■ カンパニー(第1章 新会社設立) - (7)
(7)
3人の重役たちが社長室に入ったとき、神山薫は電話中だった。
やがて電話を終えると、薫はソファーで待つ重役たちのほうに振り返った。
「よう、じいちゃんたち、今日はまたお揃いで何だ?」
藤沢は、社長がソファーに落ち着くまで黙っていた。その顔は血の気が引いて、白っぽくなっている。
「社長、今日はお話があって参りました」
薫はじれったそうに手を振った。
「それは分かっている。早く話せ、覚」
「社内風紀のため、そして私たちの精神衛生上からも、社長にお願いがあります。駄目なら、私は会社を辞めることも、いといません」
「おまえが会社を辞める?それは困る」
薫はあわてた。「まだおまえには、身体の報酬を貰ってないぞ」
「その冗談は、私が暇なときに笑っておきます。今は真面目に話を聞いてください」
藤沢は、にこりともせずに言った。
「わかった、覚ちゃん。さあ、話せ」
「まずひとつは、その覚とか名前で呼ぶのはやめて、姓で呼んでいただきたい」
「どうして?アメリカじゃあ、親しくなると皆、ファーストネームで呼び合ってるぜ」
「ここは日本国です」
「あ、そう。で――ほかには?」
「私たちの存在価値も認めていただきたい。社長からご覧になれば、私たちは凡人です。でもみんな、この会社をよくしようと精一杯働いています。社長は優秀な方です。だからこそ、からかい半分ではなく、私たち凡人に対しても、真面目に接していただきたい」
「おれが優秀?それでおまえたちが凡人?それって、ひょっとして皮肉か?」
「どう受け取られようとかまいません。それから――」
藤沢は突き放すように言った。「もっと真面目に、人間をやってください」
途端に気色ばんで、薫は藤沢をにらんだ。
「もっと真面目に人間をやれだと!どういう意味だ!」
「あなたの人間性を疑っているのです。あなたの性道徳はどうなっているのですか?この二人になんてことをしたのですか?」
藤沢は声を震わせた。「まるで盛りのついた牡ネコのように――」
横にいる大友と伊室の緊張が高まった。彼らはいつ社長が爆発するか、と身構えた。
しかし予想に反して、神山社長は急におとなしくなった。そしてぼそりと言った。
「あれは衝動的にやったことだ。おれは若いからな」
「若いって――もう38歳になるじゃないですか」
藤沢は厳しく言った。「ちっとはお父上のお気持ちも、察したらどうですか?」
薫は怪訝そうに顔を上げた。
「親父の気持ち?どういうことだ?」
「あなたのお父上は、お孫さんたちと一緒に暮らしたいのです。それが週に一度、ほんのわずかの時間、会えるだけで――」
そこで藤沢は、神山一郎との約束を思い出してハッとした。彼らが会っていることは、息子の薫には内緒のことだった。しかし後の祭りだった。
「親父がおれの子供たちに会ってるだと?おれの女房はいたのか?」
藤沢はしかたなくうなずいた。しかし神山社長の考えていることは、藤沢のまったく予想さえしないことだった。
「親父のやつ、どこか尚子に下心があると勘ぐっていたが、やっぱりな。畜生、どうしてくれよう――」
藤沢はあっけにとられた。社長の考えていることは、あまりにもばかばかしくて、彼は声も出せなかった。
「それでどうだ。尚子は親父に対してどんな様子だった?」と社長が訊いた。
「馬鹿なことを聞かないでください!」
藤沢は声を荒げた。「なんて方だ!父親と自分の奥さまの関係を疑うなんて。言っておきますが、あなたの奥さまもお父上も、あなたよりはるかに立派な方たちです。実際、あなたには、もったいないくらいだ」
反撃すると思ったのに、若社長は静かになった。
「分かった。それで、もう話はおわりか?」
「言いたいことはたくさんあります。それに私だけでなく、大友や伊室もあなたに言いたいことは、山ほどあるでしょう。でも、今日はこれくらいでやめておきます。あとは、あなたのご返事をいただくだけです」
「分かった――」
薫は小声で言った。「はっきりと言ってくれてありがとう。おかげで、自分がどんな人間かよく分かった。それにみんなが、おれのことをどう思っているかもな」
彼は妙にしおらしく微笑んだ。
社長の殊勝な返事に、藤沢はきつく言いすぎたことを、少し後悔していた。いまこの若い社長は、部下たちに反旗をあげられて、すっかりうろたえているのだ。わがままで自分の言いなりに育った彼にとって、こんなことは初めての経験なのだろう。
藤沢は思わず言っていた。
「社長、言い過ぎたことは、お詫びします」
「お詫び?そんな必要はない。おまえの言ったことは、すべてごもっとものことだ。今晩家に帰ったら、一人で押し入れに閉じこもって、さめざめと泣きながら反省するよ」
「社長〜っ!」
藤沢は声を荒げた。「ほんとうに、真面目に考えているのですか!」
「ああ。おれはこんな性格だ。このひねた性格は直しようもない。でも、みんなに不愉快な思いをさせているのは良く分かった。なにか解決策を考えてみる」
若社長はめずらしく生真面目な顔つきをして、つぶやくように言った。
その夜遅く、神山薫は久しぶりに、妻の住む家に立ち寄った。その一戸建ては、二人が結婚した当初、薫の祖父が新居用に購入してくれた家だったが、今は妻と子供たちだけが生活している。
子供たちはすでに寝入っていた。薫は子供たちの寝顔を見たあと、居間に戻った。新婚当初からいる乳母は、コーヒーを出すと気を利かせて、自分の部屋に引き上げた。
「あなたは家に来ないって約束したでしょう?」
尚子が向かいの席に腰を落ち着けて、冷たい口調で言った。二人が別居を始めて4年になるのに、彼女はちっとも変わっていなかった。何事もはっきりとして、言いにくいこともズケズケと言う。
「ああ、ちょっと子供たちの顔が見たくなってね」
薫はいつになく沈んだ口調で言った。
「新しい会社のお仕事はどうなの。――順調?」
「ああ、順調だよ」
尚子はため息をつくと、声の調子を変えて言った。
「さあ、おっしゃいなさい。一体何があったの?」
「なにもないよ。なんでそう思うんだい?」
コーヒーをスプーンでかき混ぜながら、薫はとぼけた。
「まがりなりにも、私はあなたと3年間も一緒に暮らしていたのよ。あなたの様子を見れば、すぐに分かるわ。さあ、白状なさい。なにがあったの?」
薫は苦笑した。
「やっぱり、おまえにはかなわないな。じつは今日、会社の重役どもに意見されちゃってね。おれの人間性を疑うって」
「それは、私も同感だわ」
尚子はさらりと言った。
「そうか――やっぱりな」
薫は素直にうなずいた。
「あなた、今日はおかしい――。ほんとうにどうしたの?」
「どうもしないよ。ところで、親父は時々来てるのか?」
尚子は怪訝な表情をした。
「あら、あなた知ってたの。お父さまはこの家にはおいでにならないけど、毎週土曜日に、近くの公園で子供たちと遊んでくださるわ。ほんの30分ほどだけど、ほんとうに楽しそうにされてるわ」
「親父は――おまえに対して、なにか言ってたか?」
「なに?どんなこと?」
「つまり――そのう、経済的な援助を申し出るとか」
尚子は微笑んだ。
「あら、そんなこと。前にそんなことはおっしゃってたわ。でも、私は仕事を持ってるし、それに子供の養育費はあなたが出してくれてる。不自由なことはありません、と言ってお断りしました」
それを聞いて、薫はほっとしたように言った。
「そうだよな。親父の援助なんか必要ないよな」
彼は立ち上がると、サイドボードのほうに歩み寄った。
「ちょっとウイスキーでも飲むか?」
尚子は肩をすくめた。
「アルコールを飲まして、モノにしようと思っているのなら、お門違いよ。私は昔のように初な女じゃないんだから」
「ばれたか。ま、たまには大人の付き合いをしようよ」
薫は棚からウイスキーのボトルを取り出し、ついで台所に氷と水を取りに行った。
尚子は別居中の夫の様子を、じっと観察していた。かつての彼は、エネルギーの塊のような活力に溢れ、ウイットの効いた言葉を即射砲のように繰り出していた。
彼女は初対面のときから、彼のスピードに翻弄されっぱなしだった。二度目のデートで、ダンス、ナイトクラブと連れ回され、気がついたときにはベッドの上で、大きな体に抱かれていた。彼女はそのとき、彼の子供を身ごもったのだ。
しかし、今日の薫はずいぶん様子がおかしかった。言葉少なで、それに従順すぎるのだ。(一体、何があったのだろう?)
薫は妻の向かいに座ると、手にした水割りをすすった。
尚子はもう一度尋ねた。
「あなた、どこか具合でも悪いの?」
「どこも悪くないよ。どうしてだ?」
「だって、いつものあなたと違うんだもの」
「そうか――ちょっと疲れているんだろう」
そこで薫は、まぶしそうに尚子の顔を見た。「いい人はできたのか?」
「忙しくて、それどころじゃないわ。あなたは?」
「いないよ」
尚子は、夫が嘘をついていることは分かっていた。あれほど精力絶倫の男が、一週間とセックス抜きで過ごせるわけがない。夫が女代わりに秘書の宮内と関係していることも、彼女は知っていた。
薫は空になったグラスをテーブルの上に置くと、尚子の横に移動した。
彼は妻の腰に腕をまわして、ささやいた。
「なあ、尚子、久しぶりにやろうよ」
「だめよ!」
尚子は夫から、体を遠ざけた。
「約束したでしょう。離婚しないかわりに、セックスもしないって。やりたいんなら、宮内とやりなさい」
「あれは具合が悪い。なあ、やろうよ」
薫は駄々をこねる子供のように言って、ふいに彼女の体を抱きしめた。
「やめて!」
尚子はもがいたはずみで、夫の頬をひっぱたいた。「いいかげんになさい!」
薫は傷ついた表情をして、妻の体から離れた。
尚子は身づくろいを整えると、きっぱりと言った。
「もうこの家には来ないでほしいわ。子供たちに会いたかったら、お義父さまのように外で会いなさい」
薫は欲求不満の下半身のまま、悲しげな顔で尚子を見た。
尚子は、冷たく言い放った。
「同情を誘おうとしても駄目。さあ、今夜はもう帰って」
――◇――
藤沢覚はビデオカメラを持って、いつもの公園に行った。彼は神山薫の子供たちに約束したのだ、こんどビデオカメラで撮ってあげる、と。しかし、神山一郎の姿は見えず、驚いたことに、神山薫がいた。
薫はベンチに腰掛けて、5才の子供と話をしていた。
覚はにわかに興味をひかれた。いったいあの無頼漢社長はわが子に対して、どんな会話をしているのだろう。彼はビデオカメラを片手に、そっと背後から二人に近づいた。
「祐くん、ちょっと聞いてもいいかな?」
「なあに、パパ」
「夜さあ、おうちにパパがいないと寂しいだろう?」
「ううん、大丈夫。ママがいるから」
「――祐くん、そんなこと言ってると、おつむに角が生えてくるぞ。じゃあ、パパがいなくなってもいいのかい?」
「だめ。パパがいないと寂しいもん」
「そうだろう。だったら、ママに言うんだ。おうちにパパがいないと寂しいって」
「うん、分かった。ママに言う」
神山薫は、子供を洗脳するように、同じ会話を繰り返していたのだ。子供が母親に言うべきことをのみこむと、彼は満足して子供を開放した。
その背後では、藤沢覚がそっと物陰に退いていた。