■ カンパニー(第1章 新会社設立) - (5)
(5)
「交渉成立だ。どうだ、じじいども、恐れ入ったか」
神山社長は重役たちを前に、すこぶる機嫌が良かった。それを年配の重役たちは、複雑な思いで聞いていた。まさかこのお坊ちゃま社長が、平和銀行の老獪な経営者たちを説得してこようとは、夢にも思っていなかったからだ――それも、無理難題と思える条件を。
彼らの気持ちを代弁するように、藤沢常務が社長に尋ねた。
「――さすが、社長ですね。それで、どうやって彼らを説得されたのですか?」
薫は話す前に、自分の言葉に重みをもたせるように、ゆったりと年配者たちの顔を見渡して、泰然とほほ笑んだ。
「誠意と情熱だよ、じっちゃん。いいか、いくら相手が鬼の心を持っていても、真心をもって接すれば通じるんだ」
最後の方は、まるで子供を諭すような口ぶりだった。
部屋の隅では、宮内がげんなりした表情で、主人を見ていた。
「誠意と情熱ですか――」
藤沢が、社長の言葉をゆっくりと反芻した。訳がわからないと言いたそうだった。
「きみ、なにか納得がいかないようだな?」と社長。
「いえ、とんでもございません。なんで私が、敬愛する社長を疑うんですか?」
「いいや、その顔はぼくの言うことを信じていない顔だ。まったく、可愛らしい顔をして腹のほうはどす黒いんだから」
「社長、そんな言い方はないでしょう」
藤沢が抗議した。「私は素直な気持ちで、社長のご成功をお祝いしているのに。だいたい素直でないのは――」
彼は最後まで言わなかった。
「おや、面白いことを言いだしたぜ――」
薫はにんまりと微笑んだ。その顔はまるで、ネズミを前に、舌なめずりをするネコのようだった。
ほかの重役たちは、うんざり顔で事の成り行きを見守っていた。また社長の口から、相手の心臓をグサリと突き刺すような、辛辣な言葉を聞かなければならないのだ。
その時、部屋の電話が鳴った。
受話器を取った宮内が言った。
「あ、大旦那さま――いえ、平和商事の神山社長がお見えです」
「親父が?おれは外出して不在だと言え」
薫があわてて言った。
宮内はしばらく電話でやりとりをしていたが、また振り返った。
「大旦那さまは、えらくご立腹のごようすです。会社にいるのは分かっている、今すぐ薫に会わせろって」
それから、アレッという顔をした。彼はぽつりと言った。「――切れました」
「やばい!」
薫はうろたえた。「いいか、おれは急用で外出しているんだ。いいな」
彼はあわてて部屋を出ていった。
後に残された重役たちは、わけがわからずに顔を見合わせた。
「いったいどうしたんだ、うちの社長は?」
藤沢が宮内に聞いた。秘書は、さあ、と言うように肩をすくめた。伊室がおもむろに立ち上がり、それにつられたように大友も立ち上がった。
「じゃあ常務、私たちは失礼します」
二人は部屋を出ていった。それに続いて宮内も、こそこそと部屋を出ていこうとすると、藤沢が呼び止めた。
「待て、宮内くん。きみは私と一緒に、平和商事の社長に会ってくれ」
藤沢覚は、神山一郎の顔を財界誌などで見て知っていたが、実際に会うのは始めてだった。その本人の前で、彼は珍しく緊張していた。相手は自分と同年輩だが、格の違いは明らかだった。
それほど神山一郎には独特の雰囲気があった。黒っぽい高価な衣服で包んだ大柄な体からは、威厳と権威が放散しているようだった。形のよいロマンスグレーの頭に、秀でた額。鼻と口元が息子の面影を伝えていた。
「あのう、当社の社長にどういったご用件でしょうか?」
藤沢は恐る恐る、神山社長にたずねた。
神山一郎は、ゆったりとした口調で応えた。
「ちょっと聞きたいことがありましてな。それで、私の愚息はどこに行ったんでしょう?」
「社長は急用で――外出しております」
藤沢は、言いにくそうに伝えた。
「と言うことは、また例によって雲隠れということですかな?」
相手の思わぬ言葉に、藤沢はグッと詰まったが、かろうじて持ち直した。彼は気持ちを鼓舞して、財界の名士に話しかけた。
「あのう――私でお役に立てることでしたら、何なりとお申しつけください」
「それを話すと、家門の恥じを晒すことになりますのでね」
神山は言葉を濁した。「ところで愚息は、皆さんにご迷惑をおかけしていませんか?」
藤沢が返事をするまでに、少し間があった。
「――いえいえ、そんなことはございません。社長はたいしたお方ですよ。つい先日も、親会社である平和銀行の経営者の方たちを相手に、大きな交渉ごとをまとめられました」
神山は、にわかに興味を持ったようすだった。
「ほう、その話を、もうちょっと詳しくお聞かせ願えますか」
藤沢は、若社長の成功談を話しだした。
神山は無表情に聞いていた。彼は藤沢の話がおわると、その横でかしこまっている秘書の顔を、鋭い目つきで見た。彼は秘書に命令した。
「宮内、今のお話の裏を話せ」
「はっ、あのう――お話の裏とおっしゃいますと?」
宮内は、驚いた表情を作った。
「とぼけるな!薫のやったことを話せと言ってるんだ。今井会長のご自宅に行ったことも、すべてだ」
神山一郎にまっすぐ見つめられて、宮内は金縛りにあったように動けなかった。主人の神山薫は恐かったが、その父親の神山一郎は、もっと恐かった。
宮内は額に汗を浮かべ、すっかり白状した。
若社長が実家へ行く前に、テレビ局に寄って、美容師の手によってメイキャップしたこと。今井会長の自宅に、陶芸品を持っていったときのやりとり。平和銀行との交渉の場で、事前に素行調査させていた、若井頭取の女性関係をほのめかしたこと――等々。
神山と藤沢は、宮内の話を聞きながら、スパイ映画のような神山薫の策略に、あっけにとられていた。
「薫のやつ、姑息な手を使いおって――まったく、わが子ながら、恥ずかしい」
軽蔑した表情で秘書を見ながら、一郎はつぶやいた。
宮内はソファーの隅で、小さくなっていた。
一郎は思い直したように、藤沢の方に向き直った。
「いや、お恥ずかしい話をお聞かせしました。あの子は、策を弄することだけは、長けた男でして。もうすぐ40になろうというのに、あの性格はちっとも変わっていない」
横から宮内が、言葉をはさんだ。
「あのう――大旦那さまは、どうして今回のことを――」
宮内の言葉は尻すぼみになった。一郎に鋭くにらまれ、彼はすくみあがった。
「今朝、今井会長にお会いしたんだ。あんなことをして、ばれないですむと思ったのか!」
一郎が吐き捨てるように言った。
藤沢は端で聞いていて、なんとも言いようがなかった。神山親子には、共通点があった。血の繋がった親子とも思えない反目。むきになるところや、わがまま、尊大な態度。それでいて、どことなく子供っぽくて、憎めないところもあった。まさに、この親にしてこの子ありだ。
――◇――
のどかな昼下がりだった。
藤沢覚は休みの日、趣味のカメラを持って、家の近くを散策していた。立ち寄った公園には、幼児やその親たちが三々五々、遊んでいた。
そこで偶然にも、神山一郎の姿を見かけた。神山は4、5才くらいの男の子と遊んでいた。砂場で小さな砂の山を作ったり、トンネルをくり貫いたり、ときおり幼児が無邪気な喚声をあげて、神山を「じいじ」と呼んでいた。
休日だというのに黒っぽいビジネススーツを着ていたが、今の神山からは前に会ったときのいかめしさが消え去って、好々爺そのものだった。
覚は挨拶をしようかどうしようかと迷った。声を掛けるのは、二人の邪魔をするようで気が引けた。しかし、彼より先に神山のほうが気づいて、声をかけてきた。
「たしか、藤沢さんでしたな?」
神山一郎は手についた砂をはたきながら、近づいてきた。「お近くにお住まいですか?」
「ええ」
覚はうなずくと、砂場のほうを見た。「お孫さんですか?」
「ああ、薫の子供です。上にもう一人、女の子がいます」
そう答える一郎の顔が、なごんでいた。
「可愛らしいお子さんだ。うちにも同じくらいの孫がいますが――5才くらいですか?」
「あと一ヶ月でそうなります」
「じゃあうちの孫より一つ年下ですね。しかし5才にしては、しっかりしていますね」
「そうですか。まあ私としては、あれが父親似にならないことを祈るばかりです」
「――薫社長は、いっしょに暮らしていないそうですね?」
「ああ、そのほうが子供たちにとって、悪い影響を受けなくていいでしょう。薫と違って母親のほうはしっかり者ですから、子供の教育は安心して任せられます」
「――今日は、その奥さまはおられないのですか?」
「ああ、母親は働いているんで、土曜日は私が幼稚園まで子供を迎えにいっています」
「奥さまは働かれているんですか?お子さんが二人もいて、大変でしょうに」
「しっかり者ですから、仕事と子育てを両立させていますよ。まったく、薫にはもったいないほど、よくできた女性です」
そのとき、「おじいちゃん!」と呼ぶ、子供の明るい声が聞こえてきた。7才くらいの利発そうな女の子と、その母親らしい二人連れがこちらに近づいてきた。
神山は二人に手を振ると、覚に向き直った。
「噂をすれば、当の本人ともうひとりの孫がやってきました」
神山は、婦人に覚を紹介した。
覚はちょっと言葉を交わしただけで、その女性が明るくて、自立心の強い性格の持ち主だということが分かった。と同時に、彼女を見て不思議に思った。こんな美人の女性を妻に持っていながら、なぜ若社長は別居生活などするのだろうか、と。
「おじちゃん、カメラを持ってるの?ねえ、写して」
女の子が無邪気な顔で、覚に話しかけた。
「景子、だめよ。ご迷惑になるでしょう?」
婦人が子供をたしなめた。
「奥さん、いいんですよ。ちょうど私も、この可愛らしいお子さんたちを撮りたかったんです。よろしければ、今度はビデオカメラを持ってきましょう」
そのあと覚は、神山一郎と3人の親子が、仲むつまじく遊んでいる光景を何枚かカメラに収めた。
やがて神山一郎が、待機していた黒塗りの大型車で帰っていった。別れ際に見せた神山の名残惜しそうな表情が、いつまでも覚の脳裏にこびりついていた。