■ 皇子町殺人事件(第2部) - (2)
(2)
「一体、なんだったんだ、あれは?」
式の終ったあと、英二は怪訝な顔で貴志に聞いた。すでに参列していた人たちの大半は、式場から退出していた。
「ぼくもわかんないですよ。気がついたら刀を握っていて、燭台が倒れていたんだ」
「全然覚えていないのか?」
「ええ、ぼくは何をしたんです?皆はまるで、幽霊でも見ているように、ぼくの顔を見るし――」
英二は一部始終を話してやった。
「ええっ!ぼくがそんなことをしたって?」
「そうだよ。きみはまるで、狐つきにあったような顔をしていたぞ」
それまで黙って聞いていた池内老人が、ボソリと言った。
「――嘉信さまが乗り移られたんじゃ」
「――!?」
貴志と英二は、ぎょっとして老人を見た。
「みそぎの儀式のときの大水――。あれも嘉信さまの御業じゃ」
「じっちゃん、そんなの迷信だぜ」
貴志が言うと、池内はじろりと貴志を見た。それから、祭壇のほうを見ながら言った。
「なら、あんたは、どうしてあんなことをしたんじゃ?」
「――」
貴志は黙り込んだ。
そのとき、切られた燭台を調べていた一郎が戻ってきた。彼は感心したように言った。
「まったく、見事な切り口だよ。刀の刃はつぶされていたんだぞ。いくら燭台が木でできているといっても、つぶされた刃であんな切り口ができるなんて、信じられない――」
池内がふたたび言った。
「そうじゃろう。やはり嘉信さまの御業じゃ」
「じっちゃん、ぼくだって剣道をやってるんだぞ。べつに嘉信に乗り移られなくても、あんなことはできるんだ」
貴志の言葉に、老人が鼻で笑った。
「ふふん、無理じゃ。お前さんのなまくら腕じゃ、大根も切れんわ」
ふいに、貴志の表情が虚ろになった。
「じい――」
貴志は低い声で言った。池内がギョッとして、貴志の茫洋とした顔を見た。「余を侮辱するとは勘弁ならん!それへ直れっ!手打ちにしてくれる」
池内が思わず後ろにさがって、ひざまずいた。
とたん、貴志がケケッと笑った。
「じじいが、引っかかった」
老人は立ち上がると、顔を赤くして貴志をにらみつけた。
広場では、流鏑馬が始まっていた。狩衣装束の男たちが馬にまたがり、走りながら3カ所の的を弓矢で射る競技だ。
貴志と藤沢兄弟は、観客の中に入って、競技を見物した。矢が的に当たると歓声が上がり、的を外れるとため息が漏れた。
最後に、楠部孝夫が現れた。彼の馬上姿は、さまになっていた。背筋をピンと伸ばし、彼はこれから駆け抜ける馬場をじっと見ていた。
「ハッ!」
楠部は気合いとともに、スタートした。彼の動きは、流れるように滑らかだった。走る馬上で矢を弓につがえ、弦を引き絞って矢を放つ。鏑矢が唸りをたてて空気を切り裂く。矢は3つとも、それぞれの的のほぼ中心に突き立った。
驚嘆のため息、すこし遅れて大きな歓声と拍手が馬場にこだました。
貴志は驚いていた。朴訥で、どちらかと言うとのんびり屋の楠部が、一転して精悍な男に変身したのだ。馬上の彼には、一分の隙もない、みなぎる精神力が放散していた。
「すごい!」
英二が手を叩きながら、つぶやいた。
「ああ、まるで神技を見ているようだった」
カメラのシャッターを押しつづけていた一郎が言った。
「お父さん、絶好のシャッターチャンスでしたね。うまく撮れましたか?」
貴志が警視に聞いた。
「ああ、バッチリだ。さて、私は祭りのようすを撮ってくるよ」
一郎は貴志にうなずきかけると、人混みに紛れ込んだ。
貴志と教授は、城内をぶらついた。仮設舞台では、婦人たちの民芸舞踊や学生たちの吹奏楽がくり広げられ、子供連れの家族や若いカップルでにぎわっていた。
「先生、お兄さんもすっかりぼくを信用してくれたみたいですね」
人混みを縫って歩きながら、貴志は教授に言った。
「どうしてだ?」
「だって、こうして、二人きりにさせたじゃないですか。お兄さんも、気を遣ってくれてるんですよ」
「単にお祭りの写真を撮りたいだけだよ」
「――そうですか?これまでだったら、絶対に二人きりにさせなかった」
「日中だからだ。それに人も多いし」
貴志は立ち止まって、教授の顔をまじまじと見た。
「先生、なんだかぼくが、性犯罪予備軍のように聞こえるんだけど」
「おや、そういう風に聞こえたかい」
英二は言って、妙に気恥しい素振りで、貴志のズボンの前を見おろした。「確かに青雲荘では、きみの性犯罪予備軍の元凶を拝見したけど」
「先生、もう一度見たいって思いません?」
貴志は期待を込めていった。何とか教授を、人目のないところに連れ込みたかった。
英二はさらりと言った。
「やめとくよ。発情期の若者は危険だから」
そこへ和泉兄弟がやってきた。
「やあ、ここにいたのか」
俊信が声をかけて、貴志を意味ありげに見た。「さっきはびっくりしたよ。突然、あんなことをやるなんて――」
「自分でも覚えていないんです」
あらためて俊信に言われると、貴志は自分の行為の反響にうろたえた。
弟の横から、秀信が言った。
「気にするなよ。きみは嘉信さまのことを聞きすぎて、自己暗示に陥ったんだ」
そこで彼は、英二のほうを見た。「ところで先生、伝統工芸会館のほうはどうします?俊信が車を出すので、町まで乗せてもらおうと思ってるんですが」
「ああ、よろしければご一緒します」
返事をして英二は、けげんそうな表情の貴志に説明した。
「これから秀信さんと、伝統工芸会館に行ってくる。皇子焼きの代表作が展示されているそうだ」
貴志は、うらめしそうに教授の顔を見た。
「ぼくは焼物に興味がないんで、こちらでぶらついています」
別れ際に、貴志は教授の耳もとでささやいた。
「先生、気をつけてよ。あの人、女たらしだけじゃない。男にも興味があるって」
「ああ、私も彼に求愛されたよ」
英二はすんなり言うと、驚く貴志に向けて、いたずらっぽくウインクした。
貴志はひとりで天守閣に登った。10人ほどの先客がいた。小窓から景色を眺めながら、今朝のできごとを考えた。
(何の前触れもなく、滝の水が急激に増えた。あれは本当に超常現象なのか。それに自分が嘉信に乗り移られて、燭台を刀で切ったのはどういうことだろう――)
貴志は青雲荘のある方向を見た。
建物は見えなかったが、手前の門の鉄扉、そのずっと奥では、緑の隙間から竜神の滝がかいま見えた。今はなんの異状もなく、水がとうとうと流れ落ちていた。
「ここの眺めが好きですか?」
背後から、穏やかな声が聞こえた。
振り向くと、人懐っこい笑顔を浮かべた吉田がいた。
「ああ、吉田さん。ぼくは覚えていないんですが、式の最中に大変なことをしました。おかげで、神聖な儀式が台無しになってしまって――」
貴志が申し訳なさそうに言うと、吉田はとんでもないというように首を振った。
「あなたのせいじゃありません。あれは嘉信さまがなされたことです。青雲荘に他人を入れるなと――」
貴志は、エッと驚いた。
「吉田さんは、迷信を信じているのですか?」
「迷信ではありません。昔からの言い伝えはすべて事実です。――少なくとも私たちは、そう信じています」
「私たち?」
「ええ。お館さまと私たち7人ですよ」
吉田は無邪気にほほえんだ。心底、嘉信の奇跡を信じ切っている表情だ。「あのときのあなたは、まさに嘉信さまご本人だった」
吉田はまぶしそうに貴志の顔を見あげた。
「どうして、そう思われるのですか?」
貴志の疑問に、吉田は説明した。
「郷土資料館にある、嘉信さまの肖像画をご覧になりましたか?あのとき祭壇にいたあなたは、その肖像画のお顔にそっくりでした」
貴志は念を押すように、滝のできごとを吉田に聞いた。
「滝の増水はどう考えられてます?」
「ああ、竜神の滝のことですね。あれも嘉信さまがなされたことです」
吉田はほほえんだ。「こんな時代に、信じられないお気持ちはわかります。でも私は信じています。嘉信さまのお印を見たことがありますからね」
「嘉信さまのお印?それはまた何のことですか?」
「一昨日の夜のことです。お祭りの準備を遅くまでやって、そのあとこの天守閣に登りました。そのとき見たのです。竜神の滝の一部がぼんやりと光るのを――」
「月かなにかが反射してたのじゃないですか?」
「そんな光りではありません。ボーッとした光りで、まるで呼吸しているように、明るくなったり暗くなったり――」
貴志は聞いていて、薄気味悪くなった。年配者の顔を見ても、そこには冗談を言っているようすは微塵もなかった。
「とにかく嘉信さまの肖像画をご覧ください」
そこで吉田は、思いついたように言った。「資料館では太田という郷土の歴史を研究している人物に会うかも知れません。背の低い、太った老人です。その人に、嘉信さまのことを聞いてごらんなさい。彼は何でも知っていますよ」
「ああ、太田さんなら知っています。この前、資料館でお会いしました。あの人から嘉信の日誌を借りました」
吉田は、ニッコリとほほえんだ。
「ご存じでしたか。太田は私と同級生でしてね。彼は若い頃、すごい秀才でした」
「らしいですね。東京で働いていたと聞きました」
「この町に戻ってきたとき、太田は東京の生活に疲れたと言っていました。あまりいい思い出ではなかったようです」
貴志は吉田と分かれたあと、郷土資料館に寄った。太田の姿は見なかった。
嘉信の肖像画が描かれた掛け軸は、ガラスケースのなかの壁面に飾られていた。嘉信が、30代から40代のころの絵だろうか。面長のキリリッと引き締まった、彫りの深い顔立ちだった。秀でた額と筋の通った鼻、引き締められた口は小さかった。
切れ長の目が鋭かった。まるで相手を射ぬくような目だ。嘉信は右手につづり帳を持って立ち、斜め前を見ていた。全身のプロポーションから見て、かなりの長身だったことがうかがえる。
(ぼくのほうがずっと男前だ)
貴志は、さほど自分に似ていないと思った。
資料館を出た貴志は、ひまを持てあました。教授らと一緒に行けばよかったと思ったが、あとの祭りだった。藤沢警視の姿も見かけなかった。
貴志は屋台で昼食をとると、思い立って、太田の家に電話した。彼に今日のでき事を話せば、なにか意見が聞けるかもしれないと思ったからだ。
しかし太田は不在だった。
大手門の外は、縁日の屋台で人が多かった。人混みのあいだを縫って歩いていると、楠部孝夫の姿を見かけた。ふたりの小さな男の子を連れていた。
「やあ、楠部さん。お子さんたちですか?」
貴志が声をかけると、楠部がこちらに気づいてニッコリと笑った。日焼けした顔のなかで、白い歯がいかにも健康そうだ。
「ええ――7歳と5歳です。元気が良過ぎて大変ですよ」
「そうですか。ところで楠部さん、流鏑馬の腕前、すごいですね。見事に3つとも的に当てたじゃないですか」
楠部は照れくさそうに笑った。
「バカのひとつ覚えですよ」
そのあと貴志は、楠部親子に付き合って、縁日の屋台や城内で、童心にかえって遊んだ。そしてすっかり子供たちは、貴志と打ち解けていた。
別れ際に、楠部は恐縮して言った。
「速水さん、すみません。子供たちがお世話になりました」
「とんでもないです。ぼくもいい暇つぶしができました」
貴志は楠部の人柄を知るにつけ、この口数の少ない朴訥な男に、ますます好感をもった。楠部はいかにも牧場の男らしい、実直で粘り強い性格をしていた。それに口振りのはしばしに、恐妻家らしいそぶりがうかがえた。名門の出で勝気な性格をした敬子の顔を思い浮かべて、さもありなんと貴志は思った。
結局貴志は、2時間ちかくも楠部親子につきあっていた。