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■ 皇子町殺人事件(第2部) - (2)
(2)

安国寺は和泉家の菩提寺で、大きな古刹だった。本堂のほかにいくつかの伽藍があった。貴志と英二が寺院に着いたとき、掃き清められた広い庭には、たくさんの提灯が並べられて、まるで別世界に入ったようだった。
寺の中では、男や女たちが忙しそうに働いていた。和泉家の人たちも一緒だった。彼らは仏前のお供えものをしたり、座蒲団を大広間に運んだり、食事の用意をしたりしていた。
お館さまに代わって、和泉夫人がてきぱきと采配を振るっていた。まるで昨日の悲劇など、念頭にないかのようだった。彼女はふたりの姿を見ると、いそいそと近づいてきた。
「ごめんなさい、あなたたちのお世話ができなくて。ご先祖さまのお迎えの準備で、手いっぱいなの。今夜のお食事はお寺でしてくださいね。警視さんにもおっしゃって」
「はい。あの――お屋敷には、だれか残っているのですか?」
「渡辺と大橋が、孫たちの相手をしています。敬子の子供たちも一緒だから、彼らは大変ね」
彼女はそれだけ言うと、あわただしく立ち去った。その後姿を見ながら、英二が言った。
「私もお手伝いをするか。タダで泊めてもらってるんだからな」
「じゃあ、ぼくのお相手はどうするの?」
貴志がぼやいた。
立ち去りかけた英二が振り向いて、彼の顔をまじまじと見た。
「きみは21歳になって、自分の面倒も見きれないのか」
「そんな意味じゃないです。ぼくは――」
貴志の話を最後まで聞かずに、教授はさっさと立ち去った。

法事は本堂で盛大に行なわれた。貴志は本堂の外から、法事のようすを見ていた。
高い天井の本堂の中は、薄暗く、ぼんぼりの明かりが幻想的な雰囲気を醸し出していた。お経を唱える僧侶の背後には、たくさんの人たちが参加していた。
和泉貴信にかわって、夫人が主人役を勤めていた。彼女は最前列の中央に座り、その両側に7人の男たちが座っていた。
2列目には和泉家の親族が並んでいた。その中には、貴志の見知らぬ人たちもいた。彼らには、どことなく品格がうかがえて、和泉家にゆかりの人たちだと納得がいく。
秀信夫妻や楠部夫妻は神妙な顔つきで座っていたが、俊信だけは退屈そうに落ち着きがなかった。
そのとき、いつのまに来たのか、藤沢警視が貴志のそばに来てささやいた。
「タカシくん、ちょっと来てくれ」

本堂から離れると、一郎は付属屋とつながる回廊のところで立ち止まった。
「今日はどこに行ってたんですか?」
貴志が聞くと、一郎は欄干に寄りかかって、貴志の顔をじっと見ながら言った。
「城に行ったり、青雲荘に行ったりしていた」
「青雲荘――じゃあ、事件の調査ですか?」
「私の担当じゃないが、ちょっと気になることがあってね」
「気になることって何ですか?」
「実はそのことで、きみと話がしたかったんだ」
一郎は窺うように貴志の顔を見た。それからささやき声で言った。
「どうも今回の事件には、嘉信がからんでいる、と私は思っているんだ」
貴志はギョッとした。つい今しがたまで居た、本堂の幻想的な雰囲気に影響されて、彼の思考はさまよった。
滝の増水――祭事の異変――加奈子の死――嘉信の奇跡。
彼は鳥肌立って、両腕をさすった。

「寒いのか?」
一郎がいぶかしそうに聞いた。
「今日はえらく冷え込みますね。夏だというのに」
貴志はごまかした。それから聞き返した。「お父さんも迷信を信じているんですか?」
「よしてくれ」
一郎は頭を振った。「そんなのは信じていない。ただし、誰かがその迷信を利用しているんじゃないか、という気がする」
「迷信を利用するって、そんなことをして何の役に立つんですか?」
「それはわからない。しかし、加奈子さんは青雲荘で殺された。それに、きみが嘉信祭の式のとき、嘉信に乗り移られて言った言葉が気になるんだ」
「嘉信に乗り移られたって――やっぱりお父さんは、迷信を信じてるじゃないですか」
「言葉のあやだ。いいか、きみは言った――青雲荘は和泉の手で守れ。青雲荘を乱す者は余が成敗する――と」
貴志はあっけにとられた。
「じゃあ、加奈子さんは青雲荘を乱したので、殺されたと言うんですか?」
「そうは言ってない。はっきり言えるのは、彼女を殺害したのは、この世の中に実在する誰かだということだ――」
そこで一郎は口を閉じた。和泉俊信がやってきたからだ。

「やあ、本庁の警視さんがこんなところで、何の話をしてたんです?」
俊信の問いかけに、一郎は冗談めかして言った。
「いやなに、嘉信祭のときの、この若者の活躍を話していたんだ。なにしろ刃をつぶした刀で、燭台をすっぱりと両断したんだからね」
「ああ、あれ。速水くんの腕前なら、あんなこと簡単ですよ」
言ったあと、俊信はしまったという表情をした。太田の家で真剣を使って竹を試し斬りしたことは、内緒だったからだ。
案の定、一郎が不思議そうに聞いた。
「どうして、この男の腕前を知っているんです?」
「あ、いや、速水くんが剣道の現役選手だって聞いていましたから――。それに彼の身のこなしを見ていたら、ただ者じゃないと思いますよ」
だいぶ無理があるなと思いつつ、貴志は助け舟を出した。
「そう、見ればわかりますよね。でも、ぼくよりすごいのは、楠部さんですよ。あの人の流鏑馬の技は、超一級品だ」
俊信がうなずいて、トイレに行きますと小声で言って、姿を消した。

一郎はじっと貴志の顔を見ていたが、おもむろに言った。
「今日、城に行ったのは、式の最中の変事を実証するためだ。城の管理責任者の吉田さんに会って、いろいろと聞いた。そのとき、おもしろいことがわかったよ――」
彼はもったいぶって、間を置いた。
「まず、銅鑼の件だ。あれは式場の外側の廊下にあった。式場からは死角になって見えない位置だ。普段は物置に仕舞っていて、それを誰かが持ち出したらしい。式のとき銅鑼を鳴らしたのは、その誰かだろう」
「じゃあ、燭台の火は?あのとき火が揺れ動いて、部屋が暗くなったでしょう?――ぼくは覚えていないけど」
「それも説明がつく。火が揺れ動いたのは、空気が強く流れたからだ。あの城には各階ごとに機械室があって、そこから部屋の空調をコントロールしているんだ。機械室は、銅鑼の置いてあった廊下の突き当りにある。その部屋の鍵を持っていれば、そこに銅鑼を隠していたり、あるいは空調機をいじって、吹き出し空気の風量を強くしたりすることは簡単にできる。それに前もって、吹き出し口の羽の向きを燭台の方向に調節していれば、効果は充分だ」
「――」
「吉田さんの話によれば、マスターキーがあって、それさえあれば、資料館も機械室の鍵も開けられるそうだ」
「マスターキーは、だれが持っているんですか?」
「ひとつは責任者の吉田さん。それに管理室にも、ひとつある」
貴志は一郎の話を反芻するように、少し考えた。
「竜神の滝の件はわかったんですか?急に大量の水が流れ出したのは――」
「それは明日調べようと思う。滝の水源を調べれば、理由はわかるはずだ」

貴志は急に不安になった。彼は寒そうに両腕をさすりながら、藤沢警視に言った。
「ぼくは誰かに利用されているんですか?式のとき、ぼくがとった行動は、何らかの方法で誰かが仕組んだと――」
一郎は、貴志の顔を冷静に見ていた。
「かもしれん――あるいはきみが、その誰かの仲間だということも考えられる」
「お父さん!」
貴志は憤然として叫んだ。

先祖の霊を迎える法事は、長々と続いた。貴志と藤沢兄弟は、終りまで待たずに食事を済ませ、屋敷に戻ることにした。
門のところでインターホンのボタンを押していると、内側からトラの泣き声がした。吠えたてるのではなく、呼びかけているような声だ。ほどなく、運転手の大橋が内側から扉を開けてくれた。トラが嬉しそうに尻尾を振りながら、貴志に体をすり寄せてきた。
「おや、トラはすっかり、速水さんになついたようですね」
大橋が驚いたように言った。
すかさず英二が、憎まれ口をたたいた。
「お仲間と思ってるんじゃないか。誰かさん、人間というより動物に近いから」
貴志は犬の頭をなでてやりながら、教授を見あげた。
「犬は本能的に、善人の見分けがつくんです。それに犬は、心の暖かい人間が大好きなんですよ」
英二は肩をすくめると、さっさと玄関に向かった。
貴志は犬の頭を撫でてやりながら、話しかけた。
「よし、トラ。いい子だ。きょうは寂しかっただろう」
たしかにトラは、いつもより元気がなかった。おそらく、池内老人、それに加奈子の姿がないせいだろう。
大橋が言った。
「今日は昼間から、トラの様子がおかしかったんです」
貴志が大橋のほうを見あげると、運転手は説明した。
「トラの落ち着きがないんです。誰もいないのに、妙なときに激しく吠えたてたりして」
「屋敷に猫でも紛れ込んだのじゃないですか?」
運転手は、ちょっと考えた。
「さあ――これまでトラは、猫に向かって吠えるようなことはありませんでしたが――。あ、私はこれから、奥様たちをお迎えに寺まで参りますので、失礼します」

大橋と別れて屋敷に入ると、渡辺が子供たちの相手をしていた。
貴志の姿を見て、楠部の二人の子供たちが、まとわりついてきた。彼らは昨日のお祭りのときに遊んでもらって、すっかりなついていたのだ。
貴志は渡辺といっしょに、しばらく子供たちと遊んだ。秀信の子供たちも、遠慮がちに仲間に加わった。渡辺は子供たちの相手をするのが苦手のようで、彼のつややかな顔は困ったように曇りっぱなしだった。
貴志は子供の相手をしながら、渡辺と会話した。
「渡辺さんも大変ですね。お館さまの世話ばかりじゃなく、こうやって子供たちの相手もしなくちゃならないなんて」
「そんなでもないですよ。それに、お館さまは、とてもお優しい方ですから」
貴志はふと、死んだ加奈子が、同じようなことを言っていたのを思い出した。
「お館さまは、亡くなられた加奈子さんを、よほど気にかけていたようですね」
「どうしてですか?」
「だって、大事な法事を奥さんに押しつけて、自分は加奈子さんの葬式に行ってしまうんだから」
「それは、お館さまがお優しいからですよ」
「単に優しいだけで、あんなことをやるかなあ。だって、こう言っては失礼だけど、加奈子さんはお手伝いでしょう」
渡辺は非難めいた目つきで貴志を見た。そしてきっぱりと言った。
「加奈子さんは、お手伝いだけでなく、お館さまの秘書もこなしていました」
「だってそれは、あなたの役目でしょう?」
「たしかにそうですが、私が忙しい時には、加奈子さんがお館さまをお助けしていました」
「加奈子さんは、どんなことをやっていたのですか?」
「お館さまが商用で福岡などに出かけられる時、彼女がときどき同行していました」
そこで彼は、躊躇しながら言った。「加奈子さんは頭のいい女性でした。それにお館さまは、加奈子さんを自分の子供のように、かわいがられておられました」
貴志は、肩をすくめた。
(あのスケベじじいめ。鼻の下を伸ばしただけだろうが――)
[18/07/14 07:01 神亀]
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