■ カンパニー(第1章 新会社設立) - (9)
(9)
薫は緊張した面持ちで、父親と向かい合っていた。その間には、藤沢が立会人のように腰かけている。
まず、一郎が口を開いた。
「先だって藤沢さんとお会いしたとき、一度ゆっくりおまえと話しては、と勧められた」
薫は、余計なことを言いやがって、という目つきで藤沢のほうを見た。
藤沢が立ち上がった。
「じゃあ、私はこのへんで失礼いたします」
「いや、出来ましたら、あなたもご一緒に話を聞いてください」
一郎が藤沢を押しとどめた。それから彼は息子に向き直った。「どうだ、仕事のほうは?」
「ぼちぼちですよ」
「ほう、そうかね。どことなく精彩がないようだが、なにか失敗でもやったのか?」
「違いますよ。どこかのバカ重役どもが、私に刃向かうだけです」
当てこすりを言って、薫は藤沢の顔を見た。
一郎はちらりと藤沢の方を見て、それから薫の顔を真っ直ぐ見ながら言った。
「それでお前は、私がときどき今井さんにお会いしていることに、思いあたらなかったのかね?」
薫は一瞬、不安な顔をしたが、ふてくされて言った。
「知りませんよ、そんなこと。またいつかの話の蒸し返しですか?」
「毎度のことだけど、どうしてお前は分からないんだ。嘘や策略を用いても、いつかは必ず露見するってことが」
そう言う父親に対して、薫は胸を反らせた。
「だけど、いつも成功していますよ。それに、嘘も方便、策略だって立派な戦術じゃないですか」
息子の思わぬ反撃に、一郎は天を振り仰いだ。
「お前という奴は、どこまで根性のまがった奴なんだ」
すかさず薫が、しれっとして言った。
「父さんの子供だから仕方がないでしょう」
「なにおっ!」
一瞬、気色ばんだが、一郎はすぐに自分を取り戻した。「私はお前と違うよ」
「じゃあ、父さんは、嘘をついたことがないって言うんですか?ぼくがバスケの全国大会に出場するとき、必ず見に行くって言っておきながら、約束を反故にしたのは誰だったんでしょうかね?」
「あれは――仕事の急用ができたんだ」
一郎は小声で言った。
「あ、そうですか。仕事だから仕方がないと――。だけど、じいさんも仕事があったけど、わざわざ見に来てくれましたよ。ところで、ぼくがタレントになろうと、プロダクション廻りをしていたとき、ぼくには才能がないと行く先々で相手に言わせたのは――あれは誰の策略でしょうかね?」
一郎はムッとした。
「いちいち細かいことを言いおって。お前の将来を思ってだ」
「勝手なことを言わないでよ。父さんにとって細かいことでも、ぼくにとっては、人生の一大事だったんだ」
「大きな流れで見れば細かいことだ。そんな細かいことなら、お前の方だっていくらでもあるぞ。北海道に行くとき、私のゴルフクラブを無断で持っていったのは誰だ!」
「ああ、あのことね。あれは母さんが許可してくれましたよ」
「母さんのじゃない!私のクラブだぞ。おかげであの時は、余分に別のセットを買うはめになった。それから、私の名前を幟に書いて、公衆の面前で裸踊りをしたのは誰だ!」
「父さんが小遣いをケチるからですよ」
「――私の名前を使って、平和商事の社員たちを十人も、勝手にパーティーに駆り出したのは誰だ!」
「慈善パーティーですよ。みんな喜んで協力してくれました」
「ハッ、慈善だなんて、嘘をつけ。おまえは裏で二十万円の報酬を受け取ったそうじゃないか」
「へーえ、そんなことあったっけ。――で、だれに聞いたんです?」
藤沢はあっけにとられて、親子の言い合いを聞いていた。このままでは、一晩かかっても終わりそうになかった。
「あのう――」
藤沢は二人に声をかけた。「そんなにお話することがおありなら、いっそのこと、ご一緒に住まわれたらいかがですか?」
「冗談じゃない。金を貰ってもいやだね」
薫が吐いて捨てるように言った。
「そうですか。でもあなたがたの生活は、私には奇異に思えるんですが。みなさん都内にお住まいなのに、親子夫婦が別居するなんて」
一郎と薫は、お互いの顔を見ないようにして、黙り込んだ。
「私のところは、親子三代が同じ屋根の下で生活していますが、精神的にも、経済的にもいいものですよ。それはまあ、毎日顔を合わせていれば、ときどき衝突もありますけど、そこはお互いに我慢すれば収まることです。ねえ、神山さん、お孫さんたちとご一緒になりたいと、お思いになりませんか?」
一郎が素直に同意した。
「それは、私だって孫たちとなら、一緒に暮らしたいと思いますよ。それに子供たちの母親はしっかりした女性だ」
「駄目だ!」
薫が大声で言って、自分の声に驚いたように口を閉じた。
「どうして駄目なんですか?」藤沢が訊いた。
「それは――」
薫は口ごもった。「間違いが起こるかも知れないから――」
「間違い?」
二人の年配者が同時に訊ねた。
藤沢は、若社長の言わんとすることに気づいたが、あえて訊いた。
「どんな間違いが起こると言うんです?」
薫は黙り込んだ。
「ねえ、社長、お父さまのところで、皆さんご一緒に暮らしたらどうなんですか?社長だって、奥さまやお子さまたちと、ご一緒になりたいんでしょう?」
「生憎、ぼくは一人暮らしが性に合っているんでね」
「あ、そうですか」
藤沢はポケットからメモリーチップを取り出して、宮内を呼んだ。
「宮内くん、これをみなさんにお見せしてくれないか」
宮内がメモリーチップを受け取って、テレビにセットした。
「祐くん、ちょっと聞いてもいいかな?」
「なあに、パパ」
「夜さあ、おうちにパパがいないと寂しいだろ?」
「ううん、大丈夫。ママがいるから」
「――祐くん、そんなこと言ってると、おつむに角が生えてくるぞ。じゃあ、パパがいなくなってもいいのかい?」
「だめ。パパがいないと寂しいもん」
「そうだろ。だったら、ママに言うんだ。おうちにパパがいないと寂しいって」
「うん、分かった。ママに言う」
薫は画面を見て、彼にしては珍しく顔を赤らめた。
ベンチに座る自分と祐介の後ろ姿――。公園で撮られたものであることは、明白だった。彼は年寄りたちが、自分の方をにやけた顔で見ているのを意識した。あろうことか、宮内までがにやついている。
(畜生、宮内のやつ、あとで折檻してやる。それに藤沢のじじいめ、ただじゃおかんからな)
「内の会社には、いやらしいスパイがおるようだな」
内心の動揺を押し隠して、薫が言った。
「策略には策略をもってだ。これは藤沢さんのほうが一本取ったようだな」
一郎が上機嫌で言った。「藤沢さん、このビデオ、私に譲ってもらえませんか?親子の微笑ましいシーンとして、CMに使えそうだ」
「父さん、悪い冗談はやめてくれよ」
「冗談?私は真面目に言ってるんだ」
「あ、そう。じゃあぼくも、ハワイのプライベートビーチのCMに使えそうな写真を持っているんだ。中高年の男性ヌード写真をね」
「なにい!」
一郎は叫んだ。「お前、あのとき、私の裸を撮ったんだな!」
「だって大自然を背景にした企業トップのヌードなんて、滅多にお目にかかれるものじゃないでしょう。記念に撮っておきました。幸い、よく晴れていたんで、細部までバッチシ撮れてますよ」
「ばか者!その写真を返せ!」
「返せ?父さんのじゃない、ぼくのですよ」
藤沢は、子供の喧嘩のように言い合う二人を、呆然として見ていたが、二人がつかみ合いになりそうになって、あわてて間に入った。
「ま、待ってください。ちょっと冷静になりましょう」
二人がにらみ合ったまま静かになると、藤沢は言った。
「お二人を見ていると、ほんとうにうらやましいですよ」
「うらやましい!?」
一郎と薫が同時に言った。
「ええ、うらやましい限りです、親子がそれだけ本音で言い合えるなんて。私のところなんか、義理の息子だから、お互いに気を遣いあって、いつもわだかまりが残っている感じです」
一郎がジロリと藤沢の顔を見た。
「あなたの言われることは、なんだか私たち親子に対する、当てこすりに聞こえますね」
すかさず薫が言った。
「当たり前だよ。このじいさん、可愛らしい顔をしてるけど、腹の中はいつも毒を持ってるんだ」
藤沢は、二人の攻撃目標が自分に移ってきて、そろそろ退散の時期だと思った。
「そんなつもりで言ったのではございません。ただ、生意気なことを言うようですが、お二人の言い合いを端で拝見していますと、お二人の深い愛情を感じます。やっぱり皆さまは、ご一緒に生活されるべきだと、私は思います」
「――私も、そう思う」
一郎がぽつりと言った。
それを聞いて、薫が父親をにらみつけた。
「父さん、勝手なことを言うなよ。だったら剛を、家に呼べばいいじゃないか」
息子の言葉に、一郎がうろたえた。
それを見て、藤沢は訝った。
(神山さんには、もうひとり、ご子息がおられたのか)
彼は口に出して聞いた。
「神山さんのご子息は、もうひとりおられたのですか?」
薫が嘲笑うようにして、藤沢の疑問に答えた。
「親父が妾に産ませた子供だ。もっとも、おれはそんなこと、ちっとも気にしていない。剛はおれのかわいい弟だからな」
一郎はうつむいていた。
それを小気味良さそうに見ながら、薫はなおも残酷につづけた。
「人間なんて身勝手なもんだ。口じゃきれいごとを言ってるけど、自分でやった不始末を外面で隠すなんてね。親父は、剛が私生児だといって、自分の家に呼ばないんだ」
「お坊ちゃま!」
宮内がめずらしく、若主人をたしなめた。
「なんだ、宮内。おれが間違ったことを言ってるのか?」
薫が秘書をにらみつけた。
「もういい。悪いのは私だ」
一郎が小声でつぶやいた。
部屋の中に沈黙が流れた。
神山家の秘密を耳にして、藤沢は居心地が悪くなって尻をもぞもぞさせた。彼は腕時計を見た。
「おや、もうこんな時刻だ。そろそろ失礼いたします」
「私も帰るよ」
一郎がぽつりと言った。彼はしょんぼりとして、立ち上がった。