(3)煩悩
日曜日、神谷神父は、朝のお勤めの支度をしていた。法衣に小柄な身を包みながら、今日は何を話そうかと考えていた。
部屋の外に出ると、ふたりの助手が庭で仲良くはき掃除をしている。彼らはすっかり打ち解けて、傍目にもお互いを信頼しあっているのがわかる。それを見ていて神谷は、かすかな嫉妬をおぼえた。
さわやかなお天気も手伝って、礼拝堂は満席になるほどの信者たちが集まっていた。
お勤めはいつものように、静かに始まった。普段だと、ある者にとっては楽しく、ある者には退屈なひとときだった。
神谷神父はいつもどおりの穏和な顔をして、おっとりとした口調で話をつづけていた。だが今日は、どことなく神父のようすがおかしかった。
それに気付いたのは、前列近くの数人の教区民だった。神父がときおり落ち着かなさそうに、小さな身体をもじもじとさせ、ほんのひととき、説話を途切れさせた。疲れているのか、それとも、トイレにでも行きたい様子だった。
神谷神父は、満員の会衆のなかに佳代の顔をみつけたとき、一瞬、動揺し、落ち着かない気分になった。一昨夜、あんなことがあったにしては、彼女の顔は底抜けに明るかった。
神父は長年の訓練で、心の動揺を表に出すほど初心ではなかった。
しかし――無邪気な顔をした罪深い女、その女が彼の顔をまっすぐ見つめながら、にっこりと微笑んだとき、彼は身内に蠢くものを感じた。この長い歳月、眠りつづけていたものが、一昨日の罪によって呼び覚まされ、鋭敏になったのだ。
神父は満員の聴衆に語りかけながら、法衣のなかで硬く充血させていた。
――*――
「神父さま、早く――」
頂上近くで振り返って、下村芳実が師によびかけた。無口でおとなしい彼は、最近、目にみえて明るくなっている。
神谷神父は、ハンカチで額の汗を拭きふき、さいごの坂道をよちよちと登った。ふたりのところにたどり着いたときには、息を切らしていた。
頂上では、芳実と秀樹が仲良く並んで、下の世界をながめている。神谷も彼らのそばに近づいた。
眼下に壮大なパノラマがひろがっていた。
近くは、緑濃い六甲の傾斜地、その先に広がる神戸の市街地、そして遠くは船の点在する海の水平線――。全体にうっすらとモヤがかかって、異国情緒あふれる風景だった。
(ああ、ここまで来てよかった)
現金なもので、神谷神父は先ほどの苦労も忘れて、目の前に展開する景色に見とれた。
3人はそのあと、六甲牧場まで足を伸ばした。
のんびりとした牧歌的な風景のもと、61歳と48歳のふたりの助手は、すっかり童心にかえって、仲のよい子犬のようにじゃれあっていた。
神谷神父から見れば、なんの打算もない彼らの純真な行動がうらやましかった。一方、彼の心の底には、姦淫という言葉が重くのしかかっていた。あの晩は、若い女の一方的な誘惑だったとはいえ、彼はなんの抵抗もなく快楽を享受したのだ。
高山秀樹は牧草の上で大の字になって、すがすがしい山の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。それから年配の同僚の姿を目で追った。
下村芳実は大地に四つん這いになって、ぐうぜん見つけた蟻の行列をみつめていた。その目は、好奇心旺盛な幼児のように輝いている。
秀樹のほうからは、ズボンをふくらませた、年長者の臀部がみえた。肉付きの良い双丘が横におおきく張りつめて、その合わせ目に玉袋の微妙な陰影が浮き出ている。
見ていて秀樹の健康的な肉体が反応し、股間が熱く疼いてくる。
その光景から引き剥がすように視線をずらして、神谷神父の姿を探した。神父はふたりから離れて、木立の間を散策していた。見慣れた法衣を脱いで、普段着になったその姿は、ずっと親近感がわいた。
しかし神父の様子には、どことなく苦悩している感じがあった。
秀樹の見ている前で、神父の姿が木立ちの陰に消えた。
(どこに行ったのだろう?)
心配になって、彼は立ち上がった。
牧場の端のところで、神父の小柄な姿を見つけた。
そのとき、秀樹の見ている先で、彼の崇拝する師はズボンの前で手をもぞもぞさせていたと思うと、男のお道具を引っぱりだした。そして茂みに向かって放尿しだした。
見てはならないものを目にして、秀樹はあわてて引き返そうとした。最後にふりかえったとき、神父がスローモーションのように、後ろに倒れかかっていた。
「神父さま!」
秀樹はあわてて、神谷神父のもとに駆け寄った。神父は草の上に仰向けになり、蒼白な顔色をして目を閉じていた。
そのとき、秀樹は気づいた。神父のズボンの前開きから、男の道具が露出していた。聖職者の持ち物にしては、不似合いなほどボリュームたっぷりの男性器だった。
彼は躊躇し、それからおずおずと手を伸ばすと、師のお道具をつかんだ。生温かく、そして軟らかだった。彼はその感触をたしかめるように、しばらく手の中で握り、それからズボンに納めてやった。
しばらくして、神谷神父は意識を回復した。疲労と低血圧による軽い貧血を起こしたようだ。
「神父さま、木陰に行きましょう」
秀樹は神父の小柄な体の下に両腕をさしこみ、抱き上げた。まるで神父の体重がなくなったかのように、軽がると抱きかかえ、大きな楠の木のほうへむかった。
――*――
秀樹はバスタオルを手に、神父が風呂からあがるのを待っていた。
まもなく師が湯の中から出てきた。裸の老人は、染みひとつなく滑らかで、全身が淡いピンク色にそまっていた。骨細で小柄な肉体は、うっすらと脂肪の層でおおわれ、まるで長い歳月をかけて、バターとミルクで練り上げられたような、まろやかさがあった。
しかし、幼児のような体のなかで、唯一、罪深い大人の部分があった。醒めた渋茶色にふすぼけて、王者のようにものうげで、どっしりと垂れ下がったもの――聖者の体と罪人の性器。秀樹はその奇妙な眺めを、湧きあがる興奮を抑えながら見ていた。
神谷清児は、助手がバスタオルを使って、自分の体から水分を拭き取るに任せた。助手の作業は、痒いところに手が届くほどきめ細やかだった。
ついで、促されるまま部屋のベッドにうつ伏せに寝そべって、顔をシーツに埋めた。
秀樹は、老師の肩から背中、脇腹へと、しっかりした暖かい手でマッサージを始めた。
清児は唸り、目を閉じて、マッサージのリズムに身をまかせた。どこで習ったのか、助手のマッサージ技術は、玄人はだしだった。

秀樹はバラの香りのする香油を、老師の肩こう骨のあいだにすり込んだ。それから自分の指を屈伸させ、たおやかな首のうしろの筋肉を揉みほぐし始めた。
神父が心地よい呻き声を発した。
両の手が白髪をかき分けてのぼり、小さく丸い頭蓋骨のてっぺんに達し、それからまた首、肩こう骨へと戻った。掌がなおも下にすべり、臀筋のやわらかい盛り上がりを、押したり引っ張ったりした。
器用な指が挫骨神経をさぐり、ついで太ももの上部にとどまると、それにつれて清児の思考も移ろった。彼は、香月佳代の若々しい肢体の幻影を思い描いていた。
佳代はシャツのボタンをはずし、その下には何も着けていなかった。美しくなめらかな肌、よく締まって形よく盛り上がった乳房――。
助手の親指が背骨に沿って、椎骨をひとつずつ押し広げだした。
そこで佳代の幻影は消えた。神父の思いは、いま彼の身体をマッサージしている助手に切り替わった。
清児は、聖職についてから30数年間、自分の裸体を人の目に晒したことがなかった。しかし、この男の前では、なんの抵抗もなく裸になれたことに、内心驚いていた。
最初、助手が同性愛者だという告白を聞いたとき、清児は心配した。しかし秀樹は、彼に対して不埒なことをする気配はなかった。同性愛嗜好は、助手の心から消え去ってしまったようだ。
清児はすっかり安心して、助手の温かく乾燥した手が、自分の体を這いまわる快感にひたっていた。長い指と掌が、全身をくまなく這いまわって、しこりの根や巣を探り当て、圧したり、撫でたり、つねったり、叩いたりして散らしていく。
男の手の動きは、重厚かつ繊細で、また、丹念でしぶとくさえあった。
強靱な指から活力が体内に注入され、全身の皮膚が赤ん坊の肌のように新鮮になり、歓声をあげて小踊りしているようだった。
しかし、うつ伏せになった神父は気づいていなかった。
助手が、彼の肉体を揉みほぐしながら、その目は熱を帯びて欲望にかがやき、ズボンの中で痛いほど吃立させていることを。