■ 風の新之輔第三部 - 第三部邂逅(十一)
(十一)
小壺芳美は医師をやっている縁で、御城の表御番医師の何人かと付き合いがあった。彼らの情報で、海滑藩主、首藤頼宗が急の病で死んだということを知った。医師の見立てによれば、心ノ臓の発作ということだった。
しかし芳美は、懐疑的だった。
「わたしは海滑のお城医師でしたから、お上の健康状態はよく知っております。お上は、肝の病でございました。人を怒鳴って憂さを晴らす、つまり肝積(かんしゃく)の虫ですな。しかし、心ノ臓に欠陥はございませんでした。ですから、心ノ臓の発作を起こして死んだという話は、ありえないように思います」
「では、医師の見立てが間違っていた、ということだな」
新之輔の問いに、芳美は微妙な表情をした。
「あるいは、そういうことにしたのではないでしょうか。人の死をうやむやにするには、一番使われる見立てです」
新之輔は、頼宗の死に、なにかきな臭いものを感じた。それを探るにはどうしたらいいか。まさか脱藩者の自分が、海滑藩の江戸屋敷に出向くわけにもいかない。あれこれ思案して、新之輔は心を決めた。
(あの方に頼むしかないか)
海滑藩江戸家老の室井正俊は、たまにお忍びで深川にある岡場所に行く。そこで馴染みの女郎と一夜を過ごす。
彼は五十六歳になるが、その方面の欲求は尽きるどころか、ますます思いは強くなっていた。これも増える心配事の反動であろうか。
今宵も日頃の公務を忘れ、女郎を相手に思うさま痴態を演じた。そのまま熟睡し、明け方目覚めると、廓の朝風呂を浴びて、酒と白粉の匂いを流す。次いで廻り髪結いを呼んで、髭と月代を剃り、身なりを整えたあと、駕籠を呼んで深川を後にする。
駕籠に揺られながら、自然に笑みがこぼれる。昨夜は、気持ちよくできたので、気分は爽快だった。
しかし上屋敷に着くと、彼の気分は急降下した。
門から家士が走り出てきて、急を告げた。
「大至急、保科肥後守正之さまのお屋敷にお出向きください。肥後守さま直々のお呼びでございます」
室井正俊は、広い座敷にひとり控えて、震える気持ちを押さえつけていた。
保科正之といえば、将軍家綱公の補佐役で大政参与の要職にあり、いわば将軍に次ぐ権威あるお方だ。
(そのお方が自分に何の用だろう。まさかお上の家督相続に問題でも――)
あれこれ思い悩んでいると、襖の外から、「御成りー」と小姓の声がして、ハッとその場に平伏した。
襖が開かれ、かすかに畳を摺る音が聞こえる。ついで声がした。
「おもてを上げよ」
顔を上げると、床の間を背に、保科正之と思える初老の人物が座っていた。その背後にもうひとり、大きな体格の侍がいた。
侍の顔を見て、思わず正俊は身構えた。
(風間新之輔!)
心を鎮めて、正俊は平伏しながら名乗った。
「海滑藩江戸家老、室井正俊でございます」
保科正之が穏やかな声で言った。
「城中ではない。楽にしてくれ」
そこで新之輔のほうを見た。「ふたりは顔見知りだな。つもる話もあるだろう。余は失礼する」
あっけないほどの成り行きだった。保科正之が部屋を出て、入れ替わるように女中が茶を持ってきた。
ふたりはしばし黙って、お互いの顔を見つめた。
先に口を開いたのは、新之輔のほうだった。
「お上が亡くなられたと聞きました」
それに答えず、室井は言った。
「なにをいまさら、おめおめと」
「拙者が生きていることが気に食わないようだな。これまで何度も刺客を送ってきたようだが、拙者はこうして生きている」
「黙れ。脱藩者とは話したくない」
「ご家老は、拙者が脱藩した経緯をご存じか」
「おのれは宗顕さまを殺して逃げた」
「では、誰が命令したと思う」
「――」
室井は、何を言っているのだ、という顔をした。
「命令したのは、お上と国家老の長尾将左衛門――」
「偽りを申すなっ!」
室井が叫んだ。
新之輔は皮肉な笑みを浮かべた。
「お上にとって煙たい存在だった宗顕さまを殺め、拙者を反逆者に仕立てあげた謀(はかりごと)を知らないとは、室井さまも操り人形でござるな。それとも、女に溺れて、政(まつりごと)を忘れたか」
「無礼者っ!」
室井は顔を真っ赤にして怒鳴った。
「そう、大声をあげるな。ここは保科正之さまのお屋敷。ご迷惑をおかけしないよう、静かに話そうではないか」
保科の名前を出したことで、室井は急におとなしくなった。
新之輔は、室井が藩内の裏情報に疎いのが理解できた。室井は海滑出身でもないし、江戸屋敷でしか務めたことがない。いわば、海滑藩内では外様のような存在だった。
そこで新之輔は、話題を変えた。
「松太郎さまはご健在か」
室井の顔がわずかに緩んだ。
「心身ともに立派になられた。近頃は、羽室のご前によく似てこられた。将来は、立派に海滑藩を背負って立たれるお方だ」
「お上が亡くなられた今、幕府へ跡目相続の手続きが要りますな」
「いま書状を取り揃えて、お願いしているところだ」
新之輔は、本題に入ることにした。
膝を摺り寄せて近づいたとき、室井は思わず身じろぎした。
「拙者も、松太郎さまが無事、海滑藩の主となられることを望んでいる。保科さまには、万事遺漏無きようお願いするつもりだ」
そこで新之輔は、ひと呼吸置いた。
「そのためには、お上の死因について、正直に話してもらいたい。もちろん、他言無用。保科さまに対しても同様、と心得られたい」
室井はすこし逡巡したあと、考えながら話しだした。
「お上の死は、朝、発見された。起きてこられないので女中が見に行ったところ、亡くなられていた。何の異常も無いようであったが、ただ一カ所、心ノ臓の上あたりに細い一寸ほどの傷跡が見つかった。
しかし、調べにあたった医師は、それが何による傷か分からなかった。
またその傷が、死に至る原因だったのかもはっきりしない。そこで、心ノ臓の発作という見立てにしたのだ」
「では、毒を盛られたとか、そういう形跡はなかったのでござるな」
「ああ、お上の顔はごく穏やかだった。苦しんだ形跡は、ひとつもない」
新之輔は考え込んだ。そして最後に聞いた。
「十日ほど前、三人の武士がお城医師だった小壺芳美を連れ去ろうとして、たまたま通りかかった剣客に切り殺された。その三人の武士は、海滑藩の者だな」
「たぶんそうだと思う。上屋敷にいた三人の家士が、行方不明になっている」
「たぶんとは――ご家老は知らないのか」
「江戸屋敷では、すべてお上おひとりで命令されていた」
「黒鉄衆はいないのか?」
「黒鉄衆は国元にしかいない。幕府の目が厳しいので、江戸屋敷では隠密衆の出入りを、一切禁じている。だからわしは、黒鉄衆の動きを知らない」
「国元で黒鉄衆を使っているのは誰だ」
「お上か、あるいは長尾将左衛門か――」
海滑藩の事情がだいぶ見えてきた。これ以上は、室井から聞き出す情報もなかった。新之輔は、江戸家老との会見を打ち切ることにした。
室井が帰ったあと、新之輔は保科正之の部屋に寄った。
「このたびは、ご前のお計らいで、室井正俊と話をすることができました。大変ありがたく存じます」
「おお、話は済んだようじゃな。なあに、そなたの頼みなら何でも聞いてやる。なにしろそなたは、余の命の恩人じゃからな」
新之輔は嫌な予感がした。保科が下手に出るときは、ろくなことがない。
案の定、保科はおもむろに言った。
「新之輔、余のもとに来てくれぬか」
「なんと仰せられました」
新之輔はとぼけた。ふと、徳川頼宣から誘いを受けたときのことを思い出した。あの時はなんとか断ったが――。
保科が再度、言った。
「余のもとで働いてくれぬか」
「ご前の家臣になれ、と仰せですか」
「そうじゃ。余はそちのような、武術に優れ、探索に長けた者を求めている。あいにく、家臣にはそういう者がいないからのう」
「お断りします。拙者は主を持たぬことにしております」
新之輔はきっぱりと言った。
保科は困った顔をした。そして独り言のようにつぶやいた。
「そうか――おぬしとは身も心も通じ合えていると思うていたが――残念じゃのう」
そこで上目使いに新之輔を見た。「考え直すわけにはいかぬか?」
新之輔はその目つきに弱かった。しかし頑なに断った。
「考え直しても同じことでござる。拙者の考えは変わりませぬ」
「では、半分家来ということで、どうじゃ」
「半分家来とは、意味が分かりませぬ」
「用がある時だけ、余の家来になるということじゃ。頼む」
保科は畳に両手をついて、頭を下げた。
「ご前!お手を上げくだされ」
新之輔はあわてた。そして言っていた。
「分かり申した。しばらく考えてみますが、ご期待はされませぬように」
「そうか、心の暖かいおぬしのことだ、きっと余のために、いい返事をくれると信じているぞ」
言った後、保科は、新之輔の心を揺さぶる、あの魅力的な笑顔を見せた。
新之輔は長屋に戻ると、室井正俊から聞いた話を芳美に伝えた。
頼宗の胸にあった傷のことを聞いたとき、芳美は場を立って、手術道具入れを持ってきた。紐を解いて、道具をひとつ取りだした。
二寸ほどの片刃に、竹の柄をつけた尖刀だった。
「これは腫れを切ったり、膿を出したりするものです。お上の胸の傷は、これとよく似た尖刀で、両刃のものを使ったのではないでしょうか。薄刃なら傷も目立たず、心ノ臓を貫くことができます。ただし相当の技が必要ですが」
「そういう刃物を使うのは、どんな職業の者だ」
「それは――おそらく忍びの者」
新之輔は考え込んだ。
忍びの者と聞いて、まず考えつくのは黒鉄衆だ。しかし黒鉄衆が寝返って、頼宗を殺したとは考えにくい。里の者にも、新造のように忍びの術を使える者がいる。しかし里の者は、もともと主を持たない集団だ。動くのは里山が危険に晒されたときだけだ。
幕府が忍びの者を使ったということも考えられるが、あまりにも突飛すぎる考えだ。
第一、幕府が海滑藩主を暗殺する理由がない。
ふと、ある考えに思いが至って、新之輔は愕然とした。
(いや、そんなことがあるだろうか)
それを確かめるには、海滑に行くしかない。
新之輔は芳美に向かって静かに言った。
「豊後に行ってくる」
その夜はいつになく激しかった。しばらく会えないという思いが、二人の情を揺さぶり、昂らせた。
いつもの後ろからではなく、お互いの顔を見ながら交わった。この体位だと受けの負担が大きいが、芳美はけなげに足を抱えて身体を海老のように曲げ、新之輔の大きな身体を受け入れた。
始まりは繋がりも浅く、慈しむように優しいうねりだった。芳美の顔がまどろむように揺れて、小ぢんまりとした唇がかすかに開かれている。
新之輔は腰をうねらせながら、むさぼるように艶やかな唇を吸った。
情の高まりと共に、へのこがグングン膨らんで、肉壺の隅々まで押し広げる。ぬめる肉の襞が、ズグズグと滑脱する太いへのこを押し包み、締めつける。
恐ろしいほどの悦楽に、芳美の顔が怯えたように歪む。
うねりは大きくおおきく――ついには、雁首が奥深くの壺に嵌った。
強烈な快感が二人の全身を突き抜けた。
それは次から次へと、怒涛のごとく押し寄せてきた。
たまらず芳美がしゃくりあげて泣き出した。
大平寺の妙窓が言った、する側もされる側も悦びを得る、二人悦である。
うねりは高く、高く――そして高まりの絶頂で、新之輔はドクンドクンと淫水をはじき出した。