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カンパニー(第4章 陰 謀) - (7)
(7)

徳永一平は、自分のデスクでぼんやりとしていた。小宮山と近藤は外交に出て、課に残っているのは彼と榊原だけ。女子社員の鈴木妙子も、めずらしく休暇をとっていた。
榊原に任された、顧客との取り引きは順調だった。喜多商事や斎田商事、最近取り引きを始めた横浜放送局――彼がお相手する企業のビップは、いずれも海千山千の年配者たちだったが、彼らと付き合っていける自信もついたような気がした。それは多分に、榊原課長のやり方を見て、コツを覚えたのだ。
しかし一平は、仕事に集中できなかった。忘れようとしても、今井早紀のことが頭に浮かんでくる。今井社長の言葉は決定的だったが、彼は割り切れないものを感じていた。あれから二度ほど今井早紀から電話があったが、彼は仕事を理由にデートを断っていた。その時の彼は、断腸の思いだった。

「おい、一平。なにボケーッとしてる?」
不意に声をかけられて、一平は我に返った。目を転じると、榊原がこちらを見ていた。
「あっ――はい。べつになにも――」
榊原はにやにや笑いを浮かべた。
「女のことを考えていたな?こんどの休みもデートだろうが?」
「違いますよ」
「隠すな。相手は今井早紀だろ?」
一平はギクッとした。(なんで課長は知ってるんだ?)
彼の疑問に答えるように、榊原が言った。
「おれが知らないとでも思っているのか?早紀がここに来た時、お前を見る目つきで分かったぞ」
「ぼくたちはそんな関係ではありません。彼女には、いいなづけがいます」
一平は言ったあと後悔した。
(余計なことを――彼女のプライバシーまで話すなんて)
ところが、榊原はなおも追求してきた。
「早紀にいいなづけがいるだと?どうしておまえが知っているんだ?」
一平は返答に窮した。どう返事をしようかと考えていると、今井副社長の姿に気づいた。まるで白熊のようにヨチヨチと歩いて、部屋にいる社員に声をかけていた。
一平の視線に気づいて、榊原がそちらを見た。彼は感の鋭い男だった。
「ボクちゃんが言ったのか?」
彼の言う『ボクちゃん』とは、副社長がぼくと言うのでつけたあだ名だった。
「違いますよ。今井社長です」
言ったとたん、一平はふたたび後悔した。(なんてぼくは、口が軽いんだろう)

榊原はこちらを見ながら、じっと考えていた。一平は急に不安になった。榊原のことだ、まさか社長のところまで行くのでは――。
一平の不安をよそに、榊原はにんまりと笑った。
「一平、おまえは嵌められたんだよ」
「嵌められた?」
「ああ、社長とボクちゃんにな」
「そんな――ふたりがそんなことを――」
一平の言葉は尻すぼみになった。目の片隅に、今井副社長がこちらに近づくのが見えたからだ。いつもの穏やかな笑みを浮かべて――。
「一平、社長やボクちゃんの言葉は気にするな。要は、おまえと彼女の問題だろ?」
「でも社長や副社長は――」
話の途中で、今井副社長が榊原のところに来たのを見て、一平は沈黙した。
榊原がにやっと笑って言った。一平が止める間もなかった。
「社長のことはおれに任せろ。それから、ボクちゃんのほうは全然問題ない。あれは、タヌキの置物のようなもんだ。まったく無視してかまわんよ――」
言ってる途中で、副社長に気づいた。榊原はしれっとした顔で声をかけた。
「あ、副社長。なにかご用ですか?」
「いや、なに、ちょっと寄っただけですよ。それで、なんですかな、ぼくの噂を聞いたような気がしましたが」
心なしか、副社長の温顔が、すこし強ばっていた。
「気のせいですよ。どうですか、お時間があれば、ちょっとお話できませんか?一平、おまえも付き合え」
榊原は立ち上がると、親しそうに副社長の腰に手を回した。

打ち合わせ室の席に落ち着くと、榊原は今井副社長に言った。
「最近、徳永は恋の悩みですよ」
「恋の悩み?ぼくから見れば贅沢な悩みですね。そんなのは若者の特権ですからね」
今井がのんびりとした口調で言った。色白の顔は、しわひとつなく艶やかだった。それに若いときラグビーをやっていただけあって、腰も太腿もどっしりとして太かった。
榊原がにこやかに言った。
「なにをおっしゃいます。副社長こそ、まだまだお盛んそうに見えますよ。恋のひとつやふたつは、あるんじゃないですか?」
「とんでもありません。ぼくはきみのように、女性に持てませんからね」
艶やかな顔をほころばせて、副社長が言った。
その顔を見て、一平はふと思った。この温厚な重役は、榊原の女性関係にたいして、暗に皮肉を言ったのではないだろうか。無邪気な温顔に隠されているが、東大出身という高度の知能があるのは確かだ。
「とんでもない。副社長の艶やかさにくらべたら、私なんか足元にも及びませんよ」
榊原はさらりと言うと、嬉しそうに微笑む副社長に言った。「ところで、徳永の恋の悩みですが、恋路の邪魔をする年寄りたちがおるんですよ」

一平はこの場から逃げ出したくなったが、じっと我慢していた。
「ほーう、恋路の邪魔?けしからん人間ですな」
今井副社長が、とぼけた口調で言った。
「タヌキが始まったか」
榊原は、独り言のようにつぶやいた。それからはっきりと言った。「家柄を気にする年寄りたちが、徳永たちの仲を引き裂こうとしているんです」
副社長が声を出すまでに、少し間があった。
「そうですか――でも、そのお年寄りたちにも、なにか事情があるのでしょう」
「ええ、古臭い事情がね」
榊原は副社長の顔をまっすぐに見ながら、ずけずけと言った。「娘にいいなづけがいるなんて嘘をついて、その実、どこかの七光りのバカ息子を娘に押しつけようとしている、年寄りどもですよ」
横で聞いていて、一平はこの先どうなることか、と気が気ではなかった。
「ちょっと待ってくださいよ」
今井副社長は、もはや不機嫌さを隠さずに言った。「ひょっとして、徳永くんの恋人って、今井社長の娘さんのことですかな」
榊原が即座に言った。
「もちろんそうですよ。副社長は、とっくにご存知だと思っていましたが」
副社長は顔を赤らめた。

「榊原さん、もういいですよ」
一平が見かねて、小声で言った。
「よくはない。こういうことは、はっきりさせておくべきだ」
榊原はきっぱりと言い、それから副社長に向き直った。
「それで副社長は、なにかおっしゃりたいことがおありですか?」
副社長は上品に眉をひそめた。それから、唇を湿らせておっとりと言った。
「ぼくは思うんですが――きみの言い分は一方的ですよ。そのう――いいなづけの件だって、嘘じゃありませんよ」
「嘘じゃない?」
すかさず榊原は立ち上がって、一平にむかって言った。「一平、今井早紀に会いに行くぞ。いいなづけがいるかどうか、彼女に会って直接聞くんだ」
「あっ、ちょっと待ちなさい」
今井があわてて手を挙げた。
「副社長、まだ何か?」と榊原。
「いやなに、彼女は知らないかもしれないと思って――」
「当の本人が知らないかもしれないだって?どういうことですか、それは?」
榊原は座り直すと、困りきった表情をした副社長の顔を見た。そのさまは、まさに罠にかかった獲物を、じっくりと料理しようという顔つきだった。

「あなたは余計なことをしてくれたわね。副社長をずいぶん苛めたそうね」
榊原剛は今井社長の部屋に来ていた。彼は嫌味を聞きながらも、亡き兄の義母にあたる今井京子を、じっくりと観察していた。
「いじめただなんて人聞きの悪い。私は事実を、はっきりと言っただけですよ。それにしても社長、若い二人に干渉しないほうがいいんじゃないですか」
「あなたには関係のないことです。あなたこそ干渉しないでください」
京子はきっぱりと言った。
「そうですか――まあ、私は部外者ですからね。ところで私が来たのは、別のお話があったからです」
剛はそう言うと、スーツの内ポケットから、封を切った封筒を取り出した。薫の葬式が終わって数日後に、薫の服の内ポケットに入っていた、と言って宮内が剛のもとに持ってきたものだった。
彼は封筒を社長に渡しながら言った。
「これは私あての、兄の手紙です。おそらく兄が死ぬ直前に、書いたものでしょう。まずこれを読んでください」
剛は、社長が手紙を読み終わるまで、辛抱強く待っていた。その手紙はなんども読み返していたので、空で覚えていた。

『剛へ
筆無精のおれが、初めておまえに手紙を書く。というよりも、おれ自身の、頭の整理のためかな。
とにかく、この前おまえに話していたことだが、きな臭い匂いがますます強くなってきた。
おれはこれまで、榎本や貝山、それに若井とも直に会ってさぐりを入れてきたが、一方では私立探偵にもあいつらのことを調べさせていたんだ。それで大体、やつらの狙いの構図が見えて来たってわけだ。
まず、やつらは平和銀行を脅して、17億の金を融資させた。もちろん不正融資だ。その金で、アスカビルとメディア21の株を買った。
とにかくやつらが今、第一のターゲットにしているのは、今井良尚の関係する会社だ。彼が生きているときは手が出せなかったが、今やその彼もこの世にいないからな。
まず手始めは、アスカビルだ。この前も言ったように、榎本はおれの会社で、代表権のある相談役になろうと画策している。おそらくあいつらの狙いどおりになるだろう。おれは断固として反対するつもりだが、あいにくおれは、雇われ社長だ。
やつらがアスカビルで勢力を伸ばして何をやるつもりなのか、それははっきりしている。上場させるつもりだよ。貝山は金融庁と証券取引所に顔が利く。だから、それは簡単だ。株が公開されれば、やつらの持っている株券の価値は、十倍以上にはなる。
その次はメディア21だ。やつらは平和銀行からあらたに金を捻出して、株を買いあさるだろう。おれの持つ10万株だけでなく、今井京子の株――あるいは、おまえの10万株も狙うかも知れん。やつらが株を手に入れて、そのつぎに何をやろうとしているのか、それはまだ分からん。とにかくいろいろと悪知恵の働くやつらだ。大株主になって会社を乗っ取るのか、あるいはもっと甘い汁を吸う方法があるのか――いずれにしろ、ろくなことではない。
それから、やつらはマフィアもどきのこともやっている。私立探偵が調べたことだが、やつらは殺し屋を雇った形跡があるんだ。ほら、おまえも覚えてるだろう。5年前の東都商事の重役刺殺事件や、2年前に謎の失踪をした中立証券の会社幹部――茨城の山中で、変死体で見つかったやつだ。あれは全部、榎本が総会でプレッシャーをかけていた企業だ。
ま、おれも、せいぜい気をつけるよ。
ところでおまえに話していなかったが、今井の爺さんは、おれをメディア21の社長にしようと考えていた節がある。いつだったか、爺さん、おれのところにメディア21の資料を持ってきて、これを読んでおけと言ったんだ。それに、爺さんが息を引き取る間際に、わざわざおれを呼んで、後を頼むぞ、と言った。ま、おまえだから言えるが、爺さんの遺書は、書き換えられた可能性があるな。
おっと、そろそろ寝る時間だ。それにしても、すごいじゃないか。おれでもこんな長文が書けるんだ。じゃあ、あばよ』

京子は手紙を読み終わると、気持ちを鎮めるように、しばらく黙っていた。それからおもむろに言った。
「あなたは薫さんの手紙を読んで、どう思っているの?」
「さあ、なんとも言えませんね――」
剛はとぼけた。その実、彼はとっくに調査を開始していた。兄の世話係だった宮内に会って、兄のやとった私立探偵を調べ、その男をたずねて、いろいろと情報を聞き出していた。彼は次に開始する作戦も考えていた。
「社長のご感想はどうですか?」
「さあ、私にはなんとも言えないわ。あまりにも現実離れしているようで――とくに最後のところは、荒唐無稽なお話ね。主人の遺言状が書き換えられただなんて」
「そうですね」
剛は、あえて反論しなかった。「でも、はっきりしていることがあります。兄は自殺したんじゃありません」
京子はギョッとしたように、剛の顔を見た。
剛は冷静な口調で言った。
「だって、その手紙を読めば分かるでしょう?とても、これから自殺しようとする男の書く内容じゃありませんよ。それに窮屈なバスルームで首吊りするなんて――。それも足が届く高さでですよ。もしも兄がその気なら、もっと派手な死に方をしますよ」
[19/02/08 08:36 神亀]
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