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大江戸男色模様(3) |
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(三)
締めくくりに、幕末頃の艶本の大作『通遥堪麁軍談』(つうぞくかんそぐんだん)を紹介しよう。 作者は江戸末期の艶本作家、玉廼門笑山である。 登場人物は、女色にかけては色豪の「酔風」と、当代随一の売れっ子陰間「小門」である。女色に長けた主人公が、初めて体験する陰間との一戦が描かれている。 この本は、肛交場面を書いた艶本の最高傑作と言われている。 その文章は擬声語を多用し、迫真の雰囲気を醸し出している。 但し、この時代の文章は、読点のみで長々と続くので、ちょっと読みづらいと思うが、雰囲気を味わっていただくため原文のまま紹介する。 但し一部、漢字をひらがなに、あるいはひらがなを漢字に置き換えて、若干の手を加えた所があるのを、予め了解されたし。なお文中、「へのこ」とあるは男根のことである。 さても酒屋酔風は、思ひもよらざる妻岡小門が情深きもてなしに、たちまちに心うつりて、一物くわっとおへ出し、雁首ふくれて胴中ふとく、どっきどっきと動気をうち、火のごとくにおへきったるへのこを、小門が柔らかき手にて、しかしか握りつめ、酔風があをむけに寝ている上へ振袖うちかけ、甘へるようにはらばいに、腹の上へ乗りかかり、すこし起き身に、一物を握ったままで、やわらかき尻の割れ目へあてがわすれば、酔風はこれまでに衆道の手練を知らざりければ、ただ男色は後より若衆の尻をまくり上げ、ほったて尻をさせ置いて、犯事(ほること)とのみ思いしに、これはまた格別にて、茶臼交(ちゃうすどり)のごとくにして、小門が上よりのぞますあんばい、その工合言うに言われず。 酔風は心を込め、へのこの頭へ気を入れて、肛門のようすをうかがひ見るに、いつの間にやねやしけん、尻の割れ目は一面に、ぬらぬらぬら滑らかにて、鈴口にしかしか触る肛門の穴の口、菊座もずるずるぬめり廻り、いと柔らかくすべすべと、へのこの頭をしゃぶるがごとく、げにや世上によく言ふなる、陰門(ぼぼ)に四十八襞ありと、あながち女陰に定めたるは、これ大いなるひがことならん。 今目前にへのこを持て、この美少年の菊座を、くわしくうかがうに、へのこの頭を入るにつけ、桔梗袋の口のごとく、太みにしたがい襞のびて、穴ひろがるその工合をかんがふるに、常にくくりてある時は、いかさま襞のあるをもて、菊の花形にさも似たれば、金具の座ともろともに、菊座と名付けしあるべし。 されど菊座に表せしならば、十六襞と言ふべきを、四十八襞ありぞとは、世にいかなる禅門の、よくも数へしものなるよと、酔風心にはじめて悟り、又かくばかりぬらつくは、これ聞及びし通和散と呼びなせる、ぬめり薬のぬらつきなるべし。 さてもよくせしものならんと、なおも様子をうかがひながら、へのこを次第に進ませれば、小門も程よくあしらいながら、尻をぐっと押し付ける拍子に、ぬるりと奥深く胴中すぎまで押込んだり。 さすが喜蝶(※女郎の名前)も血道を上げし酔風が上まら、まことにいあってたけからぬ、鋭きうちにもやわやわと肉に入合う麩まら(ふまら)の味わひ、小門もうづうづ小気味よく、根までずっぷり入れさせるに、肛門の内肉にて、へのこをしこしこ喰いしめられ、めづらしければ、穴中のしかけをとくと考ふるに、穴の底にくくりめとおぼしき所あると言へども、子宮(こつぼ)のごとく硬からず、穴の上下左右とも一面にやわらかき肉にて、へのこをしきりに締め、抜き差しするたびに胴中より頭へかけて一面に、ずべりずべりとしごくがごとく、ほっかりとして締まりよく、玉門ほどにぐちゃつかねば、その味すこしく異にして、たとふるものなき無量のうまみ、菊座の口に大まらの、根もとをすっぽり喰い締めたれば、出し入れせはしくするたびたび、惣身の淫水一時に、しごき出される心地して、どうともかうとも言はれぬ気味よさに、さすがの酔風、最前よりうつつのごとくに気を奪われ、こは狐にやつままれけん、世に陰間を買ふ和郎は、いかに物好きなればとて、糞穴へへのこを押し込み、窮屈な目にさすのみならず、もとより逆えんの穴なれば、よくも入らず、あちこち突つき廻して、きやきやとあたら淫水を漏らしかけ、尾籠なる(※不潔な)移り香の、へのこにや残りなんと、あくまでそしりしが、今かくばかり幼きものの、いともちいさき尻の穴へ、わが一物の根もとまで快くおさまり、かくまで美快をきわむる穴とは、今の今まで知らざりし。 ことに尾籠のかほりなんどは、ゆめゆめあらぬ清らかさに、この所よりかの通じのあらんとも思はれずと、つね癇癖の酔風も、こころよく押し込み押し込み、鼻息せはしく小門を引き寄せ、したたかに口を吸いにぞ、小門も十分舌を出し、思ふままに吸はするにぞ、いよいよもって気がいきかかり、中にてへのこがどっきどき、動気ひびいてあたたかなるに、小門もさきより気をもちて、まだ剥けやらぬすぼけの白まらのごとくにおやしているを、酔風片手に握り見るに、ほっかりとあたたかく、これも動気をひびかせて、張り切るようになりいるを、握りつめれば小門はたまらず、目を細くして鼻息あらく、なおも口を吸いながら、尻をすぼめてへのこの根もとを、しかしか喰い締めしごかれて、何かわもってたまるべき、穴の中にふやけたる、へのこを深く突込み突込み、一気にどっと気を遣って、惣身の淫水はじき出し、 「フウフウフウ、ハアハアハア、ムムムムム、ハアハア」 と、鼻息あらくしばしが内、淫水ありたけしぼり出し、しばし締めあいいたりしが、ホッと溜息つきながら、心づきて小門の玉茎、握りつめたる手を見れば、これもいっしょに気を遣りしと見へ、酔風が手のひらへ一面、ぬらぬらとねばりぬらつく心の水、小門は手ばやく紙取り出し、おのが吐淫で濡らしたる、酔風が手を紙にて握り、声をひそめて耳もとにて、 「このやうな事、おまへ、人に言やせんかへ。人に言ふたら、わしゃきかんぞへ」 「なにをそんなに決めつけるのだ」 「あほらしい。なんじゃあらうと、言ふたらきかんぞへ」 と、紙で握って拭いて取り、またまた紙にて酔風が、一物の根をしっかりと握り、いかにもしずかにぬらぬらと、へのこを尻より抜すれば、中へしみ込みし淫水が、へのこに添ひてどろどろと、出る所を紙に受け、身をしりぞひてそのままに、すっぽりと拭いて取り、にっこり笑顔に酔風が、取り乱したる衣もんをつくろひ、その身もとりなりつくろひて、裏はしごより便所にいたり、尻の中に出残りたる淫水を、残りなくさらりと吐出しさっぱりと、始末もきれいに事なれたり。 以上、なんともリアルかつ迫真の文章である。 これに加えて挿絵があるので、当時の読者の催すこと如何ばかりか。 文中、酔風の持ち物を「麩まら」と表現しているが、江戸時代、「麩まら」は男の道具のランク付けで最上位だった。多少やわらか目で、相手の形状に合わせていかようにも変化して、ぴっちり隙間なく埋め尽くすマラが、最高に受け手を喜ばせると見られていたのである。 筆者思うに、多少やわらか目となれば熟年者のマラである。ひょっとしたら、経験豊富な熟年者の床上手も相乗して、麩まらがランク1位になったのではないだろうか。 さて、この時代、男同士の肛交体位は後背位でやるのが通常であったが、ここでは「これはまた格別にて、茶臼交のごとくにして」とあるように、女を上に跨らせて向かい合ってやるのと同じ体位で行っている。 釜を買ふ 茶釜茶臼で 水こぼし これは陰間との肛交を茶臼型で行い、気持ち良く射精した情景を詠んだ川柳である。 また、「尾籠のかほりなんどは、ゆめゆめあらぬ清らかさに、この所よりかの通じのあらんとも思はれず」とあるように、さすが小門はトップクラスの陰間らしく、肛交に際してのいやな臭気が無いことを言っている。 逆に―― 搦手(からめて)は 千早の城の 匂いがし 南北朝時代、千早城に籠った楠木正成が、幕府側の大軍の寄せ手に、煮えたぎる糞尿を振りかけた、と伝えられている。 これに陰間との肛交の臭気をかけた川柳である。 なにしろ、浣腸器や直腸洗浄器のなかった時代である。いかに直腸内をきれいに保つか、当時の陰間はおおいに苦労したことであろう。 ![]() さて、江戸の男色文化について書き連ねてきたが、皆さんはどんな感想を持たれたであろうか。 いずれにしろ、明治時代の初めの頃まで、男色という風俗は、男女の恋愛と同等に扱われていたのである。 明治の初期といえば150年ほど前のことだ。それまでの日本では、男色が決して異端でも変態でもなく、ごく普通のことだった。 それが文明開化と共に、欧米の文化が日本にどっと入ってきて、同時に、男色は忌み嫌うべきもの、というキリスト教の考え方が浸透した。 しかし現在の欧米諸国をご覧いただきたい。 各地でゲイパレードが堂々と行われ、同性愛などのLGBTを迫害するのは罪である、と明言しているのだ。 同性婚を認める国も、先進国の間で急激に増加している。 それに比べ、日本は同性愛について、まるで後進国である。今もって明治時代の欧米文明の性道徳から抜け切れていない。これは多分に、日本人の生真面目さにあるのではないだろうか。 ここでもう一度、平安時代の後半から明治時代の初期にいたる約800年もの間、男女の性愛と同様、いやそれよりも奥深く、男色の文化が根付いていた、ということを思い起こしていただきたい。 日本は「男色先進国」だったのだ。 このエッセイを読まれた皆さんは、日本男子のDNAには、潜在的に「男好き」の遺伝子が組み込まれていて、それが顕在化したのがわたしたち男色者である、ということがお分かりになったことだろう。 |
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17/01/31 01:04 神亀
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