■ カンパニー(第3章 女相続人) - (5)
(5)
徳永一平は、客とゴルフの付き合いをしろ、と榊原課長に言われたとき、仰天した。しかも次の日曜日だと言う。
「榊原さん、私はゴルフをやったことがないんですよ」
「だったら、練習しろ。まだ5日もあるじゃないか」
「まだ5日もあるじゃなくて、5日しかないんです。第一、にわか練習ですぐ本番だなんて、お客さまに失礼です」
榊原は一平の顔をまじまじと見た。
「おや、おまえは女と本番をやるときも、自家発電でたっぷりと練習を積んで、事に臨むのか?」
「そんな――」
一平は顔を赤らめた。「それとこれとは違いますよ」
「同じようなもんだ」
榊原はサラリと言うと、近藤に声をかけた。「ポンちゃん、お聞きの通りだ。徳永にゴルフを教えてやってくれ」
横で聞いていた近藤が、嬉しそうにうなずいた。
一平は仕事が終わると、毎日、ゴルフの打ちっ放し場で練習した。
いつも近藤がつきあってくれた。近藤は、ずんぐりむっくりした体型にかかわらず、ゴルフがうまかった。もともと体が柔軟な上に器用だったのだ。
彼は手取り足取り、一平にスイングを教えてくれた。
「ほら、グリップがきつすぎる。構えたときは、自分のナニを掴むつもりで、柔らかく握るんだよ」
「まだ腕に力が入っている。鞭だよ。きみの腕は鞭だと言いきかせて、スイングしてごらん」
「だめだめ、上体が固すぎる。きみは若いから、固いのは分かるけど、それは股座だけにしろ。さあ、肩の力を抜いて」
最初は空振りやチョロが多かったが、近藤のアドバイスが利いて、じょじょにボールが遠くに飛び出した。五箱打ち終わったところで、一平はへばった。左手のひらにマメが数カ所出来ていた。
「もう駄目です。マメが出来て、痛くって――」
近藤は慣れたリズムでボールを打ち終わると、汗ばんだ顔をタオルで拭きながら、椅子に腰掛けた。
「そろそろやめるか。しかしきみは筋がいいぞ。毎日続ければ、なんとかなりそうだ」
近藤は会社にいるときの様子と違って、すっかり自信に満ち溢れ、小さな目を生き生きと輝かせていた。
上司のお世辞を聞き流して、一平は肝心のことを聞いた。
「日曜日にお相手するお客さまって、どこの方なんですか?」
「なんだ、きみ、榊原さんに聞いていないのか?」
近藤は驚きながら言った。「東横テレビの小山会長と佐伯部長だ」
「えーっ、そんな偉い人たちですか?」
「ああ、小山会長は財界の大物だ。普通なら、われわれ一介の社員がご一緒できないような方だぞ。もっとも佐伯部長は温厚な人だから、あまり気を使わなくてすむけどな」
「小山会長はどんな感じの方なんですか?」
近藤は答える前に、すこし躊躇した。
「どんな感じって――テレビ局では、超ワンマンらしいよ。そうだな、どことなく得体の知れないところがあって。とにかく、いかにも大物って感じの人だ」
一平はだんだん不安になってきた。
「そんな偉い人と、初心者のぼくがゴルフをやるなんて。ほんとにいいのですか?」
「いいも悪いもない。榊原さんの命令だからな」
「でも、命令だからといって、お客さまにご迷惑のかかるようなことは――」
近藤は、一平をジロリと見た。
「きみ、榊原さんの前でそんなことを言うなよ。あの人を怒らせると、何をされるか分からんぞ。私なんかこれまで――」
そこまで言って、近藤はあわてて口を閉じた。「とにかく日曜日はがんばってくれ。小山会長は勝負に厳しい人だからな。あまりヘタクソだと、怒って帰ってしまうかもしれんぞ。それに、そんなことになろうものなら、今度は榊原さんが――」
近藤は最後まで言わなかった。そのことが、かえって一平の不安を増幅させた。彼はそわそわとして立ち上がった。
「あのう、近藤さん。ぼく、もう一箱打ちます」
日曜日の早朝、一平はスタート時刻より一時間前にゴルフ場に着いて、打ちっ放し場で練習した。昨日は、寮生たちとショートコースのゴルフ場に行って、一日中ゴルフをやった。結果はさんざんだった。
一平は球を打ちながら、きょうは何か恐ろしいことが起こるのではないか、と不安な気持ちでいっぱいだった。
練習を終えてクラブハウスに戻ると、近藤が食堂で接待客の相手をしていた。彼は一平を二人に紹介したが、彼自身もかなり緊張しているようすだった。
東横テレビの小山会長は、年の頃60代半ば、顔も体つきも大仏さまのような、恰幅のよい老人だった。捉えどころのない表情をして、眠そうな目で一平を見ていた。一平はこの老人に、息苦しいほどの威圧感を覚えた。
一方、業務部長の佐伯は、人好きのする童顔の中年男で、見るからに穏やかな性格の持ち主のようだ。
佐伯が愛想よく話しかけてきた。
「榊原課長はご都合が悪いとお聞きしましたが、なにかあったのですか?」
「はい、奥さまの実家に行かれています」
近藤が正直に答えた。
それを聞いて、佐伯の顔に不審そうな表情が浮かんだ。
「おや、榊原さんは確か――」
彼はおしまいまで言わなかった。榊原が離婚しているのを知っていたのだ。
近藤があわてて言い足した。
「あ、いや、元奥さまのことです。なんでも、元奥さまの身内にご不幸があったとか」
「そうですか。榊原課長もたいへんですな」
佐伯がその場の気まずさを、笑ってごまかした。
それまで黙っていた小山会長が、口を開いた。
「フン、あの男のことだ。なにをやってるか分からんぞ。案外、他の女の尻でも、追っかけ回しているのと違うか」
近藤が同意するようなお愛想笑いをした。
どうも会話の流れがぎこちなかった。一平はそれを痛いほど感じていたが、控えめにことの成り行きを見守っていた。
そのうち佐伯がスタート時刻に気づき、立ち上がった。
「そろそろ行きますか。徳永さんはお上手そうなんで、こちらにとっては不利ですが、この前のように会社対抗戦でやりましょうか?」
一平が、自分は初心者だと言おうとしたときには、ほかの3人はすでに席を離れていた。
他人のプレーなど見る余裕はなかった。一平は、にわか勉強で詰め込んだゴルフのマナーを反芻しつつ、他の3人に迷惑をかけないことだけを気にしていた。
それでも失敗はあった。小山会長が、大事なパットをしようとしているときに、グリーン上を歩いてジロリとにらまれたり、会長がフェアウエーでボールを打とうとしているときに、前のほうに立っていて注意されたりした。
しかしスコアのほうは、初めてにしては、そこそこにまとまっていた。チョロやOBはあったが、午前中をまわって56だった。午後はすこし落ち着きを取り戻して、47で回った。トータル103。初心者にしては、上出来のスコアだった。
もちろん、近藤や佐伯の足下にも及ばない成績だが、小山会長より2打勝っていた。結果的には、それが会社対抗戦の勝敗にむすびついて、接待するほうの勝利となった。
ゴルフは無事終わったが、そのあとが波乱含みの展開となった。まず、土産を用意していなかったのだ。近藤に確認されて、土産を用意しなければいけないことに気づいたのは、風呂に入っているときだった。一平は大慌てで浴槽を飛びだし、クラブハウスの売店で間に合わせの土産を買った。
風呂からあがった彼らは、レストランで軽食を取った。小山会長は、もともと無愛想な表情をした老人だったが、朝のときよりもずっと不機嫌そうだった。
佐伯が緊張した雰囲気をとりなすように話をしたが、その彼さえも、会長の機嫌の悪さを気にして固い表情をしていた。
一平は、精神的な重圧に、肩や首筋にしこりを感じていた。はやくお別れにしたかった。そっと横を見ると、近藤も同じようなことを考えている顔つきだった。
「いやあ、榊原課長がいないので、今日こそ勝てると思っていましたが、また負けましたな」
佐伯が意識して明るい声で言った。
近藤がお愛想笑いを浮かべて言った。
「申し訳ございません。私もいつになく調子がよくて――」
「なあに、謝ることはありません。それにしても徳永さん、お若いだけによく飛ばしますね。筋がいいから、練習すればもっとうまくなりますよ」
「はあ――今日はご迷惑をおかけして、申し訳ございません」
一平は神妙に謝った。
話題が一平のことに移って、ホッとしたようだ。近藤が軽く言った。
「徳永は、きょうが筆下ろしなんです。まだマナーもよく知らないものですから、本当にご迷惑をおかけしました」
近藤は言った後、しまったという表情をした。
その横で佐伯がエッという顔をした。しばらくして、彼は思い直したようにお世辞を言った。
「――そうですか。初めてで103とはすごい。私なんか20年以上やっていて、今もって100以上叩くことがありますからね」
そこで彼は、会長のスコアに気づき、黙り込んだ。
ふたたび気まずい沈黙が流れた。
小山会長がおもむろに口を開いた。
「初心者なのに客の接待ゴルフをやるとは、いい根性をしているな」
一平は、小山会長の言葉をどう解釈していいか分からずに、下を向いた。彼の耳に、小山会長の声が聞こえてきた。
「わしも、ずいぶん甘く見られたもんだな」
その言葉が、一平の心臓にぐさりと突き刺さった。横目で見ると、近藤も下を向いて固まっている。
「申し訳ございません」
一平は思わず言って、頭を下げた。
とたんに、小山会長の鋭い声が飛んだ。
「男は安易に謝るもんじゃない!」
ハッとして顔を上げると、小山会長は例の心情のつかみにくい目で、まっすぐに一平を見ていた。
「きみは上司に命令されて、ゴルフをやっただけだ。それにしても人の前では、初心者だという言い訳はきかん。もっとマナーを勉強することだ」
「はいっ!」
一平は姿勢を正して言った。
「それから、佐伯――」
小山会長は横の佐伯部長を見た。「わしはお前よりも10年以上永くゴルフをやっているが、たいがいが100以上のスコアだ。悪かったな」
佐伯が椅子の上で小さくなった。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか。今日はご苦労さん」
会長が椅子を引いて、立ち上がった。あわてて佐伯と近藤が後を追った。