目 次
カンパニー(第1章 新会社設立) - (2)
(2)

アスカビルの設立準備が始まった。
今井良尚に選ばれた3人は、毎日多忙を極めた。
藤沢は新会社の社員獲得のために、銀行内外の候補者の人選や、組織作りの全般を担当していた。
一方、大友は銀行から引き継ぐ資産や帳簿整理を、伊室はオフィスのオープン準備や新規事業ビルの計画に忙殺されていた。
ある日、彼らのもとに、年の頃50代と思われる男があらわれた。男は新社長の秘書をやる、宮内だと名乗った。
中肉やや背が低く、人好きのする顔をして、物腰の柔らかい男だった。いかにも宮仕えに慣れた物腰だが、どことなく得体の知れぬところがあった。
宮内は、今井会長とも通じているようだった。そのことは、二度ほど会長本人が準備室に姿をあらわしたときに、はっきりした。
会長は関係者たちに進捗状況を聞いたあと、宮内だけを別室に呼んで、二人きりで何事か話をしていた。
藤沢たちは、今回の新会社設立に、しっくりとこないものを感じていた。いくら不良資産を活用するためとはいえ、不況の続いているこんな時期に、新たに莫大な投資を必要とする事業会社を作ることは、いかにも無謀に思われたのだ。
なにか裏があるのではないか?そこのところは、今井会長とも繋がっている宮内なら、なにか知っているかもしれない。

3人は示し合わせて、宮内を料亭に誘った。
最初のうち、宮内はとぼけて、私のような下っ端に何が分かるんですか、としらを切っていた。しかし、生来のおしゃべり好きの彼は、口を開きたくてむずむずしていた。
藤沢たちは宮内をおだてあげ、酒を飲ませ、自分たちは口が固いんだ、としつこく迫った。
とうとう宮内が根負けして、内輪話を始めた。
話は2年ほど前にさかのぼり、病の床にあった平和銀行の元頭取、神山俊郎が、今井会長を呼び寄せて懇願したのだ。孫の薫を頼む、あれを神山家の名に恥じない一人前の男にしてくれ、あれのことを思うと死んでも死にきれん、と。
最も敬愛する大先輩に頼まれ、今井は断りきれなかった。彼はそのとき約束したのだ。
「わかりました、薫くんは私の娘婿でもあります。彼がいかにアッパラパッの男であれ、私の責任で立派な一国一城の主にしてみせます」と。
それが新会社設立の発端だった。

「アッパラパッの男?会長はそんな低能の七光り坊やのために、わざわざ会社をつくられたのか?」
「なんだ、そうすると私らは付け足しってところか」
「と言うよりも、犠牲者ですね」
3人はぶつくさ言い出した。
一呼吸置いて、藤沢が質問した。
「それで、そのアッパラパッのお孫さんって、どんな人物なんだね?」
宮内は、困った表情をした。
「そんなこと――おぼっちゃまの悪口は、私の口からとても言えませんよ」
「悪口?言っちまえよ。ここだけの話だろ」
伊室が面白そうに言った。
宮内は、口元をむずむずさせながらも、拒み続けた。しかし彼は、根っからのおしゃべり好きだった。そして意志も弱かった。
「薫さまは、現在、ある年配のアメリカ人男性とハワイにおられます」
彼はついに話しはじめた。「とにかく、へそから下のことに関しては、無節操な方でして」
藤沢が眉をひそめた。
「彼は男好きなのか。で、奥さまはどうされてるんだ?」
「それが、奥さまのほうで愛想をつかされて――。ご夫婦の縁は切られていませんが、離婚したも同然です。なにしろ、ずっと別居生活をされていますから」
「――お子さまはおられるのか?」
「お二人います。女のお子さまと男のお子さま――上のお子さまは、結婚式のとき、すでに奥さまのお腹にいました」
藤沢は不快そうな顔をしたが、質問をつづけた。
「お父さまは、平和商事社長の神山一郎さんだったね。親子のあいだはどうなんだ?」
「大旦那さまは、お坊ちゃまをまったく無視しています。お坊ちゃまが大学生のときに、大旦那さまの名誉をひどく傷つけられて以来、お二人の仲は悪化の一途をたどりだしたようです」
「どんなことをしたんだね?」
「お小遣いの増額を断られたお坊ちゃまは、お父さまのお名前をかたって、山の手線の駅広場で大道芸人の真似事を始めたのです」
「大道芸人――?」
「ええ。神山一郎と書いた幟を立てて、パントマイムをやったり、ダンスをしたり――それもパンツ一枚の格好で――結構、人気を集めていたようです。でも、そのうち警察に補導されまして、それで大旦那さまの知るところとなったわけです」
3人はあっけにとられて顔を見合わせた。

しばらくして、気を取り直した藤沢が、宮内にたずねた。
「いったい彼は、どんな性格をしているんだ?」
もはやおしゃべりの止まらない宮内は、すらすらと答えた。
「横暴、独り善がり、わがまま、変態――とにかく数え上げたら切りがありません」
聞いていた3人は、暗澹とした気分になってきた。

――◇――

いよいよ株式会社『アスカビル』がスタートし、新社長の神山薫がようやく姿をあらわした。
その日は、社内に狂気の嵐が吹き荒れた。藤沢たち3人は、弱冠37才の新社長に翻弄されっぱなしだった。
高価な仕立てのダークスーツに、180センチのスラリとした長身、それに彫りの深い端正な顔立ち――こんがりと小麦色に日焼けしていなければ、彼は世界中を駆け回る、エリート・ビジネスマンに見えたことだろう。
応接室で整列する、自分より年上の3人を前に、若社長はまるで新兵の検閲をするように見下ろしていた。その横で秘書の宮内が、ひとりずつ名前を紹介すると、新社長はものうげに紹介された相手の顔を見やる。
名門神山家の正統な跡継ぎで、しかも音に聞こえた無頼漢を前に、年配の男たちは緊張していた。中でも、律義な性格をした大友取締役は、極度の緊張に顔はこわばり、手のひらはじっとりと汗ばんでいた。

紹介が終わると、新社長はまず藤沢常務の前で立ち止まった。ロマンスグレーの温厚な顔立ちを、社長はまじまじと見つめた。
次に起ったことは、アッという間の出来事だった。
神山は唐突に藤沢の体を抱きすくめると、顔を近づけ、素早く唇にキスをした。
若社長が離れたとき、なにが起こったのか事情が呑み込めていない藤沢は、ポケッとした顔で突っ立っていた。
「これはロシア式挨拶。それにしても、なかなか可愛らしい顔をしてるじゃないか。ぼくのタイプだよ」
神山はいたずらっぽくウインクすると、こんどは大友のほうに歩み寄った。そこで直立不動で固まっている年配者に話しかけた。
「トイレでも行きたいのかい?」
「い、いえ――」
大友がかすれた声で言うと、神山はにんまりした。
「そうかい」
若社長は腰を屈めると、何気ないそぶりで片手を前に伸ばし、大友の股間をつかんだ。
「アッ!」
大友が悲鳴をあげた。
「なんだ、でかいのをぶら下げてるじゃないか。この、色男!」
神山は親密そうに、大友の腹を殴るしぐさをした。
次に社長は、ぽってりと太った伊室のほうに向き直った。
伊室が思わず後ずさった。
神山はおもむろに近寄って、伊室の丸っこい肩に片腕をまわしながら話しかけた。
「ぼく、そんなに怖がらなくてもいいんだよ。それにしても――」
彼は、形良くふくらんだ腹を撫でた。「お肉がたっぷりとついて、ちょうど食べ頃だな」
そこでもう一方の手を背後に回して、伊室の尻をピシャリと叩いた。

傍若無人な若社長の振る舞いに、年配者たちの胸のうちは煮えくり返っていた。よりによって、こんな脳天気な若造を、社長として向かえなければならないとは――と同時に、さしあたっての現在に、一抹の不安を覚えていた。このままでは、このあと何をされるか知れたものじゃない。
そのとき女子社員が部屋に入ってきて、今井会長の来訪を告げた。
重役たちは目にみえて、ホッとした表情をした。

ほどなく今井会長が、部屋に現れた。
「あ、お父さん、わざわざおいでいただいて恐縮です。こちらからご挨拶に、お伺いしようと思っていましたのに」
神山薫が愛想よく、義理の父親の今井に声をかけた。
若社長の態度の急変ぶりに、重役たちはとまどった。
「心にもないことを言うな。おまえが挨拶に来るなんて、すこしも期待していない」
今井は憮然として、ソファーに深々と腰を落ち着けた。それから向かいに座った神山の顔を、ジロリとにらんだ。
「半年間も、どこをほっつき歩いていたんだ?」
「アメリカにいたときの仕事で、やり残したことがありまして――」
神山がさわやかな笑顔で言った。
今井会長はずばりと言った。
「それにしても、見事なハワイ焼けだな」
神山はチラリと宮内のほうを見た。宮内が、部屋の隅に隠れるように身を縮めた。
フンと鼻を鳴らすと、神山はソファーの背後に立つ3人を振り返って、しゃあしゃあとして言った。
「それはそうと、3人の経験豊かな重役をアスカビルに寄越していただきまして、ありがとうございます」
「私の話を逸らすな」
「そんなつもりはございません。さきほど重役の方々とお話したのですが、皆さん立派な方ばかりで。私のような若造にとって、心強いかぎりです」
神山は神妙に言って、自分の言葉に納得したように、大きくうなずいた。その背後では、よく言うよ、とばかりに3人の年配者たちが白けた表情をしていた。
神山の殊勝な言葉を鼻であしらうと、今井は言った。
「おまえには言ってなかったが、アスカビルの会長は私が兼務することになった。銀行や他の会社の仕事があるので、ここに来るのはそう度々というわけにはいかんが、できるだけ来るようにする」
それを聞いたとたん、神山が黙り込んだ。
今井は立ち上がると、にわかにシュンとした神山を無視して、重役たちに言った。
「きみたちも社長に遠慮せずに、進言すべきことはどしどし言ってくれ。きみたちのほうが仕事をよく知っているし、経験も豊富だ。彼をよく指導してやってくれ」

今井会長が帰ったあと、部屋の中に険悪なムードが漂った。
「宮内!ハワイのことは、おまえが告げ口をしたんだろうが」
神山は今にも掴みかからんばかりに、秘書を部屋の隅に追いつめていた。
「申し訳ございません。会長に問い詰められて、どうしても嘘がつけなくて」
宮内は背後の壁にへばりついて、恐怖の目で主人を見上げていた。
ほかの3人はあっけにとられて、二人のやりとりを眺めていた。彼らは最前、小憎らしい若社長が今井会長にやりこめられるのを、小気味よく聞いていたのだが、今やいつ矛先が自分たちの身に向けられるかと気が気ではなかった。
「あのジジイ、最初から知っていながらとぼけおって」
神山はぶつぶつ言った。それから秘書のほうを振り向いて「おまえとは、まだ十分な信頼関係ができていないようだな。今夜はたっぷりとお灸をすえてやる」
彼はまた独り言を言いだした。
「なんであんな過去の遺物が、うちの会長になるんだよ。あの古ダヌキめ――」
彼は重役たちを無視して、部屋の中を行ったり来たりしだした。
そんな社長を横目に、藤沢たちはひたすら壁になりきって、息をひそめて立っていた。

翌朝、宮内は白っぽい顔で、藤沢の部屋に入ってきた。
「おい、どうしたんだ、体の加減でも悪いのか?」
秘書の顔を見て、藤沢が心配そうに声をかけた。
宮内は、言葉少なに返事をした。
「昨晩あまり寝ていないものですから」
「それはいかんな。ところでなんの用だい?まあ、かけてくれ」
藤沢は言いながら、向いに腰をおろす秘書の顔を見た。目元がすこし疲れていた。急に、この秘書に同情を覚えた。相手が名門の子息というだけで、年下の主人に仕え、その横暴にじっと堪え忍ぶ姿は、いじらしいほどだった。
藤沢は思わず言っていた。
「宮内くん、困ったことがあったら、私に話しなさい。私から社長に意見するから」
[19/01/05 06:52 神亀]
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