(6)
平河町のオフィスビルが無事竣工し、芝大門、それに急きょ予定を早めて、品川のビルが相次いで着工した。平河町のビルは、すでに優良企業のテナントで百パーセント埋まっていた。それも、神山社長の寄与するところ大だった。
彼は、商社社長の父や亡き祖父、それに神山家という名門の伝手をフルに活用して、矢継ぎ早に企業トップに面会し、商談をまとめあげた。そのやり方は、多少強引なところもあったが、彼のおかげでビルの賃貸予約が増えたのも事実だった。
そのこともあってか、お坊ちゃま社長は、近頃ますます増長してきたようだ。彼は藤沢たちのことを、ファーストネームで呼ぶようになっていた。
「覚、たまには夜のお付き合いもしてくれよ。――なに?酒は控えてるだと。大丈夫だ、酒の付き合いじゃない。おれが銀行にかけあって取引条件を変えた報酬だ。お前たちの身体で払ってくれ」
「おい、昇!平和銀行に提出する資料を持ってこい。なにい、まだだって。バカ、早く作らんか!それはそうと、今夜付き合え」
「洋平、このごたごたしたデザインはなんだ。もっとすっきりさせろ。そのほうが品もいいし、建設費も安くつく。それにしても、お前、良い尻してるな」
社業も軌道に乗ったある週末、アスカビルは全員で、鬼怒川に社員旅行をした。全社員といっても、わずか40人ほどの人数だ。宴会が終わり、社員たちは温泉街に繰り出したり、部屋で宴会の続きをしたり、思い思いの夜を過ごしていた。
神山社長の部屋はホテルの最上階にあったが、そこに経理担当の大友がひとりでやってきた。神山社長が平和銀行から不可能とも思える条件を引き出した報酬として、身体で払えと強要されたのだ。そんな馬鹿げた要求は一笑に付してもいいのだが、大友はいかにも律儀な性格をしていた。
そっとドアをノックすると、若社長の大きな笑顔が現れた。
「おお来たか。さあ、早く中に入れ」
社長に抱かれるようにして部屋に入った大友は、生きた心地がしなかった。社長の顔は紅潮して、あわてて浴衣を引っ掛けたのか、下着を身に着けていないようだ。
奥の部屋を見ると、大きなベッドがあって、なにやら白い物体がある。目の焦点が合って、ギョッとした。全裸の伊室が、ベッドの上でうつ伏せになっていた。
あわててUターンして部屋から出ようとする大友を、社長が引き留めた。
「おい、どこへ行くんだ」
そこで、ベッドの上でぐったりとする伊室に向かって、声をかけた。「洋平、もう帰っていいぞ。とても良かったぞ」
伊室は疲れ切ったようすで、ベッドから起き上がると、床に落ちたパンツを穿いた。顔がくしゃくしゃになって泣いた跡がある。彼は浴衣を着ると、黙ってうつむいたまま、大友の横をすり抜けて部屋を出た。少し足を引きずっていた。
それから10分後、大友は全裸でソファーに腰掛け、目をしっかりと閉じていた。彼は昔の野武士のような朴訥な顔に似合った、肉厚のたるみのない体をしていた。その体を、社長が横から執拗に弄んでいる。乳首をいじっていた指が下に這って、頭をもたげかけた肉根を掴む。
「でかいじゃないか。これで何人の女に嵌めた」
社長が、手にした肉根に刺激を与えながら言った。
大友は目をしっかりと閉じて、劣情に耐えた。今、彼の身体に対してされていることは、彼にとって信じられない世界だった。先ほどバスルームに連れて行かれ、下腹部を徹底的に洗われた。直腸までもすべてだ。そしてこれからされること――。先ほどの伊室の様子を見れば、想像がついた。
そんな思いとは裏腹に、熱いうねりが押し寄せてくる。疼くような、もうどうとでもしてくれと開き直るような、変な気持ち――。
そのとき社長の声が聞こえた。
「よし、今度はおまえが吸ってくれ」
目を開けると、ギョッとするような凶器が目に迫った。先ほどバスルームで目にしたもの、図太く揺れ動いていた茶色の松茸が、いまやギンと弓なりに硬直して、天の一点を指している。まるでムキムキのキン肉マンだった。
思わず口から出かかった悲鳴を、大友はかろうじて押し殺した。

1時間後、大友はすっかり消耗して、自分に割り当てられた部屋に戻った。相部屋の伊室はまだ寝てなかった。彼はベッドに横向きになって、缶酎ハイを飲んでいた。
大友は椅子に座ったところで、ズキンとした痛みに、あわてて立ち上がった。ふたたび悪夢がよみがえってくる。まがまがしく濡れ光る太い凶器が、傍若無人に押し入って、極限まで押し広げながら、きしむように行き来する――。
思い出すだけで震えがくる。
そんな大友の様子を、伊室は気の毒そうに見ていた。
大友は冷蔵庫から缶酎ハイを取り出すと、伊室と同じようにベッドの上で慎重に横向きになった。この痛みをやわらげるのはアルコールしかない。
二人は共通の秘密を持った仲間内の目つきで、お互いを見た。
伊室がささやいた。
「今夜のことは、藤沢常務には内緒ですよ」
藤沢は神山社長の姿を見るたびに、彼の父親、神山一郎をどうしても思い浮かべてしまう。孫たちをあれほど愛していながら、同じ屋根の下で暮らせない寂しさ――。
彼は同世代の神山一郎の境遇が、他人事とは思えなかった。息子さえまともな人間なら、そんなことは即座に解決できる問題だろうに。
しかし、藤沢のそんな気持ちをよそに、若社長は今日も脳天気にふざけている。藤沢の見ている前で、通りがかりに伊室の尻を撫で、ついで藤沢のところに来ると、いつもの挨拶を繰り返す。
「よう、じっちゃん。この前の報酬、まだ貰っていないぞ。他の二人は、すでに払ってくれたんだ。どうだ、今晩つき合え」
「遠慮しときます」
藤沢はブスッとして言った途端、後悔した。
若社長は、これで絶好の暇つぶしができたと言わんばかりに、にったりと笑った。
「覚、今日はご機嫌斜めだな。だめだめ、そんなことじゃあ。おれより残り人生が少ないんだから。明るい死に際を迎えるためにも、毎日楽しく過ごさないといかんな」
「充分、楽しい生活をさせてもらっています――家では」
藤沢はボソリとつぶやいた。
「おや、と言うことは、会社ではあまり楽しくないのかい?」
「そんなことはございません」(誰かがいなければね――)
藤沢はあとの言葉をのみこんだ。
藤沢の温和な顔は、いつになく厳しかった。彼は、大友と伊室が前に座ると、開口一番尋ねた。
「社長がおっしゃってたけど――きみたちは社長と夜のお付き合いをしたんだって?」
常務の突然の質問に、二人はうろたえた。平和銀行との交渉成立をたてに迫られて、社長に身体を許したことは秘密のはずだった。あんな恥ずかしいこと、口が裂けても言えないことだった。
二人が貝のように黙り込むのを見て、藤沢は優しい口調に変えて、言い聞かせるように話した。
「きみたちが神山社長のことをどう思っているか知らんが、私はもう社長の横暴に我慢ができない。そこで覚悟を決めた。たとえ首になっても、社長にご意見を申し上げる」
彼はふっとため息をついた。「いくら七光りだと言っても、社長は神山グループの創始者直系のお方だ。それにくらべれば、私なんか吹けば飛ぶような存在かも知れない。それでも私は、社長と徹底的に戦うつもりだ。このままでは、アスカビルそのものも、この先どうなるか知れたものじゃない」
藤沢は、二人の顔をまっすぐに見た。
「そのためには、きみたちの協力が必要なんだ。責任は私が取る。私に協力してくれ」
二人がうなずくのを見て、藤沢は社長に対する戦略を、じっくりと練りだした。
――◇――
暗青色の空を背景に、色とりどりのネオンが、デコレーションケーキのように瞬いていた。夜の世界に変貌した大都会の景色は、それぞれのドラマを演じているかのようだった。
藤沢覚はソファーにくつろいで、窓外の夜景を眺めていた。明日は神山社長に断固として、ご意見を申し上げる。たとえそれで首になってもだ。そう思うと、武者震いが出た。
彼は自宅に戻らず、シティーホテルに泊まっていた。誰にも気を遣わず、一人きりでくつろげるひととき――それが月にいちどの贅沢だった。
長年連れ添った妻は5年前に死んだが、目黒の自宅には、娘夫婦と二人の孫が住んでいる。可愛らしい孫たちの相手をするのは、心のなごむひとときだが、ときに彼らの若々しい活力に辟易とすることもある。
彼はこの9月に60歳になっていた。頭はめっきり薄くなって、白いものも目立ってきたが、彼のつややかな顔は老いを感じさせない。丸っこいおでこと薄墨で刷いたような眉毛、張りを失った二重瞼からのぞく色素の薄い澄んだ瞳。なめらかな頬から二重になりかけたあごの線に、そこはかとない初老男の色気が漂っている。
外目には、彼の温和な風貌は、何不自由のない育ちの良さを思わせる。しかし子供時代の彼は、赤貧の環境で育った。
父は北九州の港湾施設で、日雇い労働をやっていた。無類の酒好きで、仕事がない時はいつも酔っ払っていた。当然のことに、家計は苦しかった。しかし、おとなしく辛抱強い母は、なけなしの生活費が夫の酒代に変わろうとも、一言も愚痴をこぼさなかった。彼女は嫁入り道具の着物や装飾品を質屋に入れて、苦しい生活のやりくりをしていた。
それでも夫婦は、幸か不幸か子宝に恵まれ、女子と男子が3人ずつ産まれた。その子供たちの養育費だけでも、並大抵のことではなかった。
覚は末っ子だった。彼はいつも空腹な子供時代を過ごした。着るものは母が近隣から貰い受けたお古で、サイズも色も、ちぐはぐなものだった。
しかし覚は容貌と頭脳に恵まれていた。幼年期の彼は、道行く人が振り返って見るほど可愛らしかった。また抜群に頭がよかったので、学校ではいつもトップの成績だった。
そんな覚に救いの手を差し伸べたのは、母の遠縁にあたる、内尾という五十年配の男だった。内尾は裕福な公務員だったが、独身で子供がいなかった。彼は覚の才能に早くから気づいて、親にかけあった。
結局、籍を変えないことを条件に、内尾が覚を引き取って育てることにした。
その後は覚にとって、夢のような生活だった。自分だけの部屋があり、自分だけの机があり、朝昼晩ときっちり食事ができるのだ。覚は、中学、高校と順調に進学し、そして東京の大学に合格した。
しかし何事も落とし穴があった。覚が大学に通いだしたとき、内尾が上京してきた。その夜、覚のアパートに泊まった内尾は、覚の布団にもぐり込んできた。
でっぷりとした体に押し包まれて、最初は訳が分からず戸惑っていた覚も、年配者の優しい愛撫に、やがて歓喜の渦に呑み込まれていった。
その夜を境に、覚と内尾の関係は変化した。親子のような関係から、より深い性的なものに変わったのだ。
やがて覚は大学を卒業し、そのまま東京に残って、銀行に就職した。そして職場の女性と結婚し、子供もふたり出来た。スリムな体にも肉がつき、貫禄がでてきた。
九州の内尾が死んだとき、実父の葬式でも泣かなかった覚は、涙を流して悲しんだ。内尾の死は、覚にとって、甘酸っぱい思い出の伴う青春時代の終焉だった。