(6)
貴史は試合の合間に、サンフランシスコまで足を伸ばした。トムに教えられた宿は、古ぼけた、いかにも安普請のホテルだった。訪問したとき、ボブは出かけて不在だった。
しかし彼の行き先はすぐにわかった。頭の禿げたホテルのおやじが、面倒くさそうに教えてくれたのだ。
労働者たちの溜まりになっている粗雑な店だった。紫煙と人いきれでむっとする雑踏の中をすすむと、奥のテーブルにボブがいた。よれよれの作業服を着た彼の姿は、太めの体型がふやけて、ますます膨張したように見えた。
貴史が前に立つと、ボブがぼんやりと顔をあげた。
青い涙目が、思いだそうとするように、貴史の顔をみつめた。不精髭がまばらに生えた顔はむくんで、ゆるみがちの下目蓋が疲れた表情をしていた。
瞳がわずかに大きく開いた。彼は貴史を思いだしたようだ。
そこで貴史は声をかけた。
「やあ、ボブ、ひさしぶりだな。タカシだ。きみとは前にゴルフをしたことがあるんだ。トミーが心配していたぞ、さあ帰ろう」
「タカシ――なんでここに?」
ボブは口ごもった。貴史はテーブルの向いに座ると、真っ直ぐにボブの目を見ながら、こともなげに言った。
「ぼくのキャディーをやってもらいたいんだ。報酬は賞金の10パーセントと必要経費。もっとも、今はまだ、あまり稼いでいないけどね」
「キャディー?なんだよ、突然」
「話はあとだ。そのまえに、きみはちょっと身奇麗になる必要があるな」
貴史は強引に、ボブをホテルまで連れ戻った。部屋に入り、バスタブに湯を張ると、ボブを素っ裸にさせた。ボブは貴史の強引さに戸惑いつつも、素直に従っていた。
「さあ、今までの垢をこそぎ落とすんだ。いいかい、あとで検査をするから手抜きするんじゃないぞ」
貴史は裸のボブをバスルームにとじこめると、室内を点検した。家具は粗末なベッドだけ。酒の空きビンが床に2、3本転がっていた。蓋のあいたスーツケースには、汚れて皺だらけの衣類が、雑然と詰めこまれている。部屋の中には、以前会ったときの清潔そうなボブの面影は、なにひとつなかった。
ボブの脱いだ衣類をスーツケースに放りこむとき、すえた体臭とアルコールの臭いが鼻をついた。
しばらくして、ボブがバスルームから出てきた。風呂あがりの彼は、健康そうにみえた。ふっくらとして体毛のない肌は、赤ん坊のようにピンク色にそまっている。股間に頭をのぞかせた包茎のペニスが、ボブらしくて愛嬌があった。肉づきのよい頬にも朱がさして、丸っこい体からは、清潔な石鹸の匂いが漂っていた。
しかし不摂生は歴然として、彼の裸体にあらわれていた。肩や胸の肉が落ちたぶん、脇腹や腰まわりに贅肉がたっぷりとつき、ぽってりと膨らんだ腹は妊婦のようだった。
「いいかい、ボブ。きみの服を買ってくるから、そのまま待っていてくれ。今まで着ていた服は、洗濯がすむまで手をつけるんじゃないぞ。臭いがしみついてるからな」
「でもタカシ、裸のままじゃあ――」
「だったら無精髭を剃って、それからもういちど体を洗うんだ」
1時間後、二人は近くのハンバーガーショップにいた。
ボブは貴史が買ってきた、こざっぱりした服を着て、すっかり見違えるほど清潔になっていた。
「トミーはきみをレッスンプロにしたがっている。しかしぼくは、きみに専属キャディーをやってもらいたいんだ。これまでゲームのためにツアーをやっていて、つくづく痛感した。ぼくにはまだ、プロゴルファーを続ける上での細かいところの知識が無い。アメリカの交通手段や、宿泊先の手配にも不慣れだ。だからキャディーと言っても、ゴルフ場だけじゃない。やらなければならない仕事は、たっぷりとあるんだ」
「ちょっと待ってくれ。きみは本当に、プロゴルファーになったのか?」
「ああ、ワイフの勧めでね。それにトミーのレッスンのおかげでもある」
ボブは納得したようにうなずいた。
「じゃあきみは、わたしの予感どおり、プロゴルフの世界に入ったんだ」
ボブは感慨深そうに黙りこんだ。ややあって、おもむろに言った。
「わたし以外でも、優秀なキャディーはいくらでもいるよ。どうしてわたしに声をかけたのだい?」
「トミーは、きみのことを頭がいいと言っていた。それにぼくは、きみの人格が気に入っている」
ボブ・ヘイルは最初のうち、貴史のキャディーになるのをしぶっていた。
先の読めない、給料の少なさを心配していたのではなかった。自分の気の弱さ、それに若い男との堕落した関係を恥じていたのだ。
「でも、わたしには、タカシと一緒にいる資格がない。かえって迷惑をかけるだけだ」
ヘイルは回りをはばかるように見た。それから丸っこいあごを震わせて、小さな声で言った。
「わたしは――ゲイなんだ」
「いまでもその男と付き合ってるのか?」
「いや――この前、喧嘩別れした。もうこりごりだよ」
「だったら気にすることはない」
「でも――タカシ。きみは心のなかで、わたしを軽蔑しているのだろう?」
ヘイルは涙の滲んだ小さな目で、貴史の顔を恐る恐る見た。
貴史は安心させるように、大きな微笑みで返した。
「きみもくどいね。じつはぼくも、何人かの男性と経験がある。男はだれだって、心の片隅に同性愛指向を持っているもんさ。それに、ここは自由の国、アメリカだろう?」
「――」
「ぼくもボブが好きだ。きみの澄んだ青い瞳や、初心っぽい口元。それにきみの裸だって、きれいな肌をしてるじゃないか。だからきみをキャディーに誘ったんだ」
そこで貴史は手を振った。「ごめん、冗談だ。ぼくが必要としているのは、きみの肉体じゃない。きみのプロゴルファーとしての経験だ。どうだい、ぼくと一緒に来ないか?」
ボブはしばらく考えていたが、ようやく顔をあげた。
「わかった、タカシ。わたしはゴルフでは落ちこぼれのさえない中年男だけど、新しいマスターのために精一杯つくすよ」
「おいおい、ボブ。ぼくたちは主従関係じゃないんだ。パートナーだよ。きみのプロとしてのアドバイスが欲しいんだ。でも結果がどうであれ、きみに責任は求めない。最終判断するのはぼくだからね。それでどうだい?」
ボブは久しぶりにほほ笑んだ。
ややあって、どちらからともなく手を伸ばして、固く握手をした。
「それから、ボブ――」
最後に貴史は、ボブの目を見ながら言った。「もしその気があるのなら、ときどきぼくの相手をして欲しい。ぼくにはマイアミにワイフや子供がいるけど、そのう――ツアーは長いから、どうしょうもなくなる夜もあるんだ」
ボブを専属キャディーにしてからの貴史は、じょじょに好成績をあげだした。給料を払うためにも、彼は賞金の獲得に貪欲になっていた。そしてそのことが、好成績にもつながったのだ。
いっぽう、ボブの存在も貴重なものになりつつあった。 彼は、かならず前もって競技会のおこなわれるコースを下見し、几帳面にメモをとった。試合中も、毎日早朝にグリーンを下見し、ピンの位置やグリーンの状態、その日の天気予報までも細かく調べていた。
とくに貴史が助かったのは、それまで彼が自分で手配していた細々とした雑事――切符の手配やホテルの予約、試合のスケジュール決めまで、ほとんどボブがやってくれることだった。
そのおかげで、貴史はゴルフに専念することができた。
試合回数がかさむにつれ、二人の息もぴったりと合ってきた。プレー中は、ボブがツアープロで培ったアドバイスをあたえ、判断するのは貴史だった。
そしてまた、ボブは文字通り、女房役をやってくれた。
ツアー生活の合間に、貴史がどうしょうもないほど性欲の高まりを覚えると、二人はその夜、親密な関係をもった。
