■ 皇子町殺人事件(第1部) - (3)
(3)
貴志は藤沢警視と連れたって、神社まで歩いて行った。長い石畳の参道に沿って石の灯籠が立ち並び、その奥は杉の大木がうっそうと生い茂っている。
参道の奥の苔むした石段を登ったところで、ようやく広い境内にたどり着いた。数人の男たちが神社の前に集まっていた。英二が貴志たちに気づいて、手を振った。
英二はふたりと合流すると、これまで仕入れた情報を話した。
「大きな神社だろう。和泉嘉信が建立したんだって」
「ふーん。で、彼らはなにをしているんですか?」
貴志は、集まった男たちのほうを見た。いずれも6、70代の年配者ばかりだ。
「嘉信祭の段取りを打ち合わせしているところだ。みんな、和泉家に仕えていた家臣たちの子孫だって」
そのとき、お館さまが男たちから離れてやってきた。
「やあ、タカシくん。太田さんには会えたかい?」
「ああ、会えたよ。そこで爺さんの息子の俊信さんにも会った」
和泉は眉をひそめた。
「あれは子供のときに、太田さんに可愛がられていたからな」
彼は背後を返り見た。「私はこれから、彼らと城に行く。きみたちのお相手ができないけど、仁王山にでも登ってきたらどうだね。山頂の向こうの海の眺めが素晴らしいよ」
貴志は時計を見た。もうすぐ3時になろうとしていた。
「いいけど――遅くならないかい?」
「きみたちの足なら、頂上まで1時間くらいだ。日は長いから大丈夫だ。ただし山道からは外れないようにしなさい。隠れたところに竪穴があるから危険だ」
貴志は教授のほうを見た。
「どうします?」
「私はかまわないよ。せっかくだから登るか」
「じゃあ、行きましょう」
そこで貴志は一郎の姿を探した。警視は神社の写真を撮っていた。
「お兄さんは置いて行きますか。カメラに夢中だし、それにあの体型じゃあ、すぐにへばってしまいそうだ」
「でも一応、声をかけてみよう。あとでブツクサ言われるのも嫌だからな」
「そうですか」
貴志は気乗りせずに言った。「いやな予感がするけど――昨日の晩のように、お兄さんを抱えて運ぶなんて、もうこりごりですよ」
そして案の定、貴志の悪い予感はあたった。英二が話しかけると、一郎は即座に、一緒に行くと返事をした。
3人は、城の背後にまわり込む、山路を歩いていた。
道は舗装されていないが、高い木々におおわれて涼しかった。少し行くと脇道があって、入り口に大きな鉄格子の門があった。木の表札があり、墨書きの太い文字で<青雲荘>と書かれていた。鉄の扉には南京錠がついていた。扉越しに見ると、ゆるやかな石段が奥につづいているのが見えた。
もとの道に戻ると、山路を歩きつづけた。貴志と教授はスニーカーを履いていたが、革靴の警視は、歩きづらそうだった。
道はだんだん急勾配になり、しばらく歩くと、急に開けたところに出た。
「おい、タカシくん――ちょっと休憩しよう」
遅れて登ってきた一郎が、ハンカチで汗を拭きながら言った。呼吸が荒かった。
「お父さん、もうへばったんですか?まだ半分も登っていないですよ」
貴志は非難がましい目つきで、警視を見た。
「急ぐことはない。日は長いんだ」
一郎は、道端の大きな岩にどっかりと腰かけると、荒い息をつきながら言った。「なんだったら、今日はここまでにしてもいいんだ」
「駄目だよ、兄さん。初志貫徹だ」
英二がきっぱりと言った。
息がおさまった一郎は、涼しい顔で言い返した。
「ささいなことで大仰なことを言うな。それより眺めを楽しめよ」
貴志は、土手になった道の端まで歩いていった。そこは切り立った崖になっていて、水の落ちる音が下から聞こえてきた。
「タカシ、あぶないぞ」
英二が声をかけた。
貴志は振り返ると、教授を手招きした。
「滝がありますよ。それに建物の屋根も見える」
英二が近づいてきた。ふたりは崖っぷちに腹這いになって、下の景色をのぞき見た。水量はさほど多くないが、高さ15メートルほどの滝が、岩肌を流れ落ちていた。細かい水の飛末が散り、虹ができていた。その下は滝壺になっていて、小さな池ほどの水の溜まりになっている。河原の先に桧肌葺きの屋根が、木の葉隠れに見えていた。
「あれっ、加奈子さんじゃないか」
ふいに英二が言った。貴志は教授の視線を追った。たしかに加奈子の姿があった。そのとき男の姿があらわれた。和泉家の長男の秀信だった。
上から見ていると、秀信が加奈子の体を抱きすくめた。声は聞こえないが、彼女は秀信に何やら抗議しているようすだった。秀信が強引に彼女を引き寄せた。ふたりの姿はもつれあったまま、家の陰に隠れた。
和泉家のちょっとした秘密をかいま見て、貴志と教授は気まずそうに顔を見合わせた。
「ま、愛の駆け引きは、よくあることですね」
貴志はささやいた。その顔が、興奮から赤らんでいる。
「なんだ、嬉しそうに言って――」
教授がにらんだ。
貴志は、振り返って岩に腰かける警視の姿を確認し、教授に顔を寄せてささやいた。
「先生が好きです」
「なんだ、藪から棒に」
「わかってますよ。先生だってぼくを憎からず思ってるでしょう」
「勝手に決めつけるな。きみはその他大勢の、生徒のひとりなんだから」
「無理をしないでよ。だからいいでしょう?」
「きみは何を言ってるんだ?」
「一度でいいから、キスぐらいさせてくださいよ」
「バカ!なに色気づいてるんだ」
「そうじゃなくて、無邪気な子供同士のキスでいいんです」
そのとき、頭のうえから声が聞こえてきた。
「無邪気な子供同士がなんだって?」
いつのまにか一郎がそばに来ていた。彼は仁王立ちになって太い腕を組み、口をへの字に結んで見下ろしていた。
結局3人はその日、頂上まで登らなかった。一郎が一方的に戻ると言い張ったからだ。
屋敷に戻ると、貴志は退屈しのぎに、太田から借りた書物のつづきを読んだ。
和泉嘉信は国を治めるにあたって、多くの人材を集めた。武芸に優れた男を集めて武術の師範に、知識に優れた男には、今で言う学習塾を開かせた。
人材は武士だけでなく、平民にまでおよんだ。治水事業に優れたもの、温泉の泉源発掘に優れたもの、味噌、梅干し、椎茸等の食品の加工職人、そのほか大工、左官、等々。彼は身分階級を問わず、さまざまな分野のプロを集めたようだ。彼の書には、百姓や町民たちの名前がたびたび出てきた。
また彼は、密偵を外の国に派遣して、日本全国の動きを把握していたようだ。
それにしても不思議なのは、嘉信の書には女たちのことが一切、記されていないことだった。彼は2男3女の子を儲けたが、子供たちの母親が正妻なのか、側室なのかさえ、推定しようがなかった。
嘉信の晩年は、哲学的な生活を送ったようだ。そこで、昼間見た、青雲荘という名称が出てきた。嘉信の書には、青雲荘での生活、四季とりどりの風物のようすが、事細かに描写されていた。
嘉信の日誌はそこで終っていた。そして最後に、奇妙な文章が書かれていた。
『栄えしときは驕るなかれ。立ち止まりしときは省見の書を開け。窮せしときは竜神の帳(りゅうじんのとばり)を開き、偽りの門を叩け。されば道は開かれん』
貴志は最後の文章が気になった。竜神の帳を開き、偽りの門を叩け、とはどういう意味なのだろう。
夕食の席でお館さまが貴志に聞いた。
「タカシくん、海の眺めは素晴らしかっただろう?」
「いや――頂上まで登らなかったんだ。ぼくたちの内、約1名が音をあげてね」
貴志は、藤沢警視のほうを見た。
「何を言う。きみが疲れているようだったから、帰ろうと言ったんだ」
一郎が貴志をにらみつつ、お館さまに聞いた。「ところで道の途中で、青雲荘という門がありましたけど、あれは何ですか」
和泉家の末っ子の俊信が、父に代わって答えた。
「ああ、青雲荘ですか。あれは和泉嘉信が晩年に建てた別荘ですよ。何かで読んだけど、嘉信はときどきあの庵で過ごしたらしい」
貴志は、俊信に聞いた。
「今も使っているのですか?」
「普段は使っていない。嘉信の墓参りくらいだな」
「嘉信の墓?じゃあ、和泉家の墓はあそこにあるんだ」
「和泉家の墓は、安国寺にあるよ。青雲荘にあるのは嘉信の墓だけだ。そこに墓を立てたのは、彼の遺言だ。どうやら死んだあとも、滝を見続けていたかったらしいな」
俊信は得意気に、自分の知識を披露した。
「滝?じゃあ、ぼくたちが山に登る途中で見た滝は、青雲荘にあるんですね」
「仁王山に登ったのか。そうだよ。きみたちが見たのは、竜神の滝だよ」
竜神の滝と聞いて、貴志は驚いた。竜神の滝――竜神の帳――嘉信の日誌に書かれていた言葉だ。
それまで黙って聞いていた秀信が、おそるおそる尋ねた。
「きみたち、今日、上から青雲荘を見たの?」
貴志は胸のうちでニヤリとした。
(このスケベ。女中との浮気現場を見られたか、心配しているな)
彼はいたずら心を起こしたが、思いとどまった。秀信の妻を見ていると、とてもひやかしなど言えなかった。教授がこちらを見ているのを意識しながら、あっさりと言った。
「建物のほうはあまり見えませんでした」
それを聞いて、秀信はほっとしたようすだった。
代わって、お館さまが言った。
「これまで青雲荘は和泉家だけのものだったが、これからは、一般の人たちに開放しようと思っているんだ」
それを聞いて、俊信が非難がましい目つきで父親を見た。
「池内は猛反対しているけどね。和泉家の神聖な地は、外部に晒すものじゃない、と言ってるんだ。あれは頑固もんだから、言い出したらきかない」
お館さまはそう言って、肩をすくめた。
貴志が追及した。
「で、どうするんだい?」
「町長たちと相談して決めるよ。彼らも賛否両論だが、私としては、一般に開放すべきだと思っている」
貴志は話題を変えた。
「ところで、嘉信祭はいつあるの?」
こんども俊信が、父に代わって答えた。
「あさっての早朝。――きみも参加しろよ」
「えっ、ぼくも参加していいんですか?先生に聞いたのですが、式に参加できるのは、嘉信の家臣だった子孫の7人だけだって――」
「それに和泉家の人間。きみは父の大事な客だ。特別参加しろよ。ねえ、父さん、いいだろう?」
俊信は父親の顔を見た。
お館さまはちょっと眉をひそめて、困った表情をした。
「しかし、前例がないからな。ほかの人たちがなんと言うか――。池内も反対するだろうな。あれはしきたりにうるさいから」
すかさず俊信が反論した。
「父さんはお館さまだよ。お館さまが言えば、反対する者はいないよ。速水くんは、うちの親族だとでも言えばいい」
貴志は横で聞いていて、しきたりにこだわらない俊信の姿に、好感を持った。しかし、困った表情のお館さまを見て、少し気が退けた。
「俊信さん、いいですよ。ぼくは部外者だし、参加する資格はありませんから」
「遠慮することはない。きみには、父が東京で大変お世話になった。それに東京からわざわざ来たことだし、12年に一度ある祭りだ。ぜひとも記念に参加してくれ」
俊信は言い張った。どうやら彼は、一度言い出したらきかないようだ。
お館さまが仕方なさそうに、ため息をついた。
「わかった。いいよ、タカシくんも参加しなさい。ただし――おイタはするんじゃないぞ」
どうやらお館さまは、次男坊の俊信に甘いようだ。
「――私も参加できるんですか?」
英二が期待を込めて言った。
俊信が、教授を醒めた目つきで見た。
「いいですけど――すべての行事をこなせるかなあ」
「大丈夫だよ。こう見えても、乗馬で鍛えてるから」
「そう――行事の最初は、みそぎの儀式といって、竜神の滝で身を清めることなんだ。全員、素っ裸になって――」
それを聞いて、少し詰まったが、英二は気丈に言った。
「もちろん大丈夫さ」
頬が赤く染まっている。
「なら、先生も参加してください」
言ったあと、俊信は問いかけるように警視のほうを見た。一郎はあわてて手を振った。
「いや、私は遠慮するよ。ただし、写真係ならオーケイだ」
(第2部につづく)