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■ カンパニー(第2章 メディア21) - (5)
(5)

一平は小宮山課長と一緒に、開発事業本部の堀部長のところに出向いた。
部屋には堀のほかに、本部長の関本常務がいた。常務の姿を見て、一平はいやな予感がした。この前、スナックで、榊原が常務と諍いを起こしたばかりだ。
驚いたことに、フィルムパックのデザインや製造原価の資料がすでに用意されていた。
榊原が堀部長に、いつどのようにして指示をだしたのか、大いなる謎だった。
さらに驚いたのは、堀部長の言葉だった。
「問題は製品の納入時期だな。榊原くんは5月1日までに間に合わせろと言ってきたが、あと1週間しかない。まさに神業を要求されているようなものだよ」
(5月1日までに――)
一平は唖然とした。そんなことは、榊原課長から一言も聞いていない。それに課長は、喜多会長に1ヶ月はかかると言っていたはずだ。小宮山を見ると、彼も同じ思いでいるのは明白だった。
堀部長に代わって、関本常務が二人の顔をねめつけながら、抑えた口調で言った。
「顧客とは決定事項だから絶対に間に合わせろ、と榊原は堀を脅したらしいな。今回の話を聞いたのは、昨日の昼過ぎだぞ」

小宮山は重役に詰問されて、手をもみ合わせだした。どうやら窮地に陥ったときの、彼の癖らしい。
(まさか昨日、客先で、榊原課長が思いついたことだとは言えないな。それに5月1日だなんて、4日もサバをよんでいる)
一平は、小宮山がどう返事をするのかと興味をもった。
小宮山は言葉につまりながらも、恐る恐る言った。
「あのう――どうしても間に合いませんか?」
途端に、開発事業部の二人が静かになった。
少しの間が合って、関本常務が抑えた口調で言った。
「上等だ。お前はうちの本部を恐喝しているんだな。無理難題を吹っかけておいて、あとはこちらの責任だと言うんだ」
そこで重役は声を張り上げた。「榊原を呼べ!うちをバカにするのも程がある!」
小宮山が弾けるように立ち上がって、部屋の隅の電話器に駆け寄った。

しばらくして、榊原課長がにこやかに微笑みながら、部屋に入ってきた。
「常務、この前は失礼しました。足は大丈夫ですか?で、きょうは何のお話です?」
関本は一瞬、毒気を抜かれたように息を詰めたが、気を取り直して言った。
「何のお話じゃないだろうが。喜多商事の件だ」
「ああ、喜多商事の件ね――よろしくお願いします」
途端に関本が、テーブルをドシンと叩いて立ち上がった。
「ばか野郎!脳天気にやるのも、たいがいにしろ!とにかく5月1日は絶対に間に合わんからな」
激昂する常務を無視して、榊原は席につくと、しばらく黙って開発事業部の提出した資料を手に取って見ていた。それから、前に座る堀部長の顔をジロリと睨んだ。
「堀部長。私のお願いしたことは、絶対に出来ない、と言われるわけですね?」
絶対に、というところを強調して問いかけられた堀は、返事をためらった。彼はいかにも生真面目な性格らしく、そっと横の上司をうかがった。
関本常務が声を張り上げた。
「当たり前だ!私が出来ないと言ってるだろうが!」

榊原課長は、重役のほうを振り向きもせずに、ひたすら堀部長の顔をにらみながら、低い声で鋭く言った。
「タヌキは黙ってろ!」
一同はギョッとした。関本が反応する前に、榊原は険しい顔つきをして、堀に向かって抑えた口調で続けた。
「どうしても間に合いませんか?」
生真面目な堀は、榊原ににらまれて、すくみ上がった。
「工場と調整してみる。何とかなるかもしれない」
彼は思わず本音を言っていた。
それを聞いて、榊原は安心したように立ち上がった。
「じゃあ、いい返事を待っていますよ」
そこで彼は、関本常務にむかって、深々と頭をさげた。「常務、先ほどは失礼なことを言いました。でもこの前、常務が私のことをタヌキと言われたお返しですよ」
関本常務が何か言い返そうとしたが、その前に榊原は書類を手にして、さっさと部屋を出ていった。あとに残された一同は、しばらく惚けたように動けなかった。

営業部に戻ると、榊原はパソコンに向かって作業をしていた。なにやらぶつくさ言いながらも、猛烈な勢いでキーを打ち続けている。時折、開発事業部から持ってきた資料を見ているところからして、どうやら喜多商事の件に関係のあることらしい。
榊原は作業が終わると、それをプリントアウトして小宮山を呼んだ。
「プーさん、どこかおかしいところがないか、チェックしてください」
榊原は書類を小宮山に手渡すと、鈴木妙子に声をかけた。
「妙子、ぼくちゃんとサンシャインは外出か?」
妙子が作業中のワープロから顔を上げた。
「いえ、営業会議に出ています。もうすぐ終わると思いますけど」
それを聞いて、榊原は慌てたようすだった。彼は小宮山にむかって聞いた。
「プーさん、それでいいですか?」
「あ――はい――これで充分だと思います」
小宮山が書類に目を通しながら、慌てて言った。
「徳永――」
榊原は、こんどは一平に声をかけた。「その書類をコピーして、ぼくちゃんとサンシャインの机の上に置いてきてくれ」
一平は小宮山から書類を受け取ると、コピー機のところに行った。受け取った書類を途中で見ると、『オリジナルフィルム製作の件』とタイトルが打たれて、喜多商事との取り引き内容、事業収支などが、2ページにわたってぎっしりと記載されていた。さきほど見ていた短時間の作業にしては、驚嘆すべき早業だった。
彼はその書類をコピーすると、今井常務と大石部長の空いたデスクの上に置いてきた。席に戻ると、榊原と小宮山の姿がなかった。
「あれ、二人は?」
一平が妙子に聞くと、彼女は顔も上げずに言った。
「RアンドRよ」
「RアンドR?」
「そう、レスト・アンド・リラックス」
「――」
一平が訳も分からずに怪訝な顔をすると、妙子はやれやれと言うように説明した。
「つまり、休憩ってこと――喫茶店にいるわ」

しばらくして、会議の終わった今井常務と部長たちが部屋に戻ってきた。一平がそっと見ていると、席に戻った大石部長が、デスクの上の書類を取り上げた。彼はその書類をしばらく見ていたが、こちらのほうに目を向けた。一平はあわてて目を伏せた。
大石部長の声がした。
「おい、鈴木くん、榊原はどこに行った?」
妙子がすかさず答えた。
「ちょっと席を外しています。すぐに戻ってくると思います」
彼女はそう言うと、電話をかけだした。相手につながると、彼女は小声で言った。
「部長が呼んでいます」
そのとき開発事業本部の関本常務が部屋に入ってきて、榊原の空いたデスクをチラリと見て、まっすぐに大石部長の席に近づいた。
「きみは喜多商事の件を知ってるか?」
常務は、憮然とした声で大石に話しかけた。
(そら、始まった――)
聞いていて、一平は首をすくめた。
大石部長は、不機嫌そうな常務の様子を見て、とまどっているようすだった。彼はさきほど見ていた書類を手に、あわてて立ち上がった。
「まだ榊原から直接聞いていませんが――いま資料を読んでいたところです」
「ほう、きみんところは、部長よりも課長のほうが、権限があるのか?」
「――いえ、そんなことは」
「だったらなんで、榊原が私のところに来るんだ。それも威張りくさって、うちの部に無理難題を吹っかけおって」
「あのう、常務――榊原が何をやったのですか?」
「そんなことは直接本人に聞いてみろ。とにかく喜多商事の件は、役員会の決裁事項じゃないのかね?もちろんそのことは、今井常務もご存じだとは思うが」
関本常務は言うだけ言うと、大石から離れた。彼は部屋を出ていく時、一平の顔をにらみつけた。

あとに残された大石部長は、呆然としてしばらく突っ立っていたが、気を取り直したように今井常務の部屋に向かった。途中、彼はブスッとして鈴木妙子に言った。
「榊原が戻ってきたら、常務の部屋に来るように言ってくれ」
部長の姿が本部長室に消えたとき、タイミングよく榊原たちが戻ってきた。さっそく妙子が大石部長のことづて、ついでに関本常務の一件を伝えた。
榊原は、やれやれというように肩をすくめると、小宮山に言った。
「プーさん、あんたも来てくれ」
二人が常務の部屋に入ってドアが閉まった途端、大石部長の声が響いた。
「榊原!これはどういうことだ!――じゃあ、開発事業部に指示する前に、なんで私たちに相談しないんだ――なにい!時間がなかった――上等じゃないか、私がウスノロだと言ってるんだな――なにい、きさま!課長の分際でなにを粋がってるんだ!」
聞こえてくるのは、もっぱら部長の声だけだった。一平は妙子と顔を見合わせて、心配そうに肩をすくめた。彼女はなんでもないわ、という表情をして事務作業を続けた。
大石部長は少し落ち着いてきたのか、聞こえてくる声が小さくなった。それから10分ばかりが経ち、部屋の中の4人が出てきた。
今井常務と榊原は、いつもと変わらぬ表情をしていたが、大石部長と小宮山は、対照的な顔色をしていた。部長の顔は真赤に染まり、小宮山は色を失って蒼白だった。彼らは何も言わずに、そろって部屋を出ていった。

「喜多商事の件はどうなったのですか?」
「ああ、予定通り、オリジナルフィルムは5月1日に納入することになった」
一平は小宮山に連れられて、この前、榊原と関本常務が諍いをしたスナックに来ていた。彼は小宮山の返事に驚いて、相手の顔をまじまじと見つめた。
「でも、どうやって関本常務を納得させたのですか?」
「榊原さんが素直に謝ったんだ。先走ったことをして申し訳ございません、開発事業部のみなさんには、大変なご迷惑をおかけしましたってね」
「へーえ、あの榊原さんがですか?」
「ああ、あの榊原さんがだ。それで榊原さんが、自分も徹夜してでもお手伝いするから、なんとか期日に間に合わせてくださいと懇願したんだ。最初のうち関本常務は、憮然とされていたが、榊原さんが土下座をすると心を動かされたようだ」
「土下座――」
一平は唖然とした。あの鼻っ柱の強い榊原が土下座するなんて、いかにも突拍子のないことに思えた。
小宮山が色白のふっくらした顔に、満面の笑みを浮かべて言った。
「ああ、突然土下座をしたんだよ。きみにも見せたかったなあ」
彼は小気味よさそうに微笑んだ。
一平は呆然として小宮山の顔を見た。ふと、この前の晩、関本常務が言っていた会話を思い出した。彼は思わず小宮山にむかって質問した。
「この前、関本常務が榊原さんに、経理部の女子社員を泣かしたのはお前だろうと言っていましたが――小宮山さんはご存知ですか?」
小宮山がニヤリとした。
「ああ、長谷千佳子のことだろ。社内では、知る人ぞ知るだ。榊原さんは例の調子で遊びのつもりだったけど、彼女のほうはそうじゃなかった。情の深い女性らしいからな」

そのとき、だれかが小宮山の肩に手を置いて、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「やあ、二人ともここにいたのか」
小宮山の太った体が、10センチは飛び上がった。背後に、榊原課長本人が立っていたのだ。その横には、ご機嫌顔の関本常務と大石部長がいた。
「今日はお詫びに、関本常務をご接待しているんだ」
榊原はそう言うと、連れの二人を誘って、空いたテーブルの方に向かった。
小宮山は急に無口になった。背後から常務と部長の明るい声が聞こえてきた。彼らはすでに相当アルコールが入っていて、すこぶる機嫌がよさそうだった。
小宮山は、落ち着かなげに尻をもぞもぞとさせた。
「あのう――帰りましょうか?」
一平が気をまわして言うと、小宮山は少し考えて、小さくうなずいた。
「ああ、そうするか」

二人が椅子から立ち上がった時だった。榊原が気づいて、こちらにやってきた。
「もう帰るのか?」
榊原はそう言いながら、小宮山の肩に親しげに腕を回した。「プーさんは残ってくれませんか?明日は、喜多会長と商談の詰めがある。昼間話した作戦の確認をとりたいんだ」
「――いいですよ」
小宮山はしょんぼりとしてうなずいた。それを醒めた目で見ながら、榊原は言った。
「じゃあ、こちらに合流してください」
それから彼は、一平のほうを見た。「徳永、悪いな。先に帰ってくれ」
小宮山の顔は、酔いがさめて白っぽかった。一平は、小宮山の妙に哀切をおびた様子が気になったが、小声で別れを告げると、店を出ていった。
[19/01/18 07:40 神亀]
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