■ 皇子町殺人事件(第1部) - (2)
(2)
玄関わきにある応接室は、オークの板張りの近代的なインテリアが施されていた。部屋の一辺は、腰壁から天井までの大きな出窓になっていて、広い前庭が一望できた。
和泉老人は、マホガニー製のどっしりとした書き物机の向こうに腰かけていた。彼は立ちあがると、穏やかな笑顔で3人を迎えた。
「やあ、いらっしゃい。落ち着かれましたか」
老人は3人にソファーを勧めて、自分も向かいに腰を落ち着けた。それぞれの紹介がすむと、老人は英二に向かって言った。
「先生は乗馬をやられるそうですね」
英二がそっとうなずいた。
「私は牧場を持っていましてね、そこにサラブレットの調教馬が数頭います。よろしければ乗ってみませんか?」
「ええ、喜んで」
「じゃあ、明日の朝、牧場にお連れします。近くに大きな自然公園がありますから、馬に乗ってゆっくりと散歩できますよ」
「それは素敵だ。ぜひともお願いします」
英二は嬉しそうに言った。
その横から、貴志が訊いた。
「ぼくは馬に乗ったことがないけど――ぼくでも乗れるの?」
老人が愛想よく答えた。
「もちろんだよ。乗り方を教えてあげよう」
「私は遠慮するよ」
一郎が横から言った。「落馬した上、蹴飛ばされたら大変だ。私は町に出て、写真でも撮ってるよ。――ところで和泉さん、お城の天守閣にはあがれるのですか?」
「ええ、よろしければこれから参りましょうか。町のすばらしい景色が一望できますよ」
和泉老人は3人を連れて、皇子城まで歩いていった。70に近い年齢にしては、しっかりとした足取りだった。
道ですれ違った何人かの人たちが、和泉の姿を見て、丁寧にお辞儀をした。
天守閣の入り口に行くと、受付のカウンターがあった。和泉は改札窓の奥にいる年配の女性に挨拶を交わし、そのまま素通りした。
「爺さん、入場料を払わなくていいのか?」
貴志が聞くと、和泉はこともなげに言った。
「ああ、私が一緒だと特別免除にしてくれてるんだ」
城は鉄筋コンクリートで造られていたが、床や壁に欅や檜板が張られ、訪れる人たちが往時を偲べるように内装されていた。所々に配置された行灯が、部屋内にぼんやりとした明かりを投げかけ、どことなく時代めいた幻想的なムードをかもしだしている。
木の階段をのぼり、二層目のフロアに出たとき、数人の男たちが作業をしていた。彼らは板張りの床に、布と木でできた折り畳み式の椅子を並べていた。奥には畳敷きのスペースがあって、そこでは祭壇が設えられている。
作業を指揮していた年配の男が和泉に気づき、近づいてきた。男はかしこまってお辞儀をして、和泉に話しかけた。
「これは、これは、お館さま。お客さまですか?」
「ああ、東京のお客さまです。吉田さんも、ご苦労さまです。だいぶ準備が整ったようですな」
「ええ、おかげさまで。今年はいい天気に恵まれそうです」
「そのようですね。予行は明日の1時半でしたね」
「はい、予定通りです。お館さまは、神社のほうにお越しください」
「わかりました。では、私は客人がいるので、これで失礼しますよ」
和泉老人が言うと、男はもういちど丁寧に頭を下げて、作業に戻った。
次の階段に向かっているとき、貴志は和泉に聞いた。
「爺さん、あれは何の準備をしてるんだい?」
「嘉信祭といって、12年に一度あるお祭りだよ」
「12年に一度!」
城内の写真を撮っていた一郎が、驚きの声をあげた。「いつから続いているんですか?」
「記録によれば、400年ほど前に第1回目のお祭りが行なわれたそうです。今年は33回目になります」
そう言う老人に、貴志が聞いた。
「400年前から――すごいな。で、何の祭りだい?」
「祭りの名前の通り、和泉嘉信という武将を偲ぶ行事だよ。彼は戦国時代にこの国を治めていた。もっとも当時の城は、今のような立派なものではなかった。当時の石垣がわずかに残っているので、いつか案内してあげよう」
和泉の言葉に、貴志は立ち止まって、老人の顔をまじまじと見た。
「ちょっと待てよ。和泉嘉信って――爺さんは、なにか縁つづきなのか?」
「ああ、私は嘉信の子孫だよ。私で25代目になる」
それを聞いて、ほかの3人は仰天した。
貴志が呆けたように言った。
「じゃあ、ぼくたちは、昔のお殿さまの血をひいた、やんごとなき人といるわけだ」
「私はそんな大それた人間じゃないよ。和泉嘉信とは器が違う」
そう言うと、和泉は先に立って歩きだした。
貴志の背後から、一郎が言った。
「これで納得した。みんなが和泉さんのことを、お館さまと呼んでいる理由が」
弟の英二があとに続いて言った。
「素敵じゃないか。昔の城主の血を引く子孫の方とご一緒できるなんて」
彼らは5層目にきて、やっと天守閣の最上階にたどり着いた。
たしかに天守閣からの眺めは、素晴らしかった。
鉄道駅周辺の新しい町並と、城の足もとから広がる古い町並が、ふたつの市街地を形成していた。上から見ると、古い城下町に新しい時代の流れが入り込んでいるさまが、手にとるようにわかった。
皇子町を囲む山並みは、湾状に左右に広がっていた。左手は山と町並が迫って、温泉の湯煙が立ちのぼっていた。なだらかな山の斜面には、果樹園らしい緑地がある。
右手のほうは広大な田園風景が広がっていて、ゆったりとした幅の広い川の流れが、市街地と一線を画している。幾何学的に区画された田畑が遠く山裾まで伸び、その先に工場らしい建物施設があった。おそらくセメント工場だろう。背後の山の斜面に、石灰岩の削り取られた白い山肌が、口を開けていた。
貴志は裏にまわって、城の背後の方角を見た。
そこで奇妙な格好をした山に気づいた。その山の上部は樹木もなく、白い岩肌と雑草でおおわれていたが、その陰影がどことなく人の顔に見えた。
「仁王山だよ。ほら、仁王さまの顔に見えるだろう」
背後から、和泉が教えてくれた。「あの山並みの向こう側は海だ。あの山に登ってご覧。海が一望できるよ」
「爺さん、いや、和泉さん――ややっこしいな、どう呼べばいいんだ。殿さまの子孫だと聞いたからには――」
貴志が混乱したように言うと、和泉がほほえんだ。
「爺さんでいいよ。きみに和泉さんなんて呼ばれると、尻がこそばゆくなってくる」
「じゃあ、爺さん。この町の主な産業はなんだい。向こうでセメント工場らしいものを見かけたけど」
「いろいろだよ。あのセメント工場だけは東京資本で操業されているけど、そのほかの産業はすべて地元でやっているよ」
その話題については、よほど話し慣れているのか、老人は流暢に説明した。
「まず代表的なのは観光産業だよ。ここの温泉は、湯量、泉質ともすばらしく、鎌倉時代から湯治客でにぎわってきた。それから米と麦作に、椎茸やぶどうの栽培。日本酒やワインも造っている。小規模だが、酪農もやっているよ。乳牛が主だけど、チーズなどの乳製品も造っている」
「爺さんは何をやっているんだい?」
「いろいろの事業に出資してるけど、直接経営しているのは、造り酒屋とワイン工場、それに酪農と乳製品の加工工場だよ。もっとも今は、長男が実務を仕切っているが」
「なんだ、じゃあ爺さんは、この町の産業の大どころを牛耳ってるわけだ」
「きみ、人聞きの悪いことを言うなよ。ここは会社組織というより共同体に近いんだ。すべて合議制で経営されているんだ」
「ふーん。で、爺さんの子供は何人いるんだい?」
「息子ふたりに娘がひとり。長男が私の跡を継いでいるよ」
「思ったより子供は少ないな」
「どうしてそう思うんだね?3人いれば、少なくもないだろう」
「だって、爺さんの顔は子沢山の相だぜ」
「そうかなあ」
「そうだよ。福々しくて――いかにも、好きそうな顔つきをしてるじゃないか」
和泉は貴志を見あげて、ゆっくりと言った。
「きみ、ひょっとして、私をからかっていないか?」
「とんでもない」
貴志は、心外だというように言った。「ぼくは感じたことを、正直に言っただけだよ」
天守閣から出ると、一行は城の敷地内にある郷土資料館に立ち寄った。
この建物も、鉄筋コンクリート造りの新しいものだった。ここでも和泉老人は、ガードマンたちの最敬礼で迎えられた。
館内はまだ新築の匂いがただよっていた。快適な空調設備とやわらかい間接照明のもと、皇子町の歴史が効率良く展示されていた。驚いたことに、弥生、縄文時代の土器まで展示されている。
2階の最奥部のコーナーに行くと、そこは特別展示室として、和泉嘉信の資料が展示されていた。嘉信を説明するパネル以外は、すべてガラスケースのなかに展示され、入り口にはガードマンが来訪者を監視していた。
室内いっぱいに、史籍や刀剣、衣類、小道具が整然と並べられている。
特に目をひいたのは、一番奥に展示されている鎧、兜だった。その時代によくある、装飾の施されたものとは違っていた。色は灰色を基調として、関節の部分の木綿布をのぞけば、あとは鉄でできていた。どちらかというと西洋の鎧に似て、シンプルで、機能的なデザインだった。
その手前にはひと振りの太刀があった。通常見慣れた太刀よりも、大振りだった。
貴志は、和泉に質問しようと振り向いたところで、老人が他の来場者と話をしているのに気づいた。相手は、ずんぐりむっくりした体型の60年配の男だった。
和泉が貴志の視線に気づいて、手招きした。
「郷土歴史家の太田さんだ」
和泉はその男を紹介した。男は和泉から貴志のほうに顔を向けた。べっ甲縁の分厚いレンズの奥からつぶらな瞳が、貴志を見あげた。一瞬、その目が驚いたように広がった。
(フクロウだ)
貴志はふと、そう思った。
男は、その太った体型にしては、妙にやさしい声で言った。
「どうですか、この資料館は?お気に召しましたか?」
「ええ。この部屋に展示されている和泉嘉信という武将に、興味をひかれました」
「嘉信さまは現代でも通用する、希代の政治家であり、経営者でもありました。しかし、あなたもお若いのに、彼に興味を持つとは、ただものじゃありませんな」
男はねちっこい目つきで貴志を見た。その目で見られて、貴志は落ち着きを無くした。
「ぼくはごく平凡な人間ですよ。ただ和泉嘉信がこの爺さんのご先祖だと聞いたので、興味を持っただけです」
貴志は和泉のほうをちらりと見て、男に質問した。「ところで、奥の兜と鎧はちょっと変わっていますね。まるで西洋のものみたいだ。あれは本当に、嘉信が身につけていたものなんですか?」
「あなたも気がつかれましたか。あれこそ既成観念にとらわれない、嘉信さまの本領発揮の品々です」
男は嬉しそうに言った。
貴志はもうひとつ質問した。
「嘉信は、希代の政治家であり経営者であるとおっしゃいましたが、具体的には、どんなことをやったのですか?」
男は目を細めて、貴志をじっと見た。そして、妙に眠気を誘う声で言った。
「じゃあ機会があったら、一度私の家に来なさい。私がこれまで研究したことを、あなたに話してあげましょう。和泉嘉信は興味深い人物です。調べれば調べるほど、彼の奥の深さと秀でた才能に驚きますよ」
そこで男は、手にした書籍を貴志に渡した。「これは和泉嘉信の日誌の写しです。そんなに興味がおありなら、読んでみませんか?」
貴志は受けとった本を、パラパラとめくって見た。ワープロ印刷されていたが、文章は古語体そのままだ。ゼミの研究課題にできそうだった。貴志は、男に言った。
「じゃあ、お借りします。わからないところは、あとで教えてください」
太田と別れたあと、和泉が彼について説明した。
「太田さんは若い頃、この町きっての秀才だったんだ。東京で働いていたけど、2年前に戻ってきてね。それ以来、郷土の歴史を研究しているんだ」
「へーえ、秀才ねえ。人は見かけによらない典型だな。それで東京では、あの人の職業は何だったの?」と貴志。
「お医者さんだったそうだよ」
「お医者さん?ますます人は見かけによらないな」