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カンパニー(第4章 陰 謀) - (8)
(8)

円堂昌輔は51才にして、彼の人生最高の幸福感に包まれていた。長年密かに温め続けてきた想いが、いま現実のものになろうとしているのだ。
彼はアスカビルの社長だった神山薫に、強姦ともいえる手荒い性行為をされて以来、男性恐怖症に陥った。学生時代に続いて、これで二度目の災難だった。しかし、それもわずかの間のことだった。またぞろ同性愛嗜好がよみがえってきた。今や神山に受けた苦痛さえもが、興奮の伴う思い出になっていた。
そして奇跡が起こったのだ。
昌輔は、銀座にある品のよいスナックのカウンター席にいた。一見したところは分からないが、その店は彼のような特殊な好みをもつ男たちが、よく利用する店だった。
店に入ってきた客を何気なく見たとたん、雷に撃たれたような衝撃をうけた。そしてまたその男に以前会ったことがあると気づいたとき、運命的な出会いを感じた。熱海のジャングル風呂――そこで彼は、その男に助けられたのだ。
男はすらりとした長身で、躍動するような力に溢れていた。彫りの深い端正な顔は、どことなく影のある甘さを含んでいた。身のこなしは、まるでダンサーのように優雅でさえあった。
そして、あっけないほど簡単に、彼の望み通りの展開になったのだ。信じられないことに男は微笑みながら近づいてきた。「お会いしたことがありますね」と。
そのあとは、すべてが夢見心地で過ぎた。男は親しそうに話しかけてきた。そのうち昌輔は、この男も自分と同類ではないかと淡い期待を持ち始めた。
男は彼の顔をじっと見つめながら、静かに言った。
「どうですか、ボックス席に移って、二人っきりで、ゆっくりと話をしませんか?」
昌輔は聞き間違えたかと思った。そのとき、男が口先だけでないことを証明するように、カウンターの上に置かれた昌輔の手の上に、そっと自分の手を重ねた。驚いて見上げると目と目が合った。
そのとき昌輔は知った。その感激は圧倒的で、彼の体は目くるめく喜びに打ち震えた。

二人は、ボックス席に移った。客はまばらで、ふたりに注意を払う者は誰もいなかった。
最初のうち、昌輔は会話の糸口が見つけられずにぎこちなかった。しかし、男が共通の話題を口にすると、話が弾みだした。貝山先生の話。メディア21の話。話題は尽きることなく、つぎからつぎへと続いた。
時を刻むにつれ、昌輔はますます男に魅了された。ちょっとした仕草やウイットに富んだ語り口――彼は、うっとりとして男を見守っていた。
肉体の交わりのない、親密なひとときだった。それでも昌輔は満足していた。彼は歪んだ肉欲の対象としてではなく、一人前の男として遇されたのだ。男の態度の端々には、彼に対する好意がありありと感じられた。
夢のようなひとときが終わったあと、別れ際に、昌輔は思い切って尋ねた。
「今度また会ってくれますか?」
「ええ、あなたが希望すればいつでも」
男はいたずらっぽくウインクすると、別れを告げるように昌輔の腰に腕をまわした。その手が下におりて、尻を撫でた。
思わぬ快感に、彼はあやうく声をあげるところだった。
夜の闇に消えていく優雅な後ろ姿を見守りながら、昌輔の体は震えていた。

「やはり、そんなことでしたのね。母もひどいことをしますわ」
早紀は憤慨して、一平に向かって言った。
一平と早紀は、久しぶりに昼食を一緒にしていた。一平はやむを得ず、先日の今井副社長と榊原課長のやりとりを話した。
彼女の大きな反応に、彼は考えながら慎重に言った。
「あなたのためを考えてのことだと思いますよ。社長はきっと、あなたにふさわしい人を考えられているんでしょう」
「そんなのひどい。だって、そんなこと――私自身が決めることでしょう?」
それを聞いて、一平は嬉しくなった。その気持ちをぐっと押し殺して言った。
「ぼくもそう思うけど。でもあなたは、今井家のご令嬢ですよ。あなた自身の考えだけでは、通らないこともあるでしょう」
彼女はきっぱりと言った。
「あら、だったら私は、今井家を出ますわ」
一平は驚いた。まさか、控えめで従順そうな彼女が、そんな強い意志を表に出すとは。
早紀が訊いた。
「一平さんが私の立場だったら、どうされますか?」
「さあ、ぼくは平凡な家庭で育ったから、あなたの立場で考えるのは難しいけど――」
一平はちょっと考えた。「ぼくなら、親父やおふくろが何と言おうと、自分の好きな人を選ぶだろうな」
そこで早紀が目を輝かせるのを見て、彼はあわてて言い足した。「もっとも、親父やおふくろは、ぼくの意志を尊重してくれるから、そんな悩みはないと思います」
「いいご両親ね。私もお会いしてみたいわ」
「早紀さんさえよろしければ、いつでも会わせますよ。でも田舎者ですから――それに、遠い福岡に住んでいるんです」
「ええ、知っていますわ。榊原さんに聞きました」

榊原の名前が出て、一平は複雑な思いだった。このまえ副社長室を出たあと、榊原に、早く彼女をモノにしないとおれが横取りするぞ、と脅されたからだ。一平は、彼の言葉があながち冗談とも取れなかった。プレイボーイの榊原のことだ、長谷千佳子のように、早紀に対しても――。
彼は性急に言った。
「榊原さんとはよくお話をされるのですか?」
「いいえ。ただ、前にもお話したように、あの方は姉の亡くなられた主人の弟さんで――それにいつだったか、あの方が総務部にこられて、少しお話しました」
「そうですか――」
一平は釈然としなかった。
彼女はにっこりと微笑んだ。
「あの方、女子社員のあこがれの的でしょう?だから榊原さんに話しかけられて、私、ほかの人たちに羨望の目で見られましたわ」
「でも気をつけたほうがいい」
一平は思わず言った。そのあと、怪訝そうな表情の彼女を見て、彼は顔を赤らめた。
「いや、榊原課長はひとりの女性より、つまりそのう――多情な方ですから――」
「知っていますわ」
早紀はほがらかに笑った。「素敵な方ですけど、浮気性の危険な方。そうでしょう?」
彼女はそう言うと、水差しに手を伸ばした。
一平はあわてて彼女のために、水差しを取ってやろうとした。そのとき指が触れ合い、二人はどぎまぎして頬を染めた。

――◇――

銀座将美堂の支配人、梅林亮は、夢遊病者のような足取りで、社長の部屋に向かっていた。
彼の顔は、まったく生気を失っていた。昨晩、叔父の藤田隆信に呼び出されて、心臓が止まるかと思われるようなことを言われたのだ。
叔父は淡々とした口調で、梅林が肉体労働者の男を相手にしていると言って、一枚の写真を手渡した。彼はその写真を見て、ギョッとした。彼と筋骨たくましい男が全裸で、卑猥な行為をしている写真だった。驚きすぎて、いつそんな写真を撮られたのだろう、という単純な疑問も浮かばなかった。
恥ずかしさに震える彼に向かって、叔父は言った。「その写真のおかげで、私は脅迫された。今後一切、そんな破覚恥な行為はやめろ」と。
梅林は叔父の軽蔑した目を、まともに見ることができなかった。



「社長、なにかご用でしょうか?」
梅林は部屋に入ると、おずおずと尋ねた。
「べつに、たいしたことじゃないの。あなた、近頃ちょっと疲れ気味じゃない?」
女社長はてきぱきとした口調で言うと、梅林の顔をまっすぐに見上げた。社長の目つきを見た途端、彼は気分が悪くなった。
(――ひょっとして、社長もあのことを知っているのでは)
彼は生きた心地がしなかった。
「あなた、一週間ほど休みなさい。どこかの温泉にでも行って、スカッとしてきたら?」
社長に言われ、その真意をはかりかねて、梅林は黙っていた。前の社長も男勝りだったが、その娘も強い女だった。彼女の夫が死んだときも、ちっとも動揺したそぶりを見せなかった。彼は、自分よりずっと年下の社長の前にいると、いつも自分のほうが若造のような気分がしていた。
「どうしたの。嬉しくないの?」と社長の声がした。
梅林は逡巡した。
「それはありがたいことですが――でも、どうして、この時期に――」
彼の質問にたいして、社長はあっけらかんとして言った。
「特別ボーナスだと考えてちょうだい。あなたのおかげで店の売り上げも順調だし、それに従業員も労働意欲が湧いてきたようね」
労働意欲と言われて、梅林は急に警戒しだした。しかし彼女の顔には、彼をからかっているようなふしはなかった。
梅林は複雑な思いでうなずいた。

支配人が部屋を出ていったあと、尚子はフッと息を吐いた。
(まったく、陰で何をやっているのやら。あんな男を相手にすると疲れるわ)
彼女は表には出さなかったが、梅林に対していつも神経を使っていた。彼は自分のこととなると、とてもデリケートで、ちょっとしたことにも傷つきやすかった。彼のプライドを傷つけずに働かせるのは、とても気を使う。
最初は、梅林も夫と同類だと思っていたが、知るにつけ、夫とはあまりにも違っていた。その違いは、天と地ほども隔たりがあった。
薫のことを思うと、またぞろ後悔の念が押し寄せてきた。
(あのとき彼を引き止めていれば――)
彼女は、薫が目黒の家に来た夜のことを思い浮かべた。あのとき薫は、いつもの彼らしくなく、妙に弱気になっていた。そして思いがけず、彼のほうから一緒に暮らしたいと言われたとき、彼女は冷淡にもその申し出を断ったのだ。

それに二日前、薫の弟に会ったときのことを反芻した。あれも衝撃的な話だった。最初のうち榊原剛は、薫についてあれこれと探りを入れてきた。
(――なにか不審な動きはなかった?あるいは誰かから、問い合わせは?電話でもなんでもいい、ちょっとしたことでもいいから教えてくれないか――)
勘の鋭い彼女は、剛を問いただした。
「主人に何があったの?回りくどいことを訊いていないで、はっきりと言いなさい」
剛は言い渋っていたが、ついに話し出した。
生前の薫に聞いたことや疑問に思うこと。薫が死ぬ前に書いたという手紙も見せてくれた。ショッキングな内容だった。夫の身の回りで、そんな陰謀が渦巻いていたなんて。
あのとき剛は言った――ひょっとして薫は、殺されたんじゃないか。
それを聞いたときは、とても信じられない思いだった。しかし時が経つにつれ、その疑問はほとんど確信に変わっていた。それとともに、夫のことが急に不憫に思えてきた。
自分勝手で、浮気性で、なにごとも強引に押し通そうとした薫――それでも彼には、子供のような憎めない一面があった。また、人一倍の寂しがり屋だった。
彼女はふいに、自分の失ったものの大きさに気づき、熱いものがこみ上げてくるのを覚えた。
[19/02/09 07:42 神亀]
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