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カンパニー(第1章 新会社設立) - (4)
(4)

「ふん、やっぱりそうか。若井のスケベ面なら、絶対に女の一人や二人はおると思っていたんだ」
神山社長は満足そうにうなずいた。「それで、今井のジジイのほうは、なにも出てこなかったんだな」
「はい。今岡さんのおっしゃるには、今井会長は清廉潔白、品行方正――聖人君子のように、全くやましいところはないそうです」
宮内が自信たっぷりに答えた。
「おまえ、ちょっと言い回しがくどくないか」
神山は腕を組んで、なにやらたくらんだ顔つきで虚空をにらんだ。「畜生、あのジジイ、どうしてくれよう」
「あのう――」
おぼろげに主人のたくらみが分かってきた宮内が、おずおずと声をかけた。
「なんだ?」
「今井会長はすべてをお見通しの方です。あまり策を弄さずに、正攻法でお頼みしたほうがよろしいかと――」
神山はジロリと秘書の顔を見た。
「おまえの口から、そんなごたいそうな意見が聞けるとは思わなかったぜ。おれのスパイをして、親父に腕時計をもらったのは、どこのどいつだっけ?」

宮内は鳩が豆鉄砲をくったような顔をして、手首の時計に触れた。
「どうして、お坊ちゃまはご存知なんですか?」
「ばか、会社じゃ社長と言え。――ふん、やっぱりそうか。カマをかけたら、引っかかりおって。その腕時計は、親父の賄賂だったんだな」
そこで、彼はつぶやいた。「賄賂か――」
神山は思いついたように、宮内に聞いた。
「今井のじいさん、なにか趣味はないのか?」
スパイの話題から逸れて、宮内の表情がパッと明るくなった。
「骨董品の収集です。とくに会長の集められている陶芸品は、美術館にも貸し出されたほど有名です」
「骨董品か――そういえばじいさんの家には、焼き物のがらくたがゴロゴロあったな」
神山はしばらく考え込んでいて、ふと顔をあげた。「宮内、都テレビの山本に連絡をとってくれ。美容師を貸してくれってな」
「美容師ですか?」
宮内がけげんな表情で、聞き返した。
「そうだ。今晩、親父のところに行く。化粧ぐらいして行かんとな」
神山社長は宙をにらみながら、にんまりとした。

神山薫は、父の屋敷の前で大きく深呼吸をした。実家に戻るのは祖父の葬式以来だった。彼は家に入る前に、後ろを振り返ると宮内に言った。
「おまえは運転手と車の中で待っていろ。どうもおまえがいると、話をぶちこわしそうだからな」
それから彼は、押さえた口調で言った。「おれは飯も喉を通らないほど、悩んでいるんだ。タマを潰されたくなかったら、あとで親父から連絡があっても、余計なことを言うな。分かったな」
宮内があわててうなずいた。
主人の顔は、街灯の下で不気味なほど青白かった。しかも目が血走って、下瞼にはうっすらと隈ができている。すこし演出過剰だなと思ったが、宮内は黙っていた。

薫はもう一度深呼吸をすると、屋敷の中に入った。出迎えた執事が、驚いたように若主人の顔を見た。
神山一郎は書斎で待っていた。彼は憔悴しきった息子の顔を見ても、なんの反応も示さなかった。
「お父さん、ご無沙汰しています」
薫はこわばった表情で父に挨拶した。一郎がゆったりとうなずき、鷹揚なしぐさで息子に座るよう促した。
ソファーに落ち着くと、ふたりのあいだに緊張感が漂よった。それを解きほぐすように、一郎がおだやかに言った。
「どうした、だいぶ疲れた顔をしているな。新会社の仕事は、きついか?」
「それほどでもございません。――じつは、お願いがあって参りました」
薫は単刀直入に切り出した。
「なんだね?」
「床の間に飾ってあった陶磁器――確か、唐の時代の骨董品だと聞いておりましたが、あれを私に譲ってください」
一郎はわずかに眉をひそめると、息子にたずねた。
「薮から棒になんだね。あれはおじいさまが、ある方からいただいた大切な品物だよ。わけを話しなさい」
薫はうつむくと、指の先でまぶたを揉んだ。そして小声で言った。
「大切な品物だということは、重々承知しております。でも、私にはどうしても必要なんです」
「だから、わけを話しなさい。話によっては、おまえに譲らんでもない」
「わけは――話せません。お願いですから、理由を聞かず黙って私に譲ってください」

一郎はじっと息子の様子をうかがった。今日の薫は、彼の知っている憎たらしい息子とは別人のようだった。ずっと思い悩んだようにやつれているし、いくらか痩せたようだ。
彼は息子の性格をよく知っていた。話せないと言ったら、絶対に話さないだろう。それに二度とこの家には戻らん、と捨てぜりふを残して飛び出していながら、自分のほうから会いに来たのだ。
(きっと、よほどの事情があるのだろう。でもなんで、あの骨董品がいるのだ?)
「どうしても話せないのか?」
一郎は、念を押すように尋ねた。
「はい、申し訳ありません」
薫は顔を伏せてつぶやいた。
「わかった」
一郎は立ち上がると、執事を部屋に呼んで、指示をあたえた。
「ありがとうございます。このご恩は忘れません」
薫はうつむいたまま父に言った。その口元が、嬉しさにむずむずしていた。
「せっかく来たんだ、酒でも飲んでいくか?」
「いえ、今夜はちょっと――こんどまた、体調のいいときにお伺いいたします」
薫は、神妙な顔つきで言った。

まもなく執事が、風呂敷きに包んだ箱を持ってきた。薫はそれを受け取ると、そうそうにおいとまを告げた。
「薫――」
息子が帰ろうとしたとき、一郎が呼び止めた。「ひとりでは解決できないこともあるんだ。困ったことがあるのなら、いつでも私のところに来なさい」
彼の顔には、初めて父親らしい感情が浮かんでいた。
薫は黙って頭を下げると、玄関をでた。彼は屋敷の外でこぶしを握り締め、小さくガッツポーズをとった。

――◇――

神山薫と秘書の宮内は、息苦しいほど重厚な応接室にいた。彼らの前には、平和銀行のそうそうたるメンバーが座っていた。若井頭取、今井会長、そして二人の財務・経理担当重役たち。彼らは一様に、難しい顔つきをしていた。
若井頭取が、非難めいた口調で念を押した。
「それで、きみは、不動産の評価額を下げてくれと言うのだな」
すかさず神山薫が、落ち着き払って補足した。
「それに、決済時期を、建物竣工時から分割払い、借り入れ金利を2パーセントでお願いします」
「きみ、それはいくらなんでも、虫が好すぎるんじゃないのかね」
若井は気弱げに微笑むと、助け船を求めるように、ほかの重役たちを見た。彼の頭の中は別のことでいっぱいだった。会談前の雑談のとき、神山の言っていたこと――。
(――そういえばこの前、若井頭取にうりふたつの紳士を見かけましたよ。たしか先週金曜日の夜――六本木にあるホテルから女性と出てくるところでした。熟年カップルの密かな情事って風情でした。
一緒にいた女性は、私が知っている銀座のクラブのママで、確か『アヤ』っていうクラブですがね。紳士のほうは眼鏡が違っていたんで、若井さんじゃないと気づいたんですが。でもその紳士、ほんとによく頭取に似ていたなあ――)
若井は、いつまた神山がその話題をぶりかえすか、と気が気ではなかった。できたら、今日の会合はうやむやにして、一刻でも早く終わりにしたかった。

一方、今井会長は、はらわたが煮えくり返るほどの思いだった。よりによって、こんな尻の青い若造の策略に引っかかろうとは。彼は、昨夜のことを思い出して、また熱くなってきた――。

「薫くん、今日はまたなんだね?」
「お父さんは、古い陶芸品を集められているそうですね」
「ああ、それで?」
「じゃあこれを進呈します。祖父にもらったものですが、陶芸品に関心のないぼくには、無用の長物ですから」
「きみに突然プレゼントなんかされると、気味が悪いな。なにか魂胆でもあるんじゃないのか?」
「とんでもありません。いつもお世話になっているお父さんへの、素直な感謝の気持ちと受け取ってください」
「きみが素直だとは、にわかに信じがたいが――開けてもいいのか?」
「もちろんです。どうぞ」
「どれどれ――これは!唐三彩じゃないか!きみ、この器の価値を知っているのか?」
「さあ――祖父が人に貰ったものだ、とは聞いていましたが」
「この緑と茶色、白のまだらの色彩は間違いない、唐三彩だ。唐時代の名品だよ。ほらこの龍の模様を見なさい。見事なものだ」
「へーえ、そんなに有名なものですか?」
「ああ、これだけ見事なものは、値打ちがつけられないほどの貴重品だよ。これは、私がいただくわけにはいかないな」
「でも、祖父もひとに貰ったものですよ」
「しかし、こんな高価なものを――」
「いいんです。そんなにお気にされるのなら、いつか私が困ったときに助けてください。――もっとも、そんなときが来るとは思えませんが」

そして今、娘婿の魂胆は明白なものとなったが、後の祭りだった。今井は大切に扱うと約束して、品物を受け取ったのだ。そのときの彼は、逸品を手に入れて、天にも駆け昇りたい気分だった。
そして事情の分かった今、いったん受け取ったものを、いまさら返すなどと言えるわけがなかった。彼は、若造の巧妙な罠にはまったのを、煮えくり返る思いで後悔していた。

若井頭取は、今井会長がなにも言わないので、窮地に陥っていた。このままでは、平和銀行の不良債権額がますます膨らむ一方だ。
そのとき、彼のホッとしたことに、財務担当重役の奥村が意見を言った。
「神山社長のおっしゃる条件は、当行の経営にとっても重大な影響を及ぼすことですから、どうでしょう、後日また改めて会合を持たれては――」
それを聞いて、薫が鋭い目つきで奥村の顔をにらんだ。彼はじっとその重役の顔を見つめ続けていて、相手が気弱そうに目をそらすと、おもむろに口を開いた。
「先ほど詳しくご説明しましたが、会合を先送りすれば、なにか状況の変化でもあるのですか?」
「い、いや、そういうことでは」
でっぷりと肥った奥村は、しどろもどろに答えた。「ただ、実務担当者レベルでも検討させてみたいと」
すかさず薫が、尋ねた。
「御行ではなんですか、実務担当者が、経営判断をするのですか?」
「――」
薫の鋭い質問に、奥村は完全に黙り込んだ。

それを見届けると、薫は若井の顔をまっすぐ見ながら、てきぱきとした口調で言った。
「若井頭取、資料はお渡ししましたので、じっくりとご検討ください。ただし、私どもの申し出に、基本的なご了解を、この場でいただきたい。
それから、お分かりだとは思いますが、なにも楽をするために、こんな要求をしている訳ではありません。一生懸命働けば収穫もあるということを、アスカビルの社員たちに示してやりたいんです」
それから彼は、今井会長のほうを見た。「今井会長、ご了解いただけますね?」
薫の問いかけに、今井が噛みつきそうな顔でにらんだが、わずかに頭を縦に振った。
若井頭取が、最後の抵抗を試みた。
「神山くん、もちろんわれわれは前向きに検討するよ。ただし、きみのほうも理解してほしい。アスカビルはもともと、不良資産の処分のために作った会社だということを」
それを聞くと薫はふんぞり返って、若井の顔をジロリとにらんだ。
「ほう、初めて聞きました」
そこで姿勢を正した。「頭取、負債の受け皿としてアスカビルを作ったのなら、最初からそうおっしゃってください。御行の大株主として、私にも考えがありますから」
神山薫の言葉は決定的だった。平和銀行の重鎮たちは、この神山一族の若造の好き勝手な言い分に、腹の中は煮えくり返る思いだった。しかし一方では、このお坊ちゃま社長に、反発できないのも悟っていた。
[19/01/07 06:25 神亀]
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