目 次
皇子町殺人事件(第3部) - (2)
(2)

和泉昭信との会話に疲れきって屋敷に戻ると、ようやく目を覚ました一郎が朝食をとっていた。向かいの席では、英二と和泉夫人がお茶を飲んでいる。
一郎が貴志を見て言った。
「お、タカシくん、帰ってきたか。食事がおわったら、青雲荘にいくぞ」
「え、あの――吉田さんの件はいいんですか?」
貴志は、和泉夫人に配慮して、婉曲的に聞いた。
「ああ、あとは葛城警視に任せておけばいい。私はもう一度、青雲荘を調べてみたい」
「今、池内が行ってるはずですから、門の鍵は開いていますよ」
和泉夫人が言って、貴志に訊いた。「コーヒーでも入れましょうか?」
「いえ、結構です。あの、お館さまは?」
「主人なら渡辺と、蔵で調べ物をしていますわ」
そういえば、昨夜、葛城警視がお館さまに言っていたのを思い出した。
貴志は夫人に聞いた。
「あのう、池内さんが言ってましたが、ぼくが蔵に入るのは駄目だって」
和泉夫人がほほえんだ。
「そんなことはありません。池内がからかったんでしょう。ご覧になりたいのなら、主人に声をかけてみてください」

貴志は勝手口から外に出て、蔵に行った。
蔵の扉は開いていた。入り口からのぞくと、蛍光灯の明かりに、古めかしい家具類があり、棚には梱包された木の箱が整然と積まれていた。蔵の中は上下二段に仕切られていて、隅のほうに木製の階段が立てかけられている。室内は真夏だというのにひんやりとしていた。ふたりの姿は見えなかった。どうやら上の階にいるらしい。
「爺さん」
貴志は声をかけた。上のほうから、お館さまの声がした。
「ああ、タカシくんか」
「入ってもいいか?」
「ああ、上にあがっておいで」
貴志は中に入ると、上の階に登っていった。
お館さまは書類を調べていた。その背後では執事の渡辺が、折り畳み式の脚立に乗っていた。彼らの足元には、口の開かれた段ボールの箱が5つほどあった。
「何をしてるんだい?」
貴志が声をかけると、お館さまが手にした書類から顔を上げた。
「どうやら、誰かがいじったらしいんだ」
「無くなったものはあるのかい?」
「今のところはないな」

貴志は箱の中をのぞき見た。書類がぎっしりと入っていた。そのなかの1冊をとりだしてみると、和紙に墨書きされていて、細ひもで綴じられていた。黄ばんだ和紙の状態から見て、相当古いものらしい。文字は草書体で、読みとるのに苦労しそうだ。
「えらく古い書物だな。どうしてこんなところに置いてるの?」
「そのうち、整理しようと思ってるんだがね。ここにある本は、みんな先祖の書いたものなんだ」
「へーえ。爺さんの先祖って、ものを書くのが好きだったんだな。で、誰かがいじったって、どうしてわかるんだい?」
「ここの段ボール箱は、棚に積んでたはずなのに、けさ来てみると、床に下ろされてるし、蓋も開いてる。それにほら、ロウソクをともした跡がある」
確かにお館さまの言うとおり、床に蝋の跡が点々とある。
「ふーん、物好きな人間もいるもんだな。こんな昔の難しい書物を見て、何が楽しいんだろうな」
「なにか調べ物をしていたんだろう。それはともかく、取られたものは無いようだな」
貴志はまわりを物珍しそうに見て、お館さまに尋ねた。
「もっと骨董品でもあるかと思ったけど、全部箱に入れてちゃ分からないな。爺さん、千両箱でもないのか?」
「あればきみにも1枚くらい小判をあげるよ。貴重品のほとんどは郷土資料館に寄付した。きみもあそこで見ただろう?」
「ああ――嘉信の甲冑などね。でも、寄付するなんて、爺さんも気前がいいな」
「こんな土蔵に閉じ込めていても、何の価値もないからね」
お館さまは、書物を段ボール箱に詰め込みながら言った。
その横で渡辺が、黙々と箱を抱えあげて棚に戻している。彼はいつも控えめで、自分の考えをあまり表に出さない。その滑らかな顔は、すこし憔悴しているようだった。

9時頃、貴志は藤沢警視と一緒に、青雲荘に向かった。
英二は、洞窟探検のいやな思い出があるから嫌だと言った。彼は結局、お館さまと牧場に出かけた。
貴志は屋敷を出るとき、お館さまから懐中電灯を借りていた。一郎はそれを見て、なんでそんな物を持っていくんだと尋ねたが、貴志はなんとも答えなかった。

「――紐で、背後から首を締められたんだ。あとから露天風呂に入りにきた町の人が、湯の中でうつ伏せに浮かんでいる吉田さんを発見した」
一郎は歩きながら、貴志に昨夜の状況を話していた。
「でも、犯人はずいぶん危険を犯しましたね。あんな露天風呂なら、いつほかの人が来るかも知れないのに――」
「物陰から、タイミングをうかがっていたんじゃないかな。現場の状況からみると、おそらく犯人は、吉田さんと顔見知りの人間だろう。それに犯人は風呂に入っていなかったようだ。服を着たまま、湯につかっている吉田さんを洗い場のほうに呼び寄せ、なにか言って後ろを振り向かせておいて、背後から細紐で首を締めた。その間、数分とかからなかったはずだ」
「お父さんは、その犯人が、加奈子さんや大橋さんを襲った犯人と、同一人物だと思いますか?」
「まだわからん。しかし、そうじゃないかという気がする。これは私の第六感だ。それに二人の襲われ方には、共通点がある。まず加奈子さんは、最初に石で殴られて、それから両手で首を締められた」
「石?」
「ああ、川原にあった石だ。もっともその石は、水のなかにでも捨てられたのだろう。凶器が石と言ったのは、傷口から推定したんだ。それに、大橋さんも花壇の縁石で殴られた。血痕のついた石が、裏庭の片隅で見つかったんだ。それから、吉田さんだ。彼は紐で締め殺された」
一郎はひと呼吸おいて、話をつづけた。「犯人は吉田さんに近い人物だから、城や資料館のマスターキー、それに乙女ヶ淵の水門の鍵を使えたのじゃないかと思う」
「あるいはその複製をね」
貴志は補足した。「念のために、町で鍵を複製できるところを調べたらどうでしょう」
一郎は驚いたように、貴志を見た。
「きみは、体育会系の青年だと思っていたが、あんがい頭も使ってるんだな」

貴志は考え込みながらつぶやいた。
「それに、鍵と言えば、蔵の鍵の件もあります」
一郎がうなずいた。
「ああ――いつもは、池内さんの部屋に置いていたらしい」
「あの夜、池内夫妻は加奈子さんのお葬式に出かけていて、あの部屋には誰もいなかった。鍵はあったのですか?」
「ああ、あとで調べてもらったら、いつものところにあった」
「蔵にいた人間が犯人だとすると、中で何をしていたんでしょう?」
「皆目、見当がつかん。取られた物がないとすると、泥棒じゃないな」
「外の足跡はどうでした?足型を取ったのでしょう?」
「いくつかあったが、屋敷内にある履物と一致しない足跡はひとつだ。サイズは24センチ、幅広の革靴らしい。その足跡は、トラが蔵から門のほうへ走ったルートに残っていた。歩幅からすると、走っていたようだな」
「履物の大きさから推定して、どんな人物ですか?」
「背が低い――あるいは足のちいさな人間だ」
ふいに貴志が立ち止まった。彼はあえぐように息を吸った。
「どうした、タカシくん」
一郎は貴志の顔を見て、あらためて驚いたように言った。
「おい、大丈夫か?顔色が悪いぞ」
貴志はあわてて言った。
「いえ――何でもありません」

青雲荘の門の鍵は開いていた。奥に行くと、池内老人が、川原の先のほうにうずくまっていた。川原には、白い花を活けた竹筒が立てられ、老人はその竹筒に向かって両手を合わせていた。どうやらそこに、死んだ加奈子が倒れていたようだ。
(そういえば、きのう水から上がったときには、まったく気がつかなかったな。あのときは焦っていたし)
貴志はぼんやりと、昨日のことを思い浮かべた。貴志と一郎は、池内のそばに行くと、老人と同じように手を合わせた。
「まだ若かったのに、本当にかわいそうだ――」と一郎が言った。
「素直な娘でした――」
池内がポツリと言った。
一郎はしばらく池内をみていたが、言いにくそうに聞いた。
「加奈子さんは、おつき合いをしていた男性がいたそうですね。池内さんは、その人をご存じですか?」
「いえ――そのような方は、存じません」
池内は目を伏せた。
(知ってるな――)
老人のようすを見て、貴志は思ったが、あえて別のことを訊いた。
「あのう、加奈子さんは、この庵のことで何か言ってませんでしたか?何か変わったことがあったとか――」
貴志の質問に、老人はしばらく考えていた。
「そう言えば――誰かがここに来ている、とか言ってましたな」
「どういうことですか?」
「嘉信祭の前日でしたか、加奈子はこの庵を掃除に来たんですが、家のなかに足跡があったそうです」
「足跡が――」
「ええ。この庵は月に一度、掃除をするんですが――あれが掃除に来たとき、ほこりの中に微かに足跡があったのを、見つけたらしいんです」
「足跡は、どこにあったと言っていました?」
「板の間と茶室にあったようです」
「ちょっと部屋に入ってもいいですか?」
貴志が聞くと、老人は文句を言いたそうだったが、しぶしぶうなずいた。

室内は薄暗かった。池内老人が雨戸を開け放つと、日の光が室内に充満した。
貴志と一郎は、板の間から和室にかけて、なにか手がかりはないかと、くまなく調べまわった。板の間の囲炉裏が、一番なにかの仕掛けがありそうだった。ふたりは、囲炉裏の側板を調べたり、灰をかき混ぜたりしたが、結局、何も見つからなかった。
茶室を調べているとき、貴志は気づいた。半畳の畳の縁に、糸くずが挟まっている。
貴志は一郎に声をかけた。
「お父さん、この畳は外された痕跡がありますよ」
畳はぴっちりと納まっていたので、外すのに苦労した。よく見ると、畳の縁に、なにかをこじ入れたような跡が残っていた。池内老人がやってきて、囲炉裏にあった火箸を使って、器用に畳をあげた。
畳の下に、数枚の木の板が敷かれていた。両端が畳よりも少し小さめに切られている。板は簡単にはがれた。その下に、もう一枚の80センチ四方ほどの木蓋が現れた。蓋の中央に切り込みがあり、タンスの取っ手のような金具がついていた。貴志は金具をつかみ、蓋を引きあげた。

真暗な通路が下に伸びていた。
「タカシくん、きみはこれがあるのを知っていたのか?」
一郎が、貴志の持ってきた懐中電灯を見ながら言った。
「なんとなく、そう思っただけです」
貴志は言いながら、懐中電灯の光を穴に向けた。急勾配の階段が下に伸びていた。階段は平らな石を組んで作られている。湿っぽい空気が、下からじんわりと吹きあげてきた。
「入ってみますか?」
貴志が言うと、一郎は少し怖じ気づいたようすだったが、肩をすくめて言った。
「また洞窟探検か。あまり気分が乗らないな」
「でも、今度は行き先がわかっています。昨日、ぼくたちがいた滝の洞窟ですよ」
一郎が驚いたように貴志を見た。
「どうしてそんなことがわかるんだ?」
「勘ですよ。きっとこの穴は、滝の裏側の洞窟につながっているはずです」
貴志は自信たっぷりに言った。
[18/07/22 07:43 神亀]
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