(7)
徳永一平は近藤につきそって、東横テレビ局に来ていた。業務部長の佐伯が、にこやかな笑顔で二人を迎えた。
近藤が先日のゴルフの不手際を詫びると、佐伯は微笑みながら言った。
「あんなこと気にしなくてもいいんですよ。うちの会長は、いつまでも根に持つような人ではない」
そこでちょっと顔を曇らせた。「問題なのは、一昨日のことです」
「一昨日のこと?」
近藤が怪訝そうに聞くと、佐伯は大きくうなずいた。
「そう、榊原さんが来られて、小山会長と喧嘩をされましてね」
「――」
近藤と一平は不安そうに顔を見合わせた。近藤が、佐伯におそるおそる聞いた。
「あのう――なんで喧嘩になったのですか?」
「なあに、最初は会長のちょっとした皮肉ですよ」
佐伯は、小山会長と榊原課長のやりとりを再現してくれた。
『わしが甘いものを嫌いなのを知っておりながら、栗饅頭をくれてありがとよ』
『栗饅頭?いったい、どうしたんですか?』
『どうしたもこうしたもない。ゴルフ帰りの土産にくれたんだ』
『それは失礼しました。そんなことが二度とないよう、うちの社員に注意します』
『そんなことはせんでいい。たかが土産のことで、わしがよほどケツの穴の小さい男だと思われるじゃないか』
『そんなことはない。会長はケツの穴のでかい人ですよ』
『冗談はよせ。しかし、きみのところの若い社員は、いい度胸をしてるな。なにせゴルフは初心で、わしの相手をしてくれたんだからな』
『しかし、その素人に、会長は負けたのでしょうが』
『わしに進歩がなくて悪かったな』
佐伯はため息をついた。
「その頃から、なんとなく雲行きがあやしくなってきましてね」
彼は再現をつづけた。
『会長、きょうはご機嫌斜めですね。たかがゴルフのことではないですか。さあ、機嫌を直して。どうです、今夜飲みにいきましょう』
『いま、たかがゴルフと言ったな。お前の考えがよく分かった。それで代わりに、新人のヒヨッコを寄越したんだな』
『ちょっと待ってくださいよ、会長。私はどうしても都合がつかなかったのです。それに徳永はヒヨッコじゃない。立派な大人ですよ』
『だけど新人だろうが――』
『おや、会長、へんなことを言われますね。たしかに徳永は新人ですが、この一年間、私のもとでみっちりと営業の勉強をしてきた社員です。私の部下を軽く見るのは、よしてください』
『だったら上司が悪いんだろうが。大体、お前は厚かましいんだよ。麻雀でもゴルフでも、わしからむしり取るだけむしり取りおって――』
『あれっ、会長。じゃあ、私に、手加減をしろとおっしゃっているんですか?』
『うるさいっ!もう帰れっ!』
『ああ、帰りますよ。じゃあ、また――』
『また、なんかない!もう来なくていい。お前の顔など見たくもない』
「というわけで、一昨日は、二人をなだめるのに大変でしたよ」
佐伯の話が終わって、近藤と一平は愕然とした。それで一昨日、榊原が会社に戻ってきたとき不機嫌だったのだ。
近藤はそわそわしだした。
「じゃあ、私たちも出直します。小山会長にお会いするのは、少し冷却期間を置いたほうがよさそうですね」
佐伯もうなずいて、椅子から立ち上がった。
「そのほうがいいでしょう。今うちの会長に会うと、何を言われるか分かりません」
一平は、先を急ぐ近藤のあとについて廊下を歩いた。角を曲がった途端、近藤はあわてて回れ右をした。彼が慌てた理由はすぐに分かった。廊下の見えないところから、小山会長の声が聞こえてきた。
「よう、近藤くん。この前はご苦労さん」
一平と近藤は、小山会長のお相手をして、東横テレビ局の近くの雀荘にいた。
会長は、案に相違して、機嫌がよかった。一平はキツネにつままれた思いだった。彼は麻雀卓を囲みながら、これには何か落とし穴があるのでは、と疑心暗鬼になっていた。
しかし、今のところ、その兆候はない。それに彼はつきまくっていた。
開始早々、親マンを積もりあがってから、一平はほとんど一人で上がり続けていた。2局終わって、彼の一人勝ちだった。
ときどき近藤が、ちっとはセーブしろ、と言うように彼のほうを見ていた。小山会長のほうは、ムスッと押し黙って、黙々と牌をつまんでいる。
そのとき佐伯がリーチをして、続いて小山会長が自分の牌を倒しながら言った。
「よし、わしも勝負だ。オープン」
会長の手は、なんと清一色だった。しかもドラが頭で二枚ある。オープンだから、上がれば倍満の倍だった。とたんに佐伯が嘆声をあげた。
「えーっ、会長、ひどいですよ。私がリーチをしたあとで」
「フン、勝負だから仕方がないだろうが」
会長は、この勝負はもらったとばかりに、上機嫌だった。自分の順番がきた一平は迷った。降りるべきか、強気で勝負に出るべきか。勝負しても、オープンしている会長に振り込まないのは分かっている。彼は勝負に出た。
「ロン!」
すかさず佐伯が声をあげた。「リーチ、タンヨウ、一発、ドラ一枚――満貫!」
嬉しそうに読み上げる佐伯の横で、小山会長が一平をにらみつけながら、憮然とした声で言った。
「なんだ、見え見えの手に振り込みおって――」
それがケチのつきはじめだった。
一平は、魅入られたように振り込みだした。かわりに佐伯部長につきが回ってきた。部長は童顔を輝かせて、冗談を交えにぎやかになった。一方、相変わらずつきの回ってこない会長は、無表情に麻雀をしている。
途中で小休止があり、二人の客がトイレに立ったとき、一平はホッとした。彼はすでに負けに転じていた。
「おい、徳永、お前どれくらい負けているんだ?」
近藤が聞いた。
「千円くらいです」
「千円か。じゃあ、まだ大丈夫だな」
「近藤さんは?」
「おれも同じくらいだ。お前、金を持ってるのだろうな?」
一平はギクリとした。給料日前で、財布の中身が寂しかった。
「あまりありませんけど――近藤さんは?」
「おれもあまり持ってない。お前、自分の負け分くらいは払えよ」
途端に一平は、落ち着かなくなった。
麻雀が再開され、今度はやっと小山会長につきが回ってきたようだ。さほど大きな手ではないが、立て続けにあがり出した。
「会長、快調にとばしていますね」
佐伯が駄洒落を言った。ようやく気分のほぐれてきた会長が、明るい声で言い返した。
「これまでさんざん苛められたからな――あ、それ、ロン!」
会長が、一平の切った牌を見て、自分の牌を倒した。
「ハネ満だな」
一平は声もなく点棒を払った。彼の負けは、もはや財布の中身では足りない額に達していた。頭の中で、羽の生えた千円札が飛び交っていた。
「おい、徳永、お前の番だぞ」
近藤の声に、一平はあわてて牌をつもった。そこでハッとした。スーアンコウをてんぱったのだ。しかも単騎待ち。この場のルールでは、上がれば役満の倍の手だった。にわかに心臓が高鳴りだした。
(これで、負けが挽回できる)
一平がそう思った途端、対面から小山会長が捨て牌を場に置いた。
一平は後先考えず、反射的に声を出していた。
「あ、それ当たりです」
倒された一平の手牌を見て、ほかの3人が息を呑んだ。
「ええっ、スーアンコウ単騎待ち――親だから9万6千点!」
佐伯が唖然として言った。彼と近藤は、つとめて会長のほうを見ないようにしていた。
一平も息を潜めて、ひたすら下を向いていた。しばしの沈黙があり、小山会長の押し殺した声が、一平の耳に聞こえてきた。
「上等だ――わしを狙い撃ちにするとは、いい度胸をしている」
「プーさん、すごく良かったよ」
榊原剛は、うつ伏せになってベッドに横たわる、小宮山の裸体を見下ろしながら言った。その肌は、女のように色が白くふっくらとしている。
横浜駅に近いビジネスホテルの一室だった。
振り返った小宮山の顔は、情事の名残をみせて紅潮し、うっすらと涙を滲ませている。
最初のころは、反抗的だった小宮山に業を煮やして、無理やり犯した。同じく先輩格の部下、近藤も同様だ。
その時、気づいた。(へーえ、男の味もいいもんだ)
二回目からは折檻目的ではなく、快楽のために彼らを抱いた。剛のたくましい男を受け入れるのは大変な苦痛が伴うようだが、彼らはさして抵抗しなかった。怖いからか、それとも元々そんな気質があったのか、それは剛にも分からない。
長谷千佳子との情事では、男女関係の面倒な心のもつれを、いやというほど経験していた。しかし小宮山たちなら、女のように騒ぎ立てはしない。
それ以来、剛はときどき小宮山や近藤を抱いた。彼らには女と違った魅力があった。中年太りした柔らかい体は、心の抵抗なく抱けた。それでいて、男と男がセックスをするという異端の思いに、すごく興奮した。
それに、屈辱的な体位で犯されながら苦痛の声をあげていた二人も、回を重ねるにつれ、最近は控えめに喜びの反応を示すようになっていた。

東横テレビのふたりと別れたあと、一平と近藤は横浜駅にいた。
近藤が腕時計を見ながら言った。
「どうだ、ちょっと寄っていくか?この時間なら、まだ店は開いているぞ」
そのとき一平は、ちょうどタクシー乗り場で別れようとする二人を見て驚いた。榊原課長と小宮山だった。
「あれっ、榊原さんじゃないですか?」
一平は思わずつぶやいた。彼の視線の先を近藤が追った。
「ああ、榊原さんだ。それに小宮山さん――」
そこで二人の微妙な雰囲気を感じ取った近藤は、一平の腕を引っ張った。「まずい。引き返そう」
なにがまずいのか分からないが、一平は近藤に腕を引かれるまま、あわてて駅舎に引き返そうとした。その彼らの背後から、榊原の声が聞こえた。
「おい、ポンちゃんと一平じゃないか。どこに行くんだ?」
結局4人は、駅の近くにある小さなスナックに行った。そのスナックは一平たち寮生が、ときどき利用する店だった。店に入ると、2、3人の寮生が酒を飲んでいた。
「ところで戦果はどうだ?」
席につくと、榊原が二人に聞いた。
さっそく近藤が、麻雀の様子を報告した。
聞きおわると、榊原は眉を曇らせてポツリと言った。
「まずいな――」
一平は、榊原の不吉な一言にギクリとした。彼はつばを飲み込んで、小さな声で言った。
「でも榊原さんは、この前言ったじゃないですか。手抜きをするのは、かえって失礼に当たるって」
「ああ、確かに言った。しかしあの小山会長に、役満の倍の直撃弾を食らわせるとは、強烈なことをやったな。あの人は、口では勝負にこだわらないとか言ってるけど、けっこう根に持つタイプだからな――」
そこで榊原は、近藤のほうを見た。「それで、ポンちゃんの負けはどれくらいだ?」
「二千円ほど負けました。大負けした小山会長のぶんは、ほとんど徳永にいきました」
一平はあわてて、近藤の言葉を訂正した。
「そんなことないです。佐伯部長もだいぶ勝っていましたから」
榊原は思案げに一平の顔を見ていたが、やれやれというように肩をすくめた。
「ま、済んだことは仕方がない。徳永、お前はしばらく小山会長のところに通いつめろ」
一平はギョッとした。
「どうしてですか?だってあの会長は、私のような青二才を、憎悪の対象としか考えていないような方ですよ」
「オーバーな奴だな。しかし、毒を食らわば皿までということもある。お前が小山さんに徹底的に嫌われるか、それともまかり間違って気に入られるか――とにかく最後まで付き合ってみろ」
「――」
一平は声もなく下を向いた。彼は上司の勝手な言い分に、腹をたてていた。その気持ちが、彼の口をついて出た。
「ところで、こんな遅くまで、榊原さんたちは何をしていたのですか」
「ああ、もちろん仕事だ」
妙に気恥しそうな小宮山の横で、榊原はぬけぬけと言った。
「こんなに遅くまで残業していたのですか?」
一平の追求に、近藤がそっと彼の脇腹をつついた。
「残業だけじゃない」
榊原はあっさりと言って、小宮山の腰に腕を回した。「仕事の後、プーさんと親睦を深めていたんだ」
「そうですか――こんなに遅くまでね」
一平はつぶやくと、ウイスキーをすすった。
榊原は面白そうに、一平の顔を見た。
「一平、なにか言いたいのか?男同士が付き合ったらいけないのか?」
一平はそれに答えず、肩をすくめた。
しばらくして、榊原が立ち上がった。
「じゃあ、おれは遠いんで、先に帰る。徳永、勘定は頼んだぞ」
「ええーっ!どうして――」
「麻雀に勝ったやつが奢るのが当然だろうが。じゃあな」
榊原はさっさと店を出ていった。