■ カンパニー(第2章 メディア21) - (6)
(6)
翌日、一平は小宮山と二人で、喜多商事に出向いていた。小宮山はますます白っぽいイメージが強まって、目許が疲れていた。昨夜はかなり遅くまで、榊原課長と打ち合わせしたようだ。かすかに片足を引きずっているのも気になった。
「小宮山さん、昨晩はだいぶ遅かったみたいですね?」
一平は小宮山に聞いた。
小宮山は彼の質問に、少しうろたえたようすだった。
「――べつに――どうしてだ?」
「だってすごく疲れているみたいだから。それにちょっと、足を引きずっていますよ」
「大丈夫だ――ちょっと転んだのだ」
小宮山は、言葉少なに先を歩いた。そのあとについて行きながら、一平はいやな予感がした。いよいよ喜多会長と、最後の詰めの商談をしなければならないのに、榊原が一緒ではないのだ。
喜多会長の部屋の前に立ったとき、一平は極度の緊張から武者震いした。
会長はムスッとした顔つきで、二人を出迎え、無駄口ひとつ叩かずに、ソファーにどっかりと腰掛けた。そのこと自体が、きょうの商談が難行することを予感させた。
「御社のオリジナルフィルムのデザインと、納品見積書を持って参りました。よろしくご検討ください」
小宮山は書類を喜多会長に手渡した。その手がかすかに震えている。
喜多会長は書類を受け取ると、眼鏡をかけ、じっくりと目を通しだした。その間、二人は固唾を呑んで、ソファーの上で固まっていた。会長はたっぷりと時間をかけて書類に目を通し、それからおもむろに言った。
「デザインはまあまあやが、ずいぶん虫のいい見積りやな」
「えっ――」
二人は怪訝そうに会長の顔を見た。
「千個単位の値段しか出していないということは、納入単位も千個やと言うことだな」
「なにしろオリジナル製品ですから、まとまった数量が出ないと――あの、その代わり、お値段のほうも、これまでより10パーセント引きにさせていただいております」
小宮山は揉み手をしながら言った。
会長は、フンと鼻を鳴らして、ふんぞりかえった。
「値段のほうは評価する。なにせ、あんたとこにしては珍しく、奮発した値やからな」
「ありがとうございます。私どもとしましても、精一杯の勉強をさせていただきました」
「礼を言うのは早い。まだ、数量の問題が残っとるがな」
「でも御社の扱い商品をうち一本に絞っていただいたら、千個なんて、すぐ捌けると思いますが」
(なかなかいい調子だ)
小宮山のやりとりを横で聞いていて、一平は思った。
「あんた、うちを買いかぶったらあきませんわ」
会長はわざとらしく笑った。「わしらみたいな日銭でメシを食っている零細企業は、明日なにが起こるか分からんのや」
小宮山は大げさに驚きを表わした。
「とんでもございません。関東一円にチェーン店を持つ喜多商事さんが零細企業だなんて、ご冗談でしょう」
その言葉を聞いて、喜多会長は身を乗り出すと、小宮山の顔を鋭くねめつけた。声が1オクターブ低くなった。
「おや、あんたは、わしが冗談を言ってると思っているのか――こんな大事な商談のときに」
「いえ、そんなつもりでは――」
小宮山はあわてた。
「じゃあどんなつもりだ?」
「――」
小宮山は返答に窮した。
一平は横で聞いていて、老人の巧妙な作戦に気がついた。相手のささいなミスを針小棒大に突いて、有利に商談を進めていこうとする腹だ。
「5百個単位、15パーセント引きで手を打とう」
喜多会長がふんぞり返って言った。
「そんな無茶な!」
小宮山の声は悲鳴に近かった。彼は汗を浮かべ、震え声でつづけた。「千個、10パーセント引き、というのは駆け引きなしの条件です。お願いします。――でないと私は榊原に」
「榊原さんになんだね?」
「ひどい目にあわされます――」
小宮山は、蚊の鳴くような声で言った。
「ちょい待ち!」
会長の声は、のんびりとした調子に戻っていた。「あんた、わしとの商談に、あんたとこの内輪揉めを持ちだしてんのか?」
「――」
「しかし、榊原さんも、男らしゅうないな。自分が出て正々堂々と勝負せんで、うまくいかなければ部下いじめとは――」
「いえ、榊原は今日、急用ができまして――」
「かばわんかてええ!」
会長が一喝した。「だいたい、あの子ダヌキの魂胆は分かってるんや。あんたらを脅しておいて、わしの同情を引こうってわけや。それにあんたらもこの前見たやろ、チンピラのようにわしを恐喝しおって――」
「――」
「――ところで、あの写真は女房に渡してないだろうな?」
会長がいくぶん心配そうに聞いた。
「それはもちろん――渡していないと思います」
小宮山が返答した。
「そうか――」
会長の顔が安心したようにほころんだ。それも束の間、彼は事務的に言った。
「ま、あいつは駆け引きに、最初は倍の条件を出しよるから、5百個、20パーセント引きがいいとこやな。それを15パーセントでええて言うとんのやから、あんたも心配せんかてええ。その条件で決めましたって、堂々と会社に帰ったらいいんや」
一平は、老人の一人よがりの考えを、唖然として聞いていた。それでいて不思議なことに、老人の言ってることは、あながち根も葉もないことだとは思えなかった。
「あの、会長――」
小宮山は、彼にしてはめずらしく、食い下がった。「特別にオリジナル商品を作るんですよ。普通なら、一般の流通商品より高くつくのが当たり前です」
「あ、そう。わしはそのへんのとこに疎いんでね。それに、オリジナル商品を作ってくれって、わしが頼んだわけやないし」
「――でも、榊原は、社内の重役たちと衝突してまで、今日ご提示の条件を引き出したんです。榊原は――会長に対して、少々生意気な態度だったかも知れませんが、あれで結構はにかみ屋なんです。榊原はいつも私に言っています――喜多会長は、口ではあれこれ言ってるけど、本当は心が広くて暖かい方だ。だから、なんとか会長のご期待に応えるよう、がんばっているんだ、と」
小宮山の熱弁のあと、すこし沈黙が流れた。
「――お見事だ」
ややあって、会長が気を取り直して言った。「台本なしで榊原さんのおべんちゃらをそれだけ言えるとは――とりあえず、お見事と言っておこう」
「会長、私は冗談を――」(言ってるんではないんです)
小宮山は抗議しかけて、先ほど会長に言われたことを思いだし、彼の言葉は尻すぼみになった。
「榊原さんがはにかみ屋だとは、にわかに信じがたいが――ま、上司思いのあんたに免じて、そのことは、とやかく言うまい」
会長はおだやかに言った。「しかしやな、そちらの熱意だけで、ハイそうですかと言うわけにはいかんのや。東京フィルムさんにも義理があるしな。ま、明日、榊原さんを連れてきてもらえますか?」
小宮山はおずおずと言った。
「榊原は、静岡の工場に出張しています。いまのところ、いつこちらに戻れるか分かりません」
「なら、明日でなくてもいい。榊原さんが戻ってから、お話をしましょ」
会長は突き放すように言った。
小宮山はひと呼吸置いた。それから、内密話をするような口振りで言った。
「じつは、御社の横浜店のオープン日に、オリジナルフィルムを間に合わせよう、と榊原は必死なのです」
さすがに喜多会長も、一瞬、言葉が詰まった。
「オープン日は5月5日だぞ」
「ええ。でも榊原は、会長をびっくりさせるのだと言って。あのう、このことは内緒ですよ。榊原に口止めされていますから。とにかく榊原は、開発事業本部に席を置いたこともありますから、製造工程に詳しいんです。それで試作品ができあがるまで、工場に泊まり込みで監督するそうです」
会長は腕組みをして、小宮山のほうを見つめた。
「それで、5月5日に間に合うのか?」
「分かりません」
小宮山はあっさりと答えた。「とにかく、精一杯のことをやってみるしかない、と榊原は申していました」
「――」
会長は腕組みをしたまま、黙り込んだ。沈黙の中で、時が流れていった。
突然、会長のデスクの電話が鳴りだした。会長はゆっくりと立ち上がると、デスクのほうに歩み寄った。
「わしだ――つないでくれ――ああ、榊原さん、あんた、どこにおるんや。大事な話のときに――なに、静岡」
会長の声を聞きながら、まさに絶妙のタイミングの榊原の電話に、一平と小宮山は顔を見合わせた。
しばらくして喜多会長が戻ってきた。彼は席に着くと、ニンマリと笑いかけた。
「うわさの榊原さんからや」
「それで、榊原はなんと――」
「今日、こちらに来れない詫だ。あれにしては、珍しいことや。それから、近いうちに、わしにいいことがある、と秘密めかして言ってたな」
会長は陽気に笑った。「ま、底は浅いけど、あれで結構気のいいところもある男や――分かった、小宮山さん、あんたの言う条件を呑もう。ただし、5月5日に間に合ったらな」
「あのう、会長――」
嬉しさを押し殺して、小宮山が聞いた。「間に合わなかったら、どうなるのですか?」
喜多会長は、そんなこと決まりきったことやろうが、と言うように小宮山を見た。
「もちろんそのときは、こちらの条件に合わせてもらう」
「小宮山さん、今日の話はシナリオ通りなのですか?」
帰りの道で、一平はずっと疑問に思っていたことを、小宮山に聞いた。
「シナリオ通り?何のことだ?」
小宮山は、とぼけて言ったが、その顔が自然に弛んでいた。
一平は小宮山の表情を見て、その答えは分かったが、あえて質問した。
「だって、昨晩、作戦を確認するって、榊原さんが言ってたでしょう?」
小宮山は、一平の質問には直接答えずに言った。
「おいおい、きみはまた道徳心を持ち出すのか?」
「そんなつもりはありません。でも榊原さんのあの電話といい、あまりにも見事なタイミングでしたからね」
「あの電話の件は、私も聞いていなかった。今日の話の大筋は、確かにきのう榊原さんと話した内容だけど、私も細かいことは知らないんだ」
そこで彼は、フッとため息をついた。「今日、喜多会長と話をしているとき、ふと思ったんだ。どうも私自身、榊原さんに、踊らされているのではないかってね」
「――」
「会長が5百個、15パーセント引きの条件を出したときのことだよ。私は榊原さんに千個、10パーセントを死守しろと言われていたけど、彼の本音はべつにあったような気がしたんだ」
「――」
「だって、きみも開発事業部の試算書を見ただろう。特定のユーザーに納入するのだから、広告宣伝費はいっさいかからない。20パーセント引きでも、充分採算が合うはずだ」
「その意味では、会長の言われていた榊原さんの手口――最初は倍の条件で、と言う話は核心を突いていたわけですね?」
「ああ、会長にああ言われたときは、ドキッとしたよ。あの人はさすがに鋭いな」
一平はため息をついた。
「なんだかぼくは、営業の仕事に自信がもてなくなってきました。まるで、タヌキの化かし合いだ」
小宮山は、そんなこと当たり前だという顔をした。
「きみがわずか2週間くらいでそんなことを言うんなら、私はどうなるんだ。榊原さんとは、2年間も一緒に仕事をしているんだぞ」