目 次
スーパースター第四部 - 終章
(1)

全英オープンで初優勝した貴史は、それまでの苦労がうそのように好成績をあげだした。そのシーズンのアメリカ・ツアーで2勝したのち、彼は家族の待つ日本に帰国した。
空港では、貴史のファンたちが、大勢詰めかけていた。
貴史は群集にむけて笑顔を振りまき、ていねいに手を振った。彼一流の茶目っ気で、阪神タイガースの野球帽をかぶっていた。
日本に帰国してからの貴史は、多忙をきわめた。奇跡の復活を遂げた彼を、日本のマスコミ界は放っておかなかった。あいつぐ取材攻勢とテレビ番組への出演。その合間を縫っての旧友たちとのプライベートな再会。スケジュールはまさに分刻みだった。
そのために貴史は、神戸市内に小さなオフィスを借りてスタッフをひとり置き、マスコミその他の対応にあたらせた。また自身も日中はオフィスを拠点として、いわばセカンドハウス的に使用した。家族のいる義父の家を、世間の目に晒さない配慮でもあった。
いっぽう貴史は、いくら忙しくても、家に帰ってからのトレーニングを欠かさなかった。村松博士とトム・ギルフォードの作った、メニューに沿ってのトレーニングだ。筋力トレーニング、スィングのチェック、イメージトレーニング。これらは彼にとって、身に染みついた習慣になっていた。

帰国してから、貴史が気になることがひとつあった。
それは、癌に侵された村松博士のことだった。村松は手術を2回受けて、今は病院で療養生活を送っていた。
しかし10ヶ月ぶりに見た村松は、言葉使いもしっかりとして、予想外に元気そうだった。アメリカで会ったときに比べ、顔艶もよくなったように感じられた。
貴史は白い病室の中で、村松の横たわるベッド脇の椅子に腰掛けながら、声をかけた。
「やあ、ドクター、久しぶりだね」
「ああ――貴史。ついにやったな――全英オープンで――」
「テレビを見ていたのかい?」
「何度もね――看護婦が、録画してくれたんだ」
「どうです、感想は?」
「きみが、タイガースにいたころを思い出したよ。もっとも――あのころのきみとは違うけど――」
「どう違うんだい?」
「きみがずっと大人になったってことだ。いまのきみは内面からにじみ出る風格がある」
「ドクター、ぼくだって年は取るさ。もう34歳だよ」
「34歳か――きみは他の人間が、その倍の年でも出来ないことを成し遂げたんだ」
「まだまだこれからさ。ドクター、ずっとぼくを見てておくれ、ぼくが何を出来るかを。ぼくの新しい人生は、今始まったばかりだ」
「ああ、わたしは、きみをずっと見守ってきた――これからも、きみを見つづけていくよ」
「それにしてもドクター、顔艶がずっといいね」
「ああ――ここのところ調子がいいんだ」
「じゃあそのうち、テレビではなくゴルフ場で、ぼくのプレーを見てくれるね」
「ああ、その日が楽しみだよ」

老人と話したいことは山ほどあった。しかし貴史は、老人の体を気遣って、面談を早めに切り上げた。
別れ際に、貴史は横たわる老人の体に身を寄せ、黙ってズボンのファスナーを下ろした。それから性器を露出させた。
村松は万感の思いを込めて見つめ、そっと手に握った。彼はこれまでのシーンを思い出すように、手にしたものを愛し気に撫でた。
病室を出るとき、振り返ってもういちど村松の様子を見た。
村松は穏やかな笑みを浮かべ、そっと片手を上げた。貴史に心配をかけまいと、つとめて明るく振舞っているようにも感じられた。
老人のいじらしい姿に、貴史は急に言いようのない哀切を覚えた。

いよいよ帰国第一戦に出場する直前の日曜日、貴史はある小さなチャリティー・ゴルフに参加した。
身障者救済のための催しで、義父の宇野一郎が経営する製薬会社の主催だった。
そのゴルフ競技は、肝心の目玉になるプロゴルファーがいなかった。
宇野は、日本での大事な試合をひかえた貴史に遠慮して、声をかけなかったようだ。そのことを知った貴史は、自分から進んで、チャリティー・ゴルフに特別参加した。
その日は朝から、あいにくの雨だった。
しかし貴史が参加するというニュースで、催しは大盛況だった。
貴史は、ボランティアで出場した年配の財界人たちにまじって、雨の中を傘もささず、たえず明るい笑顔でファンサービスに努めた。気取らずざっくばらんにファンに接する貴史の姿は、多くのギャラリーの共感を呼んだ。

試合後に、母親に連れられて、10歳くらいの男の子が貴史に会いに来た。
6年前、貴史が暴走車から命を救った男の子だった。
「きみがあのときの坊やか。大きくなったね」
「あのう――ぼくは小さくて、なにがなんだか分からなかったけど、あとでお母さんに聞きました。小父さんはぼくの命の恩人です。ありがとうございました」
子供の言葉に、貴史はにっこりと微笑んだ。そして色紙にサインをしてやりながら、子供に言った。
「きみもぼくの人生の恩人だ。おかげで今の奥さんと結婚できたし、プロゴルファーにもなれたんだ」

オークションでは、全英オープンで優勝したときの、副賞の盾を主催者側に進呈した。たちまち値が吊り上げられ、100万円で競り落とされた。
貴史は年配の客に楯を手渡しながら、ユーモラスに言った。
「この盾と同じものは、これからいくらでもいただくチャンスがあります。高く売るためには、大量生産に入る前に売り出すのがコツなんです。ご主人、申し訳ありません。だからプラスして、ぼくの使っているパターを進呈します」

その日の行事が終わったあと、宇野一郎が貴史に会いに来た。チャリティー・ゴルフが大盛況だったことがよほど嬉しかったのか、宇野は思わず貴史に抱きついていた。目に涙を滲ませている。
貴史は義父の示した思いがけない親愛の情にドギマギしたが、一方では年配者の温かい肉体の感触にときめいていた。以前、貴史の人格に疑問を抱いていた義父も、少しは婿の善性を認めたようだ。

日本でのゴルフ第1戦に出場した貴史は、本来の調子がでなかった。雨に濡れながらチャリティーゴルフをやったために、風邪をひいたのだ。それに、アメリカと日本のグリーンの違いにとまどっていた。
しかし彼は体調の悪いことを一言も口にせず、4日間のプレーをきっちりとこなした。
つぎの試合からは、すべてベストテンに残って、シーズン終了までに、2回優勝することができた。
彼の勝ちパターンは、3日目までは慎重にコースの状態を見ながらプレーをし、そして最終日は爆発的にスコアを伸ばしていた。スタート時のトップとの差も、あっという間に縮め、ホールアウトしたときには、逆転勝利するのだ。
日本のコースは全体的に、OBさえ打たなければ、少々のミスショットをやってもリカバリーできた。一般アマチュアを対象とするゴルフ場の運営上、仕方のないことだろうが、貴史は物足りなさを感じていた。
それでも彼は、プレーでは決して手抜きをしなかった。彼は3日間じっくりとコースレイアウトを頭に刻み込み、最終日には積極果敢に攻めた。

シーズンオフは、出来るだけ仕事を断って、家族と一緒の時間を持つようにした。考えてみれば、アメリカと日本のゴルフトーナメントに掛け持ちで参戦する貴史にとって、家族ときずなを温めるときは、この時期しかなかった。
小学校と幼稚園に行きだした明日香と啓太は、同年輩の友達が増えて、生き生きとしていた。子供たちが休みの日には、家族揃って六甲山に登ったり、宝塚の遊園地にでかけた。
知恵子の父親、宇野一郎は、すっかり好々爺になって、孫たちにべったりとつきまとっていた。
正月には、貴史の両親が鎌倉から遊びに来た。
父親の桂樹は、頭に白いものが目立ち、すっかり太目の体型になっていたが、母親のアンリは、相変わらずスマートで気品があった。
彼らは、貴史の復活を、当然のことのように受け止めていた。
「だって貴史は、わたしたちの子供よ。少々のことでは、決してへこたれないでしょう。わたしは信じていたわ」
「そのわりには、おまえはよく八幡さまにお参りに行ってたじゃないか」
「あなた、わたしは健康のために散歩をしているのよ。いやだ、そのおなか。またウエストが何センチか膨らんだのじゃない?あなたもちっとは運動しなさいな」

翌年から、アメリカのマスコミ界でも、貴史のことがニュースになる機会が増えてきた。かすかにビッコをひいて歩く貴史の長身と、いつも影のように付き従うボブ・ヘイルのずんぐりした短躯、かれらはアメリカ・ゴルフツアーの、トレードマークのひとつになりつつあった。
貴史は一流の選手たちにくらべると、技術的にはまだまだ未熟だった。しかし、未熟なところは精神力でおぎなった。そして、一戦一戦、実戦をつみかさねることによって、着実に強くなっていった。
『心、技、体』
貴史はこの言葉をたえず意識した。とくにゴルフはメンタルな要素が多かった。いくら高度の技術をもっていても、いくら体力的に充実していようとも、不安定な精神状態では試合に勝てない。彼は子供のとき、近くに住む中国人に教わった太極拳をやることで、精神の安定をつちかった。
貴史にとって、家族を日本に残しての半年間のアメリカツアーは、精神的にも肉体的にもつらいものだった。しかし貴史にはボブがいた。なにごとにつけ、控え目だが明るいボブは、貴史にとっての精神安定剤だった。ボブはゴルフのパートナーであり、親友であり、そして、よき女房役だった。
[18/04/13 06:32 神亀]
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