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■ 皇子町殺人事件(第2部) - (3)
(3)

屋敷に戻ると、門の前に二人の制服警官がいた。藤沢警視が彼らと話をしていた。貴志が見ていると、二人の警官は一郎に敬礼をして、パトカーに乗って立ち去った。
「何かあったのですか?」
貴志は警視に声をかけた。そこで警視の厳しい表情に気づき、彼はハッとした。
「まさか――先生になにか――」
恐慌をきたして、貴志は最後まで言えなかった。
一郎が言った。
「英二じゃない。女中の加奈子さんだ」
貴志の胸の内で、安堵と不安が交錯した。
「加奈子さんがどうかしたのですか?」
その質問に、一郎はすぐに答えず、貴志の顔をじっと見た。それから、静かに言った。
「加奈子さんが――殺された――」

部屋のなかに、重苦しい空気がたれ込めていた。
夕食後、一郎が和泉家の全員を集めて、事情を説明しているところだった。彼の姿からは、休暇中のゆったりしたムードが消えていた。
「警察の事情聴取は終りましたが、明日以降も遠くに外出する場合は、必ず行き先がわかるようにしておいてください」
一郎は、全員を見渡しながら言った。
「ええっ!まだ事情聴取があるんですか?」
末っ子の俊信が、不服そうに言った。
一郎は彼の顔を、ジロリと見た。
「ええ、必要があればね」
「かなわんなあ。刑事たち、まるでぼくが犯人だと疑ってるように質問するんだ。あれは気分が悪いよ」
一郎は俊信を無視して、英二と貴志に声をかけた。
「お前たちの事情聴取は済んでいないから、明日、刑事が聞きに来るはずだ」

「藤沢さん」
お館さまが声をあげた。加奈子の死は衝撃だったかもしれないが、老人の変わりようはひどかった。顔色はすっかり生気を失って、目蓋が腫れあがっている。まるでいっぺんに年を取ったようだ。彼はかすれた声で言った。
「池内夫婦は加奈子の郷に行かせます。あれの葬式は、向こうでやりますから。私も葬式に行ってきます。それでいつ――加奈子の――そのう」
お館さまは、言いにくそうだった。
「加奈子さんのご遺体ですね?」
一郎が代わって言った。「警察の検死は今日中に終わるはずですから、明日には戻ってこられます。私からも、早くするように言っておきました」
「ありがとうございます」
お館さまが頭をさげた。その横で、目を赤く泣きはらした池内夫妻も頭をさげた。池内夫人が、思わずすすり声をあげた。
「――量子」
池内が老妻をたしなめた。
「池内の家内は、加奈子の遠縁にあたるのです」
お館さまが説明した。その横で、これも目を赤くした和泉夫人が、夫にささやいた。
「あなた、私も加奈子の葬式に行きましょうか?」
「いや、おまえは家に残っていなさい。明日は盆入りだ。家の行事がある」
「だったら、あなたのほうが家に残っていたら――」
「いや、私が葬式に行く」
お館さまは強い口調で言った。その語気の強さに、夫人が驚いたように夫の顔を見た。
お館さまは、言い訳するように補足した。
「加奈子をこの屋敷に引き取ったのは、私の責任だ。ここは家長として、私が加奈子の葬式に出て、礼を尽くすべきだろう」
藤沢警視が、締めくくるように、みんなに言った。
「現場検証は一応済みましたが、青雲荘はしばらく閉鎖されます。いいですね」

集まった人々がそれぞれの部屋に引きあげたあと、貴志はお館さまに声をかけた。
「爺さん、今日は大変だったな」
お館さまは気抜けしたように、黙ってうなずいた。
「気を落とすなよ。しょんぼりした爺さんを見ていると、こちらまで悲しくなる」
そのとき、部屋の隅からつぶやき声が聞こえた。
「畜生――だれが加奈子を殺したんだ――」
まだ残っていた秀信が、ソファーの片隅で頭を抱え込んでいた。涙の筋がほほに跡を残している。
「秀信、見苦しいぞ!」
お館さまがめずらしく感情をあらわにして、鋭く叱った。
貴志は、老人が息子を叱るのを見て驚いた。まるで吐き捨てるような語調だった。温厚な老人の、そんなしぐさは初めて見た。
秀信は涙を拭うと、のろのろと立ちあがって、部屋を出ていった。
「あれは――子供の頃から、いつも女々しかった――」
お館さまはつぶやいた。貴志はふと疑問に思った。お館さまは、長男が死んだ加奈子に言い寄っていたのを、知っているのだろうか。
「爺さん、じゃあ、ぼくは部屋に戻るぞ」
貴志は老人に言った。部屋を出ていこうとすると、お館さまが小声で言った。
「タカシくん――すまない。せっかくの休暇が、こんなことになってしまって」
「なんだよ、爺さん。しおらしいことを言って。いつもの爺さんに似合わないぞ」
貴志は冗談っぽく言った。
お館さまは寂しげにほほえんだ。それから彼は、お祈りを捧げるような表情をして、貴志を見あげた。
「それにしても、式のときのきみは――」
老人は最後まで言わなかった。
貴志は、老人が言わんとしたことに気づいて、質問した。
「爺さんは、嘉信の言い伝えを信じているのか?」
お館さまは、彼の顔を見ながら、うなずいた。
「――あの時のきみは、まさに嘉信さまだった」

部屋に戻ると、教授は客用の風呂に入っていた。警視が眼鏡をかけて、座卓のうえで何やら書きものをしている。
「お父さん、何をしているのですか?」
貴志は声をかけて、一郎の横に座った。
「見ればわかるだろう。事件の覚え書きだ」
「犯人の目星はついたのですか?」
一郎は眼鏡を外すと、うんざりしたように顔をあげた。
「きみなあ、身内の事情聴取が終ったばかりだぞ。それで犯人がわかれば世話はないよ」
「じゃあ、これからどうするんですか?」
「刑事たちによる聞き込み調査が始まるさ」
そこで彼は、貴志の目の前にずんぐりした人差指を突きつけた。「いいか、事件なんてのは、一朝一夕に解決するものじゃない。根気のいる聞き込み調査、地味な証拠集め。その積み重ねで、じわじわと真実に近づいていくんだ」
「気の長い話ですね。もっと頭を使って、スピーディーに解決できないのかなあ」
「頭を使えだって!」
一郎は座卓をバンッと叩いて、貴志をにらみつけた。「いま、頭を使えって言ったな!」

そのとき、風呂からあがってきた英二が声をかけた。
「あれ、兄さん、元気がいいですね。活劇でも始まりそうだ」
「フンッ!」
一郎は勢いをつけて立ちあがった。「私は風呂に入る」
貴志は、一郎が書いていたメモ帳を手にとった。
「それに触るな!」
風呂に行きかけた一郎が、叫んだ。
貴志はあわてて、メモ帳を座卓のうえに置いた。
「いいか、私が風呂に入っている間も、絶対に触るんじゃないぞ」
「触りませんよ。そんなに心配だったら、ぼくも一緒に風呂に入ります」
「性的危険を覚えるから、きみとは一緒に入らん!」
一郎は着替えを持って、浴室に行った。
その姿が見えなくなると、貴志はさっそくメモ帳を手にした。意外に思えるほど、几帳面な文字で箇条書きされていた。

・8月12日(嘉信祭)
・被害者、津島加奈子、27歳。和泉家の女中。
 『青雲荘』内、川原にて発見される。うつ伏せ。死因は絞首。頭頂部に鈍器ようのもので殴打跡あり。着衣の乱れなし。
・第一発見者は池内源一、和泉家の使用人。加奈子の戻りが遅いので捜しに行って発見。発見時刻13時30分。
・(庵内の推移)
 6時58分〜7時20分――みそぎの儀式。和泉貴信ほか12人。滝の増水?
 9時半〜10時――池内量子、津島加奈子、青雲荘にて儀式の後片付けをする。
 11時40分――昼食の用意後、加奈子ひとりで忘れ物(青雲荘に置き忘れた量子の老眼鏡)を取りに屋敷を出る。そのあと殺害された模様。
・行きずりの犯行?情交殺人?
・加奈子の死亡推定時刻、正午〜13時頃。
・(死亡時刻前後の和泉家関係者の所在)
 和泉貴信・渡辺誠――城内(町長ほか町の有力者と同席)
 和泉聡子・池内夫妻・大橋忠――和泉邸(昼食)
 和泉秀信――伝統工芸会館(英二と同行)
 和泉千佳子・楠部敬子――城内(婦人会)
 和泉俊信――秀信・英二を車で会館まで送ったあと、隣町まで遠出。
 楠部孝夫・速水貴志・藤沢英二――未聴取

死亡推定時刻が正午から13時頃だとすると、貴志が天守閣で吉田と会ってから、城をぶらついているまでの間だ。
英二が背後から、メモ帳をのぞき込んだ。
「なにか手がかりはあるのか?」
「べつに――たいしたことは書かれていません」
貴志は手帳を戻そうとしたが、すぐ間近にいる教授の息遣いを感じていたくて、そのままにしていた。清潔な石鹸の匂い、それに年配者の体温までが伝わってくる気がした。
しかし、彼の楽しみもつかの間、英二はついと離れた。
「早く手帳をもとに戻しなさい。兄が噴火するぞ」
「それにしても、お兄さんはえらくご機嫌斜めでしたね」
「機嫌が悪いんじゃない、殺人事件に興奮しているんだ」
「刑事課の警視が、殺人事件にいちいち興奮していたら、仕事にならないよ」
「そうやって、揚げ足をとらないの。さあ、どいた。蒲団を敷くから」

貴志は教授と一緒に、蒲団を敷きながら言った。
「でも、管轄が違うんじゃないかなあ」
「なにが?」
「お兄さんは警視庁の警視でしょう。だったら、東京都だけが管轄のはずだけど」
「ああ、そのことか。もちろん兄は、本格的に今回の殺人事件を調べるつもりはないだろう。彼自身、担当はこちらの県警だって、言ってたから」
「そうですよね」
貴志は、小腰をかがめてシーツのしわを伸ばす教授を眺めた。「先生とひとつ蒲団で寝れる日は、いつになるのかなあ」
「なんで私がきみと、ひとつ蒲団で寝なくちゃならないんだ!」
英二が叫んだ。
そのとき、のっそりと部屋に戻ってきた一郎が言った。
「ひとつ蒲団って、なんの話だ?」
[18/07/12 08:48 神亀]
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