふと剛は、地下のエレベーターホールにいた3人の若い男たちを思い出した。スーツを着ているが、このビルではおよそ場違いな雰囲気の男たちだった。胸騒ぎがした。
(取り越し苦労かも知れんが――)
剛は向きを変えると走った。
エレベーターの到着が遅く感じられた。剛はいらいらしながら待った。
ようやくエレベーターに乗って、地下一階に着いた。
ホールには誰もいなかった。車寄せに走り寄ると、黒塗りベンツの横に、運転手が立っていた。
「会長はどうしたんですか?」
剛は運転手に聞いた。
運転手は怪訝な表情をした。
「まだ、こちらに来られていませんけど」
それを聞いて、胸騒ぎが大きくなった。剛は管理室のカウンターのほうに歩み寄った。カウンターの奥から、こちらを見る吉田と目が合った。
「じっちゃん、会長たちを見なかったか?」
「さあ、知らんよ。わしはおまえに雇われてる訳じゃないからな」
「ばか野郎、冗談言ってる場合か!会長と今井早紀だ!」
剛の剣幕に、吉田は仰天した。彼は早口で言った。
「会長は見なかったけど、今井社長の娘さんなら、さっき友達と前を通ったよ」
「友達?――ホールにいた3人の若い男か?」
「ああ、そうだよ。何かあったのか?社長令嬢の友達にしては、ちょっと品がない連中だったけど――」
後を聞いていなかった。剛は猛然と駐車場に飛び出した。
そのとき、駐車場の奥のほうから、黒いスポーツカーが走ってきた。横を通りすぎるとき、二人の男に挟まれて、後部座席に座る早紀の顔がちらりと見えた。その車はスピードを緩めずに、出口に向かって走り去った。
剛は、瞬時に行動した。
車寄せに駐車しているベンツに走り寄ると、運転席に乗った。会長の運転手が何か叫んでいたが、彼はかまわず車を発進させた。
通りに出たとき、男たちの車を見失って、一瞬パニックに陥った。
そのとき、次の交差点を右折するスポーツカーが見えた。彼はその交差点に着くと、赤信号を無視して、強引に右折した。けたたましい警笛。リアバンパーに衝撃を感じたが、かまわずアクセルを踏みこんで、スポーツカーを追った。
スポーツカーは首都高速道路に入った。剛もすこし遅れて、首都高に乗り入れた。あいかわらず渋滞していて、車を縫って前に出ることが不可能だ。剛は苛立ったがどうしょうもなかった。
男たちの乗った車は新宿で下り、旧市街地にむけて走り続けた。剛は彼らとの距離を縮めようと焦った。
ふいに前の横断歩道を、歩行者がいっせいに横切りだした。信号が変わったのだ。剛は急ブレーキをかけた。数人の歩行者が、驚いたようにこちらを見ていた。
(クソッ、これじゃ見失ってしまう)
剛は運転席から外に出ると、分離帯の縁石の上に立ってスポーツカーの姿を探した。黒いスポーツカーは、ちょうど大通りを抜け、ビルの合間の脇道に入るところだった。
ようやく信号が変わって、彼は車を発進させた。目指す脇道に入ったが、スポーツカーは見当たらなかった。
剛は車をゆっくりと走らせながら、左右に目をくばった。道はすぐに次の大通りに出たがスポーツカーの姿はどこにもない。彼は車を道端に停めた。
(このあたりのどこかだ)
彼は車から出ると、歩いて後戻りした。いくつかの路地が脇道につながっていた。
いかがわしい界隈だった。古ぼけたラブホテルや、風俗営業の店が軒を連ねている。
三つ目の狭い路地に入ったとき、男たちの車を見つけた。歩み寄ると、誰も乗っていなかった。彼は、駐車した車の横にある建物を観察した。木造モルタルの古い二階家。廃業した連れ込みホテルのような、得体の知れない建物だった。
ひとつだけ二階の窓から、カーテン越しに光が漏れていた。
彼はあたりを見回した。路上の片隅に、パイプ足場の資材が残されている。彼は歩み寄ると、手ごろな鉄パイプを手に取った。
早紀は部屋の隅にうずくまって、震えていた。色褪せて何色とも分からない壁紙と、擦り切れたカーペットの敷かれた室内は、古ぼけて、いやな匂いがした。唯一、大きなダブルベッドだけは、清潔そうな白いシーツがかけられている。
彼女を拉致した男たちは、腕組みをして、入り口のドアのところに立っていた。彼女を見つめる彼らの目つきは、ぞっとするほどいやらしかった。
そのとき別の二人の男たちが部屋に入ってきた。ずんぐりと太った中年男と若い男。彼らは大きなビデオカメラと投光器を持っていた。男たちは彼女の姿をちらりと見て、慣れたしぐさで撮影器材をベッドの周りにセットしだした。
(この人たち、何をやるつもりなの?)
早紀は呆然として、男たちの作業を見守った。しかし数分後には、すべてを悟った。
作業がすむと太った中年男は、若い男たちに向かって事務的にうなずいた。男たちが下卑た薄笑いを浮かべて、彼女のほうに近づいてきた。シャツのボタンを外し、ズボンのベルトを緩めながら――。
彼女は始めて悲鳴を上げた。
剛は用心深く階段をあがっていた。そのとき女の悲鳴が聞こえてきた。彼は階段を駆け上がって、上の階の廊下に出た。二つ目のドアの隙間から光が漏れていた。
ドアには鍵がかかっていなかった。
部屋に入ったとたん、状況を把握した。パンツ一枚の男がふたり、早紀をベッドの上に押さえつけていた。それを他の男たちが撮影していた。彼女は泣き声をあげて、男たちの体の下で激しくもがいていた。
「貴様ら!」
剛は鉄パイプを振り上げて、男たちに詰め寄った。男たちは、突然の闖入者に、一瞬凍りついたように動きを止めた。
剛は、ビデオカメラを持つ中年男めがけて、パイプを横殴りに払った。男の腕に当たり、カメラが吹っ飛んだ。次にベッドにいる男めがけて、パイプを振り下ろした。不気味な鈍い音がした。額を強打されて、男がのけぞった。もうひとりの裸の男が、横に転がって逃げた。
その時になって、ベッドサイドに立っていた他の二人が我に返って、剛に迫ってきた。剛は右の男の顔面をパイプで強打し、体を沈めて、左の男の向こう脛を叩いた。男たちが苦痛のうめき声をあげた。
剛は手加減しなかった。ベッドから逃げた男を部屋の隅に追いつめ、その股間に鉄パイプを突き出した。男は声もなく悶絶した。
アドレナリンが体中を駆け巡り、男たちを殴りつづけた。手足や背中、腹を怒りにかられて力任せに殴った。それでも頭部だけは避ける冷静さが戻ってきた。10数分後には5人の男たちはボロ屑のように、床に伸び切っていた。
一平は、ほんのり気分で夜の街を歩いていた。小宮山と一緒に、喜多商事を訪問外交して、その帰りに新宿の焼き鳥屋で一杯飲んだところだった。
小宮山と別れたあと、彼は酔い醒ましに歌舞伎町の繁華街を歩いた。色とりどりのネオンサインがきらめいていた。彼はそのにぎやかさが、好きではなかった。文明に毒された、安っぽい雰囲気があった。道行く人々は、サラリーマンや学生、若い男女のカップル、得体の知れない外国人――種々雑多だった。
行き交う人々を観察しながら歩いていた一平は、一瞬、凍りついた。人ごみの中に、榊原剛と今井早紀がいたのだ。早紀の顔は、泣いた後のように、複雑な表情をしている。その彼女に対し、榊原は親しそうに腕をまわして、なにやらしきりに囁きかけていた。
信じられない思いとくやしさ――。涙が滲んで視界がぼやけた。思考能力が停止したようだった。
一平は激しい怒りに駆られて、榊原めがけて突進した。
彼を見て驚いた表情の榊原――。一平はその顔めがけて、殴りかかった。