■ 皇子町殺人事件(第2部) - 第6章 真夜中の変事
(1)
朝から雨が降っていた。それも梅雨時のように、しとしとと降っていた。まるで、加奈子の死を悲しんでいるかのようだった。
加奈子の遺体が警察から戻ってくると、すぐ車で彼女の郷里に送られた。それを追いかけるように、お館さまと池内夫妻が葬儀にでかけた。
貴志は池内老人に代わって、番犬のトラを散歩に連れ出した。トラはすっかり貴志になついて、嬉しそうに雨の中を走った。トラにとっては慣れた道順なのか、まっすぐ皇子城へとロープを引っ張って行く。貴志が散歩したというより、トラに散歩させてもらった、と言ったほうが当たっている。
城から戻る途中で、和泉家の婦人ふたりに出会った。彼女らは近くのスーパーに、買物に行く途中だった。そのとき貴志は、義母に向けて明るい笑い声をあげる千佳子の姿を初めて見た。
(千佳子さんだって、根は明るい人なんだ。でも、加奈子さんが死んだばかりというのに、ちょっと明るすぎるな)
朝食を終えてくつろいでいると、ふたりの刑事が訪れた。ふたりとも目つきの鋭い、30代の男たちだった。
彼らはまず藤沢英二と応接室で話をした。そのあと貴志が呼ばれて、昨日の行動について質問された。
「きのうの正午から1時すぎまでの行動ですか?ぼくは、お城にいましたよ」
「速水さん、もうちょっと具体的に話してもらえませんか?」
横尾と名乗る、がっちりとした体格の刑事が言った。
「具体的に言えっていわれても、そんなのいちいち覚えていませんよ。ぼくは休暇中だし、スケジュール通りに行動してるわけじゃないんだから」
貴志の返事に、横尾が胸を反らせてにらみつけた。それでもいらだちを抑えて、丁寧な口調で言った。
「思い出してくださいよ。何をやっていたかとか、だれと一緒だったかとか――できるだけ詳しく」
言葉使いは丁寧だが、刑事の横柄な態度に、貴志は内心、カチンときた。
(ちょっと、からかってやるか)
「そうねえ――大勢の人たちでしたから、ひとりずつ呼び止めて、あなたは何ていう名前ですかって、聞いたりはしませんでしたけど――城内を足で歩きまわって、腹が減ったのでウドンを口から食べて――あ、それから、おしっこがしたくなったので、トイレでそのう、ナニを出して――あのう、刑事さん、こんなこと話してもいいのですか?」
横尾刑事は、かみつきそうな顔をして、貴志をにらんだ。
「おもしろい――とってもおもしろいお話だ」
彼は抑えた口調で言った。こめかみが、ピクピクと動いている。「それでボク、もうちょっとまともなお話はできないの?」
「えっと、それからソフトクリームを食べたな。チョコとバナナのミックスになったやつ。あれはおいしかったなあ。ねえ刑事さん、食べたことあります?」
「いい加減にしろっ!」
刑事が拳で、ガツンとテーブルを叩いた。
そのとき、藤沢警視がタイミングよく部屋に入ってきた。彼の姿を見て、ふたりの刑事が姿勢を正し、頭を下げた。
「やあ、おつかれさまです。だいぶ、苦労されてるようですな」
一郎が刑事たちに声をかけた。横尾が怒りを含んだ顔つきで貴志をチラリと見て、一郎に言った。
「ええ、この若い人が、ちっとも事情聴取に協力してくれないんです。お笑いばかりやって――」
「そうですか」
一郎は、冷たい視線を貴志に向けた。「お笑いは顔だけかと思っていたが――」
「お父さん、ひどいですよ――男前のぼくに向かって」
横尾がエッというように、貴志と一郎を交互に見た。
「あのう、おふたりは親子だったのですか?」
一郎があわてて手を振った。
「こんなのが、私の息子のわけ、ないでしょう。これが勝手に言ってるだけですよ」
一郎は迷惑そうに言うと、真顔に戻って刑事に言った。「いいですか、横尾さん。この若者が真っ当に答えられないのは、ふたつの理由が考えられます。まったくオツムが弱くて何も覚えていないのか、それとも事件に深く関係しているか、どちらかですよ」
「で、警視はどちらだとお思いですか?」
横尾の質問に、一郎はあごを撫でながら少し考えた。
「そうねえ――ま、どちらの可能性もありますな」
あわてて貴志が割り込んだ。
「待ってください。ぼくは頭も弱くなければ、犯人でもありませんよ。――えっと、正午ごろには天守閣にのぼっていました。そこでお城の管理責任者の吉田さんと、しばらく話をしました。それから、吉田さんの勧めで、資料館に行って嘉信の肖像画を見ました。吉田さんが言うに、ぼくが和泉嘉信に似てるそうで、それを確かめに行ったのです。それが12時半頃だったと思います。お腹がすいたので、屋台でウドンを食べて、そのあとは、アイスクリームを舐めながら、城内をぶらついていました――」
貴志が話しおわると、刑事たちは満足したようにうなずいた。
「で、和泉さんのお屋敷に戻ったのは、何時頃です?」
「夕方の5時ごろ――ほら、ちょうどあなたたちが門のところで、この小父さんと別れたとき」
「ああ、あのときね。ところで吉田さん以外、だれか知ってる人に会いませんでしたか?」
「楠部さんに会いました。2時半頃だったかな。楠部さんは、ふたりのお子さんを連れていました。屋敷に戻る前まで、ずっと彼らと一緒でした」
それを聞いて横尾が、メモをとっていたもうひとりの刑事と顔を見合わせた。どうやら彼らは、楠部の事情聴取を先に済ませたようだ。そのあといくつかの質問をして、彼らは帰っていった。
「お父さん、なんであんなことを言ったのです?」
貴志は、一郎とふたりきりになると、彼に聞いた。
「何だ、あんなことって?」
「ぼくが事件に深く関係してるって、言ったじゃないですか」
「関係してるとは言ってない。可能性があると言ったんだ」
「どちらでも、同じようなものです。同じ部屋で寝泊まりしている仲なのに、ひどいことを言いますね」
「おい、気持ちの悪いことを言うな。部屋は一緒でも、私はきみと何の関係もない」
「ひどい。ぼくは、やっと、お父さんと親密になれたと思っていたのに」
「ちょっと待て!」
一郎はひどくあわてた。「そんなこと、人前で言うなよ。誤解されるからな」
「ぼくは誤解されてもかまいません。お父さんが本当に、ぼくの愛を受け止めてくれるのなら」
「シャラップ!」
一郎は叫ぶと、部屋を出ていった。
「――ぼくは全然覚えていないんです。太田さんは、どう思われますか?」
その日の昼下がり、貴志は教授と連れ立って、太田の家に来ていた。
貴志が、嘉信祭の式のときに起こった模様を話し終えると、太田は腕を組んでしばらく考えていた。彼は体調でも悪いのか、顔色が悪く、目許のしわもふえていた。
太田は、ほかに気がかりでもあるような風情で、貴志に言った。
「おそらく、きみの深層意識のなにかが、外部の働きでそうしたんだと思うよ。きみは嘉信さまの日誌を読んで、嘉信さまの人と成りを知ったからね」
「外部の働きってなんですか?」
「きみはさっき言っただろう。神主の祝詞奏上を聞いてて、意識が集中できなかったって。神主の声が一種の外圧になって、きみは夢遊病状態に陥ったんじゃないかな」
「じゃあ、竜神の滝のことはどう説明がつくんです?」
太田は答える前に、ポケットから例の懐中時計を取り出して、そっと見た。
「それは、私にもわからないな。なにかの自然現象だとは思うが」
「でも吉田さんたちは、今回のことは両方とも、嘉信の奇跡だと言っていますよ」
貴志が言うと、英二がいぶかしげに首をかしげた。
「吉田さんって?」
「郷土資料館の館長です。式にも参加していたと思うけど、嘉信に仕えた7人の武士の末裔です」
太田が代わって説明すると、英二がうなずいた。
「ああ、あの人なら知っています」
「吉田さんは、嘉信の印を見たそうです」と貴志が言った。
太田がいぶかしそうに貴志を見た。
「なんだい、嘉信の印って?」
「祭の2日前の晩、天守閣に登ったとき、竜神の滝の一部が光っていたそうです」
太田は少し考えていたが、思いついたように言った。
「お館さまのお屋敷にいた女中さんが、昨日殺されたそうだね?」
「太田さんは、もうそのことを知っているのですか?」
貴志は驚いた。加奈子の死は、まだ今朝の新聞には載っていなかったはずだ。
「この町は狭いんだ。そんなニュースは、すぐ広がってしまうよ」
太田はちょっと天を振り仰ぐ素振りをした。「加奈子さんとか言ったな。若い身空で可哀相なことだ」
そう言うと、太田はまた懐中時計を見た。何か予定があるようだ。そこで貴志は、太田においとまを告げた。
貴志と教授は、太田の家から退出すると、散歩がてらに安国寺のほうに向かって歩いた。午前中降っていた雨はあがっていた。
英二が歩きながら言った。
「あの太田さんって人、どことなく薄気味が悪いな」
「どうして?見かけはタヌキのようだけど、若い頃はすごい秀才だったらしいですよ」
「でも、あの話し方はなんか気持ち悪いなあ。猫なで声で、優しすぎて――」
「そうですか?ぼくには、おふくろの子守歌を聞いてるように感じましたけど。医者をやっていたそうですから、あんな話し方になったんじゃないですか」
貴志は話題を変えて、教授に聞いた。
「和泉兄弟はどうです?昨日、秀信さんとデートしたんでしょう」
「デートとまではいかなかった。彼は予定があって、工芸会館では別行動だったし」
そこで英二の顔に、いたずらっぽい笑みが浮かんだ。「でも、素敵な小父さまだな。やさしくて、親切で、ちょっと不良っぽくて。とにかく彼には、男の甘い色気があるよ」
貴志はやっかみ半分に言った。
「あんな小太りで、甘ったるい中年男のどこがいいんですか。先生が中年好みだとは知りませんでした」
「あれ、タカシ、妬いてるのか」
「バーカ、だれが妬きますか。ま、金持ちの中年太りした男と、将来性のある清潔な若者を比べるのは、無理があると思いますよ」
「誰だ、その将来性のある清潔な若者って?」
貴志は教授の腰に腕を回して、引き寄せた。
「先生、そんな意地悪言ってると、痛い目にあわせますよ。――ところで弟の俊信さんはどうですか?独身で、金持ちの息子で、銀行マンで、それにイケメンですよ」
「イケメンだけど冷たい感じだな。それに、彼は女性に興味がないみたいだ」
英二は眉をひそめた。「まあ、そんなことはどうでもいいが――太田さんの家にはもう行きたくないな。あの人といると、なんとなく落ち着かない気分になる」
「もう連れて行きませんよ。それにしても、加奈子さんは可哀想ですね。いったい、誰が殺したんだろう?」
「わからない。でも秀信さんは、すごく落ち込んでいたね」
貴志はポツリと言った。
「二人の仲を――秀信さんの奥さんは知っていたのかなあ?」