■ カンパニー(第2章 メディア21) - (8)
(8)
斎田社長と榊原の、囲碁の対局が始まった。
一平は榊原の横で、二人の対戦を見守った。囲碁は知っていたが、二人の腕前は、はるかに上だった。そしてまた、二人の棋風がまったく違うのに気づいた。
斎田社長が、正統派らしくバランス感覚のある打ち方をするのに対し、榊原は攻撃的で、機略あふれる打ち方をした。
形勢は揺れ動いた。二人はすっかり碁に没頭して、次の手を読みふけっている。盤面をにらみつけ、ブツブツとつぶやき、まるで真剣勝負そのものだ。
中盤にさしかかって、ようやく勝負が見えてきた。盤の中央部分に、老人の大きな陣地ができあがりかけていた。勝利を確信した斎田社長は、ソファーにふんぞり返ると、盤をにらんで呻吟する榊原の顔を、小気味良さそうに見ていた。
榊原は顔を真赤にして、盤をにらみつけている。それから黒石をつかみ、おもむろに盤上に置いた。相手の陣地内に爆弾投下する、勝負手だ。
「おやおや、元気のいいことだ。しかし、飛んで火に入る夏の虫だな」
斎田社長がすかさず応戦した。
小考して、榊原が最初の石から桂馬飛びに石を置いた。
「しかし、きみもしつこい男だな。負けず嫌いと言うか、往生際が悪いと言うか――」
斎田社長は、うんざりしたように言いながらも、慎重に読んで次の手を進めた。数手進んだとき、場が少しもつれてきた。それとともに、老人の軽口も聞こえなくなった。
いまや盤上は、くんずほぐれつの大乱戦となっていた。
30代の男とその倍も年上の老人は、顔を真赤にし、眼をギラギラと輝かせて、一心不乱に次の一手を読みふけっている。
一平は半ばあきれかえった。たかが囲碁の勝負に、まるで命が懸かっているかのようだった。二人とも、相当の負けず嫌いだ。
ついに決着をみた。
榊原が妙手を放って、迎え撃つ老人の陣地内で生きてしまったのだ。斎田社長は膝を握り締めて、見るも無惨な盤上をにらみつけていた。それを榊原は、涼しげに見ている。
「勝負はつきましたね」
「――」
すこしして、斎田社長は押し殺した声でつぶやいた。
「――わしが勝っていたんだ」
「そう、途中まではね」
榊原がさわやかに言った。
「いいや、途中で勝負はついていた」
「とんでもない。勝負は下駄を履くまで分かりませんよ」
「いいや、わしが勝っていた」
「斎田さん、そんなしつこいことを言わずに、潔く負けを認めなさい」
「しつこいのはお前じゃ!」
斎田社長が怒りだした。
榊原は、オヤと言う顔で、老人を見た。
「斎田さん、たかが囲碁の勝負じゃないですか。なにもそんなに、ムキになることもないでしょうが」
「ムキになってるのはお前のほうだ。お前のような厚かましい男は嫌いじゃ!」
老人の言葉に、榊原はその顔をまっすぐに見返した。
一平はいたたまれずに、下を向いていた。その彼の耳に、榊原課長の声が聞こえてきた。
「斎田さん、不幸な老後を過ごしたくなかったら、そんな憎まれ口はよしたほうがいいですよ」
「なにいっ!この青二才が!もうお前とは取り引きしないぞ」
「ああ、結構ですよ。ただし、さっきの約束は守ってもらいますからね」
「何の約束だ。わしは知らん!」
「知らないだと?爺さん、尻を引っぱたくぞ」
「ほう、やっと本性を表わしたな。じゃあわしは、お前のちっこい逸物を握り潰してやる」
「爺さん、それはやめときな。おれのでっかい持ち物を見たら、ひどい劣等感に陥るからな」
そこで斎田社長は、小柄な体を震わせて怒鳴りだした。
「帰れっ!尻に帆をかけて、とっとと失せろ!」
「また、やってしまいました」
「やっぱりな。だから私は、一緒に行かなかったんだ」
ふたりは支社に戻って、支社長の部屋にいた。それにしても支社長と榊原は、客先での口喧嘩を、他人ごとのように話していた。
一平の顔を見て、支社長が言った。
「榊原くんと斎田社長が口喧嘩するのはいつものことだ。ウマが合うからな」
(ウマが合うから?)
一平は訳が分からなかった。
榊原が横から説明した。
「あの爺さんは、意外にシャイなんだ。おれに負けたのはくやしいが、敵ながらあっぱれだという気持ちもあるんだ。だからああやって、喧嘩を吹っかける。だけど本心からじゃない。その証拠に、壺を持って帰れとは言わなかっただろう」
「――」
「今頃は、よだれを垂らしながらあの壺を撫で回しているよ」
そこで榊原は、旅行鞄をごそごそとかき回していたが、大きな封筒を取り出した。
「番匠さん、ヨカトシティーの提案書です。開発事業本部の連中の尻を叩いて、大至急作らせました」
「ええっ!もう用意していたのか?」
「ええ、開発の堀部長はとても協力的ですからね。彼に頼めば、徹夜してでもやってくれますよ」
「頼んだというよりは、脅迫したんだろうが」
支社長は封筒を受け取ると、中身を取り出した。
5、6枚ほどの台紙に、『ヨカトシティー・メディア計画』とタイトルがうたれ、カラフルな色彩のスケッチや説明書きが記載されていた。
「すべてデジタル方式を採用しています。基本のハードは、デジタルカメラにパソコン、大型スクリーン、カラープリンター、プロジェクター。コーナー毎にテーマを決めて、初心者でも自分で操作して楽しめるような工夫をしています。
それにリピーターを狙って、飽きの来ないようにゲーム性を高めています。つまり、あまり小難しいことを考えずに、楽しく遊べて、遊びを通して自然にマルチメディアを理解する。そして当社のノウハウを買う。まあ、こんな企画ですわ」
榊原は得々と説明した。彼は企画内容のすべてを、頭に納めているようすだった。
番匠支社長が感心して言った。
「さすが、榊原くんだ。明日が楽しみだ」
「いや明日は、私は行きません。斎田商事の担当は、ここにいる徳永にしましたから」
驚く一平の横で、支社長があわてて言った。
「だってきみ、徳永くんはこの企画書を説明できるのか?」
「大丈夫ですよ」
榊原は、鞄から書類の束を取り出し、それを一平に渡した。「虎の巻だ。明日までに読んでおけよ」
書類をめくると、企画の詳細がぎっしりと書き込まれていた。一時間やそこらでは、とても頭に入りそうにない。
「それで、きみは明日、どうするんだ?」と支社長が榊原に聞いた。
「ここのところ、ろくに休みを取っていなかったので、のんびりしますよ」
「じゃあ、明後日の斎田社長とのゴルフはやるんだな?」
「もちろんですよ。爺さん、碁で負けたので、そうとう気合を入れてくるでしょう」
そこで榊原は、一平を見た。「徳永、明日の仕事が終わったら、きみは実家に寄ってゆっくりしろ。東京には日曜日の夜、戻ればいい」
(榊原さんもいいところがあるな)
一平は、珍しく温情味のある課長の言葉に、ほのぼのとした気分になった。
「ただし、明日の説明はビシッと決めろよ。分かっていると思うが、失敗したら東京には戻ってくるな」
それを聞いて、一平の心は、いっぺんに冷えびえとしてきた。
翌朝、一平は6時に起きて、ホテルのレストランで早い朝食をとった。これから部屋に戻って、今日提案する企画書のおさらいをするつもりだった。
そのときエントランスホールで榊原課長の姿を見かけた。番匠支社長が一緒だった。二人は親し気に笑みを交わして、じゃあと言うように別れた。
(支社長は昨晩、ホテルに泊まったのだろうか?)
一平は訝ったが、そのまま部屋に戻った。
一平は番匠支社長と一緒に、斎田社長のオフィスに行った。
開口一番、斎田社長は言った。
「なんだ、榊原さんは来ないのか?」
「はあ、榊原は斎田社長に不快な思いをさせたとかで、今日は失礼しました」
「ほう、榊原さんは、そんなことを言っていましたか?」
「はい、その代わり、この徳永を連れてきました」
「明日のゴルフはどうするんだ?」
「榊原もまいります」
「ということは、まんざら逃げたわけでもないんだな」
斎田社長は、なにやら企むような顔つきで、宙を見つめた。
番匠がおもむろに、仕事の話をはじめた。
「ところで社長、きょうはヨカトシティーの企画書をお持ちしました」
「なにっ、もう出来たのか!」
斎田社長は、少なからず驚いたようすだった。
「早いほうがいいと思いまして。徳永がご説明しますから、よろしくご検討ください」
一平は、持参した大判の企画書をテーブルの上に並べた。それを斎田社長がざっと目を通す間、しばらく間を置いた。それからゆっくりと説明しだした。昨晩、企画明細書を読みながら、あれこれ考えた末、作り上げられた筋書き通りに、詳細は省いてポイントだけを説明した。
一平の説明が終わっても、斎田社長はしばらく企画書をじっと見ていた。
それを待つ間、一平は胸が締めつけられる思いだった。
(ひょっとしたら、説明がまずかったのだろうか)
彼は不安を抱いて、社長の反応を待っていた。
斎田社長がおもむろに顔を上げて、一平のほうを見た。思いがけずも、老人はニッコリと微笑んだ。
「とてもいい案だ。それに、きみの説明も、とても分かりやすくて、説得力がある」
一平はホッとした。これで東京にも戻ることができる。
社長は番匠に向かって話しかけた。
「さすがメディア21さんだ。やることが素早い。きのう作ったのですかな?」
番匠は顔を赤らめた。
「いえ、榊原くんが東京から持ってきました」
「ほう、でもおかしいですな。確かヨカトシティーの件は、きのう話が出たばっかりの筈だが」
「――」
「どこかのタヌキが暗躍しているのですかな?」
「――」
「まあ、いい。ところで榊原さんに、渡してもらいたいものがあるんじゃが――」
斎田社長は立ち上がると、自分のデスクの方に行った。彼は戻ってくると、小切手と書類を番匠に渡した。
「2千万円!」
番匠は小切手を見て驚いた。
斎田社長は悠然と言った。
「ああ、昨日、榊原さんから頂いた骨董品の代金だ。あいつは姑息にも、商売のネタに使ったつもりだろうが、わしはまだ収賄で捕まりたくないからな。これは純粋に個人間の取り引きだ。あとでいいから榊原さんに、その領収書に印鑑を押して、送り返すように言ってください」
番匠と別れたあと、一平は実家に戻った。彼は土産物を買っていなかったが、番匠支社長から貰った菓子折りの入った包み、それに榊原から貰った静岡の茶を持っていた。
そのお茶を榊原から受け取ったときは、一平もさすがにジンと来た。榊原はわざわざ静岡で買って、出張先まで持ってきたのだ。
一平は、榊原の意外な一面を見た思いがした。
実家の玄関の扉を開けると、母と妹の明るい笑い声が聞こえてきた。一平は声のする台所のほうに行った。
「なに、バカ笑いしてるんだよ」
一平が声をかけると、母と恵子がエッというような顔をして振り返った。
恵子が素っ頓狂な声をあげた。
「ええっ、お兄ちゃん、もう会社を辞めたの!」
「ばーか、何てことを言うんだ。出張だよ」
「出張?お兄ちゃん、もう出張できるような身分になったの?」
「当たり前だ。もう一人前の社員だぞ。出張なんて当たり前のことだ」
「ふーん、一人前ねえ。お兄ちゃんもたいしたもんね」
「なんだ、その言い草は?お前の言葉は素直に受け取れないんだよ」
一平と恵子は二つ違いの兄妹で、どちらかと言うと、ものごとをストレートに考える一平に対して、妹の恵子はユーモアとウイットに富んで、兄をからかうことが多かった。
「恵子、お兄ちゃんをからかうんじゃないの」
母が恵子をたしなめて、一平に向き直った。
「一平、家に帰るんなら、どうして前もって連絡しないの」
彼女は非難がましく一平を見たが、その口許が自然にほころんでいた。
「父さんは?」
「会社の旅行よ。あしたの夕方には戻ってくるわ」
「あしたの夕方――。じゃあ会えないな。ぼくは昼過ぎに東京に戻るんだ」
一平はちょっと寂しげに言った。