■ カンパニー(第3章 女相続人) - (3)
(3)
堀は暗澹たる気持ちで職場に戻った。これから海千山千の総会屋たちの相手をしなければならないと思うと、その重圧に押しつぶされる思いだった。
席に戻ると、女子社員の長谷千佳子が彼に声をかけた。
「部長、奥さまからお電話がありました。席に戻られたら、おうちにお電話くださいとのことです」
彼は小さくため息を吐くと、受話器に手を伸ばした。
堀幸男は、東北地方にある農家の次男坊として生まれ、高校を卒業するまで、地方都市の素朴な環境の中で育った。彼は田舎育ち特有の、朴訥で温厚な性格をしていた。彼の頑健な肉体には、先祖代々の粘り強い百姓の血が流れていた。両親は、秀才で通っていた息子が、やがては学者か医者になることを夢見ていた。
東京の大学に入った堀は、一種のカルチャーショックを受けた。大きなビル群と発達した交通網。いたるところに大勢の人間がいた。見るもの聞くものすべてが目新しかった。
しばらくして、彼の地方なまりは薄れてきたが、生来の朴訥な性格は変わらなかった。
多くの学生たちが自由気ままに青春を謳歌しているとき、彼は大都会の悪癖に染まらず、学問に集中した。
彼は両親の期待に反して、弁護士を目指して法律の勉強をしていたが、そのためには弁論の才が必要なことに気づいた。彼にもっとも欠けている資質だった。結局、初志を曲げて、メディア21に就職した。社内での彼は、優秀な頭脳にかかわらず、生真面目で目立たない存在だった。彼は管理畑の仕事を中心に、脇目も振らずに働いた。
ある日、堀は総務担当重役に呼ばれた。つぎの休みの日に、重役の自宅に来いと言うのだ。その重役の家で引き合わされたのが、敏子だった。堀から見れば、まばゆいばかりの美人だった。20代後半の均整のとれたしなやかな肢体、大きな瞳が値踏みするように堀を見ていた。
堀はコチコチになりながら、重役の家で半日を過ごした。家の中はなにもかもが豪華で、そして上品だった。粗雑な住まいに慣れきった彼にすれば、居心地の悪い雰囲気だった。
夕方になって帰るとき、彼は心底ほっとする思いだった。首筋と両肩が、緊張の連続に強ばっていた。そのとき、二度と縁がないだろうと思っていた重役の一人娘が、次の日曜日に堀をデートに誘ったのだ。
女性との初デートに、堀はどこに行ったらいいのかとまどっていた。しかし、敏子は何の躊躇もなく、連れ込みホテルに入っていった。そのとき堀は、39才にして初めて女性を経験した。
それまで彼が童貞だったのは、べつに性的欠陥があるわけではなかった。ただ女性にたいして極端なほど臆病だっただけだ。彼は、10歳年下の敏子の手慣れたリードによって、歓喜の波にのみ込まれた。彼女のあけっぴろげな肉体の開放によって、女性に抱いていた神秘のベールが引き剥がされた。
失望したわけではなかった。むしろ肉欲のもたらす快楽に、麻薬のように魅せられた。
その日、彼らは一日中ホテルの部屋で過ごした。彼女は何度も堀に挑みかかり、並外れて健康体の彼は、それによく持ち応えた。彼が元気をなくすと、敏子はまるでゴム製のおもちゃを扱うように、彼のオトコをもてあそんだ。ぎゅっと握り締めたり、引っ張ったり、はては口に含んで舌先でくすぐったりする。そして堀がふたたび可能になると、にんまりとして、腹の上にまたがってくる。
別れるとき、堀は頭の芯に鈍痛を覚えていた。彼の疲れきった頭に、彼女の声が響いた。
「私、あなたと結婚するわ」
「でも――ぼくたちは、歳が離れすぎてるよ」
突然のことに戸惑う堀に、追い討ちをかけるように彼女が言った。
「まさかあなた、あれだけやりまくっておいて、いやだとは言わないでしょうね」
堀はグウの音もでなかった。
二人は結婚し、敏子の父親が買ってくれたマンションでの新生活が始まった。またそれは、堀の悪夢の始まりでもあった。彼は知らなかったのだ。自由奔放でわがままな娘に手を焼いた重役が、社内一のオーソドックスかつ辛抱強い堀に目をつけて、娘を押しつけたことを。そしてまた、敏子が彼を選んだのは、農夫のように頑健な肉体と従順な性格が、彼女の役に立つと思ったからだということを。
要するに彼女にとって、夫などというものは、満足いくまでベッドで楽しませてくれればよかった。それに彼女がほかの男をつまみ食いしても、文句を言わないことだ。その点では、堀のような男は、まさに夫として理想的だった。
妻の父親の影響力で、堀は出世しだした。それに彼自身も、以前にも増して仕事に熱中するようになった。家に帰るのが恐かったからだ。好き者の敏子は、ますます変態的な行為を強要するようになっていた。痛さに飛び上がるほど睾丸を握り締められたり、局所に氷を押しつけられたりするのは序の口で、肛門に張り形を突っ込まれもした。
堀はそんな敏子を、憎むよりも心底恐れていた。
しかし、彼はこのところ、ずっと欲求不満だった。と言うのも、妻が夜の要求をしなくなったからだ。どうやら彼女は、50代の夫より、もっと活きの良い若い男を見つけたようだ。そのこと自体は堀にとって、ほっとする思いだったが、一方では、生理的な欲求が強まるばかりだった。
健康体の堀は、悶々とした毎日を送っていたが、ひとつだけ楽しみがあった。それは混み合う電車の中で、若い女性たちと触れ合うことだった。腕や胸、ズボンの前に触れる女性たちの感触は、衣服を通しての触れ合いとはいえ、彼の性欲を刺激した。時には身動きできないほどの混雑の中で、若い女性とぴっちりと体を合わせる幸運に恵まれることがあった。弾むような若々しい女体の息吹、鼻を突くかぐわしい香り。それだけで彼は、気も狂わんばかりに発情した。朝っぱらからズボンの中で勃起させ、頭の中ではみだらな想いが渦巻いていた。
――◇――
「そうか。すくなくとも世間知らずの女じゃないな」
「ええ。堂々として、なかなかしっかりした社長です」
円堂昌輔は、国会議員の貝山博に、メディア21を訪問した報告をしていた。
貝山博は恰幅の良い60過ぎの男で、年相応に肉のついた顔はてらてらと脂ぎっている。そのずんぐりとした固太りの体は、無尽蔵の精力で溢れかえっているようだ。顔つきも、横に張った太い鼻と肉感的な唇をして、政界でも一、二を争う艶福家で通っていた。
「わしも一度、新社長にご挨拶してみるか。テレビで見たが、今井の爺さんにはもったいなかったほどいい女だ」
貝山はほくそえんだ。
先生の好色そうな顔を見ながら、円堂は、早くひとりで夜の街に出たい気持ちを押し隠していた。
円堂昌輔の子供時代は、何不自由のない、平和で豊かなものだった。都心にある小奇麗な一戸建て。安定した収入のあるサラリーマンの父親。やさしい母。そしてまた彼自身も、親たちが理想に思うような、従順な性格をした健康的な子供だった。彼は成長するにつれ、両親が望むとおりの一流大学に進学し、そして一流の銀行に入社した。
しかし昌輔には、人に言えない密かな想いがあった。彼が父から受け継いだ体型――ふっくらとして足の短い体つきは、中学時代から抱いていたコンプレックスだった。その気持ちはいつのまにか、すらりとして足の長い、同性の男へのあこがれに変わっていた。
大学生のとき、昌輔は、ある背の高いハンサムな同級生に片思いした。その男、城山は、同じ絵画部でクラブ活動をしていた。何事につけ目立つ存在の男だった。スポーツ万能で明るい性格をしており、手足の長いすらりとした体格と彫りの深い甘いマスクをしていた。当然のことに、城山の周りにはいつも女子大生たちが群がっていた。
そんな城山の一挙手一投足を、昌輔はいつも密かに見守っていた。ときに城山がふざけて、昌輔の体を抱きしめたりすると、彼はもう天にも昇る思いだった。
夏休みに絵画部の仲間が4人集まって、那須の別荘地に行ったときのことだった。グループの中には城山もいた。
皆はスケッチを描いたり、バレーボールをやったりして日中を過ごした。
宿はひなびた旅館だった。まだ日が高かったので、皆で近くの露天風呂に行った。岩を組んで作られた湯船は、まだ陽も明るいこともあって、すべてが透明感に包まれていた。
服を脱ぎ、澄みきった湯の中に浸かったとき、若者たちは昌輔の裸体に息を呑んだ。それほど彼の裸は人目を惹いた。ふっくらと丸みを帯びた体は、女のように色が白く、きめの細かい肌をしていた。
友人たちに自分の体をじろじろと見られて、昌輔は落ち着かなかった。冗談っぽく、なんだよ、と軽口を叩いたが、気まずい雰囲気だけが残った。風呂からあがって服を着るときも、昌輔は背後に友人たちの視線を感じていた。
その夜、昌輔は生涯忘れられぬ屈辱を味わった。
食後、彼らは部屋に集まって、座ったり寝そべったり、思い思いの格好でくつろいでいた。布団はすでに敷かれていて、部屋の中は4人の男たちで息苦しいほどだった。アルコールが入って、彼らはいつもより開放的な気分になって、女のことやセックスのことをあからさまに話していた。
そのうち城山が友人たちに目配せして、立ち上がると、昌輔の横にきた。彼の甘い顔は、なにかを企んでいるようにゆがんでいた。
彼は体をすりよせると、興奮にかすれた声で言った。
「昌輔、楽しいことをやろう。服を脱げよ」
城山が抱きついてきた。最初は悪ふざけだと思っていた昌輔は、浴衣を脱がされだして、とまどい、それからひどく慌てた。
「いいじゃないか、減るもんじゃないし。裸になれよ」
城山は息を荒げて、なおも執拗に、昌輔の下着を脱がせようとした。
昌輔はもがき、抵抗した。そのとき他の二人が加わって、彼の体を押さえつけた。
男3人の力にはかなわなかった。
昌輔はあっという間に素っ裸にされ、布団の上にうつ伏せに押さえつけられていた。
「やめて!冗談はよせよ!」
昌輔は、もがき、叫んだ。
しかし男たちはやめなかった。最初は冗談のつもりだった彼らも、昌輔の女のように白い肌を目にし、そのむっちりとした柔らかい肌に触れ、若い欲望が暴走した。
「やめてくれ!駄目だ!ほんとに駄目なんだよ!」
背後から腰を持ち上げられたとき、昌輔は激しく腰を捩って、叫び続けた。しかし昌輔の懇願もむなしく、男たちは二人がかりで彼の両腕と背中を押さえつけ、身動きすることもできなくなった。
城山が昌輔の太腿を開いて、膝を推し進めてきた。
尻の狭間に熱いものが押し当てられた。そのあとは苦痛と屈辱の連続だった。昌輔はなすすべもなく、布団に顔を押しつけて、弱々しく喘ぎ続けるだけだった。
部屋の中にみだらな熱気が充満した。他の男たちは押し黙って、城山の暴行を熱っぽい目つきで見守っていた。城山が果てると、こんどは他の男が入れ替わった。
那須から戻った昌輔は、絵画クラブを退部して、一人きりで過ごすことが多くなった。
息子が極端に無口になったことを両親は心配したが、昌輔は別荘地での出来事を誰にも話さなかった。
体に受けた男たちの刻印は、ぬぐいようがなかった。それにも増して、密かに想いを寄せていた城山に裏切られたことで、彼は極端な人間不信に陥っていた。
大学を卒業して銀行に入った昌輔は、仕事に没頭した。そのころの彼には、同性に対する特殊な興味は影を潜めたかに見えた。
しかし、学生時代の苦い思い出が薄れてくるにつれ、同性へのほのかな想いが、またぞろ頭をもたげてきた。
休日の前夜は、ひとりであてもなく夜の街をさまよい歩いた。なにか素晴らしいことが起こるのではないかという淡い期待が、彼にそうさせたのだ。
その後、45歳になったとき、貝山先生の秘書になった。
彼の意志ではなかった。経理に明るい秘書を探していた貝山と銀行重役の、強引ともいえる取り引きだった。それ以来、彼は国会議員に仕えてきた。
そして今、彼は50才を過ぎてなお独身を通していた。最初のうち彼の母親は、女性にまったく関心を示さず、いつまでたっても独身を押しとおす息子にとまどっていたが、その内あきらめたように何も言わなくなった。
その母も、昨年の冬に他界していた。